第三章 最悪の日?
本日は晴天也。ていうか、本日も晴天也。
纏わり付くような湿気と降り注ぐ陽光、それに混じって立ち昇る砂埃。彼方此方から男女問わず活気溢れる学徒達の声援が湧き起こる。
現在、体育祭開始から一時間程経ったところだ。朝、担任教師から手渡された体育祭のプログラムの書かれた冊子によれば、多分今は選抜五十メートル走をやっている筈だ。
筈……と表現したのには理由がある。何故なら私は現在サボっているからだ。生徒教師が集まるグラウンドから離れ、お手洗いに行くフリをしてプールのある特別棟の辺りの木陰で木の幹に凭れている。
この辺りは何故か芝生で、水辺が近くにあるせいなのか日陰だとそれなりに涼しい。教師や実行委員が用のある校舎裏や、物置として使っている旧校舎は危険な為、今年のサボり場所はここにしようと以前から目を付けていた。
エイミーから『どこにいるの?』とメッセージが入っていたが、面倒だから無視しよう。
お、トンボが飛んでいる。秋の風物詩って感じが強いが、まだまだ気温が高過ぎる。真夏の猛暑は確かに過ぎ去ったが、それでも暑いものは暑いのだ。
青い空と、緑の芝生の境を赤いトンボが飛んでいく。番なのだろうか、二匹目がやって来て互いに身を寄せ合いながら私のすぐ側のやや長い雑草に留まった。
……まさかこいつら、交尾し始めるんじゃないんだろうな。何故だかよく分からないが、私の近くにいる虫や動物はやたらと発情して交尾に及ぶ確率が高い。本当に何故だか分からないが、近所の犬や猫も盛ってばかりだ。
すると、片方のトンボがその尻尾?でもう片方の頭の後ろ辺りを掴んで押さえ付け、そして押さえ付けられている方も尻尾をもう一匹の腹の辺りに接着し始めた。
それぞれの身体を使って作り出されたのは、横向きのハートマークだった。結構綺麗な形で少し驚いたが、もしかして……。
「これってトンボの……」
「セ⚫︎クスだね」
「ッ!!!」
突如真横から声がして、驚きの余り悲鳴を上げ飛び退きそうになったが、口と肩を押さえ付けられて制止させられる。この声は……。
「しっ……セ⚫︎クス中の赤トンボが逃げてしまう」
私の口を覆う腕を視線で辿ると、そこに居たのは勿論、アニマルセ⚫︎クス博士こと鏡紗奈さんだった。
いや勿論じゃないよなんでいるんだよここ学校だぞ?
しかし、そんな私の疑問と困惑を他所に、何故ここに居るのかさっぱり訳がわからない彼女はいつも通り解説を始めてしまう。
「見たまえ恵子女史。トンボはオスもメスもあの長い尾のような腹部の後端に交尾器があるのだが……彼らはそれを擦り合わせて交尾を行うと思いきや、そうではない。オスの腹部前側上部には副性器があり、そこに自身の交尾器を当てて精子を溜め込む……言わばセルフぶっかけみたいなものだね」
「ちょっと意味がわからないです」
手を離した紗奈さんに対し、私はいつも通り呆れ気味に返してやる。
「つまり人間で言うところの、腹や胸辺りにち●ちんを突っ込んで射精してザー●ンタンクにするんだ」
「やっぱり意味がわからないです」
「見たまえッ……オスの腹部後端にある鋏の様な器官がメスの後頭部をガッチリと掴んでいる……そしてメスは腹部後端をオスの副性器に突っ込み、ザー●ンを受け取り交尾をするんだ……ウヒョッ……ハートマークというのは人間が生み出した物だが……図らずとも自然発生した生き物がこうして見事なまでのハートマークを形造っている……これはとんでもねぇ事なのだよ」
まぁ、確かに偶々とは言えここまでハートマークに見えるのも凄い事だよなあ。
「直接性器を突っ込まずに、こうして溜め込んだ精液を渡すだけの行為が偶然生み出したハートマーク……!これは神が彼等の魂に刻み込んだ聖痕の形なのかも知れない……!このような奇跡を目の当たりに出来るとは……トンボッ……感謝するぜ、お前らと出会えた、これまでの全てに!!!」
「あの、頼むからここで自慰はやめてくださいね。学校なので、洒落になりません」
小声だったが、徐々にテンションを上げていく彼女に対して私は一応釘を刺しておく。
「あっ!終わってしまった……早いなあ……種によってはもう少し長いのもいるんだが……やはり最大でも五分程度が関の山か……」
