第一章 買い被り
薔薇園さんとケーキを食べに行ってから一日が過ぎ、本日は金曜日だ。
放課後になって彼女を適当に宥めてからアルバイトへと向かう。
サロン入り口の地下の扉の前に立ち、インタフォンを鳴らすと、直ぐに嘉靖さんが扉を開けてくれる。
「お帰りなさいませ」
「……どーも」
この挨拶にどう返したら良いか、いつも悩んで適当に返している。ただいま、と言うのもなんだか気恥ずかしいし、お疲れ様です、と言うのもなんだか違う気がした。まあ、特に彼女はなんとも思っていなさそうだが。
「そういえば、嘉靖さんはどうしてここで働いてるんですか?」
最奥の扉へと向かう前に、ふと気になった事を尋ねてみた。
「議長様に雇われたからで御座います」
「……きっかけとかは?」
「議長様の家と、私めの家は祖父の代から交流があり、以前からの知り合いだったのです」
「へえ」
幼馴染ってやつか?
「私は実家から勘当されており、議長様もまた然りです。私はこのような事をしていると興奮を覚える質ですので、それを理解してくれた議長様にメイドとして雇って頂いた次第に御座います」
「……」
この人も異常性癖者だったのかよ。
実家から勘当って両者揃って何したんだ?まあその辺の事は椅子の中の彼に纏わる事だから教えてくれないだろうけど。
「メイドとして相手に奉仕するのが好きとかでその……性的興奮を覚えるって事ですか?」
不躾にも質問してしまったが、嘉靖さんは一ミリも表情を変えずに口を開いた。
「主軸はそこではありません。どちらかと言えばメイド服を着る事自体に興奮を覚えています。メイドに成り切る為に奉仕をしている、というのが正しい順序であると自己分析しております」
「へえ」
「男の私めがこの様な格好をしている事が両親にはとても耐え難い事だったようで、勘当された次第に御座います」
「そうだったんですか……って、え?」
今なんて言った?
「男?」
思わず、声に出して聞き返してしまった。この人、もしかして男性なのか?
「はい、私は男です」
ええ……全然分からなかった。
女性にしてはやや低めの声をしているなあとか、全然気にしてなかったがよくよく見てみれば胸無いなとか、それくらいにしか考えてなかった。驚きだ。
「なんていうかその、凄い綺麗ですね」
「……有難う御座います」
私の言葉に、彼女……じゃなかった彼はペコリとお辞儀をする。
とても美しい顔立ちの女性だなと思っていたけれど、まさか男性だったとは……。
「綺麗なお姉さんだと思っていたので気が付きませんでした……言い辛い事を話させてしまってすいません」
「いえ、それは構わないのですが……」
ここで初めて、嘉靖さんは少し考える仕草を取った。
「議長様の言う通り、恵子様はお優しい方ですね」
「はい?」
ここでまた、嘉靖さんの口からそんな言葉が飛び出してきたので首を傾げてしまう。
「男の私がこの様な格好をしていると聞いて、不快に思われませんでしたか?」
彼の質問に、やや考えてから口を開く。
「……いや、不快とかそういうのでは無いですかね。単純に驚きと、興味が湧きました」
「成る程…議長様の言っていた意味がわかりました」
私の言葉に対して、彼はほんの少しだが口元に笑みを浮かべると、スカートの裾を摘んで見事なカーテシーを見せてくれた。
「今後とも、主人共々宜しくお願い致します」
「え……ああ、はい。こちらこそ」
顔を上げた嘉靖さんの表情は、いつもの無表情へと戻っており、「失礼します」といっていつもの部屋へと入って行ってしまった。
宜しくお願いされてもなあ。私は椅子に座るだけだし。
しかし露出に、女装、そして人間椅子か。この短期間で三人の異常性癖者に出会ってしまった。彼らには驚かされてばかりだな。
私は気を取り直し、最奥の扉を開き中へと入る。
「やあ、恵子君。久しぶりだね、君の事が待ち遠しかったよ」
部屋の中央に置かれた椅子が……彼がまたキザったらしい口調で挨拶をしてきた。
「たかだか二日振りでしょう。大袈裟ですね」
「四十八時間というのは非常に長い時間だよ。それだけあれば警官と殴り合ったり、強盗犯と銃撃戦を繰り広げたり、女性を抱く事だって出来るんだ」
「……なんの話ですか?」
「映画だよ、エディ・マーフィのデビュー作さ」
「はあ」
椅子の中の彼はどうやら多趣味なようだ。
私はいつも通り、彼に座る前に本棚の前に行き、これから読む本を選定する。
あれ?そういえばこの間借りた本、ブレザーのポケットに入れ忘れたな。鞄か?
