第127話 沖縄への別れ
芦埜さんは、その場から一歩も動かずに廃ホテルに張った結界についての釈明をしだした。
「私も一応は止めたんだけどね。クライアントの希望なら動くしかなかったんだ。結界については私も本意ではなかったんだよ」
「それなら、処置したふりでも良かったでしょうに」
「それならそれで、私の評判にも関わるからね。芦埜は雇用主の希望も聞かない……なんて噂が立ったら干されかねない」
あちらとしても事情があったとの言い分ではあろうが、それよりも問いただしておきたいことがある。
「ウチらが仕事している最中に、あんなことする方がよっぽど問題になりますよ。ま、報告は上げてますが」
「その辺は、まあ……、裏の仕事だしね。あの社長からすれば、ホテルに怪現象さえ起きなければ良いってことだよ」
「さて……、本当はそんな事を言いに来たわけじゃないでしょう? わざわざ気配を消して来たんだ。自分の面子潰されて、少しばかり脅かすつもりだったんじゃないですかね?」
その指摘に彼の糸目から、僅かばかり瞳孔を覗かせていた。その眼光はどう考えても世間話をしに来た人間のそれじゃない。
「……」
双方、無言で相手を見据えていた。その数秒にも満たない時の後、ヤツの方から降参とばかりに両手を上げて臨戦態勢を解く。
お互いの視線や僅かな体の動きから相手の攻め手を予測。その対処を二人ともイメージして、頭の中でせめぎ合っていた状態だった。
「ごめんね。噂の人物がどの程度かと身近で確認したかっただけだよ。おっそろしいね、君は。真正面なら、どんな攻め方をしても崩せる気がしない」
敵意無しと言わんばかりの口調ではあったのだが、奴の視線の先には金城家に寝泊まりしているウチの人間の部屋があった。
「ほう……。真正面でなければ、誰を狙う気かね?」
芦埜さんの真後ろから聞き覚えのある声が耳に入ってきていた。
この場でお互いに警戒し合っていたはずなのに、その人の気配はまるで感じなかったのだ。
「はっ!」
その裂帛の気合と共にヤツの背中には正拳突きが放たれる。本来ならその威力は筋肉と内臓と骨格を一撃で確実に破壊する程のはずだが、骨や内臓が壊れるような音は聞こえてこなかった。
「なっ……!?」
ヤツは振り向く間もなく蹲る。
「ええと……、せめて話す気があるのなら、ご本人が直接来てください」
「なんだ……。最初からバレてたのか……。もしかして、家に他の使い魔がいるのも?」
「言っときますが、あそこには俺よりおっかないのがいますので。慌てる必要すら無かったといったところです」
「やれやれ……。このままじゃあ、ミイラ取りがミイラになりかねないか……。この使い魔も限界の様だし、今日のところは退散させてもらうよ」
そう言いながら目の前にいた男の体は、初めから何も無かったかのように消え去り、千切られたようにバラバラになった人型の紙だけが残されていた。
「お邪魔だったかね?」
「いえいえ。しっかし恐ろしい技ですね……。闘気だけじゃなくて、衝撃も同時に貫通させて、外側から形代を破壊するとか……」
「これも魂穿ちの応用さー。裏当てと同時に行えば、術の核になっている札や形代もこの通りさー」
俺がちょっとばかり引き気味で美里さんのお祖父さんと話していると、ねーさんが紙らしきものを握りつぶしながら、こちらに姿を現していた。
「コウ! 覗き魔。とりあえず消したけど?」
「あの人も運が良いな。偽ロリの方と当たってたら、ご本人が変な呪いかけられて面白……、困ったことになってたろうに」
「こないだ浜辺で会った人?」
「ん。ちょっとしたお礼参りされた。こっちはお祖父さんが返り討ちにしたけど」
実力主義の業界とはいえ、こんなのされるのは俺もねーさんもげんなりしてしまうものだが、そこはいったん忘れて就寝する事にした。
沖縄にあるホテルの豪華な一室。ベッドの上で胡坐をかいて、目を閉じていた男がいた。
その男が眼を開けると、大きく息を吐いて疲れたような口調で独り言を呟いている。
