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神様、見ていてください  作者: 水城しずみ
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脱ひきこもり

「しかしまあ、そこまで案じてもらえるとは満更でもないな。ならばそなたも共に街を散策しよう」


 希望の第一段階を承諾されて気分上々の少女は、喜色満面のままでさらに提案を被せかけてきた。


「私も、ですか」

「気が乗らぬか?」

「そういうわけではありませんが。長らくここを出ていなかったものですから……」

「気分を変えられる良い機会であろう」


 私はここ十年以上、誇張を抜きにして一歩も洞窟から出ていない。

 そんな人間がリハビリも無しにいきなり挑むのが、宮殿の外を夢みる少女との逃避的小旅行とは。いささかハードルが高いのでは。

 下手をしたら、十年の間に様変わりした環境に気圧されて、気分どころか価値観の細部くらいは変わってしまってもおかしくないのに。心情的に二の足を踏みたい私を置いてけぼりにして、少女はすっかりその気になっているようだ。


「計画を再確認するぞ。まずそなたは妾の命を帯びて料理番のもとへ向かい、薬草料理の不要性を語ること。これは変わらぬ。大事なところじゃから、頼むぞ」


 旅への憧れもさることながら、少女にとっては薬の味がする料理、もとい、料理の域にまで加工された薬草が食事として出されることも一大事なのだった。

 宮殿を抜け出すという目的のインパクトにとらわれて忘れかけていたが、こうして再確認するとちゃっかり一石二鳥を狙う計画である。

 もしかすると彼女はずっと、私に旅の夢を語る一方で、具体的な方策を練り続けていたのかも知れない。温めてきた計画の種を、薬草料理がきっかけとなって芽生えさせたのだろうか。


 だが、お忍び脱走作戦において料理の改善要求に重点を置くというのは、料理が供される宮殿に戻る前提があるからこそだ。脱走してそのまま窮屈な環境におさらばするつもりなら、もはや好みに合わない食事など気にする必要はないのである。


 本当に、ほんの少し、出掛けてみたいだけ。そんな些細でいじらしい希望なのだ。

 それがわかった途端、まだ不安を拭いきれないでいた胸のうちが落ち着きを取り戻すのがわかった。


 まだ若く、おまけに歳よりずっと幼い容姿の少女が、とうとう決めた覚悟を胸に抱いて頼ってくれたのだ。いい歳した大人の私が、錆びついた対人スキルと重い腰を理由に協力をしぶるわけにはいかない。

 私は少女の瞳を見つめ返しながら頷いた。


「理解してもらえるよう努めます」

「無理はするな。あの娘の相手は場合によっては大層気力を削られるゆえな。最終的に、妾は食べたいように食べても健康を損なうことはないのだと伝わればそれで良い。

 で、これは参考程度の当初の計画じゃが。妾が一人で洞窟から出つつ、その辺から持ってきた岩を積んで入り口を塞ぐ。そして岩に貼り紙をしておくつもりじゃった」

「待ってください。それって私、閉め出されませんか」

「そうすれば役夫を集めて岩を撤去するまで、宮殿の者がそなたの面倒を見ることになる。出し抜かれた上閉め出されたとあれば、同情が買えてそれなりの待遇を受けられようし、料理番との交渉時間もたっぷり取れるじゃろう?」


 何やらあっさり明かされたその計画は、私個人にとっては少女の脱走よりよほどとんでもないものである。

 好意的に考えれば、十年以上のブランクを経て外界に放たれる私への印象まで考慮に入れた親切な策なのかも知れないが。そうだとしても素直にやめてほしい。

 さっき不安に心を揺らした時の労力について、ちょっとばかり見直せないだろうか。


「貼ろうとしていたのがこれなのじゃが」


 そんな私の複雑な心情が籠もった視線を涼しい顔で受け流しつつ、少女は衣の袷の隙間から折りたたんだ紙を取り出した。宮殿で使われている上質なものなのだろうか、白さが眩しいくらいには立派な紙だ。

 開いて見せてくれたのは、広い広い余白の真ん中にぽつんと並んだ、なかなか達筆な文字群だった。


『言いたいことは泉守に伝えてある』


「こうしておけば、料理番との話を終えて洞窟へ戻ったそなたが貼り紙を見つける。宮殿に戻って次第を伝えるのにもう一度話す羽目になって……と、時間を稼ぐ算段じゃった」

「私は危うくかなり悲惨な目に遭うところだったんですね。それで、計画はどこからが変更になるんですか?」

「入り口を塞ぐのはやめにしようかのう」


 一番聞きたかった言葉が聞けた。ほっと胸を撫でおろした私に向けて、少女は悪戯っぽく「よかったな」とか笑ってみせる。


「そなたが料理番としばらく話した頃を見計らい、妾は文を宰相に届ける。方法は……適当に、投げ文とかでよかろう」


 どうやら胸踊る計画を目前にして気が大きくなっているようだ。宰相閣下への認識が随分と雑である。


 私の十数年前の記憶の時点では、かのお方はまだ十歳そこらの少年だった。実父である当時の宰相の側にじっと控えていて、あれはきっと後継者としての勉強だったのだろう。

 まだあどけなさの抜けきらない少年であるにも関わらず、父親に負けず劣らず堂々たる佇まいだった。黙って立っているだけでも他人を緊張させてしまう不思議なカリスマすら備えていた。そんなお方が年月を経て立派な青年となったはずの今、その威厳が果たしてどれほどまで成長したのかは想像がつかない。


