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神との対面

 まだ5時前、日の出ももうすぐで、少しずつ明るくなっていく部屋にスズメの(さえず)りが聞こえてきていた。

 牛鬼との一戦で毒を喰らい、部屋で早く休んでいたのもあるのだろう。

 それはいい。それはいいのだが、この状態はどうにかしなければ……。


「う……うごけない……」


「こうにい……。えへへ……」


 顔は見えないが、幸せそうな羽衣(うい)の寝言が耳に入っている。それよりも問題は、身動き一つできない事だ。


「らめですよ~。おとなしくしていてくださいね~」


 これ実は起きているとかってオチないよな? なんて頭の中で考えてしまう。

 

羽衣(うい)!? 顔に思いっきり胸が当たってるって!」


「すぴ~」


 俺の抗議なんぞ、なんのその。この体は現在、羽衣(うい)に抱きしめられて固定された挙句、顔面は彼女の柔らかな胸に押し当てられてしまっている。


「~~~!?」


 どう声を出せば良いかも分からずにジタバタするしかなかった。というか、カズさんと駄蛇は何やっているのか。部屋の中が静かすぎる。


 手足をジタバタしていたせいか、俺を抱きしめている力が緩んだ隙に一気に頭を羽衣(うい)の体から引き離す。


「ぜえぜえ……」


 息を切らしながら周囲を見渡すと、気配を殺しながらこちらをジッと観察する視線が二つ。

 そいつらは俺が起きたのと同時に、にやりと笑う。


「「昨晩はお楽しみでしたね(ヘビ)」」


「楽しんでたわけねえだろうがああああ! 見てたんなら助けやがれ!!」


 どこで覚えたか知らん、お約束っぽいセリフを言い放つカズさんと駄蛇に大声でツッコみを入れてしまう。


「むにゃ~。こうにい、おはよ~」


 どうやら大声で起きてしまったらしい羽衣(うい)であった。声の通りでまだ寝惚けているらしい。目を擦りながら、ゆるーい顔を見せていた。


「はいはい。功にぃですよ。ちゃんと起きような?」


 羽衣(うい)の頬っぺたをむにむにしながら、この娘の目覚めを促してやる。

 『功にぃ』――これは9歳から一年間、レイと一緒に神屋家でお世話になっていた時期に、羽衣(うい)が言っていた俺のあだ名だ。


 そんな懐かしさもあって、思わず羽衣(うい)の頬っぺたをグニグニしていると、彼女の意識もはっきりしてきたらしい。


「兄様!? 何してるんですか!?」


 完全に目が覚めたらしい羽衣(うい)が顔を真っ赤にして、ずさーっと勢いよく音を立てながら部屋の隅にまで下がってしまう。


「うむ。寝呆け娘が色々としてくれたんで、その仕返……お返しをな」


 そんな様子を見ていた霊と駄蛇が、少しばかり興味深そうにヒソヒソ話をしているようだった。


「おい、珍蛇。奴ら……さっきの方が自然体に見えんか?」


「やっぱりそう思うヘビ? なんか、うまく噛み合っている気がするヘビ」


「無理してやがんのかね、あの娘……」








 朝食後、牛鬼の気配を追うために昨日の浜辺を再び訪れていた。朝日が昇ったせいかヤツが現れる感じは全くない。


「やっぱり夜まで待たなきゃダメか……」


「そうみたいですね。時間を潰すしかなさそうです」


「小僧、蛇を潮風から遠ざけるヘビ。刀身(からだ)を労わってくれヘビ」


「あー。この海の向こうは大陸かあ……。百年以上かけて世界一周したんだよなあ……。徒歩で」


 暇を持て余してしまった二人と一駄蛇と一霊が、海を見ながらそんなのを言い放っていた。

 こうしていても仕方ないので、作戦会議でもするために喫茶店にでも入るか、なんて考えていたところ、周囲の雰囲気がガラリと変化する。


 牛鬼が出現した時とも違う、まるで世界がモノクロになったような景色、にその場の全員が警戒する。

 俺達が刀を構えて周囲の敵の気配を探っていると、駄蛇の様子がおかしいことに気付く。

 様子がおかしいのは駄蛇だけではなくカズさんもだった。


「昔……、生前に感じたことがある人ならざる気配だ……。気いつけろ! 下手したら昨日のよりやべえぞ!」


