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第三章 大丈夫

 体育祭が終わり、日曜日飛んで本日は月曜日。今日は振替休日な為、すいませんで昼食を済ませた後早めにサロンへと向かう。

 普段は放課後十六時半頃に出勤するのが常だが、基本的に来れる時間に来ればいいと椅子の彼に言われているので、こうしてふらっと早めに来る事も稀にある。

 エドガワビルディングの入り口を潜り、階段を降りてサロンのインタフォンを鳴らす。

 程なくして、嘉靖さんが扉を開いて出迎えてくれる。

 「……おかえりなさいませ、恵子様」

 ん?……なんだろう……。

 「……こんにちは」

 最近になっての話だが、私以上のポーカーフェイスを有する彼の感情を、少しだけ読み解けるようになって来た。間というか……なんとなく平常ではないと思うくらいの些細な気付きだけれど、それでもほんの僅かだが嘉靖さんがいつも通りでない事が感じて取れた。

 「……何かありましたか」

 私が尋ねると、彼の眉がほんの一ミリにも満たない程だがピクリと動く。図星を突かれた……そんな感じだ。

 「……いえ、特には」

 「……そうですか」

 彼は真っ直ぐと此方を見てそう返した。明言を避けたという事は、私に話す事はない、話すべきではないと彼が判断したんだ。ならば、問い質すのは無粋だ。あまり人に対して遠慮の出来ない私だけれど、その辺は弁えているつもりだ。

 気にはなったが、私は言葉を胸に仕舞い込んで彼の待つ部屋へと歩みを進める。

 最奥の部屋へと辿り着いて、ドアノブを捻って中へと入る。

 「こんにちは」

 「……やあ、恵子君。今日は随分と早かったね」

 いつも通りに、彼が挨拶を返してくる。……いや、いつも通りではない。精巧に取り繕ってはいるが、今の私には分かる。湧き起こる感情を抑え、何だか蓋をする様に普段通りを演じている様な、そんな声色だ。

 自分でも驚いている、他人の感情の機微には疎い方だった。そんな私が一言二言、単なる推測だが言葉を交わすだけで相手の感情を読み取れるようになるだなんて。

 ゆっくりと、彼に腰掛けた。言葉だけじゃ無い……触れた温度で、僅かな揺らぎで、伝わるものだってあるんだと、たった今気付かされた。だったら、私がその何かに気が付いたことを、彼は気が付いているのだろうか。それとも、気が付かない振りをするのだろうか。

 「体育祭の振替休日なので」

 「ああ、そう言えば昨日は土曜日だったね。……知っているかな?振替休日というのは法律で明文化されているんだよ。学校行事等は例外なんだが……国民の祝日に関する法律、通称『祝日法』だね。第三条二項に……」

 彼は、いつもの勿体ぶったような、周り口説い話し方で言葉を紡ぐ。

 彼は臆病者だ。初めて彼に座った日もそうだった。慎也さんだってそうだ。拒まれる前に拒もうと……何かで取り繕うとするのが彼らの常だ。

 「別に、思った事を口にしていいんですよ」

 不意に、自分の口からそんな言葉が溢れていた。

 しまったな。何も言わないつもりだったのに、気を付けてはいるのだけれどやっぱり私は遠慮が出来ないようだ。その癖察しが良く無いから、こうして彼らに言葉にして貰おうとするのは私の悪癖だった。

 「……君は手厳しいな」

 暫し黙った後に、彼の口から衝いて出たのはそんな言葉だった。

 「気に障りましたか?」

 「いや、そんな事はないよ。そんな君だから、こうして僕に座ってくれていた訳だしね」

 その言い方も、何だか気になってしまう。臆病なせいだけではない……私とは違う、これは別種の……彼にとっての悪癖なのかも知れなかった。浮ついた褒め言葉はするすると出てくる癖に、大事な事は遠回りをしないと口には出せない。そんな気がする。

 「別に言いたくないなら無理には聞きませんが」

 「ほら、手厳しいじゃないか。そうやって聞いてくる癖に、最終的な判断は僕らに放り投げるんだから」

 「強引なのがお好みなんですか?」

 「それも悪くないね。強引な君も魅力的だ」

 おっと、これは私が悪かった。私もどっこいどっこいこういう口振をする女だった。人の事は言えないな……こうして自分に返ってきてしまうんだから。

 でも理由は分からない、何故そう思ったのか……その過程は皆目検討も付かないけれど、彼が何を危惧しているのかだけは分かった。

 「私はたぶん、何があっても貴方の上に座ることだけはやめないと思いますよ」

 「……」

 椅子の中の彼が、僅かに身体を震わせた。図星を突かれたと言っているようなものだった。また、暫しの沈黙が訪れる。

 「……恋人はどうするんだい」

 しかし、たっぷり間を取って彼の口から出てきたのは、私の予想外のものだった。


 は?恋人?


 「掛川君がどう関係して来るんですか?」

 「……あの彼は掛川君というのだね……。彼に僕らサロンの話は?」

 「勿論話してはいませんが」

 「話すべきではないのかね」

 驚いた。話てもいいと言うのか?何度だって言うがこれは違法なアルバイトなんだぞ?