 だが、この国一番の貴人はやはり違う。どんなにいかめしげな成人男性でも恐るるに足りないらしい。


「宰相はそなたを呼びつけるじゃろう。喚問されたらそなたは洗いざらい話せ」

「洗いざらい? 話す?」

「二物は引きこもり生活に倦んでいる。自分はその意思表示たる脱走作戦に利用された。後ほど外で落ち合おうとまで指示されているので外出させてほしい。二物は、泉守の迎えが遣わされるならば良きところで宮殿に戻るから他には何も必要ないと言っていた、と」

「本当に洗いざらいですね」

「正直なのが一番じゃ」


 宰相閣下と言えば、実質的にこの国を動かしている権力者であり実力者だ。初めてまともに目通りするそんな相手を前にして、都合よく嘘をついたりごまかしたりできるとは思わない。素直が一番だというのには全面的に同意である。


「あとは……果たして宰相閣下が、想定通りに私を迎えの役に遣わしてくれるかどうかだと思いますが」

「妾は宰相と生まれたときから付き合うておるのじゃぞ。宮殿内での妾自身の立ち位置も、そなたよりよほど弁えた上でそう読んだ」


 きっぱり言い切られて、出せる口はもちろんない。

 それ以上この作戦に質問したいことも唱えたい異議もなかった。色々とシミュレーションして問題点を洗いだそうにも、私は外の現状を知らなすぎるのである。

 こうなったら、お互い腹を決めて決行するだけだ。とは言って少女のほうは私を訪ねてきた時点からそのつもりだったのだろうし、何より計画の第一段階は私の料理番訪問作戦である。


 私の決心を待ってくれているのだろう。少女は黙ったまま湯飲みを手にとって傾ける。口をつけようとする寸前で、中が空になっていることに気がついたらしい。

 注ぎたそうかと、言葉にして尋ねる前に小さく首を振る答えがあった。


 知らないうちにできあがって、私の役目の重要性も今ひとつあやふやな作戦の先鋒がこの身だとは、腹の決め甲斐があるというものじゃないか。そう考えることにしよう。


「……。……わかりました、出掛けましょう」


 善は急げとも言うし。私がもたつけばもたつくほど少女が街を散策できる時間は短くなってしまう。

 宮殿に赴くとは言っても、着替えて代わり映えするほど立派な衣装の持ち合わせなどない。できる身支度も特にないので、使ったポットと湯飲みだけを片付ければ準備は万端だった。


 片付けを終えるなりさっさと家を出る私に、期待のきらめきを隠しきれない眼差しを向けながら、少女は後ろをついてくる。


「なあ、戸締まりとかはせんで良いのか?」

「物色されて困るものなんてここにはありませんよ。そもそも普通の人では、洞窟に入って数分で遭難騒ぎです」

「もしも妾がこっそり家探しでもしたらどうする。夥しい量の苔の素描画とか隠してないな?」

「何故あなたは私が苔を偏愛しているとお思いなんですか」


 無論、そんなものは隠していないし存在もしない。この家は泉守たる私のただの寝床にすぎず、洞窟内だけで生活できる人間に貴重な持ち物などあろうはずがないのだ。

 真に守るべきものがあるとして、こんな質素な家屋などを当てにして内に隠す必要はない。この洞窟こそが天然の迷宮としてより良く役目を果たしてくれる。

 そんな調子だから、そもそもこの家で施錠できるのは寝室だけだ。それですら私があまりに使わないせいでいつの間にか鍵を紛失している。


 加えて言えば、確かに私は少女を度々光る苔の部屋に連れて行くけれど、それはべつに、苔が好きすぎるあまり良さをアピールしようとしているわけではない。嫌いか好きかと聞かれれば、長年の愛着もあって好きだけれども。


 ランプを手に洞窟の入り口へと歩を進める私の周りを、少女は忙しなくくるくると動き回る。楽しみなのと、いざ脱走の実行を目の前にして浮き足立っているのと、何だかんだと言いつつも私を巻き込んでいることへの遠慮と、少女なりに色々複雑なのだろう。

