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第二章 迷子の迷子のヘルメスちゃん

 翌日、学校をいつも通り適当にやり過ごして、アルバイトも終えた私は帰路に着いていた。現在時刻は二十時過ぎ。

 今日は嘉靖さんからお土産を貰ってしまった。何でも良い緑茶が手に入ったとかで、お裾分けって事で可愛らしい風呂敷に包んで持たせてくれた。今度何かお礼をしなくちゃなあ。

 なんて事を考えながら歩いていたら、突然後ろから声を掛けられた。

 「お〜い!ケーコ!」

 昨日聞いたばかりのその声の方に振り向くと、慎也さんがこちらに駆け寄って来る所だった。

 「……こんばんは」

 「おうこんばんは……じゃねえや。おい、ちょっと助けてくれ」

 「はい?」

 なんだか彼は困った様子でこちらを見ている。なんだろう。

 そこで私は彼が今来た方向に、一人の少女がいる事に気が付いた。

 小学校低学年くらいだろうか?二つ結びの可愛らしい女の子が歩道の端っこに立っているのだが……なんか泣いていないか?あの子。

 「あの女の子絡みですか?」

 と私は背の高い彼を見上げて尋ねる。

 「ああ……こんな時間にあんなガキが一人で突っ立って泣いてっからよお、たぶん迷子かと思って声掛けたらもっと泣かれちまった。助けてくれ」

 「あー……」

 確かに、私も幼い頃に迷子になって突然こんな見るからに怖い人に声を掛けられたら逃げ出しちゃうかもなあ。昨日の傷もまだ痛々しく残ってるし……。

 ていうか迷子の子供の面倒とか見るんだこの人……。

 「女のおめーの方がまだ何とかなるだろ。頼む」

 「はあ……まあ、分かりました」

 正直子供の相手は苦手なのだが……いや、子供じゃなくても人付き合いが得意じゃないんだけどね……まあ仕方がないか。

 「……どうかしたの」

 私はとりあえず少女の前に立ち、声を掛けてみる。

 「うっ……うっ……だあれ……?」

 ぐずりながら少女は私に聞き返してくる。質問に質問で返すんじゃないよまったく。

 「篠嵜です」

 「なんで苗字なんだよ」

 と、やや後ろに控えている慎也さんがツッコミを入れる。うるさいな、黙って見ていろ。

 「……うっ……あたし……ヘルメス……」

 ヘルメスちゃんかー……ゴリゴリの日本人顔だが……まあキラキラネームってやつだろう。今時珍しくもないか。

 「……そう……それでヘルメス、どうしたの?迷子?」

 「……うん」

 まあそうだろうな。

 「……ヘルメスは……たびびととか、こーつーのかみさまなんだって……だから、ヘルメスが道に迷わないようにって……ママが付けてくれたの……」

 と、突然自身の名前の由来を語り始めるヘルメス。子供は文脈とか流れとか考えずに会話を振るからな、厄介だ。

 「そっか、でも迷ってんじゃん」

 「わァ…………ぁ……」

 「泣いちゃった」

 「おい!何泣かせてんだおまえは!」

 と、再び慎也さんにツッコミを入れられてしまう。

 しまった。思わず口に出してしまった。

 「いや、落ち着いて。とりあえず泣き止んで」

 「うぇぇぇぇぇぇッ!!!」

 宥めようと試みるが、泣き叫び始めてしまうヘルメスちゃん。どうしよう困ったな。

 こんな場面を近所の人に通報されて見ろ、慎也さんの見た目も相極まって即逮捕だ。なんとかしなければ。

 「ヘルメス、泣き止みなさい。ほら、早く泣くのを止めて。早く泣き止め」

