第621話
「皆さんを楽しませることが出来なかった俺達がまだ未熟だったんだ」
「兄さん・・・」
「失敗したって、笑ってもらえる落ち方をしなくちゃならないってのに、逆に心配かけちまうなんて芸人失格だ。そもそも見てもらえなかったのは、皆さんが悪いんじゃない。酒や食事の手が止まるほどの芸がなかった俺らの責任だ。皆さん本当にすまない!」
拡声器によって伝えられた謝罪の言葉。
痛みも癒えて、ゆっくりと起き上がった芸人の兄は、大きな体をすくめてポロポロと涙をこぼしている弟の肩をそっと抱いた。
ドモンもその芸人根性に言葉もなかったが、なにか一言声をかけたくて「あぁまああのさ・・・どんな一流の芸人だって、どうにもならない舞台ってのがあるらしいぜ?その経験を次の舞台で話して、ひと笑い取れりゃチャラってもんだよ。な?」と兄弟を慰めた。
だが今のこの兄にはその言葉は逆効果だったのか、クルッと舞台の後ろの壁の方を向いて、服の袖で目を隠して悔し泣き。
「こいつがあんなにも頑張ってるっていうのに・・・俺に力も才能もないせいで・・・うぅ」
「俺が悪いんだ兄さん!もっとしっかり支えていれば!みんなが注目してくれるまで我慢が出来てりゃ!くっ!」
ガシッと兄を後ろから抱きしめる弟。
「おぉ、なんだかすごい兄弟愛。そんなに愛し合っていたら、お前らの間に芸人の赤ちゃんが玉乗りしながら生まれそうだぜ」
「ちょっとドモン酷いじゃないのよ!男同士で赤ちゃんが生まれるはずないじゃない!・・・え?生まれないよね?まさか?お、お尻から?!」
場の雰囲気を和ませようと言ったドモンの冗談に、的はずれなボケツッコミを入れたナナ。
その声も拡声器に乗っていて、この日初めて宴会場に小さな笑いが起きた。
自分達の手柄ではないが、ようやく起きた笑いと拍手に兄弟芸人も少し落ち着きを取り戻し、「いやぁ、赤ちゃんの前にまず玉乗りの玉を産めるかな?今夜から練習しなくちゃ」という冗談も言えるようになった。
また起きた小さな笑いに満更でもない顔の兄。
だがそんな和やかになりかけた宴会場の雰囲気をぶち壊したのは、おじいさんに懲らしめられた先程の若者達であった。
「フン!そっちのおっさんとデカい胸の女の方がまだマシじゃねぇか!」
「そうだそうだ!こっちで兄さんと楽しくやってるってのに、いちいち話の邪魔ばかりしやがって!」
「お前らなんて師匠と比べたら、まったく足元にも及びやしないんだからな」
若者達はおじいさんに投げ転がされただけで怪我はなく、結局さっきの威勢そのまま。
そんな若者達を「まあまあ落ち着けお前ら」と若者達よりも少し年上の男が、偉そうな態度で窘めている。
「舞台ってものをわかっちゃいないんだよ。ねぇ兄さん」
「ああ、まあなっちゃいねぇな確かに。大道芸を持ち込むのはいいが、それを披露するだけなら素人でも出来るからな。真の芸人なら芸も話術も魅せてナンボだ」
師匠風の男がポリポリと頭を掻きながら講釈を垂れる。
だが芸人の兄弟は、まさに今思っていたことをズバリと当てられ、悔しいが反論することは出来なかった。
「お前らはただ叫んで振り向かせようとしてただろ?八百屋じゃねぇんだからさ。俺達だけじゃなく、他の客も思っていたはずさ。おしゃべりの邪魔すんなって。だから客の声が更に大きくなっちまったんだ。話の邪魔をされまいとよ」
「確かに私も大きな声でドモンと話しちゃった・・・」話を聞き、その言葉の意味に納得したナナ。
「まあ一理あるわな。だからっていくらなんでもあれは乱暴すぎだけど・・・」
ドモンよりも20歳は若い男にぐうの音も出ないくらいの説明をされ、ドモンもそこしか突くことが出来ない。
もちろん暴力は到底許されることではないのもわかっているけれど、正しい説明や理論に対し「でも暴力ふるっただろ!」とそれを盾に取る奴が、ドモンは正直一番大嫌い。
思わず自分がそれをやってしまい、ドモンは眉間にシワを寄せた。
そんな様子を見ていた若者達は増々つけあがり、まくしたてるように兄さんと呼んでいる師匠格の男の自慢を始める。
「兄さんはな、王都の方で伝説の舞台を行った人に、弟子入りを志願したこともある師匠の一番弟子なんだぜ!俺はその弟弟子だ。驚いたか!」
「俺にとっては兄さんが師匠だけどな」「俺達もだ」「僕らも」
「一瞬で客の心をつかみ喝采を浴びたっていう口上ってやつも、兄さんはスラスラと言えるんだぜ」
「よせやい。言えたって一節二節がせいぜいだよハハハ。・・・さてさていいかいお客さん、これから何を作るのかをイチから話すぜ?ものの始まりがイチならば、国の始まりが大和の国、島の始まりが淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、スケベの始まりはこの女!ってな。あんた達言えるかい?」
突如始まった口上に、客達からワッと歓声が上がった。
この国で今ではとても有名な口上で、芸人を目指すものは皆練習をするが、知らない地域名や名前が出てくるので、自信を持ってスラスラ言える者はかなり少ないとのこと。
それを聞き、ドモンとナナはゆっくりと振り向いて顔を見合わせた。




