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第二章 サディスティックチンピラマゾヒストとの邂逅

挿絵(By みてみん)

 その日の放課後、私はアルバイトがあるのでエイミーと別れ、サロンへと向かう。

 うちの高校から歩いて十分程の場所にあるその通りは、表の通りから見て一本裏にあり、薄暗くてなんとなく不気味だ。

 そういう所に巣食うのは、日向を顔を上げながら歩けない者、日陰を好む者だ。あのサロンだってそうだから、こんな路地に拠点を構えたのだろう。

 しかし、陰に潜んでいるのは何も異常性癖者だけではない。不良や半グレ、そして極道だ。

 ここ江戸川区は二十三区内でもかなり治安の悪い地域で、足立区と並んでとにかくチンピラが多いのだ。


 彼もその一人だった。でもその他大勢のチンピラと違う所は、殴るだけじゃなくて、殴られる事も好きな所だった。


 「ざけんじゃねぇッ」

 「死ねオラァッ」

 サロンまで後一、二分といった所で、ビルとビルの間から怒声が響いて来た。

 なんだろうか。とそちらに目をやると、何やら多種多様なチンピラが四人程騒いでおり、たった一人の男に拳や蹴り、又は金属バットで以って群がっている様が目に映った。

 喧嘩……いや、リンチか?触らぬ神になんとやら、ここは知らぬ存ぜぬで……と行きたいが、流石に警察くらいは呼んでおくかとスマートフォンを取り出した所で、フッと足元に影が刺した。

 ん?なんだ?

 「お嬢ちゃんさあ、何やってんの?」

 背後からゾッとするような声がして、恐る恐る振り返るとそこには、身長が百九十センチはありそうな大男が立っていた。見るからにヤバい。チンピラだ。

 目だ……とにかく目がヤバい。平気で他人を傷付けることが出来る人間の目だ。他人を殴っても痛みを感じない人間の目だ。

 「いや、あの……」

 恐怖で震えが来て、冷や汗がダラダラと出てくる。心臓が煩くて自分が声を出しているのかどうかも分からなかった。

 「なんか、ポリに電話しようとしてた?ダメでしょそんなことしちゃ」

 ガサガサの、不快な声だ。金属板を爪で引っ掻くような、恐ろしい声。その声でそう言いながら、大男が私の腕を掴んだ。

 痛いッ!

 でも、恐怖で振り解く事も、抵抗する事も叶わない。

 「おっどうしたんすかその女」

 「めちゃかわじゃんすか」

 すると、リンチが終わったのか、奥にいたチンピラ達がゾロゾロと此方にやってくる。

 「JKかぁ若すぎね?」

 「いや関係ねっしょ。そっちのが金になんじゃね?」

 「君ぃ、名前とがっこー言えるー?」

 私に向けられた彼らの目という目は黒く濁っていた。人を傷付けて、食い物にして、平気で笑って生きていけるように澱みを溜めているように思えた。

 だ、誰か……。

 「とりあえず俺たちと一緒に来ようかぁ……おもしれーところガッッッッ⁈」

 突然、私の腕を掴んでいた大男が後ろに吹っ飛んだ。

 何故かというと、先程リンチされて伸びていた男が、いきなり立ち上がってこちらに向かって走って来て、大男に飛び膝蹴りを喰らわせたからだ。

 華麗に着地した男は、私を抱き寄せ、後ろ側へと退がらせる。

 ツーブロックの入った短めの金髪。耳に付けたピアスがジャラジャラと光り、黒いタンクトップから覗く腕には無数の傷。

 何を隠そう、サディスティックチンピラマゾヒストの桃瀬慎也だった。

 「て、てめぇッ」

 「何してくれてんだッ」

 「あんだけボコボコにしたのにまだやんのかッ!」

 彼を前にしてチンピラ達は見るからに怯んでいる。無理もない、彼の真後ろにいる私から見ても、何故立っていられるか分からないくらい怪我をしているからだ。

 肌が見える所だけでも、打撲痕やその他の傷が幾つも確認できる。

 「よおケーコ、奇遇だな」

 しかし、慎也さんはやや振り返って余裕綽々と言った風に挨拶をかましてくる。

 その顔も痣だらけで、鼻や口から血を流している。

 「し、慎也さん……け、怪我……血……」

 「あ?……ああ、これね。問題ねえよ」

 慌てふためく私に対し、彼はなんでもなさそうにそう言い放つ。

 いや、問題あるだろ。

 「効きやしねえよこんなもん……【愛】がねえからな」

 いや、理由になってない。

 何を言ってるんだこの人は。

 「てめぇこら、こいてんじゃねえぞ」

 ここで、先程蹴り倒された大男が立ち上がり、あからさまに敵意を露わにする。今にも飛びかかって来そうだ。

 「お前らこの辺で有名な暴力大好きチーマーだって聞いて殴られに来てみれば、とんだ期待外れだぜ」

 複数人のチンピラを眼前にして尚、堂々とした態度を取る慎也さん。

 「はあ?なに言ってんだおめー」

 そんな彼に対してチンピラは眉を顰める。

 本当にこの人は何を言ってるんだ。殴られに来た?

