別れと出会い(5)
広場の中心には櫓が組まれ、建物の二階程度の高さに床板が架けてある。そちらで待機していた数人は、車で届けられるはずの荷物が人海戦術で運ばれてくるのに驚いた様子だったが、俵ふたつを担当するヨイが心の底から楽しげな顔をしているので諸々のことがどうでもよくなったようだ。
宴で浮かれた空気も背中を押すのか、あたりの人手がわらわらと手伝いに集まってきた。バケツリレーさながらに櫓の上まで供物を運びあげ、ものの10分もすれば櫓は大がかりな祭壇へと姿を変える。
「いやぁ皆、本当に助かった! ありがとう。詞の奏上まではまだ時間があるから、もう暫く待っていてくれ」
まとめ役らしき男が櫓の上から声をかけるなり、集まった人々は歓談しながら三々五々に散っていく。その流れの中を搔い潜るようにしてヨイが近づいてきた。ちょんちょんと袖を引かれるので、屈んで耳を近づけてやる。
「ねえイザク、あの櫓は何なの?」
宮殿暮らしのわりには難なく習俗に馴染んでいるように見えたが、やはり知らないこともあるようだ。周囲の誰もが一切疑問を抱くことなく過ごしているから、下手に尋ねて不審がられるのを危惧してわざわざ私に耳打ちしてきたらしい。実に目端の利く娘である。
私はやや腰を屈め、ちょっとした相談でもしているようなふうを装いながら疑問に答えてやる。
「豊穣の宴は基本的に気ままに飲み食いをして騒ぐだけで作法も次第もありませんが、一つ、返礼の詞の奏上という儀式だけは必ず行うんです」
返礼の詞とは読んで字のごとく、その命を実りとして授けて下さる創り主へ捧げる感謝の言葉だ。この詞を用いた請願で、授かった実りの一部を直接創り主にお返しする。そうして命を循環させて次の実りをいただけるように願うのだ。
捧げた供物の還元だけではなく、周囲一帯に滞留する命にも流動を促す大規模な儀式となるので、共同体の中でも請願を得意とする者が複数人で臨むことが多い。さらに、願いが聞き届けられて生命力の光が周囲を舞う光景は圧巻そのものだから、街中の住民が見物のために集まるイベントでもある。
あの櫓は詞の奏上を行う舞台で、運んできた供物は創り主にお返しするためのものだ。奏上は通例空が暗くなってから始まるが、請願を無事成功させるためには祈祷師の精神統一も含めて色々と支度があるのだろう。
人の暮らす街や村なら定期的に必ず行われる儀式だから、普通の人であれば、ヨイほどの歳になって知らないはずはない。一通りの解説を聞いたヨイはほっと胸を撫でおろした。
「イザクに聞いて良かった。お忍びってのもなかなかどうして難しいね」
そもそも、一般庶民たちというのは二物様のことをどれくらい知っているのだろう。サキクサの徴を持って生まれてその花の名で呼ばれること、生まれてまもなく17年になることくらいは全土に周知されているだろうが、それ以上の詳細の浸透度はまったく不明だ。授かった賦才が怪力だという事実の認知度はどれくらいなのか。
もしも二物様が怪力の持ち主であることまでが知れ渡っているのなら、城から来た自称およそ17歳の少女が惜しげもなく怪力を披露していれば、正体に勘づく者がいてもおかしくはない。むしろ誰一人として疑わないほうがおかしい。察しているにも関わらず優しさから触れないでくれているのだとしたら、それはそれでなんとまあ、統率の取れた優しい集団であることか。
世間知らず二人で額を突き合わせているところに、ヘェベの手を引いたチモモがやってきた。
「ねえ、二人とも。奏上まではまだ時間もあるし、うちの畑を見て行かない?」
「畑って、柚子を作ってるんだっけ?」
「ええ。他にもいろんな果物の木があるの。ちょっと歩くことにはなるけど、さっき話してたエスターさんの絵もあるし、どうかしら」
「行きたい! いいよね、イザク?」
「ヨイさんのお好きなように」