 とりあえず彼女の肩を掴んで揺らしながら言い聞かせてみるが。

 「びぇええええええッ!」

 「お前ヘタクソかッ」

 ヘルメスを更に泣かせてしまった私を見るに見かねた慎也さんがこちらに駆け寄ってくる。

 仕方がないじゃないか、子供の扱い方なんて知らないし。

 「よぉし、もう大丈夫だぞヘルメス。にーちゃんが助けてやるぜ」

 「ぁあああああああッ!ごわい〜ッ!ママ〜ッ!」

 ビシッと決めたつもりの慎也さんが再び接触を試みたがダメだ、なんか半狂乱になってしまった。

 「やべぇな……どうすっか、とりあえずベロベロバアでもしてみっか?」

 と慎也さんは困り果てながら打開案を提示してくれるが、私は冷静に分析を開始する。

 「いえ、今の時代、子供はスマホで幾らでも面白いコンテンツを見る事が出来る環境にあります。そんな子供騙しでは無理でしょう」

 「ならどうする⁈」

 「コントとか漫才とか」

 「即興で出来るのか⁈」

 「出来ませんけど」

 「じゃあ言うんじゃねえよ!」

 何だこの人は、自分の事を棚に上げて怒鳴りやがって。

 まあ仕方がない。ここは伝家の宝刀を抜くとするか。

 私は再度彼女の前に立ち、見下ろしながら声を掛ける。

 「ヘルメス、よく聞きなさい」

 結局子供騙しになってしまうが、私が子供の頃に好きだった話をしてあげよう。

 嘉靖さんから貰った茶葉の箱が包まれた風呂敷を解き、アスファルトの上に広げて、私はその上に正座する。

 「え〜コホン……我々が住むここ東京は、日本の首都で御座いまして、その東京内にある防衛省が置かれたる町は?と言いましたら、市ヶ谷だと皆様方もお答えなさる事でしょう」

 「は?何やってんのお前」

 お控えなすって慎也さん。やかましいですよ。

 「そんな市ヶ谷の辺りに番町と呼ばれる町がありまして、今から聞いて頂きますのは、江戸時代の番町のお話で御座います……え〜昔、火付盗賊改、青山播磨という名の旗本が住んでいるお屋敷に、お菊という名の下女が奉公していたんです」

 「は?なに、落語?『お菊の皿』?怪談?なんで?」

 「いや、夏なので」

 「お前あったまおかしーんじゃねーの?」

 「びえええええええッ!」

 あれ?おかしいな。私の渾身の初落語だったのに。ちょっと泣き止んで私の話を聞く雰囲気になってたのにまた泣いちゃったぞ。

 この話好きだったんだけどなあ、オチもスッキリしてて笑えるし。オチに着くだけに彼女も落ち着いてくれると思ったのだが。

 「ええと、ああ〜ちくしょう!どうすりゃいいんだ!」

 「うぇええええええッ!」

 「落ち着けヘルメス!大丈夫だ!俺怖くないから!悪いやつじゃないから!」

 「ママぁああああああッ!」

 「お菊は「お皿がいちま〜い……にま〜い……」と」

 「お前それやめろ!」

 慌てふためく慎也さんと、泣き叫ぶヘルメス。そして冷静に的確に対処しようとしているが、何故か上手い事行かない私を含め、この場は段々と収集が付かなくなって行く。

 どうしたら……。

 「何やってんのケーコちゃん……」

 と、そこで不意に背後から声を掛けられた。

 そちらを振り向くと、そこに立っていたのはなんと私服姿のエイミーだった。

 半袖Tシャツと丈の短い体操着の下履きみたいな……名前はわからないがとにかく短パンを履いたラフで何処となくエロい格好で、微妙な表情をその可愛らしい顔に浮かべていた。