 ふらふらしてると躓きますよ、と窘めると、少女は無言でこくりと頷いた。私の前に立って真っ直ぐ歩き始める。


 彼女がまだこの道に慣れない頃、少女がまだ幼女だった時分に、何度かこうして一緒に歩いたものだ。

 小さな歩幅にあわせるのがまどろっこしく、彼女の方も私にあわせようとしてほとんど小走り同然に歩いている様がまたいたわしかった。

 そんな姿を眺めて5度目の見送りの時にふと思いつき、抱えて運んでみた。当然体に触れる前に断りはしたのだが、長身男の胸の高さに抱かれるのは小さな女の子にとってかなりの衝撃だったらしい。それ以降彼女は道順を完全に記憶して一人で往復するようになってしまった。


 懐かしいなぁ、などと言うのは年寄りくさすぎるか。

 今の少女の歩幅も私の感覚に照らせば狭いものだが、感傷に浸っている間にあっさり洞窟の入り口が近付くと、この道のりに名残惜しさすらおぼえてしまう。


 前方に楕円の光が見えている。それがこの洞窟の、人間が通過できる唯一の出入り口だった。

 楕円の縦は私の頭が辛うじてぶつからない程度。横幅はその倍くらいはあるだろう。前回この場所に立ったときよりも何となく狭く感じるのは、隣に立つ者が成長しているからだ。


 外の地面へと降りる段差の手前で一度立ち止まり、目の上に手のひらを翳して、見渡す。


 真っ直ぐ顔をあげた先、今ひとつ距離感を掴みきれない遠くに、宮殿の裏門が見える。黒く塗られた巨大な木扉はこちら側に閂を見せてぴたりと閉じていた。

 大扉の脇には、この距離からでは目視できないが、私でなくとも大抵の大人は身をかがめなければ通れないような小さな扉があって、そちらは向こう側に閂が設けてある。そんな妙な造りをした門だ。


 門へと伸びる一本道の両脇には、視界に収まりきらないほど背の高い樹木がずらり立ち並んで、鬱蒼とした森を成す。太く直線的な幹をもつ一本一本が、高いところから枝を大きく広げて、天蓋のように頭上を覆っていた。

 その隙間から差す木漏れ日が道いっぱいに落ちて、微風を受ける度にさやさやと揺れる。


「……風だ」


 洞窟の奥には滅多に風が届かない。届いたとしてもどこかの隙間を吹きぬけてくるものばかりだったから、柔らかい空気の流れが肌に優しくて心地良い。

 実に十数年ぶりの景色だ。土の地面、草木の香り、黒塗りの門と、その向こうにどんと構える広い広い宮殿。

 案外大した代わり映えも感じられない、ちょっとばかり肩透かしで、懐かしくも思えてくる風景だった。


 感慨に浸っている私の顔を暫し覗き込んでいた少女が、不意に、自分の腰ほどある高低差をひょいと飛び降りた。


「わがままに付き合ってくれること、感謝する。首尾よく済ませて街道で落ち合おう」


 ぐるぐる結い上げた黒髪とひらひらした衣を翻して、その背中は巨木の森へと向かっていく。

 彼女のことだから、あの森のどこかに支度の品を隠していたとか抜け道を開拓していたとか、そういうわけでもあるのだろう。

 迷いのない足取りの行き先を案じるよりも、私は私自身の緊張でそれなりに胸がいっぱいになっていた。


 小柄な少女がひと思いに下った段差を見下ろして、草木の香りをまとった空気を大きく吸い込む。それに自分の体温をのせて吐き出しながら爪先でぽんと踏み切って、私は十年数年ぶりに、土の地面に足をつけた。

 ほんの少し脇に逸れればゆるやかな傾斜で降りることができるのに、年甲斐もない冒険心に任せて慣れない動作に挑戦してしまったものだから、足腰にそれなりの痛みを負う羽目になった。胸の中心がぎゅっと収縮する。靴底で砂粒やら小石やらが転がるのを感じる。瞬きした目蓋に木漏れ日が落ちてきて視界がキラキラした。


 そういえば、右手にランプを持ったままである。木陰とはいえ野外に出たせいで光り具合も頼りないそれを、とりあえず、さっきまで自分が立っていた場所に置くことにした。

 振り返ってみれば、私の慣れ親しんだ洞窟の入り口は、少々陰気な趣の虚ろにも見える。


 虚ろの上には青黒い岩肌が聳え立っていた。ずっとずっと果てしなく、雲すら貫く絶壁である。見上げても見上げても頂上を目にすることはできない。それほどまでに、高いのだ。


 さすがは、この地で最も天に近きもの。武骨で圧倒的な威容に見下されて、私の心は不思議と凪いでいく。


「……神様、見ていてください」


 誰の耳にも届かない声でそう告げてから、私は宮殿へ向けての歩を進めた。

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