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第三章 再会

 私が通っている江戸川第一高校の学園祭は、十月の半ばに二日間の日程で行われる。

 約五日前より準備期間に入り、クラスの演し物や、体育館での特別ステージでの演目等が決められ、皆その準備に明け暮れる。


 現在、ホームルームにてクラスの演し物を決めている最中で、皆それぞれ自由に意見を出し合い、ああでもないこうでもないと騒ぎ立てていた。

 私と言えばいつも通りで、特に興味もないので頬杖を突きながら窓の外を眺めている。

 「ケーコちゃんケーコちゃん」

 隣に座っているエイミーが、椅子をこちらに寄せて声を掛けてくる。授業中だったら咎められてもおかしくはないが、現在はホームルーム中とあって、皆自由に座っている。

 「なに」

 「どう、今出てる中でやりたいやつないの?」

 「……」

 彼女の言葉に、私は視線を黒板へとやる。

 お化け屋敷とか、演劇とか、タコ焼き屋とか、果てはメイド喫茶なんて案も並べられている。

 「……演劇かな」

 「お、意外だねケーコちゃん。どしてどして?」

 「演者と照明、衣装とかの主な役割以外はする事なさそうだから。多分手余る事になって楽でしょ」

 「うわ〜……相変わらずだねぇ」

 私のいつも通りの態度に対して、彼女は苦笑いを浮かべている。

 退屈なのは嫌いだが、意図的に暇を潰す時間は嫌いじゃない。興味もない授業をぼうっと聞いているよりは、学祭期間中に旧校舎で本を読んだり好きな時間を過ごしている方が余程建設的だ。

 「まぁ、実際なんでも良いよ。私はサボるし」

 「クラスの印象悪いよ〜。ただでさえケーコちゃん浮いてるんだからさあ」

 「クラスメイトぶん殴れば誰でも浮くでしょ」

 「えへへ〜、それもそっか」

 この女……何故かこの話をすると嬉しそうにするんだよな。私がエイミーの事で怒ってくれた事が嬉しかったようで、この話になると溶けたような笑顔を浮かべるのだ。相変わらず可愛いなこいつ。

 「まぁ私はやる事あるから、クラスの連中には上手い事やっといてよ」

 「ん?やる事って?」

 エイミーは私に顔を近付けて尋ねる。

 ん〜、顔が良い。

 「近いってば」

 「え〜、ひどい」

 彼女を押しやって、話をうやむやにしておく。学祭のステージで一曲披露するとなったらエイミーが騒ぎ立てそうで面倒だからな。

 そんな風に雑談をしているうちに、ホームルームはあれよこれよと話が進んで、演し物メイド喫茶に落ち着いた様だ。

 当日は絶対サボろう。


 ホームルームも終わり、エイミーと共に昇降口に行くと掛川君が下駄箱の横で待っていた。

 「やあ」

 片手を上げて挨拶をする掛川君。事前にメッセージで呼び出して置いたのだ。

 「お待たせ」

 「いや、ちょうどさっき来た所だよ」

 そう言ってうっすらと微笑む掛川君は、もう私には敬語では話さないようだった。卑猥電話の彼として、掛川学として私に接しているのだろう。

 「それに、君を待っている時間は嫌いじゃ無い。晩冬の暮れに、春の陽気を待つ感覚とよく似ている」

 そしてこの調子である。

 「うおっ……やばっ……なんかわかんないけどなんかエモいね」

 そんな掛川君を目の当たりにしたエイミーは、なんかよく分からない感想を述べている。

 ポエミーな口説き文句を平然と浴びせて来る彼は、なんだか以前より活き活きして見えた。

 「そっちの方がずっと良い」

 「そうかな?まだ少し照れ臭いんだけれどね」

 「そうは見えないけど」

 「君も、そうやって話している方がずっと素敵だ」

 「どーも」

 告白する時に、「付き合ってください」と丁寧語で言われたので、なんとなく私も丁寧語で話すようになったのが、私達の間の話し方の始まりだ。特に深い理由があった訳でもないから、私もこれからはタメ口で話そう。