 「エイミー、何でここに」

 「いや、コンビニの帰り。ケーコちゃん見掛けたから声かけようと思ったんだけど、知らん人といたし……なんかおんなのこ泣かせてるし……」

 確かに、彼女の手にはビニール袋がぶら下げられている。どうやら一部始終を見ていたようだ。

 「子供を泣かせていた訳じゃない。泣き止ませようと思ったらこの子が何を勘違いしてるのか勝手に泣き出しただけ」

 「いや、見てたけどケーコちゃんが悪いとおもうよ……」

 なんだエイミーまで失礼な。

 「おい、おまえケーコのダチか?悪いけどなんとかならねーかこれ」

 と側から見ていた慎也さんがエイミーに頼み込む。

 「ええと……はい、なるだけやってみます」

 そう言って彼女は、ヘルメスの前に屈み込むと顔を合わせて話し掛けだした。

 「ヘルメスちゃんだっけ?だいじょぶそ?こわかったよね〜」

 「うっ……うっ……うん」

 笑顔で接するエイミーに、少し泣き止んで頷くヘルメス。

 「ごめんね〜、このおねーちゃん笑わないからこわいよね〜」

 「うっ……うん……しのざきこわい……」

 なんだと、怖がられていたのか。

 「あたしはエイミー。一人でこわかったね、おうちの場所わかる?」

 エイミーは自己紹介と質問がてら、短パンのポケットから取り出したハンカチで彼女の涙を拭いてあげている。

 「わかんない」

 「だよね〜。じゃあさ、おうちの近くの公園とかは?いつも遊んでるとこ、わかるかな?」

 「……ゾウさんこうえん……」

 おお、エイミーは子供の扱いが得意なのか。早々にして泣き止ませた上に家の大体の位置情報まで割り出したぞ。

 「ぞーさんこーえんって言ったら……」

 顎に手を当てて該当する公園を考えるエイミー。

 「ここら辺だったら新中川の土手沿いの所じゃねえか?ほら、保育園が隣にある」

 「ああ、団地んとこかな」

 慎也さんの言葉に、ポンと手を叩いてエイミーが反応する。

 確かにあそこの公園には象を模した滑り台が真ん中に置かれていた筈だ。私が子供の頃から地元の小学生にゾウさん公園と呼ばれていた気がする。

 「ここかなあ?」

 と、エイミーがスマホで検索した公園の画像をヘルメスに見せてあげている。

 「ここ!」

 「よしきた!」

 どうやら当たりのようだ。先程まで泣き顔だったヘルメスが、今は笑顔で頷いている。

 とりあえずその公園まで連れて行けば、帰り道や、少なくとも家の方角くらいは分かるだろう。

 やるなエイミー。ものの数分で状況を改善させてくれたぞ。

 「助かるよエイミー。子供は頭脳がまだ発達してないから、私とは噛み合わなかったみたい。エイミーは上手く噛み合っているみたいだから良かった。ありがとう」

 「え?それお礼ゆってんの?バカにしてる?」

 「褒めてるんだよ」

 「え〜?ならいいけどさ……それじゃ、ぞーさんとこ行こっか?」

 私の発言に眉を顰めながら、エイミーはヘルメスの手を取り歩き出す。

 「うん!」

 元気に返事をするヘルメスを見やるに、一先ずは安心かな。また泣かれても困るし、とりあえずは彼女達の後ろを歩く事にしよう。


 その後二十分程掛けてヘルメスを件の公園まで連れて行くと、帰り道が分かったらしく意気揚々と歩き出した。とりあえずは家まで送って行った方がいいだろうという事で、私達もそれに着いて行く。

 歩きながらエイミーがヘルメスとお話をしてあげている内容から察するに。どうやら放課後に友達とゾウさん公園でかくれんぼしていたらサロンの方まで来てしまい、道が分からなくなってしまったんだそうだ。

 子供の足でよくあんな遠い所まで来たものだ。まあヘルメースは旅行とか行商、交通を司る神様だから、その辺の加護が働いたのだろう。

 まあ嘘だけどね。実際迷ってるし。

 「ヘルメス!」

 暫し歩き、曲がり角を過ぎた所で辺りをキョロキョロと見渡していた女性が、こちらに気が付いて駆け寄って来た。恐らく母親だろう。

 「ママっ」

 エイミーと繋いでいた手を離し、ヘルメスも母親に向かって走り出す。

 「もう!何処行ってたのこんな時間まで!心配したんだからね!」

 「ぅぇええええん!ごべんばざい〜……!」

 親子で熱い抱擁を交わした後、感極まってヘルメスがまた泣き出してしまう。

 「えっと……貴方達は……」

 と母親が私達に気が付いて、声を掛けてくる。

 「うう……みぢわがんなぐでぇ……だずけでぐれだの……」

 涙でグズグズのヘルメスが母親に説明し、母親は直様こちらに向かって頭を下げて来る。

 「ご迷惑をお掛けしてすいません……!本当に、本当にありがとうございます」

 「いえいえ〜、無事帰れてよかったです」

 と人当たりの良いエイミーが手を振りながら答える。ここは彼女に任せて置こう。

 「ほんと、なんてお礼を言ったら良いか……ほら、ヘルメス。ちゃんとお礼を言いなさい?」

 泣き止み始めたヘルメスは、そう促す母親の腕から離れ、ぎこちなくペコリとお辞儀をする。

 「……エイミーちゃん、しのざき、ありがとう……」

 「えへへ〜、どーいたしまして」

 と嬉しそうにエイミーがヘルメスの頭を撫でてやっている。

 慎也さん、完全に存在を消されているな。まぁ怖かったしね。……あれ?

