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神様、見ていてください  作者: 水城しずみ
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第一第二の現地民

 巨木の森の小道を抜け、門をくぐり、宮殿へと目を向ける。


 見渡してまず目につくのは、塔か櫓のように他より抜きん出た三棟の建物だ。クリーム色の漆喰壁が午前の陽光に眩しく映える。抜きん出ているとは言ってもそれぞれ三層しかなく、洞窟を内包する岩山はもちろんのこと、今や私の背後に控える森の巨木のほうが断然背が高い。

 各々の塔は一階部分から伸びた建築で繋がっている。漆喰の壁と木組みを組み合わせた建物が網のように広がり、部屋や渡殿の間にはいくつもの中庭が作ってあるのだ。

 もはや、建物の合間に中庭を作ったのか、緑が茂ってとりどりの花が咲き乱れる草原の合間を縫って建築したのかすらあやふやだ。私は後者の可能性が高いのではないかと思う。

 

 しばらく周囲を見渡してみたが人の姿がないので、仕方なく、手近な扉から勝手に内部へ入らせてもらうことにした。

 踏み入った小屋はやはり無人だった。ほとんど物のない部屋だが隅に一つだけ棚があって、油が抜かれた状態のランプや松明らしきものが収められている。外で生活する者で洞窟に入れるのは基本的に二物様だけなのだが、彼女は洞窟内でも灯りを使わずに行き来するため、長らく仕事のない灯火類はうっすら埃を被っていた。


 向かいの壁にもう一つの戸が目に入ったのでそちらから出ると、早速目の前に中庭が広がった。

 うっすら黄みを帯びた緑の芝、光らない苔、澄んだ水面の池に紅色の花弁を零す低木。そのまま絵画にして飾りたくなるような光景だ。


 しばらく棒立ちで観賞していたら、葉を茂らせた低木の枝が突然動いた。ガサゴソと音がする方に目をやると、木の葉の隙間に、枝葉とは違った浅葱色のものが見え隠れする。

 人だ。私は渡殿の欄干からかるく身を乗り出して声をかける。


「ごめんください」


 適切な声量も言葉も今ひとつわからなかったが、とにかく気づいてはもらえたようだ。小枝の向こうからひょっこりと人の顔が覗いた。


 黒い瞳に、頭巾でまとめた黒い髪。日に焼けて健康的な褐色になった肌。控えめな凹凸の顔面に驚きを浮かべたその男の歳は、おそらく四十がらみといったところである。

 どうやら庭木の手入れをしていたようだ。浅葱色を基調とした装束のあちこちに細かい葉くずをくっつけている。


「あの、私、あちらから来た者ですが」


 指差した背後には、さっき通過してきた小屋の屋根越しに岩山が見えていた。男は絶句したままそれを見上げる。上向いた首の動きに顎が置いていかれて、あんぐりと口が開いた

 呆気に取られている耳には聞こえないだろうか。私は自分の用事を伝えるのを一旦諦めて、男の反応を待つことにした。


「……あんた、どこから来たんだ?」

「ですから、あちらから。あの山の洞窟から来ました」

「じゃあ、あれか。泉守っていうのがあんたなのか」


 我に返った男はようやく口を閉じ、私の姿をしげしげと見つめる。


「伝説の類じゃなかったんだなぁ」

「ええ。見てのとおり実在しています」


 実在を疑いたくなる気持ちは、我が事ながらわからないでもない。

 男はそのままてくてくとこちらへ歩み寄ってきた。未だ珍獣を見るような目つきだが、敵意があったり警戒されている様子はない。できればこの調子で気楽にしていてほしいので、渡殿と庭との高低差もごまかすべく私はその場にしゃがみこんだ。


「二物様の使いで来たんです。料理番殿にお会いしたくて。どこに行けば良いのか、ご存知ですか」

「ああ。朝食も摂らずに雲隠れなさったって、例の話か。朝からめそめそ膝抱えてたよ」


 それはまあ、料理番として雇われているのに朝一番で食事を拒否されたのだ。落ち込みもするだろう。二物の少女の言い分を信じるならば前々から抗議はされているらしいから、その時点で妥協してくれていればそこまでショックを受ける羽目に陥ることもなかったはずだが。

 だが、怒るのではなく落胆しているというのならば、私にとっては好都合かも知れない。怒れる者はまず宥めなければ話にならないが、消沈している人間はおそらく、静かではあるだろうから。

 