 「さて、エイミー」

 「ん?どしたん?アタシ邪魔そ?」

 私が声を掛けると、気を遣ってかそんな事を口にするエイミー。

 「いや、邪魔じゃないよ」

 「そうなん?」

 「うん、今日は彼をサロンに連れて行こうと思ってたから」

 「そっか〜……って、マ?」

 私の言葉を軽く流そうとしていたが、引っ掛かってしまったエイミー。その碧い目と口を大きく開けて驚いている。因みに、「マ?」というのは「マジで?」と言う意味らしい。

 「そう、マ」

 「マ?ちょ、待って待って。掛川君もヤバ癖持ち?」

 「なんだその呼び方は」

 この間は異常癖って言ってたじゃないか。この気分屋め。

 「まぁエイミーの言う通り、そうだよ。夏休みの終わりくらいに話したよね?卑猥電話の事」

 「え?あー……確かそんなんあったねぇ」

 「その相手が彼。私に電話で下着の色を聞いて興奮していた異常性癖者」

 私が詳らかに話すと、掛川君は少し唇をギュッと引き締めて緊張した構えを取る。

 エイミーもそうだったが、やはり自分の性癖を明らかにして、拒絶される事に身構えているのだろう。だけど……。

 「えっ!マ?ヤバっ……こんな近くにいたんだ!運命じゃんね!」

 驚いてはいるけれど、拒絶や嫌悪の色を全く感じさせない調子でエイミーは言う。

 「運命……?」

 掛川君は、そんな彼女の態度に拍子抜けしたような顔をして、言葉を繰り返す。

 「アタシもそうだったけど、ケーコちゃんみたいな理解のあるカノちゃんが居てくれんのはデカくない?これってそーある事じゃない気がすんだ〜」

 私の手を握って、エイミーは笑顔を浮かべる。

 そうだな。偶然エイミーの露出行為を見た事も、偶然彼の電話を受けた事も、奇跡みたいなものだ。勿論、あの怪しい求人広告を拾った事だって。

 「ケーコちゃんマジでヤバ癖タラシだから。そこんとこだけ我慢出来ればサイキョーだよ」

 「誰もタラシ込んでないんだけど」

 「自覚ないのがヤバいよね」

 あんまりの言いようだ。ていうか私が椅子の彼に座ったり、慎也さんの股間を蹴り上げたり、ジェシーちゃんに匂いを嗅がせたり、大将の所で大飯を喰らっているのもエイミーは我慢していたのか?

