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第二章 だから今日も私は

 あれから一週間程経ち、夏休みに入った。

 慎也さんにはあの後、エイミーを主に、嘉靖さんや椅子の彼に土下座で謝らせた。

 嘉靖さんは暫く口を聞いてやらないつもりらしいが、それはそれで彼は喜んじゃうんじゃなかろうか。

 まあとにかく、私達は通常の異常性癖サロンの日常へと帰還した。


 変わった事が幾つかある。

 「お嬢、お勤めご苦労様っす」

 反省の意なのかなんなのか分からないが、慎也さんがスーツに身を包み、私を「お嬢」と呼んで付き従うようになった。

 私はヤクザの親分の娘かよ。この人も若頭感あるし。

 サロンの前で待機しており、私が来るとビシッと頭を下げて出迎える。

 「……話しかけて良いって言ってないけど?」

 「す、すいやせん!お嬢!」

 私が睨み付けながらそう言うと、彼はその場で跪いて頭を垂れる。

 しかし、その下の彼の顔は……多分これ笑ってんな。まったく……。

 「欲しがってんじゃねーよ」

 ゲシっと私は彼の股間の辺りに蹴りを入れておいた。

 「ッ!ワォーンッ!」

 あと最近こんな感じで吠えるようになった。躾が必要だな。この犬は。

 まあ、こっちの方が以前よりはやりやすい。

 裏格闘技も辞めさせたし、真っ当にフリーターをさせるつもりだ。ただのチンピラマゾヒストになってくれ。

 

 それと、エイミーがあれから偶にサロンに顔を出すようになった。

 「あ、ケーコちゃん!」

 サロンに入ると、嘉靖さんに入れてもらったのか、アイスミルクティーを飲んでいるエイミーの姿があった。

 「やあ、恵子女史」

 そう言って手を上げて挨拶したのは紗奈さんだ。今日は彼女も居て賑やかそうだ。

 「エイミーに近付いたら殺すからな」

 と、私は後ろに控えている慎也さんにそう言い聞かせておく。

 「ワンッ」

 「ワンじゃねーよハイだろ」

 「ワンッ」

 蹴り入れとこ。

 「ワォーンッ!」

 彼の脛を爪先で蹴ると、また吠えて嬉しそうに尻尾を振っている。ダメだこりゃ。

 「いやあ、椅子の人から聞いたよ。面白いねこれ」

 と私達の様子を見て紗奈さんはご満悦のようだ。

 「勘弁して下さいよ……」

 と私はゲンナリしながらいつも通り彼に座った。

 「こんにちは」

 「ああ、恵子君。待ち遠しかったよ」

 「昨日来たばかりでしょう」

 「いやなに、夏になると君も薄着になって、汗ばんでいるのもよく分かるから嬉しいのさ」

 「そうですか」

 相変わらず彼もこの調子である。


 「ねぇ、ケーコちゃん……今度水着買いいこーよ……ふたりで……試着室で……その……」

 「水着か、ふむ……偶には水着で上に座ってもらうというのも新鮮で良いかもしれないね。どうだい恵子君」

 「いやあ夏だねー。そうだ、そろそろカブトムシのセ⚫︎クスが見たくってねえ……良かったらちょっと遠出しないかい?恵子女史」

 「へッへッへッへッ……」


 こんな感じで、以前より異常性癖者に囲まれるようになったのも、変化の一つだ。

 ……因みに最後のは慎也さんが犬の真似してるだけね。

 こりゃ大変だな……。

 そんな風に溜息を吐くと、嘉靖さんがアイスティーを入れて持ってきてくれる。

 「……お疲れ様です」

 と、無表情の奥に同情の色を滲ませながら、嘉靖さんが労ってくれた。

 「……どうも」


 露出女子高生と女装メイド、アニマルセ⚫︎クス博士とチンピラマゾヒスト、そして人間椅子に囲まれながら、私の夏休みは始まった。

 ほんと、大変な夏休みになりそうだ。


 まあ、こんな夏休みも、刺激的で面白い。


 夕方頃になると、エイミーと紗奈さんは用事があると言って帰宅し、慎也さんも鬱陶しいので帰らせた。嘉靖さんは別室で何か作業しているようだ。

 私は彼の本棚から適当に本を見繕って目を通す。

 「……君には本当に驚かされてばかりだな」

 すると、彼が不意にそんな事を口にする。

 「何がですか?」

 と、私は本を読みながら尋ねる。

 「慎也の事さ……彼の心の傷は一生消えないだろう。でも、彼は今過去のしがらみに囚われずに、ありのまま楽しく生きているように見える。それは無論君のお陰だ」

 「……買い被り過ぎですよ……私はただムカついたから金玉蹴っ飛ばしただけです」

 彼がもしトラウマを克服しているとしたら、それは単なる偶然か、それとも彼の強さがそうさせたのだ。

 「……私の時はね、どうするのが正解か分からなかったんだ。殴ってやるべきなのか、その逆なのか……結局、私は私の感情で彼を殴らなかった……いや、殴れなかったの間違いだね」

 そう言って彼は自嘲気味に笑っているようだった。

 もしかしたら慎也さんは……誰かに違うって言って欲しかっただけなのかもしれないな……。

 心の底では愛なんてないって分かってて、でもそれは、過去の自分を否定する言葉だから……それにしがみついて、誰かに愛されたくて、本当の意味で、愛されたくて……。

 「だから、気持ちを声にして、彼を蹴っ飛ばした君を僕は賞賛するよ」

 「……どうも」

 エイミーの時もそうだったが、ただ自分の感情をぶちまけただけに過ぎない。今回はそれに蹴りが加わって、たまたま上手く行っただけだ。

 まあ、でも……椅子の中の彼が嬉しそうだから良しとするか。


 「ありがとう、僕の友人を蹴飛ばしてくれて」

 耳元で彼がそんな事を言うので、思わず私は笑ってしまう。

 ほんと、変な人達だ。

 「ふふっ……なんですかそれ」


………………………


 高校二年の夏休み前に、私は新たに幾つかの事を覚えた。


 一つは、性癖と言っても自分で発散できる者と、自分だけでは発散できない者も居るという事だ。

 中にはパートナーが必要という人も居て、それが居なければ苦しんだり、辛い思いをする事もある。性欲というのは生き物である以上切っても切り離せないもので、それに制限が付いている彼等には、理解と寄り添いが必要だ。


 もう一つ。幼少期や、過去のトラウマから異常性癖が生じる事もあるという事。

 親からの虐待だったり、ネグレクトだったり。そんな悲しく辛い、痛い過去の出来事で負った傷が……炎症して、膿んで、塞がったと思ったらまた開いて……。そんな風に生きている人もいるんだという事。

 今回私は友人のトラウマを一部取り払えたような気もするが……あればただの偶然の産物で、私は精神科医ではないし、その手の専門家でも無い。あんな荒療治は危険極まるので、良い子は真似しないで欲しい。


 消えない過去の傷があるかも知れない。それ自体を消してあげる事も、共感してあげる事も出来ないかも知れない。

 ただ、そんな彼らの隣人でいる事は出来る。

 理解しようとする事は出来る。

 側で寄り添う事は出来るのだ。

 結局、私の意見はこれに尽きるのだ。


 だから、今日も私は【彼】に座るのだった。

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