 「……恋人相手に隠し事をしてはいけないとか、そういう話ですか?」

 「そうは言っていないよ。往々にして人には隠し事の一つや二つは在って当たり前だ。恋人だから全てを晒さなければならないなんて事はないと僕も思う。だが僕が言っているのはそういう話じゃない」

 なら、どういう話だと言うのだろう。

 「恋人に黙って、このような事をしているのは些か不誠実ではあるまいか……という事さ」

 「…………成る程」

 それもそうか……。

 私自身、彼等との付き合い方の一つを性交渉だと認識している。別に恋人が居なければ、誰が誰とそういう事をしようが同意の上なら問題ない筈だが……恋人が居る場合は確かに話が別だろう。

 彼等と共に過ごす事が現在の私の当たり前になり過ぎていて、全く考えが及んでいなかった。

 「じゃあ、それとなく話して納得させます」

 「……納得してもらえなかったら?」

 「別れます」

 「……本気で言っているのかい?」

 彼は椅子の中で、どんな表情を浮かべているのだろうか。

 「本気ですよ。私は今更貴方達との関係を手放すつもりはありませんから」

 「……それは、君の可能性を我々が縛っているのではないかね?」

 「可能性?」

 「……普通だったら、自分の恋人が他の誰かと性的な関係を築いていると知ったら不快感を表すだろう。故に、これから君が築く普通の人間相手の関わりを……手に入れられたかも知れない可能性を、僕らが狭めている事になる。なんだったら今、恋人との関係が崩れそうになっているかもしれない」

 「……」

 まぁ、そうかも知れないな。複数人の相手と性交渉を行なっていると知れれば、離れていく人間も少なからずいるのだろう。

 普通の人間との関わり合い……友人関係にしろ恋愛関係にしろ……それを彼は可能性と呼んだ。

 だが……。

 「まるで普通の人間と過ごした方が良いと言っているみたいですね」

 「……出来るならそうすべきだ」

 「いえ?私はそうは思いませんし、なんだったら普通ってなんだよって思っています」

 普通ってなんだ?異常性癖を持っていない人間の事を指すのか?見た目が派手じゃない人?犯罪を犯していない人?そんなの分からない。でも、最近わかった事がある。

 「私の兄は私の見る限り特殊な性癖を持ち合わせてはいませんでしたが、世界最強のギタリストとやらになると言って家を飛び出して行きました。多分これは世間的に見て普通ではない」

 そうだ。兄は変な人だった。

 たぶん……大学に行って、企業に就職してサラリーマンになるのが世間的に見た「普通」と言うやつなんだろう。つまり、「普通じゃない」と言うのは平均からズレている事を言うのだ。

 「でも、そんな兄の事が好きだったんだと最近になって分かりました。なんでだと思いますか?」

 私は彼に問い掛ける。

 「……優しかったからじゃないのかね」

 「ええ、確かに私に対して優しい部分もありましたよ。でもそこじゃない。そこじゃないんです」

 私に取って重要な事とは多分、こういう事だ。別に普通である事が悪いとも思わないし、そういう人間を嫌っているわけじゃない。普通だとか普通じゃないとかはどうだっていいのだ。ただ……。

 「兄が面白い人だったからですよ」

 「……面白い?」

 「はい。私の貴方達への評価と同じです。私は退屈が嫌いです。だから、面白いと思った方を優先します」

 私の当面の目標は、兄と同じで「面白かった」と言って死ぬ事だ。だから、面白くない事をやってる場合ではない。不誠実と罵られても仕方がないけど、それでも私はそれを選ぶんだ。

 「私がしている面白い事を受け入れてもらえないのであれば、その人との関係を断つしかない」

 これが今の私の答えだ。

 「世間の常識とか一般とかそんなの知った事ではありません。そんな他人の物差で測られて見限られるくらいなら、私は異常者で構わない」

 「……」

 「だから、そんな怯えないで下さいよ。不安がらないで下さい。私はこの席を降りたり、誰かに譲ろうだなんて思っていませんから」

 だらだらと抽象的な事を喋ってしまったが、単純な話だった。

 彼は体育祭で私に恋人が出来た事を知って、私が彼の元から去っていく事を恐れていたのだろう。だけど、自分の異常性癖のせいで私の人間関係に影響を与える事を良しとせず、口を噤んでいたのだ。嘉靖さんのあの態度も、それを察しての事だろう。

 でも心配しないで欲しい、私はこの生活を手放す気はないのだから。

 「……ふっ……はは……はははっ」

 私の彼に対する受け答えが予想外のものだったのか、椅子の彼は可笑しそうに笑い出す。今までもこんなことは偶にあったけれど、こんなに笑っているのは始めてだ。

 「ははな……いや……すまない。どうやら僕はまだ君の事を見くびっていたようだ」

 笑いながら彼の口から発せられたのはそんな言葉だった。

 その口調から、限定的な彼の一部分から漏れ出て来たのは、多分安堵とか、そう言った感情。

 「ええ、そうですよ。見くびって貰っては困ります」

 だって私は、女子高生の平均から大きくズレた、とっても変な女なのだから。

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