彼らの自宅と畑は村の北西の郊外にあるそうだ。そこそこ距離があるというのも、腹ごなしには丁度良かろう。
それよりも気になるのはチモモの背後、明らかに覇気を失った様子のヘェベだ。
「ヘェベさんは元気が無いようですが、大丈夫ですか? またお加減が悪くなったのでしょうか」
あまり酒に強いたちではないと察しはついていたのに、冗談の使いどころを間違えて飲む流れに乗せてしまったのは他ならない私だ。気分が優れないのならばもう一度請願をして癒すのもやぶさかではない。洞窟の外における私の存在価値は人より少しばかり請願が得意なことくらいだ。
心配して覗き込む私に、ヘェベはにわかに空元気を取り戻して大きく首を振って見せた。
「まさか、全然、俺は全くの元気ですよ。ただちょっと、眠くなってきた気がするだけです」
「この人ったら子供みたいで困っちゃうわ。ヨイちゃんのほうがよっぽど大人よねぇ」
チモモは笑いながら夫と腕を組んで歩き始める。彼女はヨイを随分と子供扱いするが、実際ヨイとヘェベの歳の差がたったふたつしか無いことを正しく把握できているのだろうか。
道々話してくれたところによると、ヘェベの家系が持つ果樹畑はその広さのために街ではかなり名が知れているのだそうだ。ひと家庭では到底管理の手が回らないので他の家々の力を借りることが多い。結果、彼の家が所有する建屋のひとつが郊外における集会所として機能し、その周辺だけでも小規模な村落の様相を呈している。
また、街の中心に暮らす住民たちがちょっと自然の香りを堪能するために足を運ぶこともある憩いの場なのだとか。とりわけ子供たちはいつの時代も、思いきり走り回れて程よく障害物があり、小腹が空いたらちょっとおやつを頂戴できる、絶好の鬼遊びスポットとして贔屓にするらしい。街中生まれのチモモは幼少の頃、友人たちと遊びに果樹畑へと赴いた先でヘェベと出会い、二人はそれ以来の幼馴染なのだそうだ。
「街が裏の里に移っている時でも、一度も畑を離れたことがないんですって。すごいわよね」
チモモの語りに軽い相槌をうちながら、ヨイがちらりと私に視線を向けた。耳慣れない言葉が出てきたせいだろう。
「ええと……ヨイさんは裏の里のない所の出身でしたね」
「あらそうなの。まあ、私も話を聞いただけで、行ったことは一度もないんだけど」
地形等々の要因から生命力が滞留しやすい立地にある街には、裏の里なるものが存在するケースがある。
予め同じ構造の街を二つ作っておいて、片方でしばらく生活してあらかた生命力を消耗し、作物の減産などの兆しが見え始めた頃に、身軽な人々が実りを求めてもう片方の街に移住していく。人が動けば街の機能が徐々に移転していき、最終的には街ごとの引っ越しが完了するのだ。引っ越した先には溜まった生命力による潤沢な実りがあるし、しばらく放置するほうの街にはまた少しずつ恵みが溜まっていく、という寸法である。
この制度の面白いところは、あらゆることが住民たちの感覚に基いて自然と進行することだ。何もかも個人の気分次第で、同じ位置にある家に引っ越さねばならないという決まりすらないのに、不思議と全てがすんなり収まる。
表裏が入れ替わるスパンは短くて60年とも言われるらしいが、過渡期が十年以上に渡ることもざらにあるし、普通の人間ならば人生に一度も経験しないまま死んでいくほうが多い。私が知っているのは前任者から聞かされた情報で、まともな記録に基づいた数字ではない。そもそも引っ越しに際して律儀に記録を残す者がいないのだ。
その時々の恵みに甘んじて暮らすのを生き様とする国民性だから、記録など残さないし、その必要も感じない。珍しく誰かが残していたとしても、インテリアの役すら務まらない古物をずっと取っておくことは滅多にない。現宰相が頭を悩ます所以だ。
ヨイは目を輝かせてチモモを見上げる。人里が行き来するというシステムも、どこかにこの街の複製のような街が存在しているという事実も、興味深いようだ。
