第138話 『お姉ちゃん』は、おしまい
死神の足止めをしてから数日後、俺とローラが教会を訪ねて色々とお勉強をしていると、見覚えのある女性の姿が目に映った。
あの日、死神を始めて目撃した時に、月村さんが手術をした子供と一緒に来ていたお母さんだ。
彼女はシスター・アンジェリカと世間話に花を咲かせている。
「そうですか……。普通なら失敗するリスクの高い手術が成功とは。これも神のご加護ですね」
「本当に……、運が良かったとお医者様も仰っていました。何でも十代で色々な博士号を取得した方だとか」
月村さんは本当におかしなスペックをしていると再認識させられる。対策室に入ってからかなり経っているというのに、その名前が違う業界にまで知れ渡っているのだから。
「息子さんの回復は順調で?」
「はい! あの子ったら、病院は退屈だーって我儘ばっかりです」
聞こえてくる会話には悲壮な雰囲気は一切なく、楽し気な笑い声も混じっている。どうやらもうあの子に関しては心配ないようだ。
少しして、そのお母さんが教会から立ち去ると、入れ替わるように羽衣とねーさんが姿を現していた。
こっちは軽く口論していたらしく、少しだけ近寄りがたい雰囲気となっている。
「わたしがやるのは駄目ですか?」
「だーめ。昨日からのじゃんけんでも、ボードゲームでも、ババ抜き、ポーカーでも、あたしが全勝したんだから、あたしで決まり!」
「おかしくないですか!? わたしもローラさんも一勝すらできないなんて!」
そう、ウェディングモデルの相方を決める際、色んなゲームやらで決めたらしいのだが、ねーさんはそれに全勝。晴れて新婦役の座を手にしたのだった。
「あたしだって、少し本気を出せばこれくらいはね。運の要素もあったから、全勝は出来過ぎだけど」
羽衣とローラも自分達での取り決めな以上、もう文句を言うのはフェアじゃないといった状態になっている。
「アンジェ、用意は出来てる?」
「はいはい。衣装は先ほど届きましたから、着替えてきてください。っと、手伝った方が良いですね」
その指示に従い、教会の奥へ引っ込んでいったねーさんが十数分後に現れた時には――
「……えっ?」
分かってはいたはずなのに、ウエディングドレスをまとったレイチェルねーさんの姿に思わず見惚れてしまう。
「はい。次は弟君です。着替えてきてください」
「は、はい!」
少しばかりぼーっとしてしまったためか、声を掛けられて驚いてしまう。
アンジェリカさんに従い、奥の部屋でタキシードに着替えて礼拝堂へと戻る。
「ふむ……。二人共、良く似合っていますね。これは撮影しがいがありそうです。もう一組は先日終了しましたから、貴方達もやりましょうか」
できれば手早く済ませて欲しいのだが、目の前のシスターの様子を見るに、そうもいかないようだ。
「まずは腕を組んでみましょうか。次はお姫様抱っことかどうです?」
「……どれだけ撮る気ですか!?」
「ワタクシが満足するまでです!」
シレっと、とんでもねー事を口走ってますよ。このシスター。
シスターの背中と俺達の撮影を見守っているお二人は、悔しいのもあるだろうが、羨ましいといった感情の方が勝っているようだった。
「じゃあコウ。抱っこして!」
「はいよ。よっと」
ねーさんもお姫様抱っこでの撮影は乗り気であるらしく、膝の裏と背中を持って抱えると、安定しやすいように俺の首に腕を回してくれていた。
「大丈夫? 重くない?」
「俺だって鍛えてるんです。この位ならわけない。ねーさんこそ窮屈じゃ――」
そう言いかけた時に、ねーさんは指で俺の唇を抑えていた。
「ねーさん禁止」
「……んっと?」
「ふりでも、ウエディングドレス姿なんだから、名前で呼んで!」
「え? ええと……? レイチェルさん?」