「はあー……。剣呑剣呑。あんな使い手が野心も持たず暮らしているとは……」
男は立ち上がると、窓の外から例の廃ホテルを眺めながら、水を一口飲む。
「彼のあの感知力の高さと、年に似合わない実戦経験値。そして、私の結界と使い魔を壊したのは……アメリカの『破壊者』、レイチェル・ミアーズ。あとは、さっきの打撃と同じ事をした少年。黒髪の少女は神屋家所縁の人間か……」
彼は自分の使い魔に監視させて得た情報を口に出して反芻していた。
「他の女の子も似たような実力かな? いや、まだ修行中っぽいのもいたが……。 とはいえ、流石はこの国直轄の対魔組織。若手でも粒が揃っている。敵対しない事を祈りたいもんだ。新年早々にあった怪異の襲来で全員が生き残っている時点で、とんでもないけど」
男はそんな願いを口にしながら、ベッドに横たわり目を閉じていた。
次の日、沖縄を去る際、空港までお祖父さんが見送りに来てくれた。
「久々に若いのと触れ合えて、楽しかったさ。またおいで」
「本当にお世話になりました。……特にウチの偽ロリが、お宅で好き放題に酒盛りまで」
偽ロリに目配せすると、ヤツは目を逸らしてひゅーひゅーと鳴らない口笛を吹いている。
「ははは。構わんて。それと忍君、こっちおいで」
手招きされ、忍はこちらに近づく。二人だけの方が良さそうなので少しだけ距離を取る。
「焦ったらいかんよー。一歩一歩着実にな」
「はい! でも……、あの技、まだ十回に一回しかうまくいかなくて」
「そんなもんさねー。自転車で言えば乗り方を覚えただけさー。だが、一度経験した感覚を忘れる事はないはず。あとは威力や精度を着実に上げて行けば良いだけさー」
「はい! 色々とありがとうございました!」
お互いに笑顔を向けて、楽しそうに話していると沖縄に来る前に仁悦さんから指摘されたことも、少しは解決したようだと安心する。
すると今度はお祖父さんが忍に耳打ちをしていた。
「それとな。美里は、ああ見えて押せば結構チョロいから、その心構えでなー」
「ええっ!?」
「はっはっはっ! 楽しみにしてるさー!」
なんか忍の顔が真っ赤になっているが、何を言われたやら。
色々とあったが、ゴールデンウィークは沖縄で楽しいひと時を満喫できた。これから東京へ戻って、やらなければならない事もあるが、お世話になった方に手を振りながらお別れをして航空機の搭乗ロビーへと向かって行った。
東京に戻った最初の休日。土日の日課となっているローラの柔術修行に付き合って、凛堂家の道場を訪れていた。
「師範! もう一本お願いします!」
「おや。今日は元気だねえ?」
「俺も負けていられませんので」
そうして師範の道着を掴むと同時に投げられてしまうのだが、それを数時間ばかり繰り返していた。
その合間に偶然、この場を訪ねて来た忍と美里さんに対して、月村さんが道場の陰から様子を見るように促していたらしい。
「功のやつ、今日はずっと……あんな状態だよ。どうやら忍に触発されたらしい」
「俺に……ですか?」
「沖縄で覚えて来た技。あれは対策室の誰もできないからな? 打撃、しかも相手に一切の傷をつけずに霊を外すなんて、僕だって予想外だった」
月村さんは忍の肩にポンと手を置きながら続ける。
「追いかける方は背中に追いつこうと必死になるもんだけどな。追いかけられる方だって、意外と気が気でないもんさ。追い抜かれてたまるか……とね」
その言葉と共に拳を握り、嬉しさから少しばかり震えていた忍であった。
「さて、僕はこれからレイチェルをいじる……、いやレイチェルで遊ぶ……でもないな。あの娘に龍脈に関する知識を叩き込むとするかな」
「シミュレーターで隕石降らせたの……相当ショックだったみたいですね……」
「だな。その辺もからかいながら、基礎からみっちり教えるとしよう」
美里さんにそう答えて月村さんが部屋に入った十数分後、凛堂家には彼の大爆笑している声と、レイチェルねーさんの怒号が響き渡っていたそうな。




