第461話
「もう昼過ぎちゃったし、腹減ったからなにか食べて帰ろうか?」
「きっと奥様がお怒りになられますよ?すぐに御主人様がお戻りになられると思っておられましたので」
「ねぇサン、結婚したんだしナナもいないから、帰るまでの間さっきのあれで呼んでよ」
「あ、あれってなんでしょう?」
「あなたってやつ。結構嬉しかったんださっき。もうナナはあんたとかドモンとしか呼んでくれないし、シンシアも言ってくれそうにないからな」
「フゥフゥフゥ!!」
小さな胸を抑えてコクリと頷くサン。
もう少し雪が降ってくれないと、サンは今にものぼせそうなほど顔が真っ赤。
騎士やら何やらが街中を駆けずり回っているのを横目に、以前チキンカツを作った商店街の方へ向かうふたり。
チキンカツの店は大行列になっているので、ドモンとサンは少しお洒落なイタリアンカフェのような店に入った。
メニューを見ても、何が出てくるのかさっぱりわからないような店だ。
ノーネクタイのドモンはギリギリアウトのような様子だったが、サンが「退院祝いなんです。先程退院したばかりで。どうかお許しいただけないでしょうか?」と八の字眉でお願いポーズをすれば、断れる人間はこの世に存在しない。
「ご注文は如何なさいますか?御主人様」
「・・・・」悪戯な視線を送ったドモン。
「な、なにを食べます?あ・・・あなた・・・クハッ!」
サンはギリギリ耐えた。もう下着は穿いたので、多少の水分は吸い込んでくれると思われる。
「うーんそうだな。お前と同じのでいいよ。あと酒もちょっと飲みたいな」
「お、お前・・・駄目だもう私・・・」
歓喜の表情を両手で顔を隠しながら、色々な水分を下着に滲ませたサン。
水色のワンピースだけは死守したい。
「あまり飲みすぎてはいけませんよ、あ、あなた」
「いいだろ、折角の記念日なんだし。それに多少酔ったって、お前がいれば平気だよ」
「し、し、仕方のない人ねまったくフゥフゥフゥフゥ!!」
死守失敗。早めの洗濯をしなければならない。
「お?これピザかな?なんかもう前に俺が作ったやつが伝わってるみたいだな。おーい店員さん、これひとつ。あとこのお酒追加で」
「かしこまりました。奥様のお飲み物の方はいかがなさいましょう?」
「サンは・・わ、私はまだ結構です。今はこの人のものだけお願いします・・・ハァン」
「かしこまりました。それと失礼ですが、なにかの記念日で?」ドモンの言葉を聞いていたらしい店員。
「ああ、病院からの帰りなんだけど、結婚記念日なんだよ今日は。だからこんな恰好なのに無理を言ってしまって申し訳ないね」病院からの帰り道で、ついでに結婚したとは流石に言えなかった。
「なるほどそうでしたか!」「・・・・」
ドモンと店員のやり取りに一言だけ答えたサンだったが、途中からはきっとこれは夢なのだと思い、ぼーっとその様子を眺めていた。
旅行に行って、見たこともないような幻想的な風景を見ているような、そんな気分。現実感がない。
勿体ないことだけれども、何を食べても、何を飲んでも、なんにも味がしない。
今のこの幸せな気分を超えることが出来ないのだ。
それがサンにはまた幸せに感じてしまい、ますます味覚を失ってしまう始末。
お祝いに美味しいワインを貰ったが、今日に限ってはお酒に弱いサンが少しも酔えず。それだけ舞い上がっていた。
「ふぅ~お腹いっぱい。昼くらいに帰るはずが、もうすっかり暗くなってきちゃったな。そろそろ行こうか」
「はい!じゃなかった・・・うん、そろそろ行きましょうあなた。お会計してきますね」
「うん頼むよ。俺おしっこしてくる」
お会計は銀貨48枚という超高額だったが、全てサンの支払い。
席を汚してしまったと金貨を支払おうとしたが、店長らしき人に笑顔で断られた。
店を出て夕暮れの商店街を歩いていると、「いたぞ!こっちだ!」という叫び声。
馬に乗った騎士やら馬車やらがたくさんふたりの前にやってきて、サンの夢の時間は終わった。
「陛下が皆様と共にドモン様の宿舎の方でお待ちです!こちらへお乗りください!」と騎士。
「どうする?サン」
「私はもう十分楽しい時間を味わえました。一生分の。それに私にはこれがありますので」キュッと左手の薬指の指輪を右手で握ったサン。
「まあトッポ達だけじゃなくナナも待ってるだろうしな。でもサン、これで終わりなわけじゃなく、今日から始まるんだぞ?」
「はい!」
ふたりは手を繋ぎながら馬車の中へ。
先程入った店の店員や、沿道の人々が驚きの表情でそれを見守っている。
「結婚するお姫様を祝福しにきた人達みたいだな。結婚相手は退院途中のこんなオッサンだけど」
「私は御主人様がもっとおじいちゃんだとしても、気持ちは変わりません。それに奥様なんてクピプ・・・」
「あいつ、俺のことを馬のフンに例えてたよな、まったく・・・」
「それだけ好きだってことを伝えたかったのだと思いますよ?ウフフ」
ハイヨーと走り出した馬車。
王宮の馬車なので、もちろん新型の馬車である。
王宮所有の馬車のもう3割近くが新型馬車へと入れ替わっており、旧型の馬車は順に払い下げ中。
そしてその王宮の殆どの馬車が、ドモンの知り合いのあの大工と鍛冶屋らが作ったもの。
もうすでにその技術は王都の方にまで伝わり、各所で製造も始めているのだが、やはり『本物』は乗り心地や丈夫さなどが格段に違うとのこと。
現在注文しても納車まで数ヶ月待ちといったところだが、それでも貴族や権力者などの間では、ステータスとしてこの馬車を手に入れようと躍起になっている。
そんなこともあり、今ではドモンのアイデアで、何処かで見たことがある車輪のようなエンブレムを車体に付けるようになった。
もちろんこの馬車にもそのエンブレムは付いている。
「結婚のことはみんなに伝えたってことでいいのかな?」と窓の外の、馬車と並走している護衛の騎士にドモンが話しかけた。
「いえ、◯×△様にお伝えしたところ、内容が内容だけにご自身でお伝えした方が良いだろうとおっしゃられておりまして、まだお伝えはしておりません」
「誰だそれ?まあそりゃそうだわな」「御主人様、ローズ様のお父様です・・・」「あー」サンのおかげでようやく顔が浮かんだ。
とにかく、トッポ達はお見舞いと退院祝いを兼ねて、宿舎に待機しているとのこと。
だが待てど暮らせど戻ってこないので、ドモンの行方を探らせている最中に王宮に婚姻届が届けられ、大慌てで居場所を特定し、迎えに来たと言ったところであった。
今頃早馬にて、ドモンが見つかったという連絡だけしていることであろう。
「一体何処行ったんだ?と探してたら、いきなり婚姻届が届いてびっくりして、もっと真剣に探せ!王都にいるぞ!とここにやってきたわけね」
「はい」
パッカパッカと蹄の音を鳴らす騎士の馬。
寒い風が入ってきて、慌ててドモンは窓を閉めた。
「まあ自分の口で言えるのはありがたいね。怒ってるナナのところに帰るのなんて地獄だからな」
「・・・やはりお怒りになられるでしょうか?」サンはまた指輪をギュッと握りしめた。
「さあどうだろな?ま、驚きはするだろうけども」
ドモンは御者台を覗く窓の内窓も閉じ、そっとサンを抱き寄せた。
気を利かせてくれたのか、心なしか馬車を