第115話 突然の呼び出し
都内の住宅街の一角。『金城』と記された表札の家屋のさらに奥。古い作りの道場から、緊迫した叫び声と拳や蹴りを繰り出す風切り音が響き渡っていた。
「師匠! もう一手お願いします!」
「おう! 来い!」
そこには門下生である成田忍と、この道場の主にして金城美里の父親、金城仁悦が組手で激しく鎬を削っていた。
その組手、手加減しているとはいえ寸止めではなく、完全な実戦形式となっている。
忍は数十もの猛攻を繰り返しているが、それを全て防御、または捌かれて仁悦氏の突きをまともに受けてしまう。
「ガッ!?」
加減されていたとはいえ、忍は腹にクリーンヒットしてしまった一撃で膝をつく。
「もう一度!」
気合を入れなおして、自身の師に続きを願い出るも、返って来た言葉は期待通りのものではなかった。
「ダメだ。お前……、何を焦ってる? しかも何だ? 今までとは戦い方がまるっきり違うだろ?」
「そ……それは……」
元旦での怪異襲来から彼は強くなろうと稽古に励んでいた。自分にできることを高めていくのが必要になると、今まで以上に必死になって。
それについて怪異などの説明をうまく省いて何とか説明すると、仁悦氏はある提案を忍に対して持ち掛けていた。
「――その、忍の師匠が俺を呼び出している……と?」
「うん。そうなの。お父さん、忍の件で色々と確かめたい事があるから、来てほしいって」
素手での戦闘では、俺とほぼ互角の忍をワンパンで沈める美里さんのお父さんからの呼び出し……か……。
顔を出したら開口一番で、『うちの弟子が随分と世話になってんなあ……!』なんて殺気立った雰囲気で、出合い頭に正拳突きが飛んでくるとか十分にあり得る。
「美里さん? お父様の好きなお菓子って何ですか? 誠心誠意謝罪した方が良いヤツですよね!?」
「何で丁寧語なのよ!? しかも謝罪って何!?」
「えっ……!? だって、どう考えてもヤッバイ仕事やらせてる俺に対しての苦情だよね!?」
「その苦情なら室長に行くでしょ。気にしすぎ」
言われてみればその通りだ。なら何の用事なのだろう?
「なになに? 美里の家に行くの? なら、あたしも行く! ローラも行くでしょ? 羽衣も」
「ミサトのお家も道場だよね? 行ってみたい!」
「ですね。わたしも興味があります。ご一緒しますね」
ねーさんも俺らの話を聞き、美里さんの自宅に興味を持ってしまったらしく、みんなで美里さんのお宅へとお邪魔することとなった。
その週の土曜日。美里さんから教えてもらった住所へと赴くと、俺が懇意にしている凛堂流柔術道場にも劣らない立派な道場が敷地内に存在していた。
少々緊張しながらインターホンのスイッチを押すと、ねーさんが意気揚々と挨拶している。
「やっほー! 美里ー。来たよー!」
「はーい。ちょっと待っててくださいね」
数分後、美里さんに案内されて道場へと足を踏み入れる。柔術の物で良いから道着も持って来て欲しいとの要望だったので、着替えて正座しながら少しばかり待っていると、身長180センチメートルを超え、道着の上からでもはっきりと分かる筋肉質な中年男性と忍が姿を現した。
おそらく、男性は美里さんの父親、つまりはこの道場の主に間違いないだろう。
彼も俺の前に正座をして、静かに口を開く。
「突然呼び出してしまって済まなかった。今日は来てくれて感謝する。美里と忍も世話になっているらしいな」
「あ……、いえ。こちらこそ仲良くしてもらってますから……」
道着を持ってこいとか、いきなり立ち合いが始まるのではと心配していたが、穏やかな挨拶から始まるとは予想外だった。
「さて。うちの不肖の門下生だが、最近様子がおかしくてな。その原因を知りたいと思って君を呼び出したわけだ」