よくよく考えたら、名前で呼んだ後で、『お姉ちゃん』や『ねーさん』といった単語を付けていた記憶しかないので、名前だけでねーさんを呼ぶのは初めてかもしれない。
「んー。もうちょっと攻めて欲しいなあ……。呼び捨てで」
「う……うん。レイチェル?」
「うん! よくできました! ちゅ!」
なんか頬っぺたに柔らかい感触が当たっている。一瞬だけ呆けてしまったのだが、シスターの後ろからローラと羽衣の叫び声が響いていた。
「レ……レイチェル!? 何してるんですか!?」
「そうだよ! これは撮影なんだから!」
その一方で、シスター・アンジェリカは心底感心したような顔となっている。
(あらあら、少しは素直になれたようですね……。これからを考えると弟君は気の毒ですが。ま、頑張りなさい)
遠くを見つめるような視線になってしまったシスターが、何を考えているかは知る由もない。
そのまま撮影は彼女の好みに合わせた注文を全てこなし、約2時間後に終了となった。
「いやー。ドレスもなかなか疲れるねー」
「タキシードも……。あんなのはしばらく着たくねー」
撮影疲れになってしまった俺達は自宅に向かいながら雑談をしていた。
「ねーさ――」
そう言いかけると、ねーさんは俺の顔を真っ直ぐに見詰めて、にっこりとしている。
「ねーさん……ねえ? さっき何て言ったかなあ?」
「えっ? いや、だって撮影は終わったし……」
表情は柔らかだというのに、どこか不満げなオーラが漏れ出ている感じである。
「……レ、レイチェル?」
「うんうん。呼びにくかったらレイでもいいんだよ? コウ? その方が呼びやすいでしょ?」
その時、昔の……、この娘と出会った時の事を思い出してしまった。
――コウ? いいヤすい! じゃア、コウってよぶ! ね?
その懐かしさに心が包まれる。その懐かしさのまま自分の口を開く。
「レイ……。これでいいのか?」
「よろしい。これからもよろしくね、コウ!」
そんな会話の後ろで、羽衣とローラが相当な危機感を感じていたらしく、帰宅するまで終始無言であった。
(レイチェルが……、本気で攻めて来ましたか……。これは油断できませんね)
(お姉ちゃんはやめるよってことだよね? わたしも負けないから!)
俺は背中にただならぬ視線を感じながら、なんとか帰宅したのであった。
その夜、会員制のバーにて月村真司がカウンターに腰掛けながら、ゆっくりと酒を飲んでいた。どうやら人と待ち合わせしているらしい。
「月村……、待たせてしまったか?」
「いえ。室長こそ、お忙しいのに時間を作ってもらってすいません」
そうして月村の隣に座った神屋明澄もウィスキーの水割りを注文して、部下でもあり戦友でもある月村へと頭を下げた。
「今回は不肖の弟子が世話になった。礼を言う」
「功は神屋さんだけの教え子じゃないですよ。いわば僕達全員の可愛い教え子ですから。あんな我儘くらいは聞きます」
「失敗したら対策室は退職します……。なんて言い出した時は、これからどうしようかと、頭を抱えてしまったよ」
今となっては杞憂になってしまった月村の発言を思い返しながら、酒を一口飲んでいた。
「とはいえ、かなりの難易度の高い手術だったと聞いていたが? 二人の頼みとはいえ、お前がそんなのをするとは思わなかった」
「……神屋さん、家族がいるってのは良いもんですね。」
「どうした? いきなり……」
いつもと全く違う雰囲気となってしまった月村に神屋明澄も困惑していた。
「僕だって息子がいます。あの親御さんの気持ちだって痛いほど分かりますよ。手術が成功したと聞いた時には、泣きがらお礼を何度も言われました……。あの姿だけでも手術をした甲斐があったというものです」
そこまで聞くと、神屋明澄は自分のグラスを月村のグラスに近づける。
二つのグラスが奏でる乾杯の音を聞きながら、その後、二人はゆっくりとした時間を過ごしたのであった。




