第589話
「どういうこと?アイさんの生き別れた息子さん達がこの子らだったてこと?」とナナ。
「そういうことだな。まあ大体の察しはついていたんだけど、なかなか確かめる術がなくて。もし違っていたらかえってガッカリさせちゃうから。だからお前らには秘密にしてたんだ。悪いな」
「確かにナナに話せば『まどろっこしいことしないで直接聞けばいいじゃない』と言っていたでしょうね。秘密を隠せるとは思いませんわ」シンシアはヤレヤレのポーズ。
「うっさいわね!あんたはそのおっぱいを隠しなさいよ!右の胸がもうほとんど見えちゃってるわよ!大体あんただって私と同じ考えだったでしょうに」
「う、うるさいですわね」
ドレスが裂けて、右胸の先っぽがいつこんにちはをするかどうかギリギリのせめぎ合いをしていたシンシア。
ドモンはホッと一安心で、ふざけ合うナナとシンシアや、号泣している親子三人とサンを眺めていたが、他の大工や鍛冶屋の弟子達は未だに複雑な表情のまま。
彼らにとってはホビットがふたり増えただけではなく、信頼の置ける自分の兄弟子がホビットだったという衝撃で言葉もない。
しかも名前までも違っていた。
日本でも大好きな先輩や恋人から「実は〇〇国の出身で、本当の名前は〇〇です」などと告白されて、驚くことが多々ある。
それがもし今まで嫌っていた国や人種であるならば、そのまま素直に受け取れないのもまた事実。
それを考え、今度はドモンが複雑な表情へと変わった。
「僕達は何も変わらないよ。だから今まで通り接してもらえれば嬉しい」
「俺もそうだ。大体俺自身正直知らなかったくらいだ。転々として、気づけばこの街で物乞いをやってたんだから」
「・・・・」「・・・・」「・・・・」
兄弟も異変に気が付き、仲間達にそう説明したが、どうにも反応は悪かった。
母であるアイは、自分のこと以上に申し訳ない気持ちでいっぱいになって、また大粒の涙をこぼした。
アイの涙を拭うサンの顔は、またそれ以上にグッチャグチャで、何度もドモンの方を見ては助けを求め続けている。
「チッ」
どこからか聞こえた舌打ちと、地面の土を蹴っ飛ばす音。
そして地面に置いてあった塩釜焼きにパラパラとその土がかかる音がドモンの耳に入り、ドモンは覚悟を決めた。
もう我慢の限界。
自身が責任を取る可能性があることを嫌い、多少口出しはするものの、いつも傍観を決め込んでいたドモンの『強権発動』である。
「ナナ、紙とペンを持ってこい。今すぐに」
「え?そんな事いきなり言われたって私・・・」
「さっさと持ってこいって言ってんだ!このグズ!!」
「わ、わかったからおっきい声出さないでよ!ヤダもう・・・」
何も悪いことはしていないのに怒鳴られ、グシグシと涙を拭いながら大工の弟子達に案内を頼み、工場の中へと走っていったナナ。
ピリピリとした雰囲気にサンとシンシアも固まり、動向を見守っていた。
ナナが戻ってくるなり紙に何かを書きなぐったドモン。
そばにあった包丁で左の手の平を切り、その血をポケットから取り出したドモンの印に擦り付け、テーブルを叩き割らんとばかりにドンドンとその紙に印を押した。
「シンシア!この手紙を今すぐ街にいる騎士か誰かに渡してこい!」
「この格好でですの?一度着替えて・・・」
自分からははっきりと先っぽが見えていたシンシアが、思わず左手で胸を押さえる。
「その格好でいいんだよ!人権宣言は片乳出すのが決まりなんだから!!」
「もうドモン怒鳴らないでよ!またおしっこ出ちゃったじゃない!!うぅぅ」
ドモンが最初に怒っていた時から下着を濡らしていたナナだったが、血だらけで怒るドモンを見て我を忘れ、うっかり皆の前で秘密を暴露。
シンシアは震える手でドモンから手紙を受け取ってヨロヨロと駆け出し、「私がお供します!」とサンもついて行った。
サンがいた足元には大きな水たまり。このドレスじゃなければ何があったかバレていたことだろう。
アイに促され息子達もシンシアとサンについて行き、アイはその水たまりにさりげなく足で土をかけてから、泣いているナナの元へ。
ナナを励ましつつ、ドモンの切れた手にハンカチを巻いた。
「騎士は何処?!誰か急ぎなさい!ドモン様の人権宣言を届けねばならぬのです!」
突然街中の通りに飛び出してきた半裸の女性に驚く通行人達。
ひと目見てわかるくらいの気品溢れる女性がそんな格好で飛び出したので、なにか事件に巻き込まれたのではないかとすぐに大騒ぎになった。
サンや男の子達がシンシアの胸元を隠そうと前に回り込むも、シンシア自身が「構いません!」とドモンの手紙を右手に掲げ、先頭になって集まった群衆をかき分け進んでいく。
右手を高く掲げれば掲げるだけはみ出す右胸に、男達は狂喜乱舞でシンシアについて歩く。
気がつけばシンシアを先頭に、数百名もの群衆となり、噴水のある中央広場へ押し寄せた。
「きっと女性の人権の話よ!」「女性だけ胸を出して罪に問われるのはおかしいわ!」「もっと服装の自由を!」
「貴族と平民の身分の差をなくせ!・・・ってのは流石にないか?ハハハ」「もっとおっぱいを揉ませろ~!!」
理由もわからずついてきた人々のせいで、すっかり革命を起こそうとしているデモ隊のようになってしまい、すぐに騎士達が駆けつけた。
そのおかげでドモンの手紙を渡すことが出来たけれど、シンシアの姿を見た騎士達はびっくり。大慌てでシンシアに上着をかけた。
「うぃ~片乳のねぇちゃん、あんたどっかで見たような顔だな・・・ええと」騎士が呼んだ馬車に乗り込む際に、突如話しかけてきた酔っぱらいの紳士。
「あ、あなたはドラクロワ!なぜこんなところに・・・わ、私は・・・ナナよ!ヨハンの店のナナ!わかりまして?!」捨て台詞を残し馬車に飛び込むシンシア。
「なぜって同じ絵描きのホークに呼ばれて、国境越えてここまで来たんだよ、ヒック。そういやホークの奴も言っていたっけ。ナナっていう女神みたいな女がいると・・・あれ?どこ行っちまったんだ?ま、いいか」
シンシアにとって知り合いも知り合い。父親である王とも仲良しの画家であった。
親戚のおじさんのような者に胸を見られたことが急に恥ずかしくなってしまい、紳士が酔っているのを良いことに、シンシアはナナの名前を出し誤魔化したのだった。
後日、胸をさらけ出して民衆を率いる姿を描いた『民衆を導く自由の女神』という名の名画が誕生し国宝となることになるのだが、この女性がナナなのかシンシアなのかは未だ不明のままである。