 気が付くと、慎也さんの姿が見当たらない。何処へ行ってしまったのだろうか。


 その後、お礼をしたいから名前と連絡先を教えて欲しいと母親に頼まれたがそれを断り、私達はヘルメスとお別れをして来た道を戻った。

 「いやぁ〜よかったよかった」

 「……人騒がせな子供だったね」

 「そんなことゆわないの〜……あれ、ていうかあのおにーさんは?」

 慎也さんの姿が見えない事に気が付いたのか、エイミーを辺りを見渡し始める。

 「よお、終わったか」

 すると、近くの電柱の影から慎也さんが姿を現した。

 「何やってたんですか慎也さん」

 「いや、俺が居たらあの母親も心配すっかなって。だから隠れてた」

 「そうですか」

 気を使ってくれてたんだな。見かけによらず優しいなこの人は。……お金には適当だけど。

 「エイミーだっけか?助かったぜ。あとケーコもな」

 慎也さんに礼を言われたエイミーは、先程のように手を振って謙遜する。

 「いやいや、ただ通りかかっただけっすから」

 「いや、ほんとありがとな。俺一人だったら通報されて捕まってたぜ」

 本当にね。

 「よし、お前らこの後時間大丈夫か?メシ奢るぜ」

 と、ここで慎也さんがそんな提案をして来る。

 「いや、ぜんぜんそんなっ。気にしないほーこーで!」

 とエイミーは遠慮するが、私は行く気満々だ。

 「エイミー、ここはお言葉に甘えよう。私はこの人にお金を貸していて、まだ返してもらっていないからその分を払ってもらう」

 「ええ……?どーゆー関係?」

 と困惑気味のエイミーだったが、結局私と慎也さんに押し切られ、着いて行くことにしたようだ。

 「この近くにうめぇ所があんだよ」

 そう言って歩き出す慎也さんに着いて行き、十分程すると、件のお店が見えて来た。

 『北海道料理店 らうす』と書かれた木製の立派な看板を掲げるそこは、木造建築の立派な居酒屋だった。土手沿いの住宅地に隠れ家的にひっそりと構えたその店は、見るからに値が張りそうだが……。

 「ここ、高いんじゃないんですか?」

 と私は慎也さんに念の為尋ねておく。

 「モノによるな。定食とか選べばすげー得だぜ。刺身はこの辺だったらここが一番うめーし、コスパは良い」

 「そうですか」

 「それに金入ったばっかだから気にすんな。好きなもん食え」

 そう言って笑うこの人の腕を見やると、確かに昨日の傷の他に新しい痣が増えている気がする。その刺されたばかりの包帯だらけの右手で裏格闘技の試合に出たのかこの人……。

 「休んで下さいって言った筈ですけど」

 「ん?ああそういえばそうだったな。忘れてたぜ」

 「まったく……」

 もう治療費は肩代わりしてあげないぞ。

 そんな会話をしながら店内に入った私達は、座敷の席へと案内される。店内の柱や壁、テーブルに至るまで全て木が使われており、メニューの裏に書いてある店内説明曰く、この店は北海道で切り出した木を此処に運んできて建てられたんだそうだ。とんでもないな。