 「まあいいや。とりあえずその嬢ちゃんには手ぇ出すな。俺の事ならいくらでも殴ってくれて構わねえからよ」

 「ざけんなっ!てめえボコボコにして、その女掻っ攫うに決まってんだろが!」

 大男の言葉を皮切りに、取り巻き達も一斉に慎也さんに襲い掛かる。襲い掛かるが……目の前で驚くべき事が起きる。

 慎也さんは、先ずバックステップで距離を取りつつ、大男の顎を正確に拳で打ち抜いた。金属バットを横に大振りするチンピラの攻撃をしゃがんで避け、倒れる大男に躓いて足元が疎かになるチンピラ二名を足払いで転ばせた後、立ち上がる勢いでバットの男の顎に頭突きをお見舞いし、バットを奪うと躊躇いなく転んでいた二人に振り下ろした。

 鬼神の如き体捌きと、その鮮やかな暴力に私だけでなく、残り一人となった相手のチンピラも狼狽えている。

 「て、てめぇえええええ!!!」

 叫び声と同時に、彼は懐から何かを取り出す。

 路地に差し込む陽光を受けて怪しく光るそれはナイフだ。鋭利な果物ナイフを抜いたのだ。

 「っあああああああ!!!」

 そして、慎也さん目掛けて絶叫しながらナイフを振り下ろす。

 「慎也さんっ」

 私も思わず叫んでいた。切られたり、刺されたりでもしたら勿論危険だ。しかし、彼は予想の斜め上の方法でそのナイフを止めて見せたのだ。

 「ッ!!!」

 私は思わず、声にならない声を上げてしまう。

 掌。

 手のひらだ。彼は振り下ろされるナイフに合わせて、右手を広げて待ち構えたのだ。無論、刃は彼の掌を突き抜ける。しかし、そのままナイフごとチンピラの手を握り込んで見せた。

 「捕まえたぜ」

 ショッキングな光景に思わず目を閉じてしまった私の視界に最後に映った物は、左腕を大きく振り上げた慎也さんだ。

 「ウグッ……」

 鈍い音と短い悲鳴が路地に響いて、恐る恐る目を開けると、ナイフの男は地に伏していた。

 恐るべき事に慎也さんは、ものの数秒で大の男を五人まとめて制圧してしまったのだ。

 「お前、良いね。気合い入ってるよ」

 そう言って慎也さんは、ナイフが刺さったままで目の前に伏せる男の髪の毛を掴んで顔を上げさせる。

 「お前名前なに?俺、桃瀬慎也。ダチんなろうぜ?」

 「は……はあ……?」

 訳の分からない事を言われて、倒れた男は困惑している。無理もない、私だって彼が何を言ってるのか分からないからだ。

 「やっぱさあ、喧嘩するならダチになってからじゃねーとダメだよな?ダチんなって、仲良くなってさあ……そんでまたこうして殴り合ったら……サイコーにきもちーと思うんだよ」

 そう言って笑っている彼の目にはギラギラとした凄味があった。

 まだ会って日も浅く、慎也さんの人となりをよく分かっていない私でも分かる事がある。

 この人は、冗談も嘘も言っていない。

 本気だ、本気なんだ。それだけは分かる。

 だけど何でだろう……その笑顔に違和感を覚えるのは……。だが今はそんな場合じゃない。

 「ひっ……ひぃぃぃッ!勘弁してくれッ」

 ナイフ男は悲鳴を上げながらまた地面に顔を伏せて、亀の様に背中を上に向けて丸まってしまう。理解の及ばぬ相手に、恐怖したのだ。

 「なんだよつれねーな。お前は?タッパもあるし、ガタイも良いな。ダチになろうぜ?」

 今度は大男の方に近寄る慎也さん。

 「ひっひぃっ!に、逃げるぞッ」

 しかし、大男の声を皮切りに、弾かれたように逃げ出すチンピラ達。それを見送りながら立っている慎也さんの背中が、なんだか寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。

 「ちぇっ……まあいいか」

 舌打ち混じりにそう呟きながら、彼は手に刺さったナイフを引き抜き、その辺に捨てた。見てるこっちが目を逸らしたくなる様な光景なのに、彼の表情は一ミリも動いていなかった。

