第二章 アニマル●⚫︎●●博士と私の休日
サロンでのお茶会から数日後の日曜日。私は紗奈さんに呼び出されていた。
「動物の交尾を見に行こう」との事で向かった先は、行船公園。葛西の方にある大きな公園で、中は無料の動物園となっているらしい。因みに私も小学生の頃の校外学習で訪れた筈だが、殆ど記憶にない。
とりあえずは入り口付近にある藤棚の下で待ち合わせだ。もう七月の頭なので、藤の花は無く緑一色だが。
「やあ、お待たせ恵子女史」
声を掛けられ、そちらを見やると紗奈さんの姿があった。前回会った時と同様、ジーパンとTシャツの上に白衣を身に付けている。違う所と言えば肩からビデオカメラをぶら下げているくらいか。
「どうも」
「それじゃあ行こうか」
「はい」
軽く挨拶を交わした後、彼女に促され園内へと入る。日曜という事もあって、子供連れの家族客が大勢いるようだ。
「いやあ、本当にここは良いところでね。まずなんと言っても無料。これはとんでもない事だよ。勿論著名な動物園には見劣りするかも知れないけど、この規模で水陸問わず様々な動植物を拝められるのは本当に素晴らしい。一時期の私は週七で通っていたよ」
とお気に入りの場所に来た紗奈さんはテンション高めに解説してくれる。
毎日か、凄いな。
「あと、葛西には臨海水族園もあるね。江戸川区立の学校に通う生徒は中学生まで無料だなんて太っ腹が過ぎるとは思わない?一時期の私は週七で通っていたよ」
その往復は大変じゃないか?
「それと、なぎさポニーランド。あそこも素晴らしい。小学生までだが無料で乗馬もできるし触れ合いは大人も無料だ。一時期の私は週七で通っていたよ」
体ぶっ壊れるだろそれ。
あと、なんだか口調というか、何処となく嬉しそうに喋る所が椅子の彼に似ているな。こっちは理系を拗らせたバージョンだけど。
「今の私に結婚願望はないけど、もし子供が出来たら是非葛西で育ててあげたいね。江戸川区は子供の教育に良いところだよ本当に」
「……そうですね」
確かにそう言われればそうだな。今彼女が上げた三つの場所は、校外学習でしか訪れた事がないけれど、考えてみればこんなに良い環境はないかもしれない。
「おっ恵子女史!見たまえ!フンボルトペンギンがセ⚫︎クスをしている!」
と、ここでいきなりテンションを急上昇させた紗奈さんが叫び出す。
「そんな大きい声で言わないでください」
いきなりなんだというんだ、まったく……。
周りの小さなお友達がビックリしてるじゃないか。
動物の交尾だからやらしい事ではないんだろうけどさあ。いや、この人はやらしい目で見てるんだっけ?
私達は正門を潜ってすぐ左手側にあるペンギンコーナーに近寄り、観察を開始する。
「初っ端から出くわすとは運がいい!フンボルトペンギンは失敗しなければ基本的に年に一度しか交尾をしない。つまりあの二匹は年に一度のセ⚫︎クスを我々に見せてくれているということ!……ビンビンに激ってやがる……!あ……ありがてえっ……!」
テンション高っ。カイジか?
