7. 泣き女キャサリン
ザンッ
硬直したまま動けない俺の目の前で、急に飛び込んできた丸い毛玉が真っ二つになり、床に落ちた。バラバラと灰色の毛が舞い散る。
「こっ………コワモテーーーーーーーーッ!!!!」
「フモッ?」
後ろから声がした。よく見ると床に落ちてるのは改装業者が置きっぱなしにしていたモップの頭の部分だった。近くにあったのをコワモテの奴がとっさにハサミに向かって蹴り飛ばしたんだろう。
……紛らわしいんだよ!一瞬泣きそうになったじゃねぇか!
「ひとまず一旦退却だ!体勢を立て直すぞ!」
俺は天使の手を掴んで助け起こす。
「立てるか?」
「だ、大丈夫ですっ、もう大丈夫……コワモテさんとハイカキンさんに守られてばっかりなんて、守護天使失格ですっ!」
へっぴり腰で立ち上がったヘタレのハズレが顔だけキリッとして鈍器を構えた。なんでもいいからなんとかしてくれ。
「女の子を追いかけ回す悪い子は………おとなしく冥府のお家にお帰りなさいっ!悪霊退散ぉっ!!」
白熱光をまとった鈍器がハサミ男に炸裂し、一撃で跡形もなく消滅させる。まあ本来は楽勝のはずなんだよ。ったく、無駄にハラハラさせやがって。
勢い余ってまたヘナヘナと座り込んだヘタレ天使を見下ろし、俺はため息をついた。
「お前は役に立つのかただの疫病神なのかよくわからん」
「あはは………」
「………でもよくやった」
「ふぇ?………ぇへへ………」
これで報酬は一気に跳ね上がる。当面の資金問題は解決だな。翌日、依頼人のモリスに館の亡霊どもを一掃したことを報告すると、大喜びで十倍の報酬5000Gを払ってくれた。おネェを雇ってもお釣りが来るだけの大金だ。ついでに装備も整えておこう。初期装備のビキニアーマーはヤカラどもに壊されちまったからな。
と言っても、別に強くなる必要がない俺は見た目だけなんか強そうに見える黒ずくめの長衣を買っただけ。武器も装飾だけ凝ってるが性能もクソもないただのパチモンのナイフだ。モフにも装備は必要ないから、余ってる金で天使に魔力増幅の指輪を買ってやった。
「いいんですか!?こんなに高価な物……」
「お前の働きで稼いだ金だ。少しばかし奮発したってバチは当たらんだろ」
「ぇへへ………」
指輪のデザインなんか俺にはよくわからんが、何やら手を眺めてニヤニヤしてるところを見ると気に入ったんだろう。そりゃよかった。
俺たちは黒山羊に戻っておネェに契約金を払い、これでパーティーは四人になった。このゲームでは主人公を含めて最大五人パーティーでデッキを構築する。俺、コワモテ、ハズレ、おネェ、つまりあと一枠空きがあるわけだ。
だがそれももう決まっている。俺は5000Gの他にモリスからもらったもう一つの報酬を取り出した。
「ハイカキンさん、それって!?」
驚く天使に見せびらかす一枚のカード。そう、レアガチャチケットだ。Sレア以上確定。SS確率がたしか8%ぐらいだったかな。序盤パーティーの主戦力としては申し分ないキャラが引ける代物だ。俺は自信満々でカードを頭上に放り投げた。
マノンの時と同じように空中に黄金の扉が現れ、ゆっくり開いていく。ところが開いた扉の向こうは不気味な暗がりで、おどろおどろしい地獄の炎が燃え盛っている。
「な、なんですかこの演出!?こんなの見たことありません!」
「おいおいおい……なんかヤバそうな気配じゃね?」
歴戦のおネェ傭兵も険しい顔で愛用の鎖鉄球のグリップを握る。
「コイツは呪いガチャだ。何の変哲もないレアガチャチケだと見せかけといて、回すと途中で演出が変わる。出てくるのは俺に災いしかもたらさない最低最悪の悪霊ばかり。しかもソイツは強制的に俺の仲間の一枠に入ってきて、呪いを解かない限りは外すことができない」
「なんでそんなの持ってるんですか!」