「……ていうか、本当になんでいるんですか紗奈さん」
交尾を終えたトンボの番が飛び去り、肩を落とす紗奈さんに対して私は呆れ顔で尋ねる。
今日も今日とてタンクトップと丈の短いジーンズのスカートとスニーカーに、トレードマークの白衣は忘れていない。
彼女は掛けている眼鏡をくいっと指で上げながら目を丸くして答える。
「なんだって……決まっているじゃないか、君達を見に来たんだよ」
「はぁ?見に来た?」
「そうとも、恵子女史達の体育祭を参観しに来たという訳さ」
あ……ああ……この人、体育祭見に来たのか。
「いや、だからってなんでここに」
ここはグラウンドからはかなり離れているぞ?
「見に来たは良いものの君の姿がなかったからさあ。みんなで手分けして探してたんだよ」
「はぁ……って、皆んな?」
「そう、桃瀬さんも嘉靖さんも、勿論椅子の人も来てるよ」
ええ……何処で聞き付けて来たんだあの異常癖共は……。見たってなんの面白味もないぞ。
「おや、こんな所にいたのかい?私の君」
不意に背後から声がして、そちらを振り向くと、木の後ろからするりと椅子の彼が顔を出す。
白いTシャツに、ベージュの薄手のジャケットを品良く着こなした彼は私の隣まで歩いてくる。
「……わざわざこんな所まで来なくても……」
私に微笑み掛ける彼に対し、私は呆れ口調で返してやる。
「なに、学生としての君を本来の意味で眺めるのならば、学舎に行くしかないからね。そして我々部外者がその中に入る機会というのは限られている。ただそれを利用しただけに過ぎないさ」
彼はいつもの周り口説い口調でそう言うと、ジャケットの内ポケットから体育祭のプログラムを取り出す。
「さて、恵子君。君が出場する競技はどれかな」
「……とりあえずクラス対抗ドッジボールはサボるので出ません。なので後は借り物競走ですかね」
基本的にうちの学校の体育祭は、クラス対抗競技とあともう一つの競技の選択がマストだ。私は今回は楽そうな借り物競走を選んだ。
「おや、ドッジボールは出ないのかい?」
「あれは一人減ったくらいで誰も困らないし気付かれませんので」
「君の様な美しい女性が居なくなったら皆気が付くと思うのだが……」
「エイミーだけは気付くでしょうね」
相変わらずのナンパ文句をサラッと言う彼に適当に返しながら、私は体操着に付いた芝生の葉を払い落として立ち上がる。
「ふむ、借り物競走か……あと三十分程だね。では観覧席の方に戻るとするよ、君の活躍を楽しみにしている」
「バッチリ撮っておくからね恵子女史」
「いや、勘弁してください」
椅子の彼と、いつも動物の交尾を記録するのに使っているビデオカメラを携えた紗奈さんは、そんな事を言い残してグラウンドの方に去っていってしまった。
……私もそろそろ戻るか。
特別棟と校舎を繋ぐ渡り廊下に置いてある自販機で水を買ってから、私はグラウンドの方へ歩き出す。
ていうか四人揃って何やってるんだ一体。
紗奈さんは学生だからいいとして、あとの三人はほぼ自由業っていうかなんていうか……まぁとにかく基本的にいつでも予定は空いているしな。……いや、慎也さんはちゃんと働いておけよ。
そんな事を考えながら、私はグラウンドの外周にある生徒の待機場に戻る。わざわざ教室から椅子を持って来て、クラスごとに分かれて並べて応援席を作るのだが、正直これも面倒臭かった。応援する相手なんていないしな。
「あ、ケーコちゃんやっと戻ってきた!」
私の席の横に座っていたエイミーが、私の顔を見上げて頬を膨らませている。
「ただいま」
「おかえりー……もう、すぐどっか行くじゃん。ちょっとは楽しんでこーよ」
「いや、こんなの楽しめないでしょ……暑過ぎるし」
「ねー、めっちゃ暑いよね。日焼け止め塗った?」
「塗った塗った」
「えー?ほんとに?ケーコちゃんそこら辺テキトーそうだからなあ」
「ほんとにほんとに」
適当に返しながら、グラウンド中央に視線を移す。どうや一年生の全体リレーが行われているようだ。我々二年は既に終わっている。
「あ、あれジェシーちゃんじゃね?」
エイミーの指差した方を見やると、確かにジェシーちゃんの姿が見えた。リレーの待機場でも日傘を刺しているのですぐに見付けられた。体操服姿も可愛いなあ。……本当可愛いな。なにあれ?