「この……くっそ気に食わねー感じ……出て来いヘビ! 神のクセにコソコソするなヘビ! 素戔嗚すさのお!」


 駄蛇の発した単語に思わず驚愕の表情を浮かべてしまった。素戔嗚(すさのお)と言えば、駄蛇の元でもある八岐大蛇を討伐した神話に登場する神の一柱だ。


 そして……カズさんも彼の神に無関係ではない。草薙剣をご神体とする熱田神宮とも関わりがあるのだ。生前とはいえ似たものを感じていたらしい。


「ほう……。この辺りで懐かしき気配を感じたが……。貴様か八岐大蛇」


 後ろからナニカの声が聞こえる。気配も何もなく、まるで最初からその場に存在していたかのようだった。


 ゆっくりと後ろを振り向く。そこには神話の物語から出て来たような人間……、ではなく人間を遥かに超える力を持つ霊体が佇んでいた。


 全員で彼を凝視する。もしも機嫌を少しでも損ねたら即座にやられる。その認識だけは人間の三人が共通して感じ取っていた。


「…………」


 駄蛇に素戔嗚(すさのお)と呼ばれていた存在は、俺の下方に視線を向けている。その視線の先にあるものは駄蛇刀だ。


「ふふふ……ははは……」


 はい? 笑ってる?


「ぶあはははははは!! 大蛇!? 何があった!? 何でそんなのになってる!? あの! バカでかい! 凶暴な! 八岐大蛇が! ほんの一部とはいえ! 刀の中に封じられている!? これが笑わずにいられるか!」


「貴様こそ、この地に来てから気配は感じていたヘビが……、神社(いえ)を抜け出して何しに来たヘビ!」


 出雲には素戔嗚(すさのお)の魂が祀られているという神社が存在する。駄蛇の言から察するに、一時的に一部だけかもしれないが、ここに現れたということらしい。


「大蛇と我が人に託した風の気配の両方を感じたのでな。何があったのかと気になってしまったのだ」


 その言葉に羽衣(うい)も驚いている。どうやら、このおかしな空間の中では羽衣(うい)にも霊体の言葉が聞こえるようだ。


「不良神だとは思っていたヘビが、随分と丸くなったみたいヘビ。まるで牙を抜かれた飼い犬ヘビ」


「貴様が言うな貴様が、そのなりで。今は人間の所有物に成り下がっているのであろう?」


 神話の時代にやり合ったと伝えられる両者はお互いにチクチクと嫌味を言い合っている。

 その神が今度は俺らを視界に入れて観察しているようであった。


「ふむ……」


 素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、意味深に顎に手を当てた後、羽衣(うい)の額に手を伸ばす。

 ゆっくりとした動作のはずなのに、俺も羽衣(うい)も全く反応できずにいた。

 その掌が羽衣(うい)に触れた瞬間、意識を失いそのまま地面に激突しそうになってしまった。


羽衣(うい)!?」


 即座に羽衣(うい)の体を抱える。口からは呼吸音が聞こえているので、生きているのは確認できる。

 ひとまず安心したが、すぐに意識を取り戻すようにはどう考えても見えない。


着物娘(うい)!? どうしたヘビ!?」


「おい! 何だってんだよ!?」


 駄蛇もだが、普段は飄々としているカズさんでさえ狼狽えてしまっていた。牛鬼討伐の依頼で出雲に来たと思ったら、本物の神に対面してしまったのだ。

 狼狽えるなという方が無理というものだろう。


「ガキ! 娘を抱えられるか? とりあえず逃げんぞ。どうやったって勝てねえよコイツ!」


 カズさんは悲痛な声で俺に撤退しろと叫んでいる。


「小僧! 何を呆けているヘビ! 八岐大蛇状態の蛇ならともかく、刀の中の蛇なんて木っ端ヘビ。頭おかしい霊の言う通り逃げるヘビ!」


 駄蛇もカズさんに同意している。

 頭では理解できる。できるというのに、俺は彼等の意見とは全く逆の行動を起こしてしまっていた。


 意識がない羽衣(うい)を静かに地面へと横たえてやる。

 そのまま立ち上がり、素戔嗚(すさのお)を睨みつけて一歩踏み出す。


「お前……、羽衣(うい)に何をした……!」

 

 静かに、だというのに殺気を込めた声だけが周囲に溶けていった。

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