第三章 恋愛相談
翌日放課後。毎週の習慣となったアルバイトに赴き、私は今日も彼に座る。
嘉靖さんが入れてくれたアイスティーを嗜みながらこの部屋に置いてある本棚から拝借した文庫本に目を通す。
「恵子様、本日のお茶菓子で御座います」
サービングカートを押して来た嘉靖さんが、サイドテーブルに四号サイズのタルトを置いてくれた。ここ最近は切り分けたピースではなくそのままホールで出してくるようになったな。
「ありがとうございます……これは?」
クッキー生地に生クリームと一緒に乗せらているスライスされた淡いピンク色の果実……私には見慣れないものだ。
「タルト・オ・フィグで御座います」
いつも通りの鉄仮面で答える嘉靖さん。
タルトの上に乗せる具材をフィリングと言うらしいのは知っている。「タルト・オ・(フィリングの材料)」は「〜のタルト」と言う意味のフランス語だ。
「フィグとは?」
「無花果で御座います。旬始めの秋果専用種なので甘みが強いです」
「ああ、無花果ですか……」
「はい。無花果の花言葉は、「実りある恋」で御座います。昨日の逢瀬は如何でしたか」
おお、彼から質問を投げて来るなんて珍しいな。
「まぁ、特に何も……彼も楽しんでくれていたようですし、私も楽しめてはいたので」
「それは何よりで御座います」
……普段は私が行く所に行ってみては?と言い出したのは嘉靖さんだからな。一応確認しておいたって所か。律儀な人だな。
「結局、何処に行って来たのかね?」
すると、椅子の中の彼が私に問い掛けて来た。
「すいませんで昼食を取った後、バッティングセンターでアーケードゲームに明け暮れ、最後は釣り堀で釣りをして終了です」
「ふむ、中々に楽しそうじゃないか」
「今度一緒に行きますか?」
「そうだね……もう少し涼しくなって来たらお願いしようかな」
それは本当に心から同意したい。九月も半ばを通り過ぎたというのに、今日も三十度越えの夏日だったしな。体育祭の日以来椅子から出た彼も見ていないし。
「さて、何か聞きたい事があるって様子だ。私の君は何を尋ねたいのかね」
む、この男日増しに聡くなっているな。
「……よく分かりますね」
「逢瀬の成り行きを語る君の面持ちと、声色と、その体が発する僅かな動きがそれを報せてくれるのだよ」
「はぁ……」
まぁそれは私とて同じ事か。彼が平常かそうでないかくらいは判断出来るようになって来たしな。
「貴方は、誰かとお付き合いをした経験はありますか」
「お付き合い……そうだね。そう長い期間ではないけれど、あると言っておこう」
「なんだか含みのある言い方ですね」
「うん、丁度君と似たような状況だったからね」
「と言うと?」
「告白されたから付き合ってみた。ってやつさ。この性質を持ち合わせて以来、初めての交際の申し込みだったものだから、これはいい機会だと応じてみたまでさ。丁度今の君と同い年位の頃だった」
へぇ、彼にもそういう考えがあったんだな。
「どうでしたか?」
「楽しかったよ。逢瀬を重ねる内に、私の心も彼女に傾いていくのが分かった。世間でさも当然の様に扱われている恋愛とやらに、一枚噛む事が出来たのだからね。普通の人間になれたような錯覚すら覚えたものだ」
「……そうですか」
錯覚……と表現したからには、恐らくその女性とは上手く行かなかったのだろう。今こうして私に座られている時点で、その交際がどう終わってしまったかなんて想像に難くない。
「……私の兄は、凄く極端な物言いをする人で、「恋愛感情なんてのはただの性欲に過ぎない」と言っていました。貴方はどう思いますか」
「それも一理あるだろうね。突き詰めれば子孫を繁栄させる為の本能が人々を恋愛というものへと誘っている。身も蓋も無いけれど事実だと私も思う」
「……」
