第100話 短編その3 お姉ちゃんとのお泊り
鋭く尖った節足の先が俺へと襲い掛かる。それを紙一重で躱し、駄蛇刀で斬り伏せようと振り下ろす。
……硬い。まるで鎧にでも触れたような感触か。
「小僧! 蜘蛛の糸があちこちに張り巡らされているヘビ! 気を付けるヘビ!」
「視えてるっての! ねーさん、そっちは?」
「あたしなら大丈夫! はっ!!」
レイチェルねーさんが周りの糸に向かって、霊体霧散の力を込めたトンファ―で殴り掛かると、最初から存在しなかったかの如く消え去ってしまう。
「……俺、駄蛇刀で頑張って斬ってるんだけどなあ……」
「アレはひでーヘビ。あんなの反則ヘビ」
俺と駄蛇の双方とも、あまりにも簡単に敵の存在そのものを消し去ってしまうレイチェルねーさんの能力に対して愚痴を零してしまう。
とはいえ、そんな事だけしてもいられない。現在の俺達は人間よりもデカい蜘蛛の怪異、30体ほどに囲まれている状態なのだ。
その間にも、ねーさんは数体の敵を霧散させて大気中の魔力へと返している。
「昂襲ノ型。行け!」
ねーさんが魔力にした敵を利用して、攻撃力強化を自分達に掛ける。
「きたきたー! いっくよー!」
もうねーさんはノリノリである。二人での戦闘はかなり久しぶりだったにも関わらず、昔コンビを組んでいた頃と遜色ないくらい息が合ってしまっている。
「じゃ、俺も行くか……!」
自分自身も神気を開放して、蜘蛛の怪異へと突撃していった。数十分後――
「よし! これで最後だね」
「みたいだな。こいつら土蜘蛛ってやつだよなあ……。ここ最近はこんなの出るのはそんな無かったけど、ここまで大量に発生しているとか、隠れてるのもいるのか……」
「山奥なんて異界と大差ないって、せんせーも言ってたしね。話も通じないみたいだったし、戦うしかなかったから」
「ま、師匠もそれを見越して俺ら二人を派遣したんだろ」
今回の案件は、地方のとある山中とその麓の町に妖怪らしき存が目撃されているということだった。それだけでなく、その町の道路や家屋が破壊されているといった報告もあり、戦闘に慣れている俺達が来ることになったのだ。
「フンフン~♬ フーン♪」
ねーさん、戦闘終わりでテンションが上がっているのか鼻歌混じりで歩き出した。
「ご機嫌だな?」
「だってー。昔を思い出して楽しかったから。あたしとコウってやっぱり相性が良いなって」
「最後の方の強化はとんでもないことになってたからな。ねーさんが倒せば倒すほど使える魔力増えて強化を上乗せできるから」
そう、俺とレイチェルねーさんは戦闘においての相性は抜群に良い。ねーさんの能力は魔力で体ができている怪異の様な存在を霧散させて魔力にできる。
それを源として術による強化を行えば、敵がいればいるほど強化をかけ続けられるのだ。
「確かに、こうして背中合わせでの実戦は久しぶりだったな。子供の頃を思い出した……」
「そうそう。あたし達が揃えば敵はないよ! なんてね」
ねーさんは、にっこにっこで隣を歩きながら山道を下っていたのだが、町の中に入り移動しようとバス亭のバス到着時刻を確認すると……。
「もう今日はバスが来ない……だと!?」
「だから車で来た方が良いって言ったでしょ」
「だってー。ねーさんの運転が怖すぎるから……」
田舎の公共交通機関の少なさを侮っていた。とはいえ、ねーさんの運転で遠方まで赴くのはかなり心配だったのもまた事実。なので本日の帰宅は諦めるとする。
経緯をメールで対策室へと伝え、宿を探すことにした。
そうして宿を探すこと十数分程度。その宿は、小さいながらも歴史を感じさせる……というのはかなりのオブラートに包んだ表現で、普段は客が来ないのだろうと予想できる寂れ方であった。
「……他の宿は……ないな。スマホのアプリだと」
「コウ、あたしは野宿よりは良いと思うけど?」
確かに春の気配が近づいているとはいえ、まだ夜の気温は相当下がる。そんな中、野宿するのは危険だろう。
「よし、入るか」
二人で旅館に足を踏み入れる。おそらく飛び入りでも問題はないだろうが、宿泊拒否されたら、その時は野宿覚悟で一夜を過ごさなければならない。
ガラッとした音を立てながら、玄関の扉を開いた後、程なくして60歳くらいの老夫婦が姿を現した。
「あんれまあ……。この時間にどうしました?」
「実は……、帰りのバスを逃してしまいまして……、今からでも宿泊できますか?」