「ちょっと待ちな、案内するから」

「お役目中にすみません」

「良いんだよ。あの子に居座られて仕事にならなかったんだ、連れてってくれ」


 男は使っていた小さい道具類を取りまとめて腰の袋に収めると、沓脱石の手前で衣を叩き、布製の靴に履き替えて渡殿へと上がってきた。

 そのまま進行方向を指差してくれるのですぐ後ろに追従する。接近した私を男はちらりと一瞥し、歩きだしながら二度見した。


「うおっ。あんた、えらいノッポだなぁ」


 そう言う男の頭の天辺はだいたい私の顎の高さほどにある。威圧的に感じるという遠回しな指摘かと不安になって、私は歩を緩めて相手との距離を少しあけた。

 同時に遠慮が顔に出ていたらしく、男は苦笑しながら後戻りして私の隣に立つ。


「いや、珍しいだけだよ。その金色の髪もな。東の人間はみんなそうなんだって?」

「みんな……ではありませんけど。確かに髪や瞳の色は薄い者が多かったですね」

「白髪も薄毛も目立たなさそうで、羨ましいねぇ」


 男はガハハと豪快に笑いながら頭に手をやった。頭巾に隠れた頭皮は実はかなり寂しい状態なのかも知れない。もしかすると初見の推測よりも年嵩だろうかと、目元に現れた笑い皺を見て思う。


 黒髪と濃い色の光彩、やや黄みがかって日焼けしやすい肌や、なだらかな凹凸をもつ面差しは、大陸における中央部であるこの周辺で暮らす人間に多い身体的特徴だ。

 さらに、岩山や宮殿を中心と見て東西南北の方角で大まかに区別される地域に住む人間は、またそれぞれ趣の違った容姿の特徴を持つという。頭髪や虹彩の色素が薄く、肌も日に焼けにくい白さで男女共に比較的高身長であるというのは、東から南方にかけての住民たちが持つ容姿の傾向だ。

 私は東方人の類型を体現したような外見をしている。そのため、黒髪小柄で日焼けしやすい人間の多いこの宮殿ではどうしても浮く。出かけようと思って手配すれば出られないことはない洞窟に引きこもる生活を送ることになった理由の一端はそれだった。


 もっとも、時が経つにつれてそんな動機もだんだんどうでも良くなって、ただただ引きこもり生活が快適に思えてきたのだが。そういえば私ってこのへんでは目立つんだよな、ということすらこの男に指摘されて久しぶりに思い出した。

 誰もが皆そうなのか、はたまたこの男が特別寛容なのかは今のところわからない。とにかく彼は人懐こいたちでもあるらしく、親しげな距離を保ちつつ私の顔をじっと観察する。


「しっかし、俺は7年前にここらの庭番を任せてもらって以来ほとんど毎日勤めてるはずだが、あんたの姿は初めて見たなぁ」

「洞窟を出たのは十数年ぶりですから」

「十数年だあ? あんた一体いくつなんだ」

「えー、いくつに見えますか?」 

「何だよその中年女みてえな返しは……」


 小粋なジョークをとばしてみたつもりだったが、うまく笑わせられなかった。慣れないことはするものではないと身にしみる。

 どうやら男は根が真面目なようで、私の姿を頭のてっぺんからじっくり眺めて唸りながら目を細めた。居心地が悪いことこの上ない。困ってとりあえず周囲を見渡したが、視界に入る目ぼしいものはやはり庭ばかりだ。


「あの、お庭番ということは、この庭も管理されてるんですか」


 とりあえず、その庭に話題を向かわせてみることにした。

 話しながら歩いているうちに南北方向の廊下との交差点をひとつ通過しており、今は男と会った庭のひとつ隣を横目に見ながら進んでいる。

 さっきの庭は、瑞々しく茂った草木と溢れるように咲く花々で生気にあふれて絢爛な印象だったが、ほんのひとつ隣のブロックに移っただけだというのにここは全く風情が違った。

 木の葉は赤や黄色に染まってはらはらと舞い、葉の細い草も金色に変色して微風でしゃらしゃら揺れている。日の暮れなずむ夕方を想起させる静けさと同時に不思議と心地よい寂寥を感じさせる、こちらも絵になる良い風景だ。

 門外漢なりに見たところ共通して植えられている木もあるが、下生えの草や花は種類が違うものも見受けられる。むこうとこちらの広さだけでも完璧に整えるには結構な仕事量を要求される庭だが、おまけに所によってコンセプトまで違うとあっては、やることも考えることも多すぎて負担の多さは想像もつかない。