因みに、保護者観覧席は私達が座っている位置の割とすぐ右側にある。今回は学年クラス順ではなく縦割りの白組赤組黄組で分かれており、我々白組はグラウンドの片側端の方だ。
観覧席の方に目をやると、確かにサロンのメンバーの姿があった。紗奈さんの言う通り慎也さんも嘉靖さんもいる。しかも何故か今日に限って嘉靖さんはメイド服だし……あの人サロン以外では女装はしないと思っていたがそういう訳ではないんだな。
「オォーウ!オジョーさーん!」
とここで、何やら聞き覚えのある声がした。サロンの連中から目線を逸らすと、そこには私に向かって手を振るブレイデンさんの姿があった。
「あ、パパだ」
隣に座るエイミーもそれに気が付いて手を振り返しながら側へ駆け寄って行く。保護者観覧席と言っても別段仕切りとかは無く普通に行き来は出来てしまうので、親御さんと喋っている生徒もちらほら見受けられる。
とりあえずは私も彼女の後に続いた。
「こんにちは」
「コンニチワ〜、オジョーさん。トレーニングウェア、とっても似合ってて、キュートね」
「はぁ、どうも」
相変わらずテンションの高い人だなあ。
「ちょっと、何恵子ちゃん口説いてるのよ。引っ叩くわよ?」
そう言ってブレイデンさんを睨み付けるのはエイミーのお母さんである瑞稀さんだ。
「こんにちは瑞稀さん」
「こんにちは恵子ちゃん。彼がごめんなさいね」
「いえ、特に気にしてません」
ブレイデンさんの襟首を掴みながらそう言う彼女に、私は手と首を振りながら制止させる。
「へぇ、この人が例のケーコおねーさん?」
そんな声が瑞稀さんの隣からして、そちらに目を向けると……ハーフ顔超絶イケメンが立っていて私に目を向けていた。
「どーも……おれ、ジョージ。姉貴がお世話になってます」
あ、エイミーの弟か。流石は美形家族……超絶イケメンだなあ。
エイミーやブレイデンさんよりはやや暗めの長い赤毛を靡かせながら、白い歯を見せて笑うその顔は、エイミーの面影がある。やはり姉弟で似ているな。
「どうも、篠嵜恵子です」
「敬語はやめよーよ。おれの方が年下だしさ」
年下だとそう言いながら自分から敬語は使う様子は無さそうな彼はなんだかチャラそうだな。普通に彼女とか二、三人居そうだ。
「じゃあ、まあ」
「気軽にジョージって呼んでよ。ケーコおねーさん」
おねーさん、ね。なんだかむず痒い呼ばれ方だな。薔薇園家は全員距離の詰め方が早過ぎる印象がある。
「じゃあ、ジョージ。よろしく」
「うんよろしく……てか姉貴に聞いてたよりめっちゃ美人じゃん。すっげータイプ」
差し出した私の手を握りながら、ジョージは早速チャラ男ムーブをかましてくる。
「ちょっとジョージ!ケーコちゃんに手ぇ出しちゃダメ!」
私達の手を払いながら、エイミーが彼を睨み付ける。なんか最近エイミーはこんなのばっかりだな。
「なに?ケーコおねーさん彼氏いんの?」
「まぁ一応」
「なんだ残念。ま、ふつーに仲良くしよーよ。あ、メッセのIDおしえて?」
なんか流れる様に連絡先聞いて来たな。このイケメン具合だし、さぞかしモテるのだろう。姉のエイミーも露出嗜好がバレてからも普通にモテモテだしなあ。
とりあえず断る理由もないので彼と連絡先を交換して、流れで瑞稀さんやブレイデンさんとも交換しておいた。
「恵子ちゃんのご両親にもご挨拶したいんだけど……今日はいらっしゃってるの?」
