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第一章 雨後……

 外に出ると、暗雲が立ち込めて雨が降り始めていた。

 私はそんな中を傘も刺さずに走り出す。目的地は薔薇園さんの家だ。電話掛けようとスマホを開いた時、メッセージが来ている事に気が付いた。

 彼女からだ。

 「ッ!」


 『さよなら』


 その一言が、スマホのホーム画面に映し出されていた。

 嫌な予感がする。電話を掛け続けるが、繋がる気配がない。

 頼むから変な気は起こさないで……!

 彼女の家は、瑞江駅を挟んで私の家の反対方向にある。以前彼女が言っていた、「隣にある『ひかり』って和菓子屋さんがおいしい」って。その和菓子屋には私も覚えがある。

 私は走った。とにかく走った。息が切れて、肺が潰れそうになった。だけど走った。

 肩で息をしながら彼女の家に辿り着き、急いでインタフォンを鳴らす。

 『……はい、どちらさまでしょうか』

 女性の声、だけど彼女じゃない。恐らく母親だろう。

 私は息を整えて口を開く。

 「突然押し掛けてすいません。私はエイミーさんの……友達の、篠嵜恵子といいます」

 『エイミーの?』

 「はい。あの……エイミーさんは……」

 『あら?あの子、今朝学校に行った筈だけど……』

 「えっ?」

 なんだって?学校に行った?

 でも今日彼女は登校していなかった筈だ。

 ふと彼女がどこにいるのか、虫の知らせとでも言うべきか、思い当たる場所があったので、私は薔薇園さんのお母さんの返事も待たずに走り出した。

 今度の目的地は学校だ。

 急げ、急げ。

 バシャバシャと音を鳴らして、水溜りを踏み抜く。髪が顔に張り付いて不快だったが、そんな事を気にしている余裕はなかった。

 頼むから、頼むから無事でいて。

 お願いだから、もう一度私と話をして。

 その笑顔を、声を、私に見せて。


 十分掛けて学校に辿り付き、私は旧校舎目掛けて全力で走る。

 新校舎の屋上は施錠されて入れない。しかし、旧校舎で施錠されているのは下の出入り口だけだ。一年の時に確認済みだ。

 彼女の侵入経路は分からないが、私はいつもの美術準備室から中へと入り、屋上へ続く階段を駆け上がる。

 案の定、扉が半開きになって雨水が中に入り込んでいた。

 「薔薇園さんッ」

 扉を肩で押し除けて、私は屋上へと躍り出る。


 「ッ!」


 激しく私と屋上の床を叩き付ける雨と、それを降らせる黒い雨雲。その間に、彼女は立っていた。錆が浮いて、所々ひしゃげた鉄柵の向こう側、薔薇園エイミーはそこに立っていたのだ。

 「……しの、ざきさん……」

 扉を開けた音と、私の声に驚いた彼女はビクリと肩を震わせてこちらを振り向いた。

 その顔を濡らしているのが、雨水せいなのか涙のせいなのかは分からなかった。

 「どうして……?」

 問い掛ける彼女の顔には様々な感情が渦巻いているように見えた。今にも、ふっとそこから居なくなってしまいそうな、向こうが透けて見えるような顔だ。

 言うべき言葉があるような気がした。それが何なのか今なら分かる。

 早まるな!とか、落ち着いて!とか、普通だったらそんな言葉が妥当だろう。でも、違う。私が言わなければいけない言葉は一つだ。

 息を吸い肺に溜めた空気と、頭と心に溜めた言葉を内混ぜて吐き出しながら勢いよく頭を下げる。


 「ごめんなさいッ!」


 私は、どうしようもない人間だ。ろくでなしだ。でも、彼女の友達でいたかった。だから謝るんだ。

 「薔薇園さんがッ……傷付いていることを……気が付けなかった!私を、こんな私を好きだって言って、言ってくれたのに!気付いてあげられなかったッ!」

 ちゃんと考えれば分かった筈だ。気付けた筈なんだ。これじゃあ私は、イジメを見て見ぬフリをしている奴らと何ら変わらないクズ人間だ。

 「だから、だからッ……ごめんッ……ごめんなさいッ!」

 誠心誠意の謝罪なんて、生まれて初めてだ。母親にだってした事ない。私は手の掛からない子供だったから。

 でも、今は彼女への想いで一杯だ。謝罪の念と、後悔と、不安と……。

 「……いいよ……」

 ポツリと、雨水に混じって彼女の言葉が届いた。私はそれを受けて、恐る恐る顔を上げる。

 「分かってたから……篠嵜さんが、気が付いてなかったの。悪気がないなんて事、ちゃんと分かってた。それに、あたしが旧校舎であんな事してたのに、気持ち悪がらないで……馬鹿にしないでいてくれた事……うれしかったんだあ……」