「ペンギンのち⚫︎ちんは実は外からは確認できず、DNA鑑定以外ではオスメスを見分ける方法は交尾を目撃する他無いのだよ恵子女史!」
へぇ……そうなんだ。まったく知らなかった。
「見たまえ恵子女史!ブルブルと体を震わせ、総排泄孔を擦り合わせながら、オスが自らの翼でメスの翼をペンペンと叩いている!ペンペンペンペンペンペンッ!くぅ〜ッ!あれじゃあまるでケダモノじゃないかッ!」
「いや、実際獣ですからね」
訳のわからない事を捲し立てる紗奈さんを置いておいて、私もペンギンの交尾を注視する。
成る程、メスが腹這いになり、その上にオスが乗っかって交尾するのか。
確かにペニスのような物は見当たらず、尻尾の下にある肛門?(紗奈さん曰く総排泄孔)とやらを互いに擦り合わせている。
「ふふふッ……んっ……あっ……」
何やら隣で紗奈さんが艶かしい声をあげるので見てみると、驚くべき事に、顔を赤らめながら股間部に手をやって何ていうかその……弄り始めていたのだ。
ええ…。
「紗奈さん、家族連れも大勢いるので……録画して自宅でやって下さい」
逮捕されても困るので、彼女の腕を掴んで制止する。
「おおっと、ごめんごめん。つい昂ってしまった」
そう言いながら紗奈さんはビデオカメラを構えて撮影を始める。
性癖だから仕方の無いことかも知れないが勘弁してくれ……。
「ふう、終わった……大変えっちな物を拝見させて頂きました……敬礼敬礼」
ペンギンの交尾が済んだのか、再度訳の分からない事を言いながらビデオカメラを閉じる紗奈さん。楽しそうだなあ。
「よし、次に行こう恵子女史」
「はい」
彼女に連れられ、次に訪れたのはアオダイショウのコーナーだ。メジャーな動物は少ないけれど、少しニッチな生き物がいるイメージだなこの動物園は。
「アオダイショウは五月から七月頃に掛けて交尾をする事が主でね、運が良ければ……ってうぉおおおおああああ!」
説明の途中でいきなり奇声を発する紗奈さん。今度はなんだよ。
「見たまえ恵子女史!アオダイショウがセ⚫︎クスしている!」
「だから声がでけぇって」
隣にいたお父さんがドン引きしながら子供を抱えて逃げて行ってしまったじゃないか。
「オスとメスとが絡み合い!熱い抱擁を交わしている!恵子女史、アレが何を意味してるかわかるかねッ」
「全然分かりません」
「二重螺旋構造……つまりDNAだよ!彼らの生殖本能が無意識にあの形を取ったのだ!」
いや嘘だろ。確かにさっきまではそんな感じで絡まってたけど、数秒経ったらもうなんだかグチャグチャに絡まったイヤホンみたいになっちゃったよ。素人の私からしたら交尾してるのかどうかも分からない。
「どっちがオスでどっちがメスなんですか?」
「尻尾を見てみれば分かる、オスはペニスを尻尾に収納している関係上太く、反してメスは細い」
「へえ、あ、本当だ」
「そして面白いのは蛇のペニスは二本あることだね!片方は予備として精子を貯めておく機能を果たしていてる!これはヘミペニス呼ばれ、トカゲ等の他の爬虫類でも確認できる!」
「へえ」
「二本のペニス!かっこいいよね⁈」
「はい?」
かっこいいか?
「ヘミペニス!かっこいいよねえ⁈」
「あ〜……かっけっすね」
ここは適当に話を合わせておくか。
「だよねぇ⁈」
と、彼女のテンションは鰻登りだ。
「オッホ!接合部を支点に!絡んで絡まれ!絡まれて絡んで!グネグネグネグネグネグネと!くぅ〜ッ!あれじゃあまるでケダモノじゃないかッ!」
「だから獣なんだってば」
何回ツッコミをやらせる気だ。ていうかオッホってなんだよ。
アオダイショウから目を離し、紗奈さんの方を見やると、また頬を上気させながら股に手を伸ばしていた。
「だからダメですって」
またもや私はその手を掴んで制止する。
「おおっと、すまないすまない。テンアゲってやつだ。許してほしい」
古っ。
「よく今まで捕まりませんでしたね」
「ここの飼育員さん達は幼い頃から知ってる人も多い。小学生の頃からしこたま怒られているよ」
「バレちゃってんじゃねーか」
まあ生き物が好きで足繁く此処に通ってる子供って事で多めに見られていたんだろう。それにしても限度があると思うが。
「よし、この辺でいいかな」
アオダイショウの交尾を撮影していた紗奈さんが、途中でビデオカメラを仕舞って次のコーナーへ行こうとする。