 ふむ……辞める気はないが今度エイミーのフォローをしておこう。変な不満が溜まって単独露出散歩でもやられたら困るからな。

 「……ありがとう、薔薇園さん。その通りだね。これは運命で、僕は運が良かった」

 エイミーに対して、笑顔を浮かべてそう返した掛川君。

 大丈夫だ。私達は貴方達を貴方達が心配するような風には思っていない。

 さて……。

 「前に少し話したと思うけど……私は色んな異常性癖者と性交渉を行っていて、そんな異常性癖者が集まる秘密倶楽部でアルバイトをしているんだけど」

 「そういうことだったんだね」

 「なので、今日の目的は掛川君をサロンのメンバーに紹介したいのが一つと、例の練習場所の確保がもう一つ」

 「そのサロンに練習場所があると?」

 「いや、分かんない。確信はないけどあのサロンの主はピアノの一台くらいは持ってそうな気がするするから」

 「ねー、練習って何?ピアノ弾くん?」

 私達の会話に疑問を持ったエイミーが尋ねてくる。説明が面倒だな。

 「まぁ、サロンに着いたら話すよ。とりあえず行こう」


 学校を出て、暫く歩いてサロンへと辿り着く。

 雑居ビルの入り口を潜り、地下への階段を降りてインタフォンを鳴らし、いつものように嘉靖さんが出迎えてくれる。

 一応今回は事前に椅子の彼と嘉靖さんにはある程度の話はしてあるので、そのまま通してくれた。


 「ようこそ、異常性癖サロン……人間椅子倶楽部へ」

 最奥の部屋へと入ると、いつもの調子で私の椅子が話し出す。

 流石の掛川君も少々面食らっている様だった。

 「掛川君。こちら、このサロンの議長を務めている人間椅子。この椅子の中に入って、私を上に座らせる事で毎度絶頂している」

 椅子の彼の方を手で指して、掛川君に紹介する。

 「その通り。私は度し難い異常性癖者さ……。ここはそんな異常性癖を有する者達が集う社交場なんだ。……君の事は恵子君から聞いているよ」

 「初めまして、掛川学です」

 丁寧にお辞儀をする掛川君。育ちの良さが出ているな。それに、こんな訳のわからない場所に連れて来られてもあまり物怖じもしない。

 「まぁ、リラックスして掛けたまえ」

 「どうも」

 嘉靖さんが用意した椅子に腰掛ける掛川君。私もいつも通り椅子の彼の上に座った。

 「しかし、驚いたよ。八月の暮れに恵子君から聞かされていた卑猥電話の相手が、まさか交際相手だったなんてね」

 「ええ、僕も気が付いた時は驚きました」

 「だろうね。しかし、恵子君が相手で良かった。卑猥電話は一歩間違えれば通報されかねない」

 「はい……本当に彼女で良かった」

 二人してそんな事を言うので、私は少し居心地が悪くなる。

 ただ通報しなかっただけで随分な持ち上げられ様だ。勿論危険性があれば通報待った無しだが、単純に興味があったからそのままにしておいただけに過ぎない。

 まぁしかし、それだけ彼らが彼らの性癖と共に生きていくのが難しいということだ。

 「ええと……すいません、貴方はなんとお呼びすれば……」

 私の下に在る椅子を見ながら、掛川君が尋ねる。

 「ふむ……ある人は私を「議長」と……またある人は私を「椅子の人」と呼ぶ。唯の「椅子」の時もあれば、「人間椅子」の場合もある。まぁ、何が言いたいかと言うと……好き呼びたまえということだね」

 いつもの勿体ぶった口調で、椅子の彼はそう返した。

 「では、議長さんと呼ばせて頂きます」

 「ふむ。議長という呼び名の響きは私も特に気に入っていてね……どうだろう、とても賢そうな雰囲気を感じはしないかな」

 この人、頭良さそうなのに急にバカっぽい事言い出すんだよなあ。

 なんだその眼鏡を掛けて「俺、頭良さそうじゃない?」的な発言は。

 「篠嵜さんは、なんて呼んでいるのかな」

 今度はこちらに目を合わせながら、掛川君が尋ねて来る。

 「私は……「あの」とか、「貴方」とか適当に……他の人との話の上では「椅子の彼」とかですかね」

 よくよく考えてみれば、決まった呼び方はしていないな。

 一応姿は隠しているし、知ってはいるけど名前で呼ぶのもあれだしね。

 「さて、学君と関係を深めて行きたいのは山々だがそれは追々にして……本題に入ろうか……恵子君、何か話があるんだろう?」

 む、さっきまで巫山戯ていたのに鋭いな。まだ彼が卑猥電話の相手であるという事しか伝えていないのに。

 「まぁ、そうですね。少しお願い事がありまして……」

 「ふむ、聞こうか」

 「このサロンに、ピアノは置いてありませんか?」

 「ピアノ?……ある事にはあるが……」

 やはりあるのか。

 「暫くの間、貸して頂けませんか?勿論貴方に座るわけではないので業務時間外扱いで構いませんが」

 「一向構わないよ。私も少しは嗜むが、ここ数年はとんと弾いていない。好きに使うと良い」

 へぇ、この人も一応弾けるのか。

 「一応、理由は聞いておくべきかな?」

 椅子の中の彼は、そう私に尋ねる。先ほどエイミーにも話すと言ったし、隠す様なことでは無いから問題ない。

 「文化祭で、一曲披露しようと思いまして」

 「ええ⁈マ⁈ステージ出るのケーコちゃん⁈」

 私の一言に、エイミーが素っ頓狂な声を上げて驚く。

 まぁそう驚くのも無理もないだろう。最後に人目のあるステージに立ったのは、小学校の頃の学芸会が最後だ。演目は忘れたがなんかの劇で、私は通行人Bみたいな役柄だった気がする。