その言葉で忍の方をチラッと向くと、激しい稽古をしていたためか、あちこちに痣や絆創膏が見てとれる。
「忍から君の事はよく聞いている。こう見えても、そこらの大人の格闘家にも負けないくらいの実力を持つコイツと互角だとも」
「そこまでじゃないですよ。同じくらいの実力なら、うちの姉貴分もですから」
格闘に関してだけはだが。ついでに言うと、俺がお世話になっている方々にはまだ敵わない。
「俺も口下手でな。ついでに忍も理屈で考えるのが苦手ときた。だから君と立ち会ってみて、あいつのスランプの原因を突き止めたいと思う」
「俺……、関係してるんでしょうか?」
「これは勘だが、君が絡んでいることには間違いないだろう。美里からの話も総合すると……だが」
俺と立ち合う事で何が分かるのかまでは予想できない。とはいえ、受けないという選択肢は俺には存在しない。
「分かりました。胸をお借りします」
スッと立ち上がりながら、構えを取る。発している雰囲気から格上であることは間違いない。
「ありがとう。ではやるか!」
彼が構えを取る。その両腕を上下に広げると、威圧感が倍増していた。
俺を優に超える体格が一回り、否、二回りは大きくなったと錯覚してしまう。
「うそ……。これじゃ……、美弥とかせんせーと対峙してるみたい……」
この場では実戦経験豊富なレイチェルねーさんでさえ、その構えた姿だけで冷や汗を垂らしていた。
相手から仕掛けてくる気配はない。間合いはあちらが広く、俺はその間合いを掻い潜り、一撃を繰り出す必要がある。
彼の体の全てを視界に納め、微弱な動作ですら察知できるよう神経を研ぎ澄ませながら、滑る様な足運びで彼の間合いへと接近する。
(動作の初動を限りなく小さくして、接近する足運び……か。柔術ではその足捌きを隠すために袴を履くというが……)
俺の接近に合わせて、仁悦氏は前蹴りを繰り出す。それに合わせて半歩踏み込み、まともに喰らわないよう打点をずらして、浮いた右足を掴もうと試みる。
(蹴りを恐れずに踏み込むか。対峙した時から感じてはいたが……、相当な修羅場を潜ってきている者の目だ)
その蹴り脚を掴みバランスを崩すと同時に、掌底を体の真ん中へ彼の肉体を貫通させるほどのイメージを以って繰り出す。
しかし――
重心が全く崩れてない!? 足一本で、地中に根を張っているような手応え!? しかも掌底の感触も、分厚いタイヤに触れたみたいな!?
「その程度でどうにかなるような鍛え方はしちゃいねえ!」
俺が掴んでいる右足を振りほどき、振り下ろす様な動作の手刀が目の前へと迫る。
腕の側面で受ける。だが、それだけに留まらず上段蹴り、貫手、両腕ほぼ同時に繰り出される諸手突き。絶え間ない猛攻が続いている……が。
「すっご……、お父さんの攻めを全部捌いてる……」
美里さんも目を見開いてそう呟いていたのだが、俺自身の心中は穏やかではなかった。
……受けたら防御ごと叩き潰される。全部打点をずらして捌かないと一撃で終わる!?
どうにか隙を見つけて攻めに転じなければ、ジリ貧になる。目の前に迫りくる拳を掻い潜ろうとした時、仁悦氏からストップがかかった。
「ふむ。こんな所か。済まなかったな。もう終わりにしようか」
「ありがとう……ございました……」
礼を終え、ねーさん達が見学していた場所に向かうと、労いの言葉をかけてくれた。
「大丈夫? 生きてる?」
「ありゃおっかねーわ。捌くので精いっぱいだった……」
「すっごいねー。ここまでの人がいるとか、世界は広いなあ」
などなど雑談をしながら正座をすると、仁悦氏は俺達全員を自分の近くまで来るように指示をしていた。
そうして忍に向かって、真剣な眼差しで、こう告げる。
「忍、お前が彼の様になるのは無理だ。諦めろ」
その一言で、場の空気が一瞬にして凍り付いてしまっていた。




