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第二章 おさかな●⚫︎●●博士と私の休日

 それから次の日曜日になり、私はまたもや紗奈さんに呼び出されていた。今回向かった場所は、葛西臨海水族園だ。この間紗奈さんが話していたお気に入りスポットの二個目である。

 葛西臨海水族園は、葛西臨海公園内にある水族館で、五百種を超える水性生物とクロマグロの展示が有名だ。

 「いやーお待たせ恵子女史」

 「こんにちは」

 葛西臨海公園駅前で待ち合わせをした私たちは、簡単に挨拶を済ませて水族園へと向かう。

 「しかし暑いねえ、水分補給はこまめにするんだよ。夏場は興奮し過ぎてぶっ倒れる事もままあるからね」

 「そうですね」

 興奮っていうか普通に熱中症が怖いだけだろう。

 「さて、今日は魚のセ⚫︎クス観察だ。と言っても、魚類に関しては放精するだけのものも多いから、セ⚫︎クスとは言い難い種も多いんだけどね」

 「ああ、そう言えばそうですね」

 鮭とかは正にそのイメージだな。海中に精子をぶち撒けて掛けるって手段だった記憶がある。

 「しかし、中には交尾をする魚もいるから、今日はそこをメインに見て回ろう」

 「了解です」

 水族園に向かって園内を歩いていると、私のスマホの通知音が短く響いた。エイミーからのメッセージだ。

 メッセージアプリを起動し、エイミーとのチャット画面を開くと……うおっ……。

 『これ、どーかな?』

 というメッセージと共に、彼女のその……やや過激な自撮り画像が送られて来ていた。

 これは最近、放課後や休みの日にエイミーが露出癖の一環として行なっている発散方法だ。

 確かにこれなら安全に、インスタントに露出行為?が出来るので、最初に送られて来た時には驚きと共に関心の念を抱いたものだ。

 とりあえず『エイミーチャン、えっち、だネ!!^_^』と返しておこう。

 最近気が付いた事なのだが、下着を見せてくる彼女に対し「ふ〜ん、えっちじゃん」と答えると、何故か更に興奮している様子だったのだ。

 プラス要素として、メッセージに絵文字やエクスクラメンションマークなどを使ってないと怒っているように見える、とつい一昨日エイミーに指摘を受けたので、名前をちゃん付けで、そして顔文字を付け加えておいた。

 あれ、『ね』の文字が誤変換で『ネ』になってしまっている。……まあ、問題ないか、これで完璧だ。……ん?もう返信が返って来た。

 『え?なに?おじさんみたい……』

 は?何が?

 この文章の何処の辺りがおじさんっぽかったのだろう。分からない……まあ、今は紗奈さんと居るのだし、スマホを弄り続けるのは失礼だな。

 私はスマホをポケットにしまい、やや前方を歩く紗奈さんの横に着く。

 暫く歩いていると、水族園の入り口でありシンボルでもあるガラスドームが見えて来た。

 植物園のガラス製の温室のような見た目のその建物は、三十メートル程の巨大なドームだ。

 チケットは事前に紗奈さんが用意してくれていたので、私達はスムーズに館内へと入る。

 館内の一番初めにあるエスカレーターを降りて最初にお眼に掛かるのは巨大な珊瑚礁だ。ここは割と生き物が少ない様子なので、少し見て先へと進む。

 「おっ、サメがいるね恵子女史」

 「……シュモクザメですか」

 ハンマーヘッドシャークとも呼ばれるその鮫は、呼び名の通り頭の先端が二手に分かれ、ハンマーの様にも見える。

 「サメは魚類の中じゃ珍しくセ⚫︎クスで子を成すんだ。漢字で「魚」に「交わる」と書いて鮫って読むでしょう?オスとメスで交わって子作りする事が由来とされているが、諸説あるね」

 「へえ」

 「そして彼らは胎生生物なんだが、卵生生物でもあるんだ」

 「どういう事ですか?」

 「我々哺乳類は胎盤があるでしょう?鮫は胎盤に似た器官があって、その中で卵を産んで、そして子供は親の胎内で孵化して育てられるの。だから臍の緒もある、この事によって卵胎生って呼ばれてる」

 流石は生物学専攻、博識だな。

 「中でもシュモクザメは交尾だけでなく単為生殖……メス一匹で子を成す事例も確認されているんだ。その子供は母体の遺伝子のみを受け継いで……ってうおおおおおおおおッ!」

