第647話
「おぉ悪い悪い。こんな美人の前でヨダレ垂らして寝ちまうなんて」
「そ、そうね。さっさとそれ飲み込んで、顔でも洗ってきてよ。ベトベトだったもん」
「そんなに顔テカってたか。ん?ベトベト・・・だった?」
「い、い、いいから早く洗ってきて!お水はそこ!」
真っ赤な顔でプンプンと怒っているエルフの娘に手を引っ張られ、ドモンはキッチンへ。
パシャパシャと顔を洗って、辺りを見回した。
「じゃがいもに玉ねぎにこれはパセリかな?こっちは昨日の野菜スープを作った時の生ゴミか。お前らは本当に野菜しか食べないんだな」
「パンも食べるよ。あとはミルクやチーズくらいかなぁ。で、一体私は何をしたらいいの?何を作るの?早くしないとお父さん達起きてきちゃうよ?ねぇドモン早く」
「お前本当はおしゃべりな奴だったんだな。そうだなぁ・・・この食材ならあれにするか」
「あれってなぁに?異世界のお料理?何が出来るの?私に作れるかなぁ?ねぇねぇ!ねぇってば!ドモン聞いてる?」
「わかったから少し落ち着け」
これまでの分を取り戻すかの如く、畳み掛けるようにお喋りをする娘。
ドモンに肩をくっつけて、手ぐしでニコニコとドモンの寝癖を直している。
時折スンスンとドモンの首筋のニオイを嗅いでいたが、エルフ元来の性欲の少なさと自制心の強さで、他の女性のように発情することはなかった。
それによりドモンも安心し、今はもう好きにさせている。見た目の年齢的にはサンと変わらない年頃なので、ドモン的には子供をあしらっている気分。
「じゃあまず、この野菜のゴミをきれいに洗ってくれ」
「ちょ、ちょっと!お父さんとお母さんにゴミを食べさせるつもりなの?!もしかして朝御飯を食べさせれば解決するって、毒を盛って殺すつもりじゃないでしょうね?!やっぱり悪魔だから・・・」
「馬鹿、そんな事しないっての。ゴミに見えるけど、この料理には必要なんだ。まったくお前は・・・」
「お前じゃないもん。私にはお父さんが付けてくれた『エレンミア』という立派な名前があるんだから」
「はいはい、エルね。いいからさっさと手を動かせ」
「エルって・・・まあいいけど」とエルは赤い顔。
ドモンがエルに作らせようとしているのは『コンソメスープ』と呼ばれるもの。
固形の物があれば簡単だが、ない場合は野菜の切れ端やベーコンなどを煮込むことで代用が可能。
ベーコンがなければ鶏肉と塩、鶏肉もないならばハーブなどでもなんとかなる。
「へぇ~そんなお料理のやり方があるのね。で、ドモンはじゃがいもと玉ねぎをペラペラに切って何するつもり?」
「玉ねぎをバターで炒めたら、エルが作ってるスープで煮込むんだよ」
「野菜を野菜で作ったスープで煮るの?変なの」
エルは今、楽しくて仕方がない。
今まであんなに悩んでいたのが嘘のようだし、これからどうすればいいのかわからずに、死んでしまいたいと塞ぎ込んでいたのも嘘のよう。
「ここからは私が作るわ。ドモンは作り方教えて」
「じゃがいももそろそろいい感じだな。じゃあその具材を全部掬って、そこにあるザルで濾してくれ。全部が跡形も無くなるくらい潰せばいい。出来たら、そのスープの中に戻してくれ」
「具を無くしちゃうの?!わ、わかったわ」
具のないスープなど見たこともないが、エルはもうドモンを信じるしかない。
時刻は午前八時。いつもなら両親はとっくに目覚めている時間。
「よし出来たな。じゃあそこにミルクを加えて、塩と胡椒で味を整えていくぞ」
「ただの白いスープになっちゃった・・・」
「で、このスープを一気に冷やしたいんだけど、鍋を冷やす魔法とかって出来る?」
「今度は冷やすの?!お鍋を氷で包めばいい?」
画用紙に絵を描くように、簡単に鍋の周りを包むような四角い氷を魔法で出したエル。
このくらいならいくらでも出来ると鼻を高くする仕草が可愛い。
ナナのただ氷のぶちまけるだけの雑な氷魔法とは大違い。
しかもナナは一日一回が限度だけれども、エルは限界を感じたことがないらしい。
「これは一度冷やしてから温めるものなのね」
「いやいや、これは冷たいまま飲むスープだよ」
「・・・・はぁ?冷めたスープを飲ませるっていうの?」
「うん。そういうものだからなこれは。このスープの名前はビシソワーズ。じゃがいもの冷製クリームスープだ」
エルフの里には・・・いやこの世界には、冷製スープはまだ存在しない。
その事実を知り、エルは頭を抱えた。