瑞稀さんが私の方を見てそんな事を尋ねて来た。
「いえ、見に来てないです。父は単身赴任で、母の休みは不定期なので」
「あらそうなの」
うちの親が最後にこの手の学校行事に来たのはいつだったか。小学校低学年くらいの頃には「別に来なくてもいいよ」って親に言ってた覚えがあるな。
「あ、ケーコちゃん。次借り物競争だよ」
ここで、グラウンドの方を見ていたエイミーが声を掛けてきた。
む、もうそんな時間か。
「オゥ。ワタシ、めちゃくちゃ応援しマス。オジョーさん、Fight!」
「恵子ちゃん頑張ってね」
「おーえんしてるよ。おねーさん」
と三者三様の励ましを向けてくる彼らに、私は軽く会釈をして応える。
「頑張ってケーコちゃん!」
エイミーも両手で握り拳を作りながら激励してくれるが……。
「いや、まあ……うん。程々に頑張るね」
と、適当に返して私はグラウンド中央に向かって歩き出す。
我が校の借り物競争は、スタート地点からグラウンドを一周するまでに五つのチェックポイントを通ってゴールしなければならないルールだ。それぞれのチェックポイントには借り物の対象となるお題の書かれたクジが入った箱が置かれており、次のチェックポイントにその借り物を運ばなければならない。それを潜り抜け、五つ目の借り物をゴールまで持っていった速さで順位が付けられる仕組みだ。
まぁ、適当にやろう。
私はスタート地点で既に横並びになっている他の参加者の横で、同じ様に待機する。
全員揃った所で、体育祭実行員が雷管ピストルを空に構え、声を張り上げる。
「位置に付いて!……よーい……」
パンッという破裂音がグラウンドに響き渡り、借り物競争がスタートする。
同じ団の連中からブーイングが来ない程度に力を抜きながら最初のチェックポイントへと走る。
『好調な走り出しですね!会長!』
『そうですね、皆さん頑張って下さい』
グラウンドの四隅に取り付けてあるスピーカーから実況者の声が響く。どうやら、実行委員の数名が詰めているテントからマイクで実況しているようだ。声からして会長と呼ばれていた方は掛川君だろう。生徒会長も大変だな。
「フレー!フレー!お・じょ・うッ!!!」
そこで、とんでもない大声がして私は思わずそちらの方を見やる。なんと、慎也さんが私に向かって応援しているようだった。何故かその手には大漁旗の様な大振りな旗が握られており、それを振り回して叫んでいる。
おいやめてくれ。恥ずかし過ぎる。めちゃくちゃ悪目立ちするじゃないか。
しかし、それだけでも目立つというのに……その旗にはデカデカと『篠嵜恵子 最強!』とか巫山戯た事が書いてある。
「フレッ!フレッ!お嬢!フレッ!フレッ!お嬢!」
「ケーコちゃんがんばー!」
隣にエイミーまで居るし……。
『いやー気合の入った応援ですねー!会長!』
『篠嵜さんのご家族ですかね、微笑ましいですね』
うちにあんな訳のわからん家族は……いや、昔居たけど……とにかくあんなバカは家族じゃない。さっき見かけた時に無理やり帰しておけば良かった……あいつマジで後でぶっ飛ばす。
目立ちまくりの彼から目線を外し、私は最初のチェックポイントへと到着する。各セパレートコースの脇に置かれた机の上の箱に手を突っ込み、最初のお題を選び取って紙に書かれた文言に目を落とす。さて、指定された借り物は……。
『チンピラ』
はあ?