 私の今後の為になるかどうかはさておき、有難いお話をしてくれていた紗奈さんが、突如奇声を上げて水槽へとへばり付き始める。

 始まったか……。

 「見たまえ恵子女史!シュモクザメがッ……シュモクザメがッ……」

 「セ⚫︎クスしてるんですね?」

 「そう!セ⚫︎クスしているんだよ!」

 ちっ……予め私が小声で言って、大声で叫ばれるのを阻止しようとしていたのに……わざわざ言い直しやがったぞ。

 「ひょえ〜ッ!たまんねぇッ!サメの交尾ではオスがメスの背ビレに齧り付き、体を固定して行われるんだよ!その事からメスの背中の皮膚はオスよりも厚いんだ!そしてなにより……サメのペニスは二本ある!」

 「ヘミペニスですか?」

 蛇やトカゲも確かペニスが二本あった筈だ。

 「よく覚えていたね恵子女史!勤勉!勤勉!アナタ、勤勉デスねぇッ!そう!ヘミペニスと同じで片方は予備として存在しているが、サメのこれは交接器……クラスパーと呼ばれている!」

 じゃあ大きな声でペニスとか言わないでクラスパーって言って欲しいんだけどな。

 説明を聞きながら、私は今のうちに彼女のカメラを持っていない方の手を掴んで自慰行為を未然に防いでおく。

 「見たまえ!オスがメスの身体をガジガジガジガジガジガジと!齧り付いて離さない!場合によっては交尾の際の噛み傷が原因で死んでしまうメスもいるらしい!正に!命懸けのセ⚫︎クス!あの傷は死と隣り合わせのキスマーク!そして生と死の狭間でこそ輝くクラスパー!きょえ〜ッ!二本のペニス凄い!二本凄い!二本万歳!二本万歳!」

 「愛国者みたいになってますよ」

 紗奈さんはやはり性的興奮を覚えているのか、足をモジモジとさせ、手を股間部に持って行こうとするので力づくでそれを阻止する。

 「止めてくれるな恵子女史!私はもうここで果てる!」

 「何言ってんだあんた」

 「頼む!もう我慢できないんだ!」

 「ダメです。せめてトイレでやってください」

 「その手があったか!」

 ちょうどそのタイミングでシュモクザメが交尾を終えたようなので、彼女はカメラを持ってトイレへと駆け込んでいった。

 騒がしい人だなあ。

 「あ〜、君」

 と、ここで突然館内スタッフの男性に声を掛けられてしまう。パッと見二十代くらいだ。

 「……な、なんでしょう」

 「君、あの人の知り合い?ちょっとアレ止めて来てくれるかなあ」

 やや困り顔をしたスタッフが、そんな事を頼んでくる。

 「えっ?」

 「いや、あの人声でかいからさあ……トイレから聞こえてくるんだよねえ……苦情来ちゃうし……」

 おいおい、ここでもバレてるのかよ……。

 「ほんと、ごめんね。よろしく」

 そう言ってスタッフのお兄さんはその場を去って行ってしまった。

 あの人……周りの人々の優しさや、運の良さで捕まってないだけなんじゃないか?

 「イグッ……!イグッ……!」

 「あぁバカ、イクなイクな」

 トイレの方から彼女の嬌声が聞こえて来たので、私は慌てて中に入る。

 「紗奈さん、外に声聞こえてます。抑えてください」

 私は彼女が入っている個室にノックをし、止めにかかる。

 「す、すまない……もう少しで……もう少しでイクから……イクッ……イクッ……」

 ちょっとお……。いや、もうこのままイカせてしまった方が早いか……。

 個室の中で何がどう行われているかは分からないが、便器がガタガタ揺れる音と、彼女の息遣いが響いてくる。

 ……はっ!いつの間にか私の真横に小さな女の子が立っている!まずい!ていうかこの子この間の迷子のヘルメスじゃないか!