「行ったことないんだ。遠いの?」
「滅茶苦茶に遠いってほどじゃない。天気の良い日に小高いところから見晴らせば姿が見えるよ。今じゃただの森にしか見えないから、知らなきゃ街だとは分からないだろうけどね。
俺の母は度々遊びに行ってはそこで一日中過ごしてた。探検とか好きな人だったんだ」
宮殿を出て見渡した景色にあった森のいずれかが、放置されて久しい裏の里だったのだろう。
だが、それよりも気になるのはヘェベの過去形の口調である。あの口ぶりと声色は、どう解釈しても、お母上が既に他界しているようにしか聞こえない。しかもヘェベの心は全く整理がついていないようだ。生真面目な青年の顔に張り付いた空元気の笑みがこんなにも痛々しい。
節々に情緒不安定っぽさがのぞく言動の原因は、肉親の死だったのだ。確定するための手がかりはないものの十中八九それが真相である。
この場で明るいふうを装っているのはヘェベだけで、それがかえって彼の余裕の無さを如実に表現していた。隣のチモモはたしなめるべきかそっとしておくべきか迷った様子で口をぱくぱくしているし、私はまず間違いなく納得と大きな戸惑いを顔に出してしまっているだろうし、如才ないヨイですら気まずげな視線の動きを誤魔化しきれていない。
「……あー、ヨイさん。そういえば帰った後のことで相談しなければならない件が……」
そらぞらしい嘘をつきながら道の端へとヨイを呼び寄せる。あまりにもそらぞらしすぎたせいで、せっかく気丈に振舞ってくれていたヘェベにも、気を遣ったことを勘づかれてしまっただろう。しばらくそちらを見られそうにない。
「ねえイザク、あの言い方って、その……そういうことだよね」
「おそらくは。それに関して、お伝えしておきたいことがあるのですが」
なに、とヨイが背伸びをして耳を近付ける。なんとも内緒話には向かない体格差がもどかしい。
「亡くなった人の命は死後暫くの間、その地に満ちる生命力の中で個人の記憶を持ったまま留まり得る、という考えがあります。ご存知ですか」
「小耳に挟んだことはある」
「そして返礼の詞の奏上は、その土地一帯に留まった生命力を循環させるための儀式です」
つまり、死してなお生前の記憶を帯びて存在している誰かの魂もまた、次の新たな命となるべく創り主の元へと還される。
死んでしまったあの人が姿は見えずともまだそこにいて、見守ってくれているのかもしれない。消えてしまったとは信じたくない。遺された者の小さな希望も洗い流して、前を向かせるための、少しばかり厳しい儀式でもあるのだ。
あの落ち込みようから察するに、ヘェベの母はまだ亡くなってから日が浅い。整理がつけられない心情を、死してなお残る不可視のものに託して慰めていたのだとしたら、返礼の詞とは彼にとって、ささやかな慰めをも奪ってしまう宣告に他ならないのである。
しかも今回の豊穣の宴の開催はまったくのイレギュラーだ。本来ならば、母親の死という事実を受け入れるためにもっと時間をかけられるはずだった。それが今日になって唐突に、決定的な別れが眼前に現れたのだ。
まだ生まれて20年にも満たない青年だ。慣れてもいない酒に手を出して、飲まれたままに馬鹿騒ぎしてしまいたくなる気持ちもわかる。
生まれて17年にもならない少女にも、彼の心中にあるかもしれない深い悲しみは、痛いほどに理解できたようだ。ヨイは小さな唇をきゅっと噛む。
「奏上の場に居合わせるのは彼にとって苦痛になるかもしれません。丁度お二人の自宅に向かっていることですから、案内を頼むのはそこまでにして、私たちだけで宿に戻りましょう」
「了解した」
ヨイは頷き、目一杯上げていた踵をすとんと落とす。話のわかる子で本当に頼もしい。
失礼しましたと詫びながら振り返ると、待ちかねたと言わんばかりにチモモが先を目指して歩き始めた。