「モリスだよ。アイツは裏社会の連中とガッチリつるんでる闇商人なんだ。ヤバい品も手広く取り扱ってる。知ってか知らずか、俺にくれたこのチケットもとんだ危険物だったってワケだ」
啞然とする仲間たちに平然と説明する。
「の割にはやけに落ち着いてんじゃん?もしかして知ってたってこと?」
呆れ顔のおネェに頷いてみせる。
「もちろん、わかった上で引いた」
「なんでそんなこと……」
天使も意味がわからんって顔だ。だろうな。
「決まってんだろ、必要だからだ」
マノンを引いた時と同じく、俺にはある種の確信があった。ここで俺が引くキャラはアレしかない。悟ったんだ。ガチャに偶然は無い。引くべくして引くべきものを引くのみ。
「……そら出てきたぞ」
恐る恐る扉の方を振り向いた仲間たちの前に、俺が予想した通りの姿が現れた。
「待ってたぜ、最凶ストーカー霊……泣き女キャサリン!」
黒髪を振り乱して凶相の女霊が襲い掛かってきた。分かってても怖えぇっ!思わず目を瞑った俺の耳に、何やらブツブツ呪詛めいた呟きが流れ込んでくる。
「裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者裏切り者なんでなんでなんでなななななんででででででででどどどどうして私を裏切ったりするのねえどうしてねえねえねえねえここここんなに愛してるのにわた私がこんなに愛して愛して愛して愛してああああああああああああ愛してるのにあなたにはわたわた私がいないとダメダメダメなの絶対絶対絶対絶対絶対に私が必要なのずっとずっとずっとずっとずっと私が側にいてあげるからもうどこにもいかないでああああああああああああああ愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してるるるううううゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔゔ……」
いや無理だわこれ吐きそう。死ぬ死ぬ死ぬ。濃度が高すぎる狂気に内側から侵食されていくみたいだ。全身から変な汗が吹き出してきて震えが止まらない。
「ハイカキンさん!?しっかりしてください!なんて強烈な怨念……」
天使は俺に向かって鈍器を構える。まさかお前いやちょっと待て。
「ハイカキンさんから離れなさい悪霊!ターン・アンデッ……」
「バッ……カ野郎っ!!」
俺はとっさにこの撲殺天使の愚行を阻止しようとして見事に致命的失敗を引き当てる。ソイツを贈り物で押し付けると、白熱光をまとった鈍器は空を切り、バランスを崩した天使はクルクル二回転して尻もちをついた。
「あれっ……ふえぇっ!?」
「おいコラクソハズレ天使!てめぇ俺のキャサリンに何しやがる!」
「何って除霊を……このままじゃ危険です!」
「いいんだよこれで。このキャサリンこそが俺の仲間の最後の一枠………オークキング討伐イベントの秘密兵器なんだ」
俺がモリスの館の依頼を受けた目的は資金稼ぎよりこっちが本命だった。
呪いガチャにレアもクソも無いが、泣き女キャサリンは強さだけで言えばSS上位ランク。コイツは取り憑いた俺を自分の恋人だと思い込み、あらゆる敵の攻撃から庇ってくれる。しかも物理攻撃は無効。さらに俺を攻撃した者を敵とみなして強力な闇魔法スキル「ポルターガイスト」で反撃する。敵が女だと攻撃力二倍。他の女が俺に近付くのは許さないってわけだ。ストーカーだけに。
「こんな悪霊を仲間にって正気ですか!っていうか顔色真っ青ですよ!早く除霊しないと本当に取り返しのつかないことに……」
「大丈夫だ。慣れたら耐えられないほどじゃない」
半分は強がりだ。でももう最初ほど怖くはない。正気かどうかは疑わしいが、このゲームにSAN値のステータスは無いしな。まあなんとかなると信じよう。そのうち慣れるさ。