 「へ、ヘルメス……」

 「しのざきひさしぶりー」

 と、迷子の状況下ではないせいか、割と落ち着いて私に返事をするヘルメス。

 「お、お母さんは?」

 「外でまってる」

 「そっかー……」

 「ねぇー、この人どこ行っちゃうのー?」

 すると、私の着ているワンピースの裾を掴んで、ヘルメスがそんな事を尋ねてくる。

 「えっ……えっと……『頂』……かな」

 「いただきー?」

 「その……『てっぺん』……だね」

 絶頂って言うしね……。

 「てっぺん?」

 「……一番上ってことだよ……」

 「お空に行っちゃうの?」

 「……そんな感じ」

 昇天とも言うしね……。

 「そっかぁ。がんばってね〜」

 と謎の声援を扉の向こうの紗奈さんに送るヘルメス。興味が失せたのか、そのままトテトテと可愛らしく歩きながらトイレから去っていった。

 「ふふっ……有難う少女よ……!さて、恵子女史……アッイク……ちゃんと声を抑えるから……ンイクッ……もう少し待っててくれないだろうか?」

 「はぁ……ほんとお願いしますよ。外出てますね」

 「すまない……オホッ……」

 オホッじゃねーんだよ。まったく……。

 とりあえず静かになった紗奈さんを置いて、私はまたシュモクザメのコーナーへと戻ろうとするが、見知った顔の人物を見掛けて立ち止まる。

 あれは……慎也さん?

 ツーブロック入りの金髪と、鋭い目付き……確かにあれは慎也さんだ。

 隣には、とても美人で落ち着いた雰囲気の大人の女性が立っていた。

 まさか逢引きか?

