第124話 それぞれの夜
龍脈のシミュレーターと向き合った、その夜。俺と羽衣は廃ホテルに向かっていた。
昨日、そこにいた霊達は、あの世へと送ったとはいえ、まだあの場所に霊達が集まるのを止めたわけじゃない。
なので、ここにいる間は毎日通って神葬祭を行う事となる。
「龍脈の流れを変えた後は、地元の神社にお願いして、お社を立てるまでは、そっちで幽霊さん達を送ってもらわないとな」
「こういったのって……、戦闘より大変ですね……」
戦闘は戦闘で命の危険があるので一長一短はあるのだが、こちらは各種調整等もあるのでやはり大変なのには変わりないのだ。
俺達が廃ホテルに向かっているその時、忍は金城家の庭で一人稽古を行っていたらしい。
「精が出るねえ。頑張り過ぎてもいかんよ?」
「あ……、すいません。もしかしてうるさかったですか?」
「いやいや。少し休憩して話さないかい?」
お祖父さんの提案に二人は縁側に腰掛ける。月夜に照らされたその場所にて、数秒ほど無言になる。
その静寂を破ったのは、忍であった。
「俺……、あいつが逃げろって言ってた時……、本当にそれしかできなくて……」
「それも美里から聞いたさー。彼と霊二人が殿になって、君達を逃がしたとも」
「それで……あいつはボロボロになって……。悔しいです……。ダチだと思ってた奴に何にもしてやれなかった……」
絞りだしたその声には自分の無力さに悩み抜いて、迷路に迷い込んで抜け出せない。そんな声と共に涙を堪えている姿があった。
「……話を聞いた限りでは……、少し違うと思うねえ」
「えっ!?」
それは静かに、しかし力強い否定であった。
「確かに、君の力が足りなかったのはあるはずさー。だがね、君はその時……、あの、ローラちゃんの事を頼まれたんだろう?」
「そう……ですけど……」
「本当に何もできなかった……なら、逃げることすらできなかったはずだねぇ。強い相手と勝算もなく戦うのは、勇気ではなく蛮勇……、もっと悪い言い方をするなら、命の投げ捨てさー」
ゆったりとした雰囲気で淡々と話している美里さんのお祖父さんであったが、その目には数多の戦いを潜り抜けて来た猛者のみが持つ眼光を宿している。
「でも……、あいつは……俺と変わらない歳で、あそこまで戦えるんです……」
「……今の彼ばかりを見過ぎさー。あそこまでなるのに、相当な鍛錬を積んでいるはずだからねぇ。というか……、ちょっとやり過ぎな気もするなあ……。あれは」
「やり過ぎ?」
「本人がどう希望したのかは分からないが……、仲間と最前線で直接戦闘しつつ、補助と捕縛と結界を駆使する術者は、自分の知る限り彼しかいないさー」
忍にとっては、この術者の世界を知ったのは比較的最近であり、普通の術者というのがどういった者達なのかを把握しているわけではなかった。
「まあ……、話しを聞く限りでは、そこの人達も相当な変わり者ばかりが揃っているみたいだけどねえ。はっはっはっ!」
「確かに個性的な人達ばっかです」
「その人達が……、彼一人に自分の持つ技術を好き放題に叩き込んだ感じだよ。普通ならそんな鍛え方なんて、やろうと思ってできるもんじゃあない。だが、彼はそれを実際にやってのけてしまった」
「それは……、やっぱり凄いってことですよね?」
その一言を聞いて、美里さんのお祖父さんはその目を鋭くしていた。
「凄いことは凄い……が、何というか……後が無いみたいな印象も受けるのさー。できなければ、自分自身に価値が無いとでも言うような……」
その言葉には、忍は無言であった。
「もしかしたら……だが、君達と出会う前の彼は……、無茶な修練を繰り返していたかもしれないねえ。それこそ、今の忍君以上に追い詰められていたのかもしれない」