バカじゃないのか。なんだこのお題。これ仮に「この人チンピラです!」って言って連れて行ったらそのチンピラさんに怒られるかもしれないだろう。何考えてるんだ実行委員。
しかし、周りの走者の方を見やると、皆頭を抱えている様子だ。
「おい、木魚!誰か木魚持ってないか⁈」
「紫色のモヒカンの人いませんかー⁈」
「バッグクロージャーってなに⁈バッグクロージャーってなに⁈」
……どうやら皆訳の分からないお題を引いてしまった様だ。これ作った実行委員は頭がおかしいのか?因みにバッグクロージャーは食パンの袋とかを留めてあるプラスチックのアレね。
そんな彼らに比べれば、私のお題は幾分マシだったようだ。それに、幸い私にはチンピラ呼ばわりされてもキレられない知り合いがいる。……丁度目立ちまくってるしな。
私は溜息を吐きながら慎也さんの方へと駆け寄る。
「おお!どうしたんすかお嬢!疲れたなら俺が代わりに走りやしょうか?」
何バカなこと言ってんだこの男は。
「とりあえず来て」
説明するのが面倒臭かった私は、彼の手を掴んで強引にグラウンドへと引っ張る。
「合点!お嬢、俺が走ります」
すると、何故かいきなり私の事をお姫様抱っこし始める慎也さん。
あーもう、ほんと何してくれてるんだこの男は。更に悪目立ちするじゃないか。顔だけは良いからちょっとドキッとしちゃったし、まあ楽だからいいけど。
『おっとぉ!出遅れていた白組二年篠嵜さん!ここでなんと一番乗りでチェックポイントに辿り着きました!』
『抱き抱えられていますがあれはオーケーなんですか?委員長』
『お題の中にはキャスターボードとかもあるので、それに乗ってゴールしてもルール違反にならないので問題ありません!』
『キャスターボード?』
『小学生がよく乗ってるグネグネしながら進むスケボーみたいなやつです!』
『なるほど』
なるほどじゃないだろ。あんなの持ってきてる奴なんか居るかよ。
『おっとぉ!赤組川崎君!観覧席のお子さんからキャスターボードを見事借り受け、第二チェックポイントまで華麗なキャスターボード走行を見せています!』
居るのかよ。
『黄組の目黒さんは漸く木魚を見つけられたみたいですね、良かったです』
木魚もあるのかよ。
そんな事を考えながら、私はそのまま抱き抱えられつつ、二つ目のチェックポイントに控えていた実行委員の女子生徒にお題の書かれた紙を見せてやる。
『えー、実行委員の方、お題はなんでしょうか』
掛川君の呼び掛けに対し、女子生徒は耳に付けたインカムで実況席に応答している様だ。
『はい、現場から返ってきました!白組篠嵜さんのお題はチンピラだそうです!』
『ちょっとコメントに困りますね』
本当にね。
「ええと、この人チンピラっていうかヤクザじゃあ……」
しかし、私の目の前の実行委員の彼女は慎也さんを見て恐る恐るそう言った。確かに、慎也さんは今日もド派手な柄シャツの上に黒スーツという出立ちだ。どこぞのマゾ組若頭にしか見えないのも分かる。
「あぁ?お嬢が俺をチンピラだっつって連れて来てんだ、文句あんのか?」
「ひっ……」
「俺ぁどっからどう見てもチンピラだ。そうだな?」
「は、はい!チンピラです!チェックポイント通過!」
突然脅し掛ける慎也さんに対し、怯えた表情の彼女は大きく手を挙げて借り物がお題の通りであると実況席に示した。
何怖がらせてんだよ……後で本当にちゃんと殴っておかないとなあ。
「はい、じゃあ戻っていいよ」
私を地面に降ろした彼に対し、私は冷めた目を向けてやる。
「ウス。ではお嬢、オタッシャデー」
慎也さんは中腰で両膝に手を付きながら、私に向かって頭を下げる。ニンジャかお前は。
「後で覚えとけよ。オタッシャ重点」