 「あれ、何してるんだろうね?」

 と、その女性が慎也さんに何か聞いている。

 彼女が指差した方を見ると、そこには交尾をしている先程とは別個体のシュモクザメがいた。

 いや、盛り過ぎだろこの水槽。

 「あ〜、セ⚫︎クスしてんだよありゃあ」

 と慎也さんがぶっきらぼうに答える。

 もうちょっと配慮した言い方があるだろ。

 「セッ……?ちょっと、もうやだ慎也君……恥ずかしいよ……」

 「あ?知らねえよ。生き物なんだからそりゃあするだろ」

 彼の発言に、顔を赤らめた彼女は少し俯き加減にそう言って、また慎也さんがつっけんどんに返している。

 なんだろう……慎也さんの態度が……少し邪険にしているような気がする。

 「そ、そうだね……」

 そう言って女性は少し笑って、再び水槽に視線を戻した。

 「でも……なんていうか痛そうだよね……ちょっと可哀想……」

 「……」

 「……慎也君?」

 何故か黙って、齧り齧られているシュモクザメの交尾を眺めている慎也さんは、彼女の声を無視してその場に立ち止まっている。

 「そりゃそうだよな……」

 「えっ?」

 ボソリと、彼は何か呟いたが、彼女には聞き取れ無かったようだ。

 すると慎也さんは踵を返して、出口の方に向かって……丁度私が立っている方に向かって歩き出してしまった。

 「やっぱ俺帰るわ……つまんねえ」

 「えっ?……ちょっと、待って慎也君っ……!」

 突然そんな事を切り出す慎也さんを追い掛ける女性。しかし、私と目が合ってしまった慎也さんは立ち止まる。

 「……ケーコ」

 「……こんにちは」

 彼は少し驚いた顔をしていたが、すぐに不機嫌そうな顔に戻り、私から目線を外してしまう。

 まだ短い付き合いだけど、彼は人の目を真っ直ぐ見る人だという印象がある。これまでに目を逸らされた事があっただろうか。

 「じゃな」

 それだけ残して、慎也さんは私の横を通り過ぎる。

 「待って!」

 再び彼を追いかけようとした彼女は、足元が疎かになったのかその場で転んでしまう。

 「きゃっ」

 慎也さんはほんの一瞬立ち止まり、やや振り返ってこちらを見たが、やはりそのまま立ち去って行ってしまった。

 私はすこし迷った後、彼女の側に駆け寄る。

 「ええと……大丈夫ですか」

 「えっ?……ああ、ありがとう」

 流石に不憫なので、彼女に手を貸して起こしてあげた。

 「えっと……慎也さんの、彼女さんですか?」

 「えっ?」

 立ち上がった彼女は、私の発言を聞くや否や、みるみる内に赤くなってしまう。

 「いや、私、そんなんじゃなくて……ただの、ただの友達……ですらなかったのかなあ……」

 しかし、言葉の最中にその顔から血の気が引いていく。先程の慎也さんの態度が原因だろう。

 「えっと私、篠嵜恵子って言います。慎也さんとは……その、友人……です。失礼ですけど、慎也さんとはどういう……」

 私はつい彼女にも不躾な興味を抱いてしまい、質問を投げ掛ける。彼女への興味というよりは、彼女を通しての慎也さんへの興味と言った方が的確か。

 「私は、飯島莉子。慎也君とは……高校時代の同級生で……彼、態度は悪いけど……とっても優しかった……凄く良い人だったの……それで私……」

 ポツポツと言葉を並べる彼女、飯島さんの目には、うっすらと涙が浮かび始めていた。

 「や、やだ私、何言ってんだろうね?初めて会った子に……ごめんね?」

 慌てて涙を拭い、顔を手で煽ぐ仕草をしながら彼女は作り笑いをして見せる。

 「いえ、質問したのは私なので……」

 この飯島さんは恐らく……慎也さんの事が好きなんだろう。

 色恋沙汰に疎い私でも、彼女の態度からそれくらいの事は察する事が出来た。

 「彼ね、いつも私にああいう態度を取るの……でも、ドジな私が困ってるとね、いつも助けに来てくれるの」

 私の中の慎也さんのイメージは、口調は荒いが誰とでも明るく気兼ねなく接する人だ。見知らぬ子供や、老人にさえそうだった。

 だが先程の彼女への態度は私の知らないものだった。そりゃあまだ会って日が浅いから、彼の別の一面があってもおかしくないのだが……。

 「慎也さんは、出会った時からそうだったんですか……?」

 「ううん、出会った頃は明るくて、いつも笑ってた。クラスのムードメーカーだったし……」 

 「そうですか……あ、すいません。あともう一個いいですか?」

 「なに?」

 これだけは聞いておかなければならない。この答え次第で、あの人の事が少しだけだけどわかる気がするのだ。

 「あの人……会う度何処か怪我してるんですけど……なんでなのかわかりますか?」

 飯島さんが彼の性癖を知らなかった場合に備え、私は嘘を絡めて質問を投げ掛ける。

 「うーん……慎也君は前から喧嘩っ早いから、喧嘩の傷だと思う。いじめっ子とか、地元の悪い人達とかといつも喧嘩してたし」

 彼女の言葉と態度を見るに、何か隠したりしている雰囲気は無い。まあ、完璧に推し量ることは出来ないが。

 現状、彼の性癖については伏せておくのが得策だろう。

 「そうですか……ありがとうございます。すいません引き留めちゃって」

 「ううん、大丈夫よ。……恵子ちゃんだっけ?慎也君とはよく会うの?」

 と今度は彼女の方から質問を投げ掛けて来た。

 「ええ、まあ。バイト先の店長と慎也さんが知り合いなので」

 「そうなんだ……ねえ、良かったら連絡先交換しない?」

 と、彼女はスマートフォンを取り出して、そんな提案をしてくる。

 「はあ、構いませんが」

 「彼、最近連絡返してくれない事も多いから……喧嘩とか危ない事してたら心配だし……慎也君がどうしてるかとか、偶にでいいから教えて欲しいの」

 「……わかりました」

 「ありがとう」

 連絡先を交換した後、軽く挨拶を交わして飯島さんは出口に向かって歩いて行ってしまう。その背中は、凄く悲しそうに見えた。

 後で軽く慎也さんに探りを入れておくか。

 「いやあ、お待たせ恵子女史。すまなかったね」

 あ、忘れてた。

 声のした方を見やると、丁度紗奈さんがトイレから出て来た所だった。

 「……」

 「ん?どうかしたかね恵子女史」

 彼女にも彼の事を聞いてみようかと思ったが、今はやめておくか。

 「……いえ、なんでもありません。次の交尾見に行きましょう」

 「おっ!乗り気だねえ。そんなにセ⚫︎クスが見たいかい。そうだよねぇ、そりゃそうだ」

 うんうんと唸りながら彼女はとても嬉しそうだ。

 「バカ言ってないで行きますよ」

 「よしきた!次はエイを見に行こう。エイもサメ同様卵胎生な上に交尾をするんだ。更に彼らも二本のペニスを有しており、互いの裏面を重ね合わせて……」

 解説を始める紗奈さんを他所に、私は飯島さんが去って行った方を振り返る。

 もし、彼女が慎也さんの性癖を知ったとして……幻滅し、嫌悪感を露わにして拒絶するだろうか。それとも、全てを受け入れるだろうか。

 受け入れたとしても、彼の欲を満たす為の行いを成せるのだろうか。

 もしかして慎也さんは……彼女に拒絶される前に、彼女を拒絶しているのではないだろうか。


 嫌悪され、排斥されるのが異常性癖者の常であると、椅子の中の彼は言っていた。

 それらへの防御手段は、ひた隠しにするか、開き直るか、はたまた……人との関係を断つかだ。

 どれが正解とか不正解とかはないのだろうけど、拒絶されない為に拒絶するなんて、なんだかとても寂しくて、悲しい生き方だと、思ってしまった。

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