第642話
時は少し遡り、サキュバス達が街道沿いの森の中を彷徨っていた頃、ドモン達は迷いの森のすぐ手前までやってきていた。
「この先に進んでも、必ずここらに戻ってきてしまうのよ」とソフィア。
「ここからは俺ひとりで森に入れって言われたんだけど、本当に大丈夫なのかな?進めるか戻ってしまうのかよりも、獣にでも襲われたりしたら、俺なんてひとたまりもないぞ」
力もなければ膝も悪いため、多くの食料も持ってはいけない。
そんな状態で、富士の樹海の中を彷徨わなければならない気分のドモン。流石に不安しかない。
「御主人様、やはりサンはついて行った方が良いのではないでしょうか?エルフさん達の棲家には入らず、手前で待っていますので」ポンッと手のひらをグーで叩くサン。
「ならばワタクシも一緒に行った方が宜しいですね。サンがひとりで暇を持て余すのは可哀想ですわ」ウンウンと頷くシンシア。
「ズルい!それなら私も行くわよ!私だけお留守番なんて嫌だもん!!」ナナはただのわがまま。
「いやダメだろ。俺以外に棲家を知られたくないから、ひとりで来いって言ったんだろうし」
「きっと誰かがついていけば、エルフのところには行けずにここへ戻されるだけでしょうね」頭の良い大賢者。
「ただ心配は心配だから、みんなここで待機はしててくれよ。いざとなったら叫ぶから、その時は飛び込んできてくれ」
「ああそれは任せておいてくれ。出来る限り気配は常に探っておくので、何かあればすぐに救出に向かうよ。それと一応このクリスタルを持っていって。頭の上に掲げれば、普通の獣程度の相手なら近づけなくなるから」
「おー悪いな」
いかにも高そうなクリスタルをドモンに手渡したアーサー。そしてこの場にテントを張り始めた。
テント張りももう慣れたもの。というよりアーサーは、クリスタルの代わりにこのテントが欲しい。一晩過ごしたが最高すぎる。
「じゃあ行ってくるよ」
「やっぱりサンがお荷物を」「ならばワタクシも」「ズルい私も!・・・ねぇ、これって『天丼』ってやつだよね確か」
「そうだなハハハ。どのくらいかかるかわからないから、自動車の中にある物を好きに食べてもいいし、なんかおもちゃとかで遊んでいてもいいからな。向こうでたくさん買ってきた化粧品も使っていいぞ」
「やったわ!」「異世界の化粧品?!私も貰っていいの?嬉しい!」
ワッと自動車の中へ向かう女性陣。
ドモンがこれからひとりで迷いの森に入るというのに、現金なものである。
苦笑しているアーサーと大魔法使いに目配せをし、ドモンはひとり森の中へと入っていった。
「もうみんなの姿が見えなくなっちゃった。ちょっと怖いなこりゃ。山菜採りに入って見つからなくなるジジイの気分だ」
深い霧とまでは言わないけれど、森の中はモヤがかっていて、50メートル先はもう見えない。
自分が真っすぐ進んでいるのか、曲がってしまっているのかすらわからない。
タバコの吸殻を一定間隔で地面に捨てて、元来た道の目印にしているが、徐々に草が深くなりもう吸い殻は見えない。作戦失敗。
ちなみに食べ物を目印にしても、鳥か何かに食べられる上に、大きな獣に自分の位置を知らせるようなものなので、絶対にやってはいけない。
そのまま進むこと三十分。
たった三十分ではあるが、道産子であるドモンはその危険性をよく知っている。
実際は深い森の中を五分も歩けば、そこはもう人間のテリトリーではなく、野生動物のテリトリー。
そこで動物に襲われて死んだとしても、同情の余地はない。
頭の上にクリスタルを掲げながら「ひとりで森に入り、ただ真っ直ぐ進めば良い」という言葉を信じて頑張って歩いていたが、ついには心もポッキリと折れてしまい、ドモンは草むらに座り込んでしまった。
「もう無理だな。限界だ」
「・・・そのままあと一時間ほど進めばよい・・・」
「フゥ・・・帰ろう」
「あと三十分!いや、あと二十分くらいかも!?ピッチピチのエルフがたくさんいるわよー!」「こ、こら」
ガサゴソと揺れる草木から、妙に焦った女性の叫び声。男性らしき声も少々。
はじめは低く静かな声だったのに、突然甲高い若い女性の声に変わった。
「エルフって下着を着けてないって本当かなぁ」
「下着というか、下着が服代わりのようなもんだからね!他の種族もやって来ないから、みんな気にもしてないの」
「美男美女ばかりって聞いたけど、俺が会ったエルフは婆さんだったし・・・」
「あのおばあちゃん達は長老さんよりも年上だし!エルフの里には人間でいうところの、二十歳くらいのエルフしかいないわ!」
「俺は三十路くらいの、脂の乗った美女も好きなんだよなぁ。ナナ達は若すぎて少し食傷気味でさ。だから帰ろう」
「マ、ママはそんな感じよ!娘の私から見てもスケベな体してるって思うくらいなんだから!百歳超えてるけど・・・とにかくあと五分くらい頑張ってよ!」「シーッ!」
下手な客引きのようなことをやりだした謎の声。
恐らくあんまり遅いので迎えに来たエルフだろうと予測し、ドモンは小さくクスクスと笑った。
見えていた山の位置と森の大きさから考えて、エルフの里と呼ばれる所は、本来そこまで遠いものではないと思われる。
どんな仕組みかはわからないが、森の中で来た者の方向感覚を失わせ、招かざる者達を追い払っていたのだろう。
ドモンに対しては招いていたものの、案外近くだということを悟られたくはなかったのだと考えられた。
実は近くだなどと知られれば、人海戦術で森を突破される可能性があるからだ。
あくまでも『この森は人が近づいてはならない』と思い込ませていたいエルフ達。
「よし、もう少し頑張るか」
「フゥ良かった」
「やっぱやーめた」
「さっさとしなさいよこのクソジジイ!私が長老に怒られるじゃない!!」「あぁ出ていっては駄目だ!」
ガサッと音を立てて顔を出した金髪美女のエルフが、額に青筋を立てながらドモンの目の前に現れ、モタモタしているドモンの手首をむんずと掴んで歩き出した。
直後、バツの悪そうな顔をした青年エルフも現れ、「あの・・・すみません、そういうわけなんです」と頭を下げた。