「まぁそうは言っても、私の様な人間が生まれて来てしまう訳なのだから、子孫を繁栄させる為だけではない恋愛もあるのだと思う。同性愛と言うものがその最たる例だね。かと言って、彼ら彼女らの感情の発露に性欲が絡んで無い訳では無いとも思うがね」
確かに、同性でもそう言った行為に及ぶという事くらいは私も知っている。
「まぁ君くらいの年頃は、若さ故にそういう欲も強い訳なのだから、そこと切り離して考えるのは難しいだろうね」
「それもそうですね……」
ふむ……掛川君は全くそういう気配を感じさせないけれど、私に対して性的欲求を抱いているのだろうか。今の所一緒にいて楽しいと言ったような雰囲気しか感じ取れないが……。
「例の恋人の事で何かあったのかね?」
椅子の中の彼が、私に尋ねる。
「……いえ、デートをしてみたものの、恋愛というものが分からず仕舞いだったので、ふと考えていただけです」
「「いっその事、性交渉でもしてみようかな」と考えていそうな顔だ」
なんだこの男、段々とエスパーめいて来たな。
「そう見えますか?」
私はそう問い掛けながら肘掛けに目を落とす。
「今までの君の発言や態度から来る単純な予想だよ。興味本位で私に座ったり、流れで慎也の躾をしているくらいだ。知的好奇心から安易にそう言った行為に及ぼうとする可能性は多いにあるだろう」
「……私は淫らですかね」
「そうは思わないよ。体の相性を確かめるというのも大事な事だと聞き及んでいるし、性行為から始まる交際もあると言う。つまり、順番の話であって本質では無いのさ」
「と言うと?」
「例えば、自分に優しくしてくれた人間に好意を抱いて、交際まで漕ぎ着けて、性行為に至る恋愛。性行為を経て交際し、相手に好意を抱く恋愛。それぞれ優劣を付けるなどナンセンスだとは思わないかね?」
確かに。プラトニックだとかそうでないとか、綺麗だとか綺麗じゃ無いとかは他人の評価による所だ。
「本人達が良ければそれで良いと?」
「詰まる所そういう事だね。……恵子君は今まで創作物や何かで恋愛の知識を得て来たのだろうけど、あれだって作品の数、登場人物の数だけ恋愛というものがある。それが間違っているとか正しいとか、良いとか悪いとかを決めるのは意味のない事だ。だから君がそれらと比較してどうだったとか、これは普通では無いのかと悩む事は時間の無駄だと私は思うよ」
「……それもそうですね」
「まぁ、君が世間一般の普通の恋愛と呼ばれるものに興味を抱いていると言うのなら、話は別なんだがね」
「……」
そうだ、そうだな。恋愛というものは何なのかという疑問から始まった事だけど、結局普通とやらと比較したりしているからピンと来ないのかも知れない。
これが普通の恋人か?これが普通のデートなのか?という考えが頭の何処かにあって、多少はそれをなぞろうと無意識のうちに行動していたのかも知れない。
とは言え、何かを参考にする事自体は悪い事じゃないし、そこから探る方法もある事にはあるだろう。
「……それじゃあ最後に一応参考までに」
「なんだい?」
「その時の彼女さんとは何処にデートしに行ったんですか?」
「……」
む、黙ってしまった。
「どうかしましたか」
「いや……エイミー君につまらなさそうと言われたのが頭に過ぎってね……」
どうやらこの間のエイミーの発言が気に掛かっている様だった。
「……優劣を付けるのはナンセンスなのでは?」
「いや、そうなんだが……むう」
先程まで私に説いた話を撤回するような様子が少し可笑しい。
「エイミーも悪気があった訳ではと思いますよ」
「ああ、分かっている……分かっているんだが……」
そう言ってしょんぼりする彼も、私と同じなのかも知れなかった。
口ではああだこうだ言いながら、なんだかんだで他人の意見にこうして右往左往している訳なのだから。
そんな彼の様子がやっぱり可笑しくて、隣に立っていた嘉靖さんと目があって、少し笑ってしまった。