道中は、宮殿の内部の様子や、私がかつて暮らしていた東の街のことを話しながら進んだ。ボロが出ないように遠い記憶を探るのには難儀したが、チモモもヘェベも口数の少ない良き聞き手でいてくれたので掘り下げて尋ねられることもなく、助かった。
街に入ってきた時の道を逆戻りするような形で途中まで進み、分岐路を選んでヘェベの自宅へと向かう。いつしか周囲の景色は完全に田畑や果樹の木立へと変わり、道は林の中を縫うようになっていた。徐々に傾く日の赤さに、艶のある果樹の葉は濃い緑色を一層濃く、黒に近く見せている。
「森の中を歩いてるみたい。わくわくするね」
「かくれんぼや追いかけっこがはかどるのよ。小さい頃はよく遊んだわ」
「俺はついぞチモモに一度も勝てなかったな。四年も先に生まれたくせして年下の子に少しも手加減しないで、それはもう満足げに勝ち誇るんですよ。悔しいのなんのって」
「ふてくされるのが可愛かったんだもの」
ささやかな笑い声が梢の間に紛れて消える。長く伸びる影に寄り添われながら行く道の先にやがて、彼ら夫婦の自宅が現れた。
年季が入った、しかしながら暮らす者の丁寧な手入れと愛着を感じさせる、木造を基調とした広い家だった。若い夫婦二人で暮らすには不釣り合いでかなり持て余すように思えるけれど、風格のある佇まいは不思議と安心感を抱かせる。きっとこの家は住み心地が良いに違いない。
「広い家でしょ。これでもよく人が集まって泊まっていくから、寂しくはないのよ」
ヘェベが玄関の戸を開き、おそらくはいつもの習慣で中に向かって「ただいま」と声をかける。すぐさまチモモが「おかえり」と応え、それから私たちも後に続いた。
客間はかなりの数があるそうだが、頻繁に泊まっていくご近所さんの寝床としてすっかりカスタマイズされている所も多いらしい。私たちは中でも一番上等だという部屋に通してもらった。
通された部屋はどうやら、腰を落ち着けて客人と歓談しつつ、所有する逸品を披露することを目的とした内装らしい。木目の美しさを堪能できる大きなテーブルや布を張った柔らかい椅子、部屋の東側の壁に誇らしげに掲げられた絵の軸、南側には木組みの格子に紙を貼った戸が立ててある。それぞれの建具の趣は宮殿で見たことがあるものと似ているが、細部には所々違いがあって目新しい。
お茶の支度をしてくるからとチモモが一度下がる。ヘェベは私たちに椅子を勧めて座らせると、おもむろに南側の戸を大きく開いた。
「わぁ」
ヨイが感嘆の声をあげた。私もつい声を出しそうになり、唇を引き結んでこらえた。
開け放たれた戸の向こうは広い庭だった。
庭木が並ぶ合間に石が配され、柔らかそうな芝草の地面には飛び石で道が引いてある。時期柄なのか花の類は無かったが、夕暮れ時の光の色が満ちた今は、そのほうがかえって胸に迫る寂寥感を演出していて趣深い。庭を囲う塀などはなく、遠景にはさっき通ってきた果樹の畑が広がっている。
どこか切なくなるような、それでいて、切なさまでも併せて静かに受けとめるための安らぎをくれるような景色だ。
そして私の目にだけは、庭木のそばに佇む人の影が映っていた。
「昔っからある庭で、ここだけは他人に任せないのがうちの決まり事なんです。俺は家と庭の手入れで精一杯だから、肝心の畑のほうは9割がた人任せになちゃってて」
「そりゃあこれだけの庭、手がかかって当然だよ」
もしやと思って様子を伺ってみるけれど、やはりヨイとヘェベには、木の下に佇んでこちらに背を向けている人の姿は見えていないようだ。
見たところ女性である。腰に両手をやって、どことなく満足げな姿勢で畑のほうを眺めている。その全身はほのかに青みがかった光を帯びており、よくよく目を凝らすと体越しに向こうの景色が透けて見えた。
生前の記憶を帯びて形を保った、死人の命である。目にするのはかなり久しぶりだ。見えているのは普通ではないということも失念し、うっかり反応してしまうところだった。