 「よお、悪かったなあ巻き込んじまって。怪我はねえか……ってうおっ⁈」

 気が付くと私は、話し掛けてきた彼の腕を掴んで表の通りの方へと引っ張りながら歩き出していた。

 「おいおいどうしたケーコ。どこ連れてく気だ?」

 「……病院です。確かすぐ近くにあった筈です。早く治療をしないと……」

 「病院?良いよこんくらいなら、唾つけときゃ治るぜ」

 「良くありません」

 気の抜けた返事ばかりする彼に、私は少し強い口調で返す。

 「お、おお……」

 気圧されたのか、彼は微妙な返事をした後、私に為されるがままとなった。


 サロンから程近い場所にあるその整形外科は、どうやら慎也さんの行き付けの場所らしく、医者は彼の様子を見るや否や「またか〜」と呆れた様子で言うと、慣れた手付きで治療をし始めた。

 私が大怪我だと認識しているこれは、彼と医者に取っては茶飯事らしかった。

 「先生言ったよねえ、ナイフとか包丁で刺されたら自分で抜いちゃダメだってさあ」

 「こんくらい自分で縫えるぜ」

 「雑菌とか入ってたらやばいよ〜?まあ大振りじゃ無かったみたいだから縫わなくても消毒と軟膏で行けるかな〜」

 と医者と慎也さんは気の抜けた雰囲気で会話を繰り広げている。なんなんだ一体。

 「君〜、慎也君の彼女さん?」

 と医者が治療をしながら私に向かってそんな事を尋ねてくる。

 「いえ、違います」

 「だよねえ。彼と付き合ってたら心臓幾つあっても足りないもんねえ」

 とりあえず私も付き添いで診察室に居るが、する事はなさそうなので、椅子の中の彼に遅れる旨をメッセージで送っておく。

 「ケーコ金持ってる?俺ここの診察代とか治療費払える気しねーんだけど」

 とここで、慎也さんが巫山戯た事を抜かしてくる。

 「はあ?」

 「金ねーから医者に掛かる気なんか無かったんだよ。でもお前が無理やり連れて来たんだからさ、頼むぜ」

 「はあ〜?」

 何言い出すんだこの男は。なんだか私が悪いみたいじゃないか。

 「裏かく……例のバイトの給料はどうしたんですか?」

 一応互いに違法な仕事で収入を得ている身なので、遠まわしにファイトマネーの話を聞いてみる。

 「ああ、そんなもん酒と煙草でとっくに使っちまったよ。ほんと俺ってば超が付く高額納税者だよな。敬ってもいいぜ」

 「馬鹿なんですか?」

 「明日辺りまた金入るから、そん時返すからさ!頼むぜケーコ!」

 治療して貰ったばかりの手ともう片方の手を勢い良く合わせて、私に拝むように頼んでくる慎也さん。

 「ちょっと〜、軟膏塗ったばっか〜」と医者に苦言を呈されている。

 「……はあ……今回だけですよ」

 「っしゃ!サンキューなケーコ」

 「あと、バイトは明日は休んで下さい」

 そんな怪我で格闘技なんかやらせられるか。

 「え?なんで?」

 「怪我してるからですよ」

 本当に、怪我をなんだと思ってるんだこの人は。

 「はい慎也君上脱いで〜」

 と医者が彼にタンクトップを脱ぐように言い付ける。

 「服の下は怪我してねえぞ?」

 「わかんないでしょ。ほらほら脱いだ脱いだ」

 「へいへい」

 そう言ってタンクトップを脱いだ彼の身体を見て、私は一瞬息を呑んだ。


 傷、傷、傷、傷、傷、傷だ。彼の身体は傷だらけだった。

 今しがた負った傷だけじゃない。なんだったらさっき怪我した箇所はほんの一部に過ぎない。切り傷、火傷、手術痕……夥しい数の傷が彼の肌を埋め尽くしていた。

 「あ、ごめんごめん。怖かったよねえ」

 と医者は私に向かって平謝りする。

 「……いえ」

 私が今まで考えていたサディスト、マゾヒストと言うのは、数ある創作物に出てくるコメディ要素の強いデフォルメされたものだったのだと、痛感する。

 彼は先程のチンピラ達との騒動の際に言っていた。「殴られに来た」と。

 経緯はわからないが、彼らに対して自ら接触を起こし、あのリンチを受けるに至ったと推測出来る。

 つまりこれらの傷は、自らの意思で以って付けられた傷だという事だ。

 これは、私の想像を遥かに超えたものだ。この人は、私達が思っているよりもずっと、もっと危ういバランスの上で生きているのだ。

 この人には、どう寄り添えば良いのだろうか。この人を、どう理解すれば良いのだろうか。

 この人に必要なパートナーは、この世界に存在するのだろうか。

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