「最後まで見ていかないんですか?」
「蛇の交尾は二十四時間以上掛かる事も稀じゃないからね、本音を言うと一日中張り付いていたいんだけど、閉園時間とかもあるからね」
「へえ、そうなんですね」
そんなに長い事やってるのか、全然知らなかったな。
「さあ、次行こう、次」
彼女の後に着いて行きながら、サルやら、プレーリードッグやらリスやらと様々な動物を見ていく。確かにこれが無料なのは凄い事だな。
「う〜ん……してないなあセ⚫︎クス。セ⚫︎クスどこだ〜?」
こんな所でそんな言葉を連呼しないで欲しかった。ちょっと離れて歩こうかな。
「おおおおおッ⁈見たまえ恵子女史!カワセミがナニをしているッ!」
「ようやく配慮してくれましたね」
色々遅過ぎるけどね。
紗奈さんはまた交尾している動物を見つけたのか、そのコーナーへと走って行ってしまう。カワセミって事は鳥か。
「カワセミの交尾はペンギンとほぼ同じなんだよ!というよりペンギンの交尾がカワセミを含む鳥類と同じと言った方が良いだろうか⁈翼が退化し、空を飛べなくなってもやはりペンギンは鳥類だという事がセ⚫︎クスを見るだけで分かるなんてこれはとんでもない事だよッ!」
あ〜あ、戻っちゃったよ。隣にいた初々しい感じのカップルが気不味い雰囲気になっちゃってるじゃないか。
件のカワセミカップルを見やると、ペンギン同様オスがメスの上に乗って総排泄孔を擦り合わせているのが見て取れる。
「見たまえ!オスが翼をはためかせながらメスの嘴や頭の部分を啄むように突っついている!正に♂・♀・Kissだッ!」
「何ですかそれは」
「松本明子のデビューシングル」
「そうですか」
だから放送禁止用語を叫びたがるのか?
「あっ!もう終わってしまった!くぅぅぅ……鳥類のセ⚫︎クスは早過ぎる……ヤるだけヤってオスはすぐ何処かへ行ってしまう……このケダモノッ!ケダモノめ〜ッ!」
「獣にケダモノって罵りは効かないと思いますよ」
その後、彼女に連れ回されて園内を見て回った。交尾が確認できたのはワラビーくらいで、その時も合わせて発情し始める紗奈さんを止めるのが大変だった。
「いやあ、一日で四種の動物の交尾を拝めるとは……恵子女史は運が良いね」
「そうですか」
現在時刻は十八時。私達は早めの夕食を取っていた。場所は勿論サイゼだ。
「して、どうだったかな?アニマルセ⚫︎クスのお味は」
「お味て……」
パスタをクルクルとフォークで巻き取りながら、紗奈さんはそんな事を尋ねてくる。
ご飯食べてる時にその表現はやめて欲しかった。
「そうですね、興味深かったです。私も月並みに猫とかの動物は好きですけど、そういう観点で生き物を見た事がなかったので色々驚きました」
ワラビーの交尾をしている時に説明された事だが、「ワラビーは年中妊娠してる」とか「妊娠しながら妊娠出来る」とか言う話は素直に驚いた。
「楽しんでもらえたようで何より。して、どうかな?興奮の程は」
ああ、そういえばそんな話だったけ、今日のお出掛けの発端は。
「残念ですけど、どうやら私の性癖はこれじゃあ無いみたいですね」
申し訳ないけれど。
「そっかあ〜……ま、仕方がない。楽しんでくれただけ良しとしよう」
少し肩を落としたが、すぐに紗奈さんは元気を取り戻す。失礼かも知れないが、外見とは裏腹に明るい人だな。
あ、でも。
「動物の交尾を見て興奮している紗奈さんを見ていた時は妙なムラ付きを覚えましたよ」
「へっ?」
私の発言に、紗奈さんは素っ頓狂な声を上げる。
「い、いきなりとんでもない事を言うねえ恵子女史」
「いや、流石にあんなあからさまに自慰行為に走られては……」
「それは本当にごめんなさい」
まあ、どちらかと言えば動物よりかは紗奈さんの方に興味があったのは間違いないし、そこが私の現在の行動原理だ。
「しっかし、椅子の人は良かったね……恵子女史の様な隣人が現れてさ」
「はい?」
突然彼の話をする紗奈さんに、私は首を傾げる。
「理解のあるカノちゃんってやつだよ。あのタイプの異常性癖者には絶対必要だからね」
「彼女じゃないんですけど」
「まあまあ、それは置いといて」
そこで、冗談めかしだった彼女の顔は、少し真剣味を帯びた面持ちになる。
「私や嘉靖さんはさ、自己完結型だからどうとでもなるけど、椅子の人や桃瀬さんはそうじゃないでしょ?」
自己完結型?