 「ほら、好きなもん頼め」

 ドシっと胡座をかいて座る慎也さんは、私達にメニューを手渡してそう言った。

 「じゃあ鱈場蟹を」

 「よしきた」

 「まってまってケーコちゃん、ヤバイよカニは高いよカニは」

 半ば冗談で言った私に対して、エイミーが慌てた様子で止めて来る。

 「おい大将、タラバガニくれ!でけーの頼むぜ」

 がしかし、間髪入れずに慎也さんが注文してしまった。

 「ケーコちゃん!」

 「いや、冗談だったんだけど」

 まさか本当に頼んじゃうとは。

 「まぁそんな遠慮すんなよ。今なら金持ってっからよ」

 と慎也さんは笑いながら言う。まぁ遠慮し過ぎるのも失礼か。

 「まあ……そーゆーことなら……」

 とエイミーもおずおずと返事をする。

 その後、慎也さんは生ビール大ジョッキを何故か二つ頼み、私達はガラナジュースを注文する。

 「そんじゃ、ヘルメスの無事な帰宅を祝して……かんぱい!」

 「カンパーイ!」

 「……乾杯」

 慎也さんの謎の音頭に合わせ、私達はグラスを重ね合わせる。

 彼はそのままの流れで生ビールを一気飲みしてしまった。成る程、だから二杯頼んだのか、豪快だなあ。

 「さあどんどん食べてくれ」

 ドリンクに合わせて、慎也さんがあれやこれやとドシドシ注文しちゃったので、テーブルの上は大変な事になっている。

 鱈場蟹を中央に置き、その周りには螺貝の煮物、鰊の焼き物、帆立のバター焼き、刺身の盛り合わせやザンギなど、様々な北海道料理が所狭しと並んでいる。

 まさか迷子の子供が無事に家に帰れた記念でこんな晩餐あり付けるとは思わなんだ。ヘルメスには感謝しないといけないな。

 私達は暫し目の前の料理に舌鼓を打つ。確かにどれもこれも美味しいな。刺身の鮮度なんて抜群で、これに慣れるとスーパーの刺身が食べられなくなるかも知れない。

 む?隣の席の御老体が、御手洗いに行こうとしたのか、立ち上がって座敷から降りようとしているのだが……フラフラして危なっかしいな。

 「ばーさん。掴まんな」

 と、そこで気が付くと慎也さんがそのお婆さんを手助けしてあげている。

 「あら、ありがとねぇ……」

 「気にすんな」

 礼儀は欠いているが、まぁ椅子の中の彼や紗奈さんの言う通り良い人なんだろうな。でなければ迷子の子供なんて放っておくだろうし。

 「そーいえば、シンヤさんとケーコちゃんってどういう知り合いなんすか?」

 と、気が付けばかなりの量の蟹を、自分の取り皿に移して独占しているエイミーが私達に問い掛ける。

 さっきまでの遠慮は何処行ったんだ。

 「あ〜……ケーコを雇ってる奴が俺のダチなんだよ」

 少し言い悩んだ後、慎也さんが説明し始める。

 「ああ!椅子のひと?」

 「なんだおめー、あのド変態の事知ってんのか」

 「え?どへんたい?」

 げ、まずい。

 エイミーは私の雇い主が「ただの椅子職人」だと思っているのだ。嘉靖さんと偶然会った際に、そういう方向で話を合わせたのだが、ちょっとおバカなエイミーは何故か「椅子職人」では無く「椅子の人」と言ってしまった為に、慎也さんに異常性癖の事まで知っていると勘違いされてしまったのたま。

 エイミーも突然出て来た「ド変態」という単語に固まってしまっている。

 「あ、あの慎也さん……」

 「ケーコも大概変わりもんだよなあ、「私の上に座ってくれないか?」なーんて誘い文句に普通乗るかね?」

 待て待て待て待て。

 「あいつの上に座ってるおまえも案外嫌じゃなさそうだしな。実は結構サド寄りなんじゃねーのおまえ」

 私の制止も叶わず、ペラペラと我がバイト先のヤバいところを喋ってしまう慎也さん。

 「「あいつに座る」……?「サド寄り」……?「ド変態」……?」

 あ〜やばい。エイミーが完全に変な勘違いをしてしまっている。……いや、勘違いじゃ無くて事実か。私がサドかどうかは分からないけど。

 「え?なに?ケーコちゃんのバ先の人って、椅子作ってるんじゃ無くて椅子になりたい人だったの……?」

 と困惑気味のエイミーが私に向かって尋ねてくる。

 「いや、その違くて……椅子になりたいんじゃなくて、自分が椅子の中に入って私に座って欲しいからそれ用の椅子を作ってて……いや、もうこれ殆ど違くないか……違くないんだよなあ……」