「そうでしたか。できますよ。どうぞお入りください」
中に足を踏み入れると、宿の外観とは裏腹に中は清掃が行き届いており、安心感を与えてくれる。
「しっかし外人さんとは珍しいのお」
今度は宿の主人であるお爺さんが物珍しそうに俺達に視線を向けている。
「ああ。この人、再従姉妹なんです。今は日本に住んでまして」
「ほう、そうなんか。美人さんだのお」
そんな会話をしながら宿泊手続きを済ませると、ほどなくして部屋に案内された。
「……同室?」
「まいっか。布団しいてる! ふかふかー」
「良いのかよ!? ねーさんもういい年だろ! 俺もだけど」
「子供の頃なんて同室当たり前だったし、今から部屋を用意してもらうのも悪いしね」
いくらなんでも気にしなさすぎじゃあないですかね。このお姉ちゃん。
「疲れたから早く寝たい―! あっ。おやつ置いてる」
部屋に備え付けられていたテーブルの上には、お饅頭らしきお菓子が数個置かれている。ねーさんはお茶を入れてから、ひょいっとそのお饅頭を手にとり大口を開けて一飲みで頬張っていた。
「これ、おいしー! もいっこ!」
ねーさん、瞬く間にひょいぱくひょいぱくとお饅頭を平らげてしまった。
「……お、俺の分……」
「あははー。ごめんねー」
困ったような笑顔で俺に謝罪するねーさんの愛想のよさにもう何も言えなくなってしまった。
だが、それから程なくして――
「こぅらー! コウ! ちょっとそこに座りなさーい! 正座です!」
「は!? はいい!?」
少しばかり頬が赤くなり、目が座ってしまったレイチェルねーさんが床を指差し、俺に正座するように捲し立てていた。
「ね、ねーさん? えっ!? 何で!?」
不審に思い、さっきねーさんが食べていたお饅頭の包み紙を見ると、『銘菓 酒粕饅頭』の文字が目に映る。
「もしかして……酔っぱらっていらっしゃる?」
「らんれー? おまんじゅうでよっぱらうわけらいでひょ~」
もう呂律も回ってない……。酒粕でこんなになるの、この人!?
完全に酔っぱらいと化しているレイチェルねーさんが正座している俺を見下している。
「コウ! さいきんローラばっかりかまってだめだぞー! あたしもかまえー!」
「ね? ねーさん?」
「はーい! おねえちゃんですよー! ちゅ」
「なにするー!?」
顔を接近させたねーさんが、俺の頬に口づけをする。当のねーさんは凄まじくご機嫌だ。
「いいでしょ~。ころものころ、ふつうにやってたでしょ~。ちゅちゅ」
まだ俺の年齢一桁台の頃ですよね!?
またしても頬にねーさんの唇が当たっている。しかも抱き着かれながら……だ。確かに子供の頃にはこんなのはよくされていたのだが、今回はそれだけじゃない。
俺の胸の辺りには、とてもとても柔らかい感触が押し付けられている状態なのだ。
ばいんばいんでぽよぽよと擬音が聞こえてきそうな感触に理性がどこかに行ってしまいそうな感覚に襲われてしまう。
「おーいヘビ! 金髪だけずれーヘビ。蛇も酒飲んで酔っ払いたいヘビ」
駄蛇……、いつもならスルーするところだが、今回は感謝する。その気の抜けたような、それでいて耳障りな苦情で何とか理性を繋ぎ止められる。
その鋼の理性を以って、一度ねーさんを引き離す。
「ねーさん! もう寝るぞ! 明日の朝だって早いんだからな!」
「えー……。ひょうがないなあ……。んっしょ」
「何で服脱ぐーーーー!?」
「らってえ……。あせかいっちゃたから……ゆかたきてねたい……」
俺の叫びを無視して着ている衣服を脱ぎ捨てているレイチェルねーさんを見ないように回れ右して少しばかり待つ。衣擦れの音だけが聞こえていた。
「よーしかんせー」
着替え終わったなら、不可抗力で酔っぱらってしまった人にはお休みしてもらおう。
「じゃあ、ねる――」
振り向いた瞬間、ねーさんはすでに天井スレスレの高さまでバク宙で舞い上がり、その体を伸ばした状態で俺目掛けて重力に引き付けられながら降りてきていたのだ。
「ぎゃーーーー!」
「どうだー! むーんさるとぷれすだー!」
そうして自身の全体重をかけて、俺を布団へと固定したねーさんに腕を取られて肘を極められてしまった。
「ねーさん! ギブ! ギブだから止めて!!」
「らめ。あたしとぷろれすごっこだー」
「あんたいくつだ! つーか胸! 胸が思いっきり顔に当たってから!」
しかも浴衣がはだけて……、下着が見えないんだけど!?