キャサリンに取り憑かれると全ステータスが1になる。事実上の戦力外、と言ってもそれは別に今始まった話じゃない。はっきり言って俺にとってはあっても無くても大して変わらないような制限だ。コイツを仲間にすることで得られるメリットの方がはるかに大きい。
何しろコイツはこの後戦うことになるボスキャラの天敵。特効キャラだ。序盤で戦うのは正直キツいボスだからな。できる限りの対策をして挑みたい。
オークキング討伐のイベントをクリアできれば報酬でSS最強クラスの高火力アタッカーが手に入る。すでに俺の頭の中では理想のデッキ構築までの道筋が描かれつつあった。必ずゲットしてやるから首を洗って待ってろよ、姫騎士オリエ……いや、イベント限定SSメイ奴隷オリエ。
俺たちはバオバオの店に戻ってパーティー結成記念とミッション達成の前祝いを兼ねた宴会を開いた。
「すごいメンバーだね。守護天使様に不死身のキスマイアス……それとその後ろの人は……?」
「目を合わせるな。呪われるぞ」
恐る恐る聞いてきたワンパオを脅かす。
「うぇぇ〜……」
仔犬とはいえ女キャラには違いないからな。見境の無いストーカー霊が何をするかわからない。
「じゃ、じゃあご注文の品はこれで全部かな?毎度あり〜!」
犬娘が慌てて逃げて行くと、テーブルはシーンとなった。オーク討伐出発前の景気付けのはずが、全然盛り上がらない。そりゃそうだ。せっかくカビたパンじゃなくてマトモなご馳走が当たるまで何度も注文したのに、俺は食欲ゼロ。とても何か口にできるような状態じゃない。ずっと耳元でストーカーの呪いの呟きが続いていて、むしろ吐き気しか無い。
「あ〜……悪いけどあーしそろそろ帰るわ。明日10時ここ集合ね。じゃおやすみ〜」
おネェが帰って行った。俺たちももう寝ようか。寝られる気はしないが。
「あ、あの、ハイカキンさん……除霊しないにしてもそのままじゃ朝までずっとうなされちゃいますよ?せめて眠っている間だけでも、聖天使の力で悪霊の力を抑えてあげられますから……」
そんなことできんのか。マジで使えるハズレだな。
……いや、使えるのはわかってるんだ。昨日も今日も、俺はコイツのおかげでなんとかやれてる。感謝もしてる。本当に。ただ俺が欲しいのはコイツじゃないってだけだ。
俺はしつこく後をついてくるおせっかい天使を振り返った。
「わかったわかった。で?どうやるんだよ?」
「そ、それはその……」
宿の部屋に戻った俺はだらしなく服を脱ぎ散らかして早々にベッドに潜り込んだ。精神的疲労がとてつもない。耳元の呪詛の声はまだ延々と続いている。目を閉じて眠ろうとすると余計に頭の中に響いてくるみたいだ。
すると、頭から毛布をかぶって丸くなった俺の背中に温かい手が触れた。そして全身を優しく包むような温もりがピッタリと寄り添ってくる。身体の震えが止まり、頭から雑音が遠退いていく。
「ど、どうですか?ハイカキンさん……?」
「ああ、悪くない」
すぐ後ろで悪霊じゃなく天使の声がする。耳元にかかる吐息と背中に押し付けられている柔らかい感触を意識すると、別の意味で眠れなくなりそうだが。
「へ、変なことしないでくださいね!悪霊の干渉を防ぐためにはできるだけハイカキンさんの体に直接触れないといけないので……」
「しねえよ。言っただろ、俺はお前にもお前の無駄肉にも興味ねぇって」
「またそんな言い方……」
「くだらねぇ心配してないでさっさと寝ろ。明日からも頼むぜ、俺の守護天使」
「は、はい!」
もう一度目を瞑ると、全身に伝わる温かさと天使の小さな鼓動を感じながら急激に襲ってきた睡魔に身を委ねる。まったく、悪くないな。こんな転生冗談じゃねぇって思ったけど、コイツの言う通り、ダメなりに腐らず生きてりゃなんとかなる、案外そんなもんかもしれない。この先少しは楽しくなってきそうだ。早くも寝息を立て始めた後ろの能天気に影響されたのか、珍しくポジティブな予感に包まれながら、俺は眠りに落ちた。