後で慎也さんを殴る意志を言葉で示しながら、私は次のお題を手に取り、その紙に目を落とす。
『博士』
……博士……博士かあ。博士って言っても色々あるしなあ。医学博士とか法学博士とか……でもそんな人居なさそうだし……。
……アニマルセ⚫︎クス博士なら心当たりあるんだけど、ダメだよなあ……。高等学校の健全な体育祭でアニマルセ⚫︎クスは完全にアウトだよなあ。
しかし、まあパッと見てそれっぽい人なんか見当たらないし仕方がない。中身はともかくとして見た目は博士っぽいというか、とりあえず白衣を着ている紗奈さんを頼るしか無さそうだな。
私は再び溜息を吐きながらサロンのメンバーの方に駆け寄る。
「紗奈さん」
「むむ?恵子女史、今度は私?」
「ええ、ちょっと来て下さい」
「合点」
手に構えていたビデオカメラを嘉靖さんに預けた紗奈さんは、何故か慎也さん同様私をお姫様抱っこしようとするが、なかなか持ち上がらない。
「ふぬぬぬぬぬ!」
「いやあの、別に抱き抱えなければならないとかいうルールはないので」
「ん?そうなの?了解」
お姫様抱っこを諦め、紗奈さんは私に手を引かれながら走り出す。
「いやあ、グラウンドを走るなんていつ振りだろうね?懐かしいなあ。高校の頃は体育の授業中にセ⚫︎クスをしているバッタに気を取られて抜け出して怒られた事はしょっちゅうさ」
「ここ学校なんで頼むからそういう発言は控えて下さい」
「むむ、失礼失礼」
どいつもこいつもやりたい放題だな。
程なくして、私達は次のポイントへと辿り着く。
『篠嵜さんの次お題は博士だそうです!』
『よく見つけられましたね、白衣着てる人なんて』
本当にね。サロンのメンバーが来てなかったら何にも出来なかったぞこの競争。感謝したいけど感謝したくないのが不思議な気分だ。
「えっと……白衣着てますけど博士っぽくないっていうか……」
しかし、第二チェックポイントの実行委員の男子生徒が、紗奈さんを見ながら首を傾げ始める。いちいち細かいなこの人達。
「ん?何を言うのか少年。私は巷ではアニマルセッ……「この人は動物博士です」
紗奈さんの言葉を遮りながら、被せる様に彼にそう言った。滅多な事口走るんじゃないよまったく。
『え〜、現場からです!篠嵜さんが連れて来た白衣の女性は本当に博士なのか?との事です!』
『どうなんでしょうね』
『動物博士だと言い張っているそうですが⁈』
『じゃあ動物に関する問題を出して正解できればオーケーって事にしましょう』
掛川君もノリノリだな。
『では問題です。カピバラの走る速度は時速何キロ程度でしょう?』
「時速五十キロ!」
即答する紗奈さんの答えを、実行委員がインカムで放送席へと伝える。
『はい、時速五十キロ正解です。白衣のお姉さんを博士として認めます』
よく咄嗟にそんな問題出せたな掛川君。ていうかカピバラそんなに速いのかよ。のほほんとしてるイメージしかないぞ。
「私にかかればこんな問題ちょちょいのちょいさ」
と、隣にいる紗奈さんは得意気だ。
「とりあえずありがとうございました」
私は彼女の方に向き直り、お礼を言っておく。
「どういたしまして。では恵子女史、オタッシャデー!」
「オタッシャデー」
流行ってんのか?ニンジャスレイヤー。
観覧席に戻る紗奈さんを見送りつつ、私は三つ目のお題を手に取る。
『メイドさん』
……なんか仕組まれてないか?ていうか私がサロンと関わりを持ってなかったらゴールするの不可能だろこれ。
私は今日何度目かになる溜息を吐きながら、偶々メイド服を着て来ている嘉靖さんの元に駆け寄る。
「えっと、嘉靖さん。来て頂けますか?」
「合点です。恵子様のご要望とあらば何処へでも」
合点も流行ってるの?
