第648話
「お、お父さん、お母さん・・・朝食を作ったの。一緒に食べようよ・・・」
「おぉエレンミア!す、すっかり寝過ごしてしまったよ。起こしてくれてありがとう。な?母さん」
「ええ!ぐっすり寝てしまっていたわ!ちょうどお腹も空いていたのよ。ありがとうねエレンミア・・・うぅ」
目の下が腫れていて、恐らく一睡も出来なかったのであろうことは明白。
だがエルの気持ちはそれどころではない。
せっかくの久々の一家団欒の時に、これから冷めたスープを食べさせてしまうことになるのだから。
気分的には何年も待った大事なお客さんをもてなすのに、『はい、昨日の残り物』と出す気持ちに近い。
「上にパセリをかけて・・・はいどうぞ・・・あぁ・・・」
「白いスープ?」「ガラスの器??」
「さ・・・冷めているので気をつけて食べてね・・・」
「え?」「うん、気をつけるわ???」
エルフ親子の謎のやり取りに、ドモンは口に手を当て吹き出すのを堪えた。
テーブルに並んで座る両親の真向かいに、気まずそうに座ったエル。
もちろんエルの目の前にもビシソワーズが置かれた。
「先に言っとくけど、私のせいじゃないからね!ドモンが悪いんだもん・・・」エルはしょんぼり。
「これ、ドモン様になんて言い草を」「申し訳ありませんドモン様」
「クククいいからいいから。折角のスープが温まっちまうぞ?プッ・・・」プルプルと震えるドモン。
「そ、そうですね??」「温まってしまう???」「もうやだ私!ドモンのバカ!」
両親にとって、今は正直食べ物のことなど些細なこと。
最愛の娘とこうして朝食を食べられることだけで胸はいっぱいだ。
冷めたスープというのも、ドモンが話を弾ませるために気を利かせてくれたのだろうと思っていた。
「どれ、まずは私から一口。あぁ本当に冷めたスープで・・・というよりかなり冷たい・・・ん?!」
「あ、あなた・・・これ・・・口の中と頭が幸せでどうにかなってしまうわ・・・信じられない・・・」
「わ、私は長老を呼びに行ってくる!母さんは他の皆にも知らせておくれ!ドモン様からとんでもないものを授かってしまった!」
「えぇわかったわ!エレンミアもそれを食べたら手伝ってちょうだい!どうしてって?食べたらわかるわ!」
二口三口食べたところで、ガタンと席を立った両親。
娘との時間は確かに大切だが、それすらをも後回しにしなければならない革命が今起きてしまったのだ。
「もうなんなのよ、お父さんもお母さんも慌てて・・・」
「まぁエルもとりあえず飲めよ」
「うん・・・え?なにこれ嘘でしょ・・・これを私が作ったっていうの???」
「美味いか?」
「美味しいなんてもんじゃないわ!嘘よ嘘!私悪魔の呪いにかかってしまったんだわ!怖いよドモン、呪いを解いて!手が止まらないよ・・・」
衝撃、感動、祝福、歓喜。そして圧倒的感謝。
目の前に実際に神が現れ、本当に願いを叶えてくれたかのよう。
ひとつの新たなスープで、普通ならばそこまで驚くほどのことでもないが、ここのエルフ達にとって見れば、たった今『食を楽しむ』という事が心に刻まれた瞬間なのだ。踏み出し始めた第一歩。
エルがスープを飲み干した頃、近所に住む者達がやってきて、まずはエルがそこに普通にいることに驚いていた。
続いて作られたスープが冷たい物と知り、二度目の驚き。
「どういうことなの?」「ドモン様がお作りになられたスープが冷めてしまったってこと?」「何も入っていない白いスープ??」「エレンミア久しぶり!」
「まだあるからみんなも飲んでみてよ。きっとそれが説明するよりも早いと思うから」
小さなグラスに味見用のビシソワーズを少しずつ入れて、パセリを振りかけたエル。
「おいしっ!!」「なんだこれは?!」「さ、さすがはドモン様だ」「信じられない・・・」
「俺は少し助言をしただけだよ。実際に作ったのはこのエルだ」ポンとエルの頭を撫でたドモン。
「ち、ちが・・・」
「すごいじゃないエレンミア!」「これをあなたが?!」「エルという愛称を頂いたんだね」「私にも作り方を教えてくれないかい?」
ワッとエルフ達がエルの周りに集まる。
エルが困惑しながらドモンの方を見ると、ニコッとしながら一度だけドモンが頷いた。
「ドモンに教えてもらいながら私が作ったの。材料はありきたりなものどころか、野菜の端切れを・・・」
「待って待って!すぐに書き取らないと!」「エレンミア・・じゃなかったエル、それって実際にもう一度作ること出来る??」「私も見たいわぁ。うちの旦那は今日畑に行っちゃったから、まだ来られないのよ。食べさせてあげたくて」
引きこもる前も別に仲間外れになっていた訳では無いが、こんなにも仲間達に囲まれて、その話の中心になるのはエルも生まれて初めて。
もう一度実際に料理工程を見せながら、エルは上機嫌で料理教室を行った。
それには後からやってきた母親も鼻高々としながら、「本当に自慢の娘なんです」とドモンに目配せ。
どうやらドモンとエルをくっつけてしまおうという魂胆が見え隠れしていたが、当のドモンは母親の色気に鼻の下を伸ばし、キッチンの方から飛んできた小さな氷魔法の粒におでこを弾かれてしまった。
二回目のビシソワーズが出来上がる頃、父親と長老も皆と合流。
長老はエルフの中で誰よりも驚き、そして姉らが戻ってこないことに納得した。
エルフの里で暮らすこと数百年。
このスープひとつで、世の中の広さを知ったのだった。