「ん、ああ、ここはそうだな。俺は北西の8区画を担当してる。他所は他の奴の仕事だ」

「そうなんですね。8区画だけでも大変そうですけれど、とても綺麗なお庭です」

「へっへっへ、嬉しいねえ」


 話をうまく逸らすことには成功したようである。仕事ぶりを褒められた男が素直に喜んでくれたので私も嬉しい。


「あちらとこちらの庭では随分様子が違いますね」

「盛りの周期をずらしてるからな。ほら、そっちはもっと若い」


 さらに隣の区画へと促され、早足に進んでいく。角の建物の陰からくだんの庭が見えるより先に、ほのかな甘い芳香が鼻腔をくすぐった。

 今までに比べると、見た目にはやや寂しい区画だった。茂る緑も鮮やかな紅葉もない。芽吹きかけのちいさな緑がちらほらと、黒い土や裸の梢に宿るだけだ。

 だが、枝によってはその節々に、明るい色の花をつけている。甘くほのかで清涼な香りは、それらの花からこぼれて風に乗って届くのだった。

 花をつける木のうち、幹がごつごつしているものは最初の庭にもあった気がする。あちらでは葉の合間に青い実ができていた。他に目につくのは、黄色い小さな花が丸く集まっていくつもぶら下がっている低木だ。


 何が一番目につくって。黄色い花が小ぶりの提灯のようで可愛らしい木の根元に、うずくまった人間がいる。

 纏う衣服は濃淡巧みな緑色を基調にオレンジの差し色でなかなか洒落ており、この庭における見た目の鮮やかさではその背中が間違いなく一等だ。そんな装いの人間が、陰気に膝を抱えて座り込んでいる。


「もしかして、あの人ですか」


 背中と、精々黒髪の後頭部しか見えないので年齢も性別もわからないが、この宮殿で膝を抱えて消沈している人などそういやしないのではないかと思う。声をひそめて庭番に尋ねると深い深い首肯が返ってきた。


「十分そこらならいじらしいで済むんだが、朝からずっとあの調子じゃなあ」

「根気強さは素晴らしいと思いますが……」


 こんな人相手に、はたしてまともな話しができるだろうか。早くも不安がむくむくと膨れ上がってくる。

 が、庭番の男はそんな私の心中など当然知る由もないので、さっさと声をあげて例の人物に呼びかけてしまった。


「ロミ、いつまでそうしてるんだ」

「邪魔しないでください! サキクサ様のことを考えるにはサキクサの香りが良いんです!」

「邪魔するもなにもあんたが俺の仕事の邪魔なんだよ」

「ユージさんは他にも仕事場があるじゃないですか!」


 背中越しに聞いているとは思えない、突き抜けるようなハイトーンボイスである。私は二人の応酬に既に気圧されていた。

 察するにロミというのが彼女の名前であるらしい。ユージは私の隣に立っている庭番の男のことだろう。

 そしてサキクサ様とは誰かと言えば、二物の少女のことである。何だか妙な言い回しになっているとおり、ロミ嬢の頭上で黄色い花から香りをこぼしているのはミツマタあるいはサキクサの木で、それにゆかりがあるために二物の少女はサキクサという名でも認識される。

 植物と共用の紛らわしい名前とは違い、当代に二物と言えば間違いなくたったひとりあの娘のことなので、私は彼女をサキクサと呼んだことは無いけれど。


「あんたの仕事場だって無くなったわけじゃないだろうが。客人が来てるってのに、いつまで尻向けてる気だ?」

「ユージさんってばもう、若い女の子を捕まえて、尻だなんて!」


 元気に高らかに「尻」と復唱してから、ロミは勢いよく立ち上がり、こちらに体を向ける。

 栗の色にも似た濃褐色の肌がつやつやして、豊かな怒り泣きの表情としゃんと伸びた背筋が、いかにも健康的な娘さんだった。声域と語気に劣らずパワフルそうな華のある顔立ちだなと感心していると、すぐに視線がぶつかる。

 高い声を操る大きな口がぽかんと開き、赤茶の光彩を持つ円らな両目もさらにまん丸に見開かれる。ユージとの初遭遇のときもこんな顔をされた。年齢も性別も顔の造りの趣も全く違う人間なのに驚いた表情が同じとは、ちょっとした面白味がある。


 が、面白がっている余裕などなかった。



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