 いつもとは違う、歪んだ表情で彼女は笑っていた。風にスカートとブレザーが煽られて、今にもバランスが崩れそうだ。

 「篠嵜さんの事だから、あたしからメッセージ送らないと……何にも返してくれないって事も、分かってた。分かってたのに……送れなかった、言えなかった……助けてって、言えなかった……」

 彼女の言葉の一つ一つが鉛のように重くて、私の心臓を殴り付けてくる。

 どうして私は、メッセージの一つくらい送ってやれなかったんだろう。自分の薄情さに嫌気がさす。

 「でもね、もうだめだ……」

 ボソリと、彼女が呟いた。

 「皆んなにバレちゃったから、もう……だめなんだ」

 ダメなんかじゃない、だから……そんな顔をしないで……!

 思わず一歩近づいた私に向かって、彼女は声を荒げた。

 「こないでよッ」

 そう言って彼女が肩を震わせているのは、雨水に濡れて寒さを覚えたからじゃない。心が、心が泣いているからだ。

 だけど……。

 「嫌だ」

 彼女の言葉を無視して、私はもう一歩を踏み出した。

 「こないでって!こんな変態!この世にはいらないんだよッ!」

 心の叫びが聞こえる。それでも私は、彼女の元へと歩みを進める。

 「篠嵜さんにバレて!怖くて、恥ずかしくて、怖くて、情けなくて……もう二度とやらないって……そう決めたのに……それでも、一日経ったらもうッ!街に出て裸になってる自分がいるッ!こんな、こんな変態ッ!いない方がいいッ!」

 鉄柵の向こうで、胸に手を当てて力一杯に叫ぶ彼女は、今にも消えてしまいそうだ。

 「本当は、篠嵜さんもキモいって思ってるんでしょッ!変態だって思ってるんでしょッ!こんなのと一緒にいるなんて嫌だっておもっ「思ってねぇよッ!!!!」

 彼女の声を遮って、思わず叫んでいた。彼女の碧い綺麗な目が大きく開かれる。

 「露出趣味がなんだ!それもお前の一部だろ!大した問題じゃない!ていうか知ってたよ!知り合う前からッ」

 「えっ……」

 衝撃の事実に、薔薇園さんは口を手で覆った。

 そうだ、関係ないんだ。以前から知ってたんだ、私は。

 「昼休みに旧校舎で全裸徘徊してた事なんて知ってるッ!巷で噂の露出犯が薔薇園さんなんじゃないかって薄々気が付いてたッ!そういうの全部知った上で、引っくるめて一緒にいたんだよ!」

 今度こそ彼女の目から、大粒の涙が溢れ出す。

 「声を掛けてくれて嬉しかった!一緒に帰ってくれて嬉しかった!ケーキ一緒に食べてくれて嬉しかった!一緒に服選んでくれて嬉しかった!一緒に居てくれて、嬉しかったんだッ!」

 気が付けば、私の目からも涙が溢れて溢れて止まらない。私って、こんなに泣き虫だったんだな。知らなかった。

 思った事を伝えよう。嘘は苦手なんだ。だから、心の奥底からの言葉を叫ぼう。


 「だからッ!そんな事はどうだっていい!露出してようがしてまいが!薔薇園エイミーは私の友達だッ!」


 ようやく辿り着いて、彼女の手を掴んで抱き寄せた。二度と離さないって……そう思った。

 「でもっ……でもっ……あたじぃ……」

 嗚咽を漏らして、薔薇園さんは泣きじゃくる。

 「あんたの裸は、私が見てやる。てっぺんから爪先まで、全部私が見てやる」

 「ううッ……ほ、ほんとにぃ……?」

 「ほんとのほんと……だから、だからさ」

 「うっ……うう……わぁぁぁぁぁ……!!!」

 泣かないで欲しかった。一言もそんな事言った事ないし、この先また同じ事なんて絶対言ってやるつもりはないけれど。


 「笑って?エイミー。私はあんたの笑顔が好き」


 初めて旧校舎で彼女を見た時も、隣で歩いていた時も、ケーキを頬張っていた時も、向かい合って座っていた時も……そこには笑顔があった。彼女の笑顔があった。

 「う……うっ……やくそく、だよ……ケーコちゃん……」

 涙交じりだけど、ようやくエイミーは笑ってくれた。一週間と一日振りの彼女の笑顔だった。

 気が付くと雨が止んでいた。雲の切れ間から、太陽が顔を覗かせて彼女を照らし出した。物語の中みたいに、気の利いた空だ。なんだか今は、天気にもありがとうって言いたい気分だった。


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