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6. 東雲樹里亜——私がほしかったもの

 ありえない。ありえないありえない。

 舞台の上で、小原とキ、キスするなんて……っ!

 物語がクライマックスに差し掛かったあの瞬間、完全なる悪意の手が私の背中を押した衝撃を感じた。「あっ」と声を上げる暇もなく、気がつけば小原の唇と私のそれが重なっていて。あまりに恥ずかしくて、そのまま学校を抜け出した。住宅街の中を駆けて、ちょっとした商店街の方へと向かう。私がいつもバイトをしているスーパー『エイコウ』がある場所だ。

 気づかないうちに両目から涙が溢れていた。拭っても拭っても乾かなくて、頬がひりひりと痛くなった。今この姿を誰かに見られでもしたらいよいよ学校に行けなくなるな……。


「は、初めてだったのにっ」


 キスなんて、生まれて初めてした。

 初めては、大好きな人としたい。そう思うのは当たり前だろう。小原は……小原は私にとって、初めて本性を見せた唯一の友人で。それから私も、彼の学校では見せない“お兄ちゃん”の素顔を知っている同志みたいなもので。

 友達と、キスをするのは嫌だって、そう感じるはずなのに。

 なのに、それなのに……。


「嫌じゃ、なかった」


 ぽつりと漏れた本音が、商店街の喧騒に溶ける。ドクドクと激しい鼓動が止まらないのはきっと、学校から全速力で走ってきたから。そうでなければおかしい。そうじゃないとダメだ。


「私、もしかして小原のこと——」 

 

 その先を考えないようにして、必死に頭を横に振って思考を飛ばした。はっと我に返ると、『エイコウ』の前にたどり着いていた。今日はシフトを入れていない日だ。でも、まだ自宅に帰る気にはなれなかった。時刻はお昼過ぎ。こんな時間に帰宅したら、母親から学校はどうしたんだと聞かれるし。

 迷った挙句、涙で濡れた顔を拭いて『エイコウ』の中に足を踏み入れる。


「店長、こんにちは」


「あれ、東雲さん。どうしたの、今日シフトだっけ?」


「いえ……違うんですけど、今日、インしてもいいですか?」


 店長は、シフトの日でもないのに突撃してきた私を不思議そうにまじまじと見つめた。そりゃそうだろう。普通ならせめて一報入れるのが筋だ。追い返されちゃうかなとドキドキしたけれど、杞憂だった。


「うん、いいよ。ていうか助かる〜。ちょうど今日シフトだった堺さん、お子さんが熱で出てこられなくなったらしくて」


「そうなんですね。それなら、ぜひ使ってください」


「ありがとう。お願いするよ」


 バイトをしていいと言われて、とりあえず居場所ができてほっと一息ついた。

 バックヤードで着替えを済ませ、いつも通り在庫チェックやレジに回る。仕事なんて始める前はすごく面倒なのに、始まってしまえば「頑張ってる感」を覚えて楽しくなる。女優になりたいという夢を叶えるためにお金を稼ぐ。私が唯一、今まで生きてきた中で自分で決めたことだ。こうして働いている時だけは、本当の自分に戻れる気がする。

 シフトに入って三時間、気がつけばもう文化祭が終わる時間になっていた。

 

「これ、くーださいっ」


 レジ前で、元気な女の子の声がした。小さなお客さんから差し出された商品を受け取り、レジを打とうとした時、ふと目の前のお客さんと目が合い、驚く。


「小原っ」


 いつかと同じように、小原がレジの前に立っていた。それも、小さな女の子を二人連れて。瞬時に妹だと分かった。小学校低学年くらいだろうか。二人とも顔がそっくりで、双子だと察しがついた。彼女たちはいつか見た動物のキャラクターのラムネを私に差し出していた。

 なんだそれ。そんなのずるい。不意打ちで現れるなよ。

 

「これも、お願いします」


 小原は私に、戦隊モノのウエハースチョコを渡してきた。


「これって」


 以前、彼が同じようにラムネ二つとウエハースチョコを買っていたのを思い出す。

 あの時、妹が二人と、弟が一人いるんだと思っていた。でも見た感じ弟はどこにもいない。家で留守番しているのかも、と推測していた時、小原が「これ、僕の」と鼻を掻きながら教えてくれた。


「実はいまだに戦隊モノが好きなんだ。格好悪いだろ。恥ずかしくて誰にも言えないけどね」


「そ、そうなんだ」


 へへ、と笑う小原は正直全然格好悪くはない。むしろ、こんなふうに妹二人を連れて家族のために買い物に来ている姿は格好良かった。


「東雲さん、あとで時間ある?」


「え、時間? ……一時間後、シフト終わりなら」


「そっか。じゃあそれまで適当に近くで時間潰しとく。また後で迎えに来るよ」


「わ、分かった」


 あまりにもスマートな誘いに、断れずについ頷いていた。時間があるか、と聞いてきたからには何か話があるんだろう。大体想像はつく。以前の自分なら約束なんてせずに逃げ出していたところだけれど、どういうわけか、小原からの誘いは嫌じゃなかった。

 ううん、正直に言おう。

 彼が声をかけてくれて、学校での一幕で感じていた不安が、やさしい布団に包み込まれるみたいに溶けて、消えた。



「お待たせしました」


 一時間後、着替えを済ませて『エイコウ』の前で待っていると、彼が両手に妹ちゃんを連れて戻ってきた。てっきり妹たちは家に置いてくるのかと思っていたのでちょっぴり驚く。