いつも通りの完全無表情で私の言葉を受け取った彼は、やはり何故か私をお姫様抱っこし始める。顔が良いなあ。ドキドキして来た。
「あの、これやる必要ないんですが……」
「恵子様の表情を見やるに、どうやらお疲れの様子。ここは私めにお任せ下さい」
いや、単純に悪目立ちしまくって萎えてるだけなんだけど。
『おっとぉ!篠嵜さんが次に借りて来たのはメイドさんだぁ!』
『美人さんですね』
『俺が悪ふざけで書いたんですが、まさか本当に居るとは思わなんだ!』
悪ふざけでそんな事書くんじゃないよ実行委員長。
私を抱えた嘉靖さんは、難なく第三チェックポイントまで小走りで辿り着く。
『お題はやはり、メイドさんです!チェックポイント通過!』
『篠嵜さんのご家族は個性豊かで素敵ですね』
いや、家族じゃないってば。
「では恵子様、私はこれにて……」
「ああ、はい。お疲れ様でした」
私を降ろした彼は、見事なカーテシーで以て私にそう言った。
「ご健闘をお祈りしています。オタッシャデー」
「……オタッシャデー」
この人も巫山戯る事あるんだな。
『白組篠嵜さん!現在トップを独走中です!二位の川崎君はブーメランを探して奔走中。三位の目黒さんは蟹工船を探しに図書室へ!四位の佐々木さんはまだ紫のモヒカンの人を探してます!それ以下の人は頭を抱えて蹲ってますね!』
『今更なんですがお題ふざけ過ぎじゃありませんか?』
本当だよ。ブーメランなんてある訳ないだろ。『蟹工船』はまぁ図書室にあるんだろうけどさ。
とりあえずクジ引くか。もう何が来ても驚かないぞ。
私は箱の中に手を突っ込み、四つ目のお題を手に取る。
『眼鏡かけてる人』
いきなり難易度が落ちたなあ。
突然真っ当な借り物競走っぽいお題が来て面食らうが、とりあえずはサロンのメンバーの元へ再び駆け寄る。
「おや?恵子君。今度は私かね?」
「ええ、まぁそうですね」
他にもいっぱい居たし、紗奈さんも眼鏡掛けてるんだけど、まぁ今回は椅子の彼で良いだろう。
「合点だ恵子君。私に任せたまえ」
やっぱり彼も私をお姫様抱っこしようとするが……。
「ふん……!ぐっ……!お、重い!」
「失礼ですね」
非力だなあ。椅子の中に引き篭ってるからそうなるんだぞ。華奢な嘉靖さんだって私の事軽々持ち上げてたんだから。
「よいしょ……!いやぁ、恵子君。少し……太ったかね……?」
「引っ叩きますよ?」
漸く私を持ち上げられた彼は、ヨロヨロとした足取りで最終チェックポイントに向かいながらそんな事を尋ねて来る。
デリカシーとか無いのか。思えば結構憚らないタイプだったなこの人。
「はぁ……!はぁ……!うっ……重い……本当に重い……」
「泣きますよ?」
流石に傷付くぞ椅子野郎。この人も顔が良いからドキッとするかと思ったが全て吹き飛んでしまった。
他のメンバーに比べるとかなり時間が掛かったが、他の走者はまだ借り物を見付けられていない状況なので余裕でトップだ。
『えー次のお題は、眼鏡を掛けている人だそうです!ポイント通過!』
『急に難易度落ちましたね』
『ていうかあの手のふざけたお題は二割程度しか入れてないんですけどねえ!』
『皆さん運が悪かったんですね』
悪過ぎるだろ。
「それでは、恵子君……私は……戻ると、するよ……」
肩で息をしながら、椅子の彼は私に向かってそう言った。
「はい、ありがとうございました」
「あ、ああ……サ、サヨナラ……」
おいおい、爆発四散しないでくれよ?
