第二章 集い
現在私は、東京都江戸川区の某所のとある雑居ビルの地下にいた。
そこは現代を生きる異常性癖者達の社交場であり、名を【異常性癖サロン・人間椅子倶楽部】と言う。
今日は私が訪れてから初めてのサロンの会合が開かれるとの事で、異常性癖を有していない私も出席する運びとなってしまった。
それは何故かと言うと、私はここでアルバイトをしていて、今日は出勤日だからだ。
私の仕事は、雇い主の上に座る事である。詳しく言うと、『彼が入り込んだ特注の椅子の上に腰掛ける事』が業務内容だ。
何を隠そうこの雇い主は、美しい女性を自分が入っている椅子の上に座らせる事で興奮を覚える異常性癖者なのだ。
そのせいもあって時給は何と破格の五千円。四月の晦日に始めて約二ヶ月程度、週四日で平日四時間、休日六時間と軽く働いている(座っている)だけだが、実に九十万円程も稼いでしまった。
勿論これは違法なアルバイトで、昨今騒がれているブラックバイトのようなものだ。
うら若き可憐な女子高生を、性的興奮を目的に自らの上に座らせる為に雇っているだなんて、違法以外の何でもないのだ。
良い子の皆んなは絶対にこんな事をしてはいけない。
さて、話を戻そう。現在私はいつも通りに【彼】の上に腰掛けている。
いつもと違うのは、今日は他に異常性癖者がこの場にいると言う事だ。
「恵子様、紅茶の用意が出来ました」
そう言って別室からサービングカートを押して来たのは、目を見張るほどの美人メイドさんだ。
名前は嘉靖さん。淡い茶髪のショートカットと、切長の瞳が特徴の端正な顔立ちをしている。
カートに乗せられたティーポットから、カップに紅茶を注いでいくその所作の一つ一つに気品が漂っていた。
驚くべき事に彼女……いや、彼は男なんだそうだ。彼の性癖は椅子の中の彼曰く【Transvestism】……異性装癖と呼ばれるもので、自分と異なる性別用の衣服を身に付ける事で興奮を覚える異常性癖なんだとか。
ここで勘違いしないようにしておかなければならないのは、彼は性同一性障害でもなく、同性愛者でもないという事。異性装をしているからと言って、恋愛対象が同性であるとは限らないと、椅子の中の彼は少し前に私に教えてくれた。
「ありがとうございます」
私の横に置かれたサイドテーブルの上に、カップと先程私が買ってきたケーキを置いた嘉靖さんにお礼を言って、暫し紅茶を嗜む。
「桃瀬様、どうぞ」
「あんがとさん」
嘉靖さんに差し出された紅茶に、バチャバチャと角砂糖をてんこ盛り入れているこの男は桃瀬慎也。
ツーブロックを入れて短めく切り揃えた金髪に、ピアスジャラジャラで面にある傷が特徴のチンピラ風の色男だ。見てわかる通りの甘党らしい。喧嘩に明け暮れているのか、タンクトップから伸びている腕には傷が多い。
椅子の中の彼とは友人?なのかなんなのかはまだ分からないが、ここにいるという事は彼もまた異常性癖者なんだろうということが伺える。詳細はまだ不明だ。
普段この場所には人間椅子が一席しか無いのだが、今日は会合という事で円形状に人数分の普通の椅子とサイドテーブルが並べられている。残りは二席。片方は嘉靖さんが座る物だろう。と言う事は今日訪れる異常性癖者はあと一人……。
「む……どうやら訪れたようだ。嘉靖」
ここで私に腰掛けられている彼が声を発する。このサロンには入口に始まり、様々な所に監視カメラが取り付けられている。椅子の中にはその映像をリアルタイムで映し出すモニターが取り付けられているようで、彼はそれで外界の様子を確認しているんだそうだ。
「はい、議長様」
嘉靖さんは最後の客人を出迎える為に、入り口へと向かう。因みに議長と言うのは椅子の中の彼の事だ。議長は英語で言うとChairman。直訳すると椅子男だ。
「緊張しているね?」
ここで、彼が私に向かってそんな事を口にする。
「分かりますか?」
「無論だよ。この二ヶ月、君に座られ続けていた私だ。落ち着きなくムズムズと僕の上で小さく可愛く揺れ動く様は手に取るように分かるよ」
「そうですか」
「年不相応に落ち着き払っている君が、やはり年相応の乙女なのだと再確認できて私は今とても興奮している」
「はあ……」
このような事を耳元で囁かれる事も業務内容の一つだ、今では随分と慣れてしまった。
「まあリラックスしていたまえ、そんな堅苦しい集まりではない。会話の内容は雑談や近況報告が主だ。会合、と言ってもただ私が友人に会いたいから呼び出したと言っても過言では無いからね。詰まる所ただの茶会さ」
「……分かりました」
そんな会話をしていたら、最後の異常性癖者が扉を開けて部屋へと入って来た。
その人物は女性だった。多少手入れを怠っていると思われるボサボサのロングヘアと、彼女には少し大きく感じられる野暮ったい黒縁眼鏡。雀斑と、不健康そうな目の下の隈、そして何故か羽織っている白衣が特徴的な、典型的な理系女子と言った風体だ。歳の頃は恐らく二十代前半。
「やあ、紗奈君。久方振りだね」
椅子の中の彼がその彼女、さなさんに声を掛ける。
「お久しぶりぶり椅子の人。その子が例の?」
ぶりぶり?
「ああ、我が『椅子の君』だ」
「へぇJKって本当だったんだ。犯罪臭プンプンで度し難いね」
彼の上に座る私を見て、猫背気味の彼女は更に背中を丸めて私の顔を覗き見る。どうやら私の事は事前に聞いているようだ。
「えっと……篠嵜恵子です」
と、とりあえず私は自己紹介をしておく。
「私は鏡紗奈。紗奈でいい。大学三年生。よろしく」
「……よろしくお願いします」
握手を交わした後、彼女は慎也さんの隣に腰掛け、白衣のポケットから煙草を取り出し、火を付けようする。
「待ちたまえ紗奈君。今日は新顔の未成年者も居る。まずは了承を得るのが先だ。慎也もこれで気を使っているようで、まだ一本も吸っていない」
と椅子の中の彼が紗奈さんを制する。
慎也さんも喫煙者だったのか。
「おっとこりゃ失敬。吸っても良いかな?恵子女史」
女史?
「はい、構いません」
父も兄も喫煙者だったので私は特に気にしないが……。
「よっしゃ、一人じゃ肩身が狭えからな。リケジョが来てくれて助かったぜ」
私の承諾を得るや否や、慎也さんも懐から煙草とライターを取り出して、紫煙を燻らせ始める。
すかさず嘉靖さんがサービングカートの下の段から灰皿を二つ取り出して彼らのサイドテーブルに置いた。出来る人だなあ。
さて、これで全員揃った訳だ。
私がここに座る理由は、極端に言えば退屈凌ぎ。見た事も聞いた事もないような異常性癖に、不躾な興味と関心を抱いてここに居る。
どんな話が聞けるだろうか。緊張もあるが、好奇心が勝っているのは確かだった。
「では、茶会を始めよう」