嫌な予感がして、見渡せる範囲で目をあちこちに向けると、ねーさんの下着が脱ぎ捨ててありました。
「ねーさん!? 下着!? 何で脱いでる!?」
「ふぇ? だって……、ゆかたはしたぎ、つけないでしょ?」
どこでそんなの覚えたんだよ!?
「ねーさん放せ! マジで離せ!」
「だーめ。……うんっ!?」
ねーさんの体がびくっと震えていた。もしかしたら胸を俺の顔に思いっきり押し付けているせいで……と考えてしまう。
「おうちなくなって……、コウをたよってきたのに……。コウのうちにちがうこがいたのー!」
「いでー!? それ以上は肘関節極めんなーー!?」
「おねーちゃんだってね! おねーちゃんだけなのはいやなの!」
「言ってる意味が分からんわーー! 離せー!!」
酔っぱらってるくせして、肘関節が一向に緩む気配がない。こうなったら無理やりにでも外すしかないと呼吸を整える。
「ふぅ……。はっ!」
気合を入れながら、全身を連動させて自分の体を撥ね上げつつ、ねーさんと体の位置を入れ替える。
現在、俺がねーさんに覆いかぶさっているような状態だ。
「よし……。 ねーさん、大人しく寝ろ!」
「うん。いいよー。えい! ぎゅー」
満面の笑顔のねーさんが寝そべったまま、俺を抱き寄せる。そしてそのまま――
「すぅ……。すう……」
満足したように静かな寝息を立てて夢の中へ旅立っていった。
「は……離れ……られない!?」
ねーさん、熟睡している状態なのにがっちりと俺の体を固定してしまっている。
俺、この状態で寝なきゃならないのか!?
「|May he be happy《この子が幸福でありますように》……」
耳元で聞こえた一言。その一言で引き離すのも悪いか……などと考えてしまい、怪異と戦った後の疲労も重なり、そのまま目を瞑ってしまった。
――翌朝。
「何があったの!? おまんじゅう食べた辺りから記憶がないんだけど!?」
目覚めたねーさん、めっちゃ慌てている。浴衣に着替えているのはまだ良いとして、俺を抱きしめているうえに下着をつけておらず、しかも浴衣は少々はだけているのだ。
日本に来た頃は自分の下着姿見られても気にしてなかったのだが、これに関しては訳が分からずに混乱している。
「何があったか……じゃねえよ。ねーさん、酒に弱いのか!?」
「お酒? あたし、アルコールは飲んだことないよ」
昨日の経緯を説明し、ねーさんが何をしたのかを事細かく説明する。
「あははー……。ごめんね?」
「大変だったんだぞ、ほんと」
昨日の夜についてはまったく覚えていないらしく、都合が悪そうな表情を浮かべながら謝罪をしていた。
怒っても仕方がないと思い、早朝のバスの時間を確認して宿を立つことにした。
そうして数時間後に自宅へと到着すると、偽ロリが俺達を出迎えてくれた。
「おっ。帰ってきおったか。無事で何よりじゃ」
「無事とはいえねーかもしれんヘビ。昨日の夜、小僧がぷろれすごっこをされて大変だったヘビ」
駄蛇の余計な一言を耳にした偽ロリの表情が固まってしまう。
「男女が夜に二人っきりで……、プロレスごっご……じゃと!?」
「凄まじかったヘビ。金髪は空中で回転しながら小僧に襲いかかり、そのまま肘を逆方向に曲げようと必死だったヘビ!」
駄蛇の解説を聞いた偽ロリは、安堵の様な期待外れの様な微妙な顔なってしまっていた。
「マジのプロレスごっこかの?」
「被害者、俺。酒粕饅頭で酔っぱらったねーさんが下手人」
「なんじゃ……。つまらん。大人の階段を上ったのならば、からかいがいもあるというに」
「何をどうからかう気だったんだ!?」
ヤツの言い分に思わずツッコんでしまう。
「そりゃの。お主がきっちり責任取る気があるのかを一日かけて尋問せねばならぬ」
「俺が悪い事になるのか? この場合」
「正確には二人共じゃが。それはそれで、からかいがいがあるからの」
その言葉に俺とレイチェルねーさん双方がその時の想像をしてしまい、凄まじく嫌そうな顔になってしまった。
「あたし……、アルコールには気を付けるよ」
「そうして。日本だともうすぐ飲酒可になるんだから注意してくれ」
俺とねーさん、特にねーさんは二度とこんなことにならないようにしようと心に誓っていたようだった。