そう思い至ってスクールバッグの中を弄るが、見当たらない。
「すいません、この間借りた本なんですが家に忘れてきてしまいました」
「『屋根裏の散歩者』かな?別に返すのはいつでも構わないよ」
「見つかり次第持ってきます」
「ああ、もし失くしたとしても二冊持っているから問題ない」
なんで同じ本を二冊も所持しているのだろうこの人は。
『人間椅子』に人生を左右される影響を受けただけあってこの人は江戸川乱歩が好きなようだが、どうやら『明智小五郎シリーズ』を筆頭とする探偵小説より、『妖虫』、『闇に蠢く』等のスリラー小説……怪奇色の強い変態的な話を好む傾向にある。まぁ、この間借りた『屋根裏の散歩者』は一応明智探偵が出てきて謎解きめいた事もするのだが。
「……そういえば、露出嗜好に関する本はありますか?」
ふと薔薇園さんの事が頭を過ぎり、彼に尋ねてみる。
「露出か……ふむ、Web上では幾つか拝見した事はあるがね……私の蔵書の中では君を満足させられるものは無いかも知れない」
「そうですか」
「何かあったのかね?」
私がそんな事を尋ねて来たことが意外だったのか、彼が問い掛けてくる。
「いえ……最近この辺りで露出狂が出るという噂を耳にしたものですから」
彼女の事は誰かに話すべきでは無いだろうと思い、私はなんとなく伏せておく事にした。
「ああ、私もそんな話を知人から聞いたね。なんでも、その露出狂は女性なのだとか」
「女性?」
別に差別的な意思があった訳では無いが、幼い頃からよく耳にする、または自分で目撃した露出狂はどれも男性であった為、てっきり今回の事も男性がやっているものだとばかり思っていた。
「意外かね?」
そんな私の考えを見透かしたのか、彼は私に尋ねる。
「ええ、少し」
「ふむ、その感覚は正しい。以前、公然猥褻の被害者の男女比について調べた事があったが男性が一.五パーセント、女性が九八.五パーセントだったよ」
「そんなに……」
「加害者側の性別は記載されていなかったが、まぁ基本的に異性を対象にする事が殆どだから、公然猥褻罪で検挙されるのはほぼ男性だと思って間違い無いだろうね」
「なるほど」
「公然猥褻イコール露出狂と全てに言い切れる訳では無いが、まぁそういう事だ」
「……」
まさか、まさかな。
巷で噂になっている露出狂の正体が、あの子では無いかと思い至ったが、確証はない。
それに、薔薇園さんはわざわざ人が来ない旧校舎で行為に及んでいたのだからリスクヘッジは欠かさないだろう。
いや、私に見つかってしまっている時点でダメか。
「まあその女性が捕まらない事を祈るばかりだね」
「何故ですか?」
「異常性癖者という仲間が減ってしまうだろう」
「そういうことですか」
「それに医学的な検知ではこの性的倒錯を『露出症』呼んでいるのだが、基本的な治療法は『嫌悪条件付け』という手法で、これは根本的解決法ではないからね」
嫌悪条件付け?
頭にハテナマークを浮かべる私を見て、彼が説明を始める。
「簡単に言って仕舞えば、「露出をする事によって逮捕されれば、社会的不利益が貴方に発生しますよ」と言い聞かせる事だ。私のこの性癖もそうだが、そう易々と矯正出来るものでは無いし、それが真に治せる手段では無いことは明らかだ。つまり捕まったところで治る保証は何処にもない」
確かに件の露出狂だって、逮捕されればまずいということくらい分かっているだろう。
「それに、これは私個人の意見だがね……『露出症』と病名付けるのは好きでは無いんだ」
「というと?」
「人間誰しも性癖というものを持っている。ただ我々のそれが、偶然世間の大多数のそれからかけ離れていただけであって、病気と称されるのはあまり気分の良い話では無い」
「……」
「その件の露出嗜好を持つ女性も、好きでその性癖を持って生まれて来たとも限らないのだからね」
人間誰しも性癖を持っている、か。
私にもあるのだろうか?考えた事も無かったが。
「異常性癖者は、生まれ持ったその性を抱え、悩み、苦悩し、自暴自棄になる事もある。当サロンは、その悩みを根本的に解決する事はできないけれど、寄り添い合い、支え合い生きていく為に私が作ったものだ」
「……そういえばここ、『異常性癖サロン』でしたね」
すっかり忘れていたな。
「そうだとも、この部屋の前に看板が出ているだろうに」
「いや、貴方と嘉靖さん以外の人を見た事がなかったので失念していました」
「近々数人ここに集まる予定だから、その時に恵子君には紹介するよ」
「……あの、私異常性癖者じゃないんですが、その場にいても良いんですか」
興味はあるが、私は至って普通の女子高生だ。場違いでは無いだろうか。
「構わないとも、君は私の性癖を理解してここに座ってくれている。彼らのその性に驚く事はあっても、拒絶したり嫌悪を口にしたりする事はないと分かっているからね」
「はあ……」
随分と買い被られたものだな。
私自身別にマイノリティの人々を守ろうとか、彼らの為に声を上げようとかそんな大それた思想はない。ただ単に、変な人だなあくらいに思っているだけなのだ。私の人生の中で今までに無かった刺激を与えてくれるという面白さと、不躾な興味を抱いているに過ぎない。
「不安かね?」
彼の声が、いつもの様に後頭部の方から響く。この会話の仕方も、今ではすっかり慣れてしまった。
「大丈夫さ、先程嘉靖も笑っていただろう?」
私は彼の言葉で、数分前の嘉靖さんの顔を思い出す。
確かに、彼は笑っていたな。
ていうか見ていたのか。確かに廊下にも監視カメラが設置されていたが。
「嘉靖が笑ったのは久々に見たよ。彼も私も、君の様な人を待っていたのさ」