この国を成すものの根源は全て創り主の命である。自我を持つものとして生きているあいだは各個人の記憶を伴ってその生物独自の命となるが、言ってしまえば原材料がみな同じなのだ。泉守の目とはその、原材料の状態で存在する命を見るものである。生きていようが死んでいようがすべからくを映すのは道理だ。
肉体を失った人間の命が死後も自我を保ってその場に留まることがある、というのは、決して生者を慰めるための妄想ではない。残る人と残らない人の違いはいまひとつ不明だが、実際ああして存在するのだから、私にとっては紛れもない事実だ。巷でまことしやかに囁かれるくらいだし、時と場合と運とその他諸々によって、普通の人にも見えることがあるのだろう。大部分の人間には見ることができないのでわざわざ喧伝することはないけれども。
いわゆる幽霊であるところの女性は暫く同じ体勢で庭を眺めていたが、ふとこちらに顔を向けると、庭園を鑑賞する者の存在に気付いて両手を口にあてた。音は聞こえはしなかったが、あっと声をあげて驚く仕草だろう。そのまま身をかがめてこそこそと小走りをし、すっと死角に身を隠した。自分の姿が生者に見えないのは察しがついているだろうに、鑑賞の邪魔にならないようにと気遣ったのだろう。生前の性格が窺える。
遠目だったので顔立ちや年頃はわからないが、飾るつもりのなさそうな身なりや腰を屈めた動きの印象から推測するに、少なくとも若者ではなさそうだ。
……というか、あれはヘェベのお母上なのではなかろうか。直感が声高にそう告げている。
「どうでしょう、街の見物は楽しんでもらえたかな。俺が随分な出迎えをしちまったからちょっと心配ですけど」
ヘェベの声でふと我に帰る。受け答えはヨイが進んで受け持ってくれた。
「すごく楽しいよ。ヘェベと会ったのも、とてもいい思い出になった」
「そう言ってもらえると何よりだ。今日の宴はいきなりだったのに、丁度その日に遊びに来るなんて。ヨイちゃんは本当に運が良いよ」
お互いに内心の思うところを探りあい慮りながら、ヘェベとヨイは顔を見合わせてはにかんだ。沈黙が気になりだした頃に折よくチモモが戻ってきて、熱くて濃いお茶を出してくれる。
「……もう日が落ちるなぁ」
じきに返礼の詞の奏上が始まる時刻だ。
四人揃ってぼんやりと庭を眺める。配置されたモチーフの影が黒々と浮き上がる、切り絵のような光景が、窓によって四角く切り取られ静止していた。
「すっかりお世話になっちゃったね。今日は一日、どうもありがとう。あたしとイザクはそろそろお暇しようかな」
湯吞みの中を空にしたヨイがにっこり笑って切り出した。見送ろうかというチモモの申し出も、宿までの道はわかるからと丁寧に断る。
ヘェベもチモモも、もう一つ、客人を送りだす踏ん切りがつかない様子だった。私たちが帰ってしまえばこの広い家に二人きりだ。日頃よく入り浸っている近所の住人も、今日ばかりは中心街に出かけていってしまっている。
いよいよ椅子を引きかけたヨイをチモモが呼び止めた。
「そうだわ、二人とも、エスターさんの絵をまだ紹介してないじゃない。居間に飾ってあるのよ。大きくて動かせないから、見にいらっしゃいな」
「ああ、あの動く絵は人生で一度は見ておいたほうが良い。……俺はちょっと疲れたから、チモモと一緒に行ってきてください」
促されてヨイは応じ、チモモと共に立ち上がる。私にも声がかかりかけたところで、迷った末に片手を挙げて申し出ることにした。
「すみませんが私も少し歩き疲れたので、ここで休んでいてもいいですか? お構いは結構ですから。絵の感想はヨイさんに教えてもらいます」
それ以上強く勧められることもなく、女性二人は私を残したまま連れ立って部屋を出ていった。
ヘェベも、私に一声かけてから自室へ向かうべく席を立つ。しかし、その足は静かに、入口の戸の前で止まってしまった。