「小学校の七不思議達と結界を駆使しながら、鬼ごっこしてたとかは聞いてましたけど……」
それを耳にして、お祖父さんは頭を抱えてしまっていた。
「ふざけている様に聞こえはするが……。それは深夜でも術の訓練をしながら、怪異達に対する立ち回りと対処法を練習していたってことだなあ……」
忍は小学校の七不思議達のメンバーを思い出していた。時速100キロメートルで迫りくるテケテケや飛び交ってくる包丁、はたまた戦国時代の鎧武者までいた。
訓練を重ねるには、もってこいの相手だ。しかし、忍の表情は曇ってしまっていた。
「それが普通の反応さー。当時まだ小学生だった子が、そこまでして力を手に入れたなんてのを聞いてしまえば」
「あの時は……そこまで気にしてませんでした……」
「だがね。だからと言って彼と同じ事をする必要はない。今でも君は強い。そして、だからこそ彼は、あの時にローラちゃんを託したのさ。それでも力が足りないと感じたのなら、これから積み重ねていけばいい。慌てず、急がず、一歩一歩。仁悦に教わったことを鍛え上げていけば、いつの間にか形になっていくさー」
「それで本当に良いんでしょうか……」
お祖父さんの表情が柔らかく、見ていると安心してしまう様な雰囲気に変わっていった。
「自分もまだまだ未熟さー。年を取って君達より少しは成熟しているだけの老人。術者としては店仕舞いした後でも、あの時はこうしておけばとか、もっといい方法があったのかも……なんてのを考えてしまう。人間はその繰り返しなんだと、この年になってようやく理解したさー」
「道は長いですね……。よし! これから頑張んなきゃな!」
お祖父さんは忍の表情が柔らかくなったのを目にすると、にっこりと愛想の良い笑顔を見せる。
「うん。良い感じに肩の力が抜けたみたいだねえ。どうだい? 自分が板を持ってみるから、一撃試してみるかい?」
そうして、お祖父さんは三枚重ねの板を持って、忍に向けている。
忍はそれに応えるように、正拳突きの構えを取り、数秒だけ目を閉じて集中力を最大限に高める。
(今できることを、全力で取り組むしかない……か。目の前にただ集中――)
忍からは今まで彼に巣食っていた迷い、それ自体はまだあるかもしれないが、それは悪い事ではなく、前に進むための経験なのだと教えてくれた人に対して拳を突き出す。
「はっ!」
その拳が板に激突した瞬間、一枚目の板には亀裂や傷はなく、重ねられていた三枚目のみが綺麗に真っ二つに割れていた。
それを目にして忍は信じられないといった表情でポカンとしている。
「……できた……」
「うん。仁悦が見込むくらいだから、元々は裏当てができるくらいの実力はあったのさー。それが無駄な力みのせいで、本来の実力が出せなくなっていたんだねぇ」
呆けている忍に対して、お祖父さんは穏やかな口調で更に続ける。
「今の一撃はきっかけさー。これを自在に扱えるように精進しなさい。そして、ここまで出来たなら『魂穿ち』は、これを――」
対策室の面々がそれぞれの夜を過ごしていたその時、廃ホテルのオーナーと芦埜柳玄が、とあるホテルのスイートルームで顔を突き合わせていた。
「はあ……。社長、本当によろしいので?」
「構わん! あんな子供に任せておいたら、どうなるか分かったものじゃない!」
「一応ですが……、私も気になったので、使い魔に監視させていますが……、今夜も廃ホテルに集まった霊達を送っていますよ。かなりスマートな方法でやっていますし、あと数日は様子を見ても問題ないかと」
「改装のための工事だって、止めている状態だ! 今まででどれだけの金が無駄になっていると思ってる!」
激高している社長と呼ばれた人物に対して、内心では溜息をつきながら、芦埜柳玄は立ち上がり、深夜の廃ホテルに向かって行ったのだった。




