第148話 芦埜の疑問
「じゃあ、その呪い用の人形を紛失してしまって、それを回収しに来たと?」
「ああ。こちらの手落ちと言われても仕方ないがね。私としても、あんなのを好んで拾うのがいるとは思っていなかったよ」
現在、対策室の応接室にて芦埜さんと帽子の人物がソファに腰掛けてテーブルを挟んで美弥さんに事情聴取を受けている最中だ。
「拾った人物……、かなり熱心なアイドルファンだったみたいね。ちょっと調べたら、自分でホームページまで作成して色々と公開してるくらいだから……」
「やったのは素人だったから、それが幸いして、対象になった人物にはそこまで影響は出ていないみたいだけどね。流石にマズいから秘密裏に……と思っていたら、坂城君とかち合ってしまったわけだよ」
今のところ、話し合いは淡々と進んでいるようで、何かしらのトラブルになるような雰囲気でもないらしい。
「それよりも気になることがあるのだが、坂城君はなんであんなにピンピンしてるんだい? 素人がやった呪いとはいえ、私の作った触媒を用いているはずだけど? 他の被害者は2、3日は寝込んでいただろう?」
「あら、彼だって術者ですもの。術的な防御くらい施していて当然でしょ」
「私の呪いは、そこまで温くないはずだけどね。ほら、この人形に……、週刊誌の写真を張り付けて、坂城功の名前がきっちりと書かれている」
芦埜さんは提出した呪い用の人形を手に取り説明をしている。俺に対する効果が軽微なのが気になっているらしい。
「ちゃんと効果は出てたみたいよ。少し胸が苦しくなった程度らしいけど」
「いやいやいや。それで済んでるって、対呪いの訓練どれだけさせてるんだい? というか、彼の鍛え方……、異様そのものだろ?」
「異様ね……」
「あんなのが同世代にいたら、うちのだって自信喪失どころじゃない」
美弥さんは少しだけ目を瞑り、過去を思い返しているようだった。
「その言い方だと、そっちの子はほとんど何もできずに制圧されたみたいね」
「ぐっ!? 次は絶対に負けない!」
帽子の人物の悔しそうな声色に苦笑いを浮かべた後で、一転して真剣な口調で語り始めた美弥さんであった。
「功君だって、最初からああじゃなかったわよ。色々な訓練や稽古も文句は……ちょっとだけ言っていたけど、黙々とこなしたし……。どんな困難でも自分の意思の力でねじ伏せて来た。そんな男の子よ」
「私から言わせれば、よく壊れなかったものだといった感想が先に来る。君達は何を考えていたのかとね」
「まあねえ……。私達、前室長や神屋室長、それと夫も。自分達が指導したうち、どれか一つだけでも身に付ければ御の字といったところだったけど。ほとんどを高レベルで身に着けたのは嬉しい誤算だったわね」
その発言に少しばかり動揺して、冷や汗をかいている芦埜さんの姿があった。
「本来の彼なら、政界や財界のお偉方の護衛辺りが適性だろうに。どう考えても素養は守る方に向いている。それを――」
「彼も、それだけじゃ駄目だって考えた結果よ。そこは口出し無用で願いたいわ」
二人は視線だけで火花を散らしている。
「ふう。まあいい。それ以上の詮索は止めておくとしよう」
この話はこれでお仕舞いとばかりに力を抜いた芦埜さんであったが、その瞬間、俺がある物を持って応接室の扉を開けて入室する。
「ちわーっす! かつ丼の出前でーす!」
はい。俺はお盆に乗せたかつ丼四人前を手に持ち、応接室を訪れたのであった。
「……坂城君? 出前を頼んだ覚えは無いが?」
「それっぽくしてみたかっただけですから、気にしないでください。これは給湯室で調理したやつです。夜食くらいあっても良いですよね?」
「何でかつ丼?」
「取り調べと言えば、かつ丼と相場が決まってます。これを食べて真相を語ってください」
刑事ドラマのお約束。かつ丼食うか……、である。卵とじとソースかつ丼のどっちにしようか迷ったが、オーソドックスに卵とじにしてある。
揚げたてトンカツを半熟卵でとじた、お腹も心も満たされるはずの一品だ。
「ところで……、何で四人前?」
「美弥さんと俺の分もです。うちの女子三人は別室で食べてます」
にっこりとそう答えると、帽子の人物の怒りが籠った視線が俺に向く。
「お前なあ! さっきはかなり感心してたのに――」
――ぐううううう。
「ほらほら、腹の虫もなってる。俺も面白いものを見せてもらったし、芦埜さんじゃないですが、その礼とでも思ってください」
お腹が鳴る音を聞かれて、少しばかり俯いてしまっていたが、帽子の人も腹は減っていたらしく、黙ってかつ丼を掻っ込んでくれていた。
「ところで事情聴取は?」