 「いやまぁ出るのは私じゃないんだけどね。掛川君だよ」

 「なんだ……ケーコちゃん出ないのかあ……まぁでも!絶対見に行くね!」

 「いや、別に来なくてもいいよ。聴かせたい相手はエイミーじゃないし」

 「はぁ?なんでそゆことゆーのー?」

 頬を膨らませながらエイミーは私の側に寄って抱き付いて来るので、両腕で適当に追い返す。

 「ふむ、文化祭のステージか……確か十二日後だったかな?」

 おい、なんであんた知ってるんだ。

 「まさかまた見に来るつもりですか?」

 体育祭の一件もあり、私は少しゲンナリした表情を浮かべながら彼に尋ねた。

 「そのまさかさ。学校行事というものは、合法的に君の高校生活に触れられるまたとない機会なのだからね」

 「まぁ構いませんけど……慎也さんや紗奈さん達には黙っておいて下さいよ……」

 「いや、それはもう遅い。つい昨日ここでその話を彼等としたところさ」

 ちっ……まぁ当日は身を隠せば良いだけの話か。

 そんな話をしていたら、いつの間にか部屋から居なくなっていた嘉靖さんが戻ってきて口を開いた。

 「ピアノの調律が済みました……」

 そう言って深々と頭を下げた彼の手には、木製の持ち手が付いた金属製の器具が握られていた。

 確かピアノのチューニングハンマーだったか。名探偵コナンで見た覚えがある。

 しかし相変わらずこの人は優秀だ。どのタイミングで部屋を出て、ピアノの調律を済ませて来たのかさっぱりだった。

 「ありがとうございます嘉靖さん。……ええと、すいません、少し席を外しても?」

 「ああ、名残惜しいけれど構わないよ」

 この人もこの人で相変わらずだった。

 「嘉靖、彼女達を案内してくれると助かる。中にあるものは好きに使って良い」

 「かしこまりました」

 椅子の彼の言葉に頷いてから立ち上がり、掛川君と共に嘉靖さんに案内される。

 このサロンには部屋が五つあり、私はその殆どに入ったことが無い。

 玄関から続く一本道の廊下の左右にそれぞれ二つずつ、そして私達がいつも使っている最奥の部屋。左右四つの部屋のうちの一つは恐らくキッチンか何かに使われているのだろうと推測できる。いつも嘉靖さんがお茶を用意したりケーキを焼いたりしているからだ。