「つまりどういうことですか?」
「私はね、動物の性行動を見ていれば性欲の発散が可能なんだよ。今は動画サイトにも沢山の交尾動画が上がっていて気軽に楽しめる」
「はあ」
「嘉靖さんなんかメイド服を着ている自分が好きな訳だから、究極の自己完結型だよね。私には動物が必要だけど、彼は彼自身がいればそれで問題がない」
成る程、性欲発散に他人を必要としないって話か。
「これは椅子の人と桃瀬さん本人に聞いた話なんだけどさ、彼らは『普通の』性行動ではダメらしいんだ」
「ダメ……と言うと?」
「勃たないって事」
「……」
ようやく、彼女の言いたいことが見えてきた。
「人によって性欲の強弱はあるだろうけど、全く無い人間なんてありえないでしょ?恋愛に興味が無くったって、人である以上、生き物である以上そこは切っても切り離せない。それの発散方法が限定されている彼らは、きっと苦しい思いをしていた筈だよ」
異常性癖者=その異常性癖じゃないと性欲を発散出来ない、という人ばかりでは無いのだろうけど、中にはそのイコールで成り立っている人もいるという事か。それが椅子の中の彼や、慎也さん……。
「だから、椅子の人は幸せだと思うし、恵子女史に感謝していると思う。最早運命の人と言っても過言じゃ無いね」
「はあ」
それはちょっと大袈裟だろう。私はただ刺激を求めて彼に座っただけに過ぎない。
まあでも、人間の三大欲求に、生まれ付きでも後天的でも縛りがある彼らは悩み苦しみ生きて来た筈だ。それを私が大なり小なり支えて居ると言うのなら、まあ結果として良かったとは思う。
繰り返すがあのバイトは違法なんだけどね。真似しちゃダメだよ。
「ほんと、桃瀬さんには捕まらないでいて欲しいよ。口も態度も悪いけどあの人は良い人だからね」
と紗奈さんはそんな事を口走る。
「逮捕される可能性があると?」
「そりゃあアリアリだよ。非合法格闘技なんかやってて、しかも相手を殴ったり相手に殴られたりしないと発散出来ない性癖だなんて……もしパートナーが出来たとしても、余程の相互理解がないと相手に通報されたりしてもおかしくない」
「……」
そうだ……。慎也さんの性癖は、暴力という本来ならやってはいけない事と直結している。私が思っている以上に、サディズムとマゾヒズムは複雑なのかも知れない。
そういえば、エイミーは大丈夫だろうか。
薔薇園エイミーは、私の同級生で露出趣味を持つ異常性癖者だ。
彼女も、自己完結型なのだろうか?旧校舎では人がいない事を前提に露出行動を取っていたが、やはり誰かに見られたいという思いから夜の街に繰り出したのではないか?だとしたらやはり、彼女にも『誰か』が必要という事だ。
彼女は私の初めての友人だ。絶対に捕まって欲しくない。なんだか凄く心配になって来た。
「こうして考えると、人間の性衝動が一番興味深い対象なのかもしれないね……私はどうにも、興奮できないんだけどさ」
紗奈さんの言葉に、私は思考の海から帰ってくる。
アイスコーヒーの入ったグラスを傾けた彼女は、なんだか遠いところを見るような目をしていた。
その感情が、哀れみか、悲しみなのかは分からなかった。