「大体は終わりよ。この人形に関してはこちらで回収させてもらいますけど、構いませんね?」
その問いに芦埜さんも少しばかり不満気ながら、頷いている。
「とりあえず、自分の道具の管理はしっかりしてくださいね。次に同様の事案が起こってしまった場合は、我々の監視下に置かれる可能性も出てきますので、それを頭の片隅に置いてください」
「はいはい。その人形を使って、私の魔力をどこにいようと補足できるようにでもするんだろう? 全く、夫婦揃って性格が悪い」
さらりと皮肉を言われている美弥さんであったが、笑顔で受け流している。
「ふむ……。しかし旨いな、このかつ丼」
「去年と同じで沢山お中元が来まして。その中に沖縄のアグー豚のロース肉があったんですよ。ついでに違う地域から高級卵もあったので」
なので、その素材を用いてかつ丼を作ったというわけだ。
その中にあって、俺、美弥さん、芦埜さんの視線は帽子の人物の方を向けざるを得なかった。
かなり気に入ってくれたらしく、無言で頬張っている。
「おかわり……いります?」
そう口にすると、気まずそうに箸を止めてしまった。そして、あちらが俺に対して怒りが籠った視線を向けながら、その怒りを口に出している。
「何で……、こんな……、こんなふざけたアイドルオタクで、かつ丼を出前みたいに持ってくるヤツに負けなきゃならなかったんだ……!」
「だからドルオタは、ふざけてやってないってば」
「そういうところが、ふざけてるんだ! ボクだって人一倍修練は重ねて来た……。なのに!」
そんな事を言われたってなあ……。
「ところで坂城君。私の呪い人形は、そんなに柔いものだったかい? 割と驚いているよ?」
「へっ? むかーし、知り合いの婆さんにパペット人形と繋げられて、タンゴだのヴェニーズワルツだのやらされたんですよ。ほ~れ、抵抗できんと踊り続けてしまうぞい……って。こっちが疲労で倒れそうになろうと、やられ続けたんですよ! 死ぬかと思いましたよ、アレ!」
「そ……、そうかい。随分、破天荒な抵抗方法の学び方だね……」
「何で年齢一桁で、社交ダンスのステップ制覇しなきゃならなかったんだか!」
ほんとに、あの偽ロリの鍛え方は色々とおかしい。それに関しては、抵抗できた要素の半分ではあるのだが、全部を語る必要はないだろう。
「伊織、悔しいのは分かるが、彼だって遊んであの力を手にしたわけじゃない。それは理解しなさい」
「はい……。けど……次があったら……」
負けないと言いたいのだろう。その機会があったら受けて立とうと、その言葉を口にしようとした瞬間、応接室のドアがバタッと勢いよく開かれ、羽衣達も入室してきた。
「でしたら、兄様の前にわたしがお相手します。兄様の手を煩わせるまでもありません」
羽衣さん、自分が相手すると言ってはいるが、あんまり喧嘩沙汰はしてほしくない。何故なら――
「あのなあ……。女の子同士で取っ組み合いとかやめてくれ」
「えっ? 女の子?」
羽衣がきょとんとしている。羽衣だけじゃない。一緒に入室してきたローラやレイも目を見開いて驚いている。
「コウ……、聞きたいんだけど、どうしてその子が女の子って知ってるのかな? 少しだけやり合って分かるの?」
おや? レイの目が笑ってないぞう? 嫌な予感がする。
「目を逸らさないで。何で?」
「この娘を地面に転がして、足で踏みつけた時、柔らかい感触がですね……」
黙秘を貫いたところで、お家でも尋問が続きそうなので、この場で白状する。
「コウ……、胸をわざわざ踏んだの?」
今度はローラさんの眼が怖い。
「あ……、いやね? 固定するなら、みぞおちの辺りが一番よくて……。故意じゃないからな?」
その言い訳をしたところで、もう遅かった。
「コウのえっち!!」
「ぐは!?」
ローラさんの平手打ちが俺の左頬に炸裂! 首が90度くらい回り、再び前を向いた時には俺のほっぺには見事な紅葉が模られていた。
そして、怖い目をした女子三人の威圧感を背中に感じながら、伊織と呼ばれていた少女へと謝罪する。
「女の子の胸を踏みつけてしまい、申し訳ありませんでした……」
「べ……、別に、戦闘中でのやりとりだから気にしてない……」
あちらも冷静になった今、先ほどの戦闘での状況を思い出してしまったようで、目を逸らしながら頬を赤くしていた。
(坂城君、さっきはわざと避けなかったよね?)
(多分ね。一撃喰らった方が穏便に済ませられると思ったんじゃないかしら)
(いやはや、対策室はもっと固い組織だと思っていたけど、面白い所だねえ)
女性の若手が剣呑な雰囲気を出しているその後ろで、美弥さんと芦埜さんは、小声でそんな事を話していたらしい。