 嘉靖さんは入り口から見て手前左側の扉の前で立ち止まり、こちらに向き直った。

 「こちらです」

 そう一言言ってから木造りの扉を開くと、何故かその向こうにもう一つ金属製の扉が控えていた。

 ドアノブではなくドアハンドルで、大きめのレバーのようなそれには黒いゴム製のグリップが嵌め込まれている。

 「防音扉ですね」

 それを見た掛川君の言葉に納得がいく。

 なるほど、それで内側にもう一つ扉がある訳か。わざわざ廊下側に装飾を施した木製の扉を付けて統一感を出そうとするあたりは椅子の彼らしい。

 「左様で御座います」

 掛川君に返事をしてから、嘉靖さんはドアハンドルに手を掛けて、下げるのではなく上げてみせた。

 ガコンとやや大きな音が鳴って、その重厚そうな扉が開かれた先の光景には、流石の私も驚かされた。


 まず、中が広い。パッと見で二十畳くらいはありそうな部屋で一番目に付くのはグランドピアノだ。

 艶のある黒いボディをしたそれは、中古でも百万円はする筈だ。てっきりアップライトピアノだろうと思っていたのだが、なんでこんなもの持ってるんだあの人……。

 そしてピアノだけでは飽き足らず、壁に掛けてあるのはギターにベース。更にバイオリンや、果てはバンジョーまである。

 その他ドラムセットに木琴、スピーカーとアンプまで揃えられており、至れに尽せりだった。兄さんがこの光景をみたら大層喜んだであろう。

 「これは……凄いね」

 隣に立つ掛川君も感嘆の声を上げている。

 「わ〜……めっちゃヤバいね〜」

 そして私の背後にいたエイミーも……って

 「なんでエイミーも来てるの」

 いつの間に着いてきていたのか、彼女の方を振り向いて尋ねる。

 「いや、フツーにおもしろそーじゃん。行かないわけなくない?」

 「まぁいいけど……邪魔はしないでね?」

 「わかってるよ〜」

 間の抜けた返事をした彼女は、壁際に置いてあった適当な椅子に座る。

 とりあえず放っておこう。

 掛川君の方に向き直ると、気が付いたらピアノの側に寄っていた。

 「……」

 彼は懐かしむ様な、慈しむ様な表情を浮かべ、ピアノの鍵盤蓋をそっと撫でる。

 高校進学と共にピアノを取り上げられたと言っていたから、約一年と半年振りにピアノを弾ける事に感慨深い思いがあるのだろう。

 「とりあえず、曲の選定は置いておいて……好きに弾いてみたら」

 私は彼の近くに寄って、そう尋ねてみる。

 「……そうだね……じゃあ、お言葉に甘えて」

 私の言葉を受けて柔らかく微笑んだ彼は、ゆっくりとピアノ椅子に腰掛け、高さを調節する。

 重たい鍵盤蓋を開け、鍵盤に掛けられているフェルト製の赤いキーカバーを取り払った。

 「預かる」

 「ありがとう」

 綺麗に丸めたそれを私に手渡し、彼は鍵盤と向かい合う。

 男性にしては色白で、筋張った綺麗な両手が置かれる。


 「……」

 目を閉じて、防音室のひんやりとした空気を一つ吸った彼は、目を開くと共に勢いよく指を鍵盤へと沈めた。

 沈めた指はすぐに跳ね上がり、何度も鍵盤と宙を行ったり来たりする。

 帰路を辿る馬の爪音のような、軽快で晴れやかな和音とメロディ。


 ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルグミュラーによる『二十五の練習曲』の二十三番。

 確かこの曲には、『再会』、『帰途』等の名前が付いていた筈だ。


 彼は今、ピアノと再会した……って所かな。


 一分程度の短い曲だが、彼の様々な感情が音の一つ一つに灯っている。そんな気がする。

 てっきり彼のお気に入りの『月光ソナタ』を弾くものだと思っていたが、確かに今じゃ無いのかもな。

 ここは地下の防音室。月も出ていなければ夜でも無い。

 これは帰途に思いを馳せ、再会を祝う曲だ。

 曲の指示ではなく、解釈なんて自由で良い。

 私は彼の奏でる音を聴いてそう感じただけだ。


 しかしこの人凄いな。練習曲と題されているとは言え、一年半のブランクがありながらこの早くて激しい曲を難なく弾きこなしている。

 同音連打のスタッカートで腕は疲れないのだろうか?

 そんな事を考えていたら、音の流れが徐々に減速し、緩やかに着地する様に曲が終わりを告げる。

 彼は、鍵盤から目線を上げてこちらを見た。


 うん……良い笑顔だ。やっぱり私の側にいる人達には、笑っていて欲しい。


 「めっちゃすごーい!」

 大人しく座って聴いていたエイミーが、パチパチと拍手をしながら勢いよく立ち上がる。

 「どうもありがとう」

 対して彼は少し照れ臭そうに笑ってそう返す。

 私も自然と拍手をしていた。

 「良い作品には引力がある」と彼は前にそんな事を言っていたけれど、その引力を引き出したのは他ならぬ彼だ。

 以前はさして興味もないと思っていた曲だったけれど、なんだか少し好きになった気がする。

 こういう音楽との触れ合い方もあるんだと、そう気付かされた。

 なかなかどうして、悪くない。

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