 もうダメだ……。誤魔化せない。

 「え?なに?SMクラブ?店長さんがドMの店で働いてるの?」

 「ちげーよ、ドMは俺だぜ?」

 「えっ?えっ?」

 状況を把握出来ていない慎也さんはキョトンとした顔を、そんな彼に突然カミングアウトされたエイミーは更に混乱を極めている様子だ。

 もう説明するしかないな……。

 「えっとねエイミー、実は……」


 結局私は、異常性癖者が集まるサロンの事、バイトの業務内容の事等をエイミーに打ち明ける事となってしまった。

 「……って感じです、はい」

 説明を終えた私は恐る恐るエイミーの様子を伺う。

 大丈夫だろうか、ショックを受けていないだろうか。

 「いやあ、椅子の人って言うから俺はてっきり……いや、マジで悪かったケーコ」

 と状況を理解した慎也さんが頭を下げて謝ってくる。

 「いや、いつかは彼女に話そうと思ってたので、気にしないで下さい」

 慎也さんに顔を上げさせ、再度エイミーの顔を見やる。

 驚いた顔をしているが……これは、どうなんだ。

 「へぇ〜……そっか。だからケーコちゃんは私にドン引きしなかったんだ……」

 だが、意外にも彼女は落ち着いており、何やら納得した御様子だ。

 「そーゆーことなら良かった……ケーコちゃんがそのバイトしてくれてて」

 私の予想に反して、彼女はこちらに笑顔を向けて来た。

 「……どういうこと」

 私は尋ねる。

 「いや、そういうバイトして慣れてたから、あたしにドン引きしなかったって事っしょ?」

 「そういう訳でもないんだけど……引かないの?」

 「引かないっしょ。逆にこっちのがいつドン引きされて見限られるかってヒヤヒヤしてるっつーの」

 とやや自重気味に答えるエイミー。

 そうか……彼女はまだそんな気持ちを抱えて私に接してたんだな。

 「なんだ、おめーもなんかの異常性癖?」

 とこちらもやや驚いた顔の慎也さん。

 「はい……露出の方を少々……」

 と、エイミーは照れ気味にそう答えた。なんかお見合いとかで「ご趣味は?」って聞かれた後の人みたいだな。

 「へぇ〜、じゃあついこの間までこの辺で出没してたのってお前か」

 「は、はい……それでなんやかんやケーコちゃんに見つかっちゃって……それで今はケーコちゃんにその……見てもらってるって言うか……」

 モジモジしながらボヤッとした感じで答えるエイミー。

 「なるほどねぇ……エイミー、そいつは運が良かったな」

 彼女の言葉を聞いて、慎也さんはニヤリと笑って言った。

 「例の椅子野郎が言ってたぜ、ケーコはそいつの性癖話を聞いても、「驚いてはいたけど、拒絶も嫌悪もしなかった」ってさ。だから、例えケーコがあの変態の上に座ってなくても、お前にドン引いたりキモがったりはしなかっただろーよ」

 おお、慎也さんが私が言いたかった事を代弁してくれた。出来る人じゃないか。お金にはだらしがないけど。

 「それに、今はケーコが手伝ってくれてんだろ?嫌ならやんねーだろ普通」

 「……そっか……そっかあ、えへへ」

 彼の言葉を聞いて、嬉しくなったのかエイミーが私に寄りかかって来る。ちっ……可愛い面しやがって。

 「なに、邪魔」

 「えへへ〜、照れてんの?」

 「は?違うが?」

 「かわいい〜」

 「っぜぇー」

 まったく、このバイトの話がバレた時はどうなる事かと思ったが、心配して損したなあ。

 「まあなんだ、エイミーも暇な時にこいつに着いて来てサロンに来てみろよ。似たようなのがいっぱいいるからよ」

 と煙草に火を付けた慎也さんがエイミーにそんな事を言う。

 確かに、今後の事を考えたらその方が良いかもな。私だけでは彼女の性癖の事を理解し切れない部分があるかもしれないし。

 「はい、今度お邪魔しますね!」


 こうして、エイミーは人間椅子倶楽部との繋がりを持ったのだった。

 しかし、自分でも驚いた。

 彼女に嫌われたくない、なんて感情が出てくるだなんて……そして彼女が同じ気持ちで居たことも……。

 案外私もそういう面が備わっていたんだと、少し安心した。

 まあ、この子には絶対に言ってやらないけどね。

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