「ごめん、妹たち、留守番させるのは危ないから連れてきた」


「ああ、そっか。そうだよね」


 言われてみればそうかもしれない。まだ小学二年生ぐらいだし、小原はちゃんと“お兄ちゃん”の責任を果たそうとしているんだ。


「リコとマコです。よろしく」


「「よろしくお願いします!」」


 元気に声を揃えてぺこりとお辞儀をする双子ちゃん。私はつられて「どうも」と頭を下げた。


「ここじゃなんだし、あっちの河原に移動しない?」


「う、うん」


 小原に連れられて、商店街からほど近い河原へと移動した。夜の河原は人気がなく、ゆっくり話すのにはうってつけだと思う。私たちは河川敷に座り込んだ。リコちゃんとマコちゃんは、さっき小原が買ったお菓子を開けている。


「東雲さん、その、今日の文化祭では、本当にごめん」


 何を言い出すかと思いきや、あの舞台でのことを謝ってきた小原に、私ははたと彼の目を見つめてしまう。


「なんで、小原が謝るの?」


 あれは間違いなく、クラスメイトの悪意による事故だ。小原のせいではない。けれど、あの瞬間、目の前の彼のことを睨んでしまったかもしれないと思い至る。小原は私が怒っていると勘違いしているんだろうか。


「東雲さんを、嫌な気持ちにさせてしまったんじゃないかって思って……」


「それは……。でも、あんなの事故じゃんっ。きっと北村あたりが腹いせで私の背中を押してっ」


 言いながら、頬に生暖かい何かが伝っていることに気づく。

 どうしてだろう。バイトをして、心が落ち着いたらもう大丈夫だって思ってたのに、どうしてまた泣いてなんか——。


「私、おかしいのっ……。小原とこうして話してると、一番落ち着けるはずなのに、胸がずっとざわついててうるさい。小原と話してる時の自分と、みんなの前での自分が、あまりにかけ離れすぎてるから、本当の私はこっちなのにって、悲しくなるっ……」


 それとも、私があなたに特別な感情を抱いているから?

 だから、こんなに胸が疼くの?


 溢れ出る涙は頬を滑り落ち、膝の上にポツポツと跡をつくる。小原は、泣きじゃくる私をただ心配そうな目でじっと見ていた。すぐ近くから聞こえてくる双子の咀嚼音だけがやたら大きく響く。


「東雲さん、あのさ」


 小原の吐息が漏れた。私は、しゃくりあげながら彼の顔を見つめる。その目はキリッと真っ直ぐに私だけを見ている。学校では見せない、彼の凛としたそのまなざしを、私だけが独り占めしているという事実に、胸が熱くなった。


「東雲さんは、それでいいと思う。今みたいにみんなにも本音をぶつけてみたら? 窮屈な思いをしながら学校生活を送るなんて、辛いでしょ。……って、僕が言えることでもないけどさ。本当の自分を出しなよ。そっちの方が、格好良いし、その……可愛いと思う」


 照れたように俯きながら励ましてくれる小原の言葉を聞いて、私の方がぽっと恥ずかしくなった。けれど、心は最大限に温もっている。

 そうか、私……。

 ずっと誰かに言って欲しかったんだ。

 樹里亜は、そのままでいいよって、言って欲しかった。

 無理して外面を取り繕わなくていい。上品な言葉を探して頑張って喋らなくてもいい。

 気負わなくていい。

 私は、むきだしのままで生きていいんだって、言って欲しかった。


「……ありがとう、小原。小原ってなんか、アレみたい。さっき『エイコウ』で買ってた戦隊モノのヒーロー」


「『サイレンジャー』?」


 くるりとした瞳でそう言ったのは双子の妹の一人だ。


「『サイレンジャー』って言うんだ。そう、その主人公みたい」


 主人公がどんな人物なのか詳しくは知らないけれど。

 ピンチの時に駆けつけてくれる格好良い人だってことは違いあるまい。


「そうだよ! お兄ちゃんは、リコたちのヒーローなの! いつも優しくて、公園でリコたちがいじめられたら助けてくれるしっ」


「そうそう! だからマコもリコもお兄ちゃんのことがだーいすきっ」


「ねー!」と顔を見合わせて“お兄ちゃん”への愛を語る双子の姿にキュンとした。

 私も……私も、同じように感じていたから。

 小原は私にとって、ヒーローだって。


「もう、二人とも恥ずかしいこと言うなよっ。本当、学校と家で全然性格が違うから、みんなに知られたらなんて言われるか」


「それなら小原も私と一緒に“むきだし”になってみない?」


「え?」


 小原の純粋な瞳が私を見つめる。一体何をしようとしてるんだって。ふふん。まあそれは、明日のお楽しみってとこかな?


「明日、後夜祭のキャンプファイヤーがあるでしょ。よかったら一緒に参加しようよ」


「キャンプファイヤー……それって」


 小原が何かに気づいたみたいに、ぽっと顔を赤めた。

 私だって知らないわけじゃない。

 後夜祭のキャンプファイヤーで一緒に踊った二人は結ばれるんだって。どこの学校にでもある色恋ネタだ。


「ね、むきだしの私たちを見せてあげようよ」


「……分かった。明日、楽しみにしてる」


 何かを決意したような小原の瞳に、川面に反射する月の光が映っていた。

 私たちはきっと、今までがんじがらめになっていた。堰き止められて流れない水面で、落ち葉がその場で揺蕩うように、周りの視線を気にして動けなくなって。

 明日、水を堰き止めるその柵を取っ払ってみせる。

 双子と小原と私の吐く息遣いが重なって、やがてばらけた。

 私はきっともう、ひとりぼっちじゃない。



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