私はノミカイ・インシデント後のサラリマンめいた千鳥足で観覧席に戻る彼を見送った。ナムサン!
さて、次で最後のお題か。真っ当な物が来てくれよ……。
その願いが通じたのか、最後に私が引いたお題は、今までの事を考えるとかなりまともな部類のものだった。
『恋人』
……いや、まあまともな方だけど……これ独り身の人はどうするんだよ。もう少し配慮してやれよ。
とりあえず全部この場にいる人間で、しかも皆んな知り合いで良かった。これで漸く終われる訳だ。
背後を見やると、私以外の走者はもう殆ど諦め掛けだ。そんなに急がなくても良いだろう。
私はお題の書かれたクジの紙を片手に、校舎前にあるテントに小走りで向かう。
『おっとぉ!トップ白組篠嵜さん!こちらに向かって走ってきます!』
実況の声が響き渡り、会場中の視線が私の方へと集まる。楽そうだからとこの競技を選択したが、来年は辞めだな。いくらなんでも目立ち過ぎる。他人の目なんてあまり気にはしない方だけど、流石にこれは行き過ぎだ。とっとと終わらせてしまおう。
真っ直ぐと実況席に向かい、目の前に辿り着く。実行委員長の男と、掛川君と私の目が交差する。
私は握っていた紙を見せ付けるように前に差し出した。
「掛川君、来て下さい」
私の言葉と、そこに書かれた文言に、掛川君は目を丸くして面食らった顔をした。
『ええと……篠嵜さんのお題は……え?なに?……マジで?……恋人⁈』
委員長の口から発せられた言葉に、会場中が騒めき立つ。
『……委員長。すいませんが少し席を外します』
『えっ?マジで⁈二人付き合ってんの⁈』
『まぁ、はい』
照れ臭そうに笑った掛川君は、パイプ椅子から立ち上がって目の前の長机の横を通って私の隣に立つ。
「それじゃあ、ちょっと失礼して」
そんな言葉を放つや否や、彼は私の背中と膝裏に手を回し、勢い良く抱き上げた。
無論、お姫様抱っこだ。この人までこの流れに乗っかるのかよ。意外とノリが良いんだな。ていうか今日は何回イケメンにお姫様抱っこされるんだ私は。乙女ゲーのヒロインか?
『なんとぉ!白組篠嵜さんの恋人は!我が校の生徒会長!掛川学君だったのかぁ⁈』
委員長の実況に、会場中の生徒が色めき立つ。
いちいちうるせえな。
「皆んなにバレちゃいましたね」
私を抱き抱えながら、ゴールへ向かう掛川君がそんな事を言ってくる。
「まぁ、特に内緒にしていた訳ではないですしね……」
単純に言うと話す相手がエイミーとかジェシーちゃん辺りしか居なかっただけだ。
「……迷惑でしたか?」
彼の顔を見上げながら、私は尋ねる。私と違って彼は生徒会長だし、良く知らないけど校内ではそれなりに有名なのだろう。もしかしたら嫌だったかも知れない。
「いえ、特に問題ありませんよ……寧ろこんなに可愛い彼女がいるんだぞって自慢出来たので悪い気分ではありません」
随分と面と向かって言うんだなあ。
私が可愛いという事以外分からない感覚だが、まぁ気を悪くしてないのならいいか。
「校内公認カップルってやつですね、気分はどうですか?篠嵜さん」
「どうでもいいですね」
「でしょうね」
私の答えが予想通りだったのか、彼は少し可笑しそうに笑った。
……本当に私の事をよく見ていたんだな。正直見てくれはともかくこんな女の何処がいいのかさっぱりなんだが、世の中には物好きという人種がそれなりにいる。エイミーを始めとしてサロンの連中は皆んなそうだ。いくら私が否定的な態度を取らないからって好意的に受け取り過ぎなのだ。ただ何事も適当に考えているだけだというのに。
私を好きになったこの彼も、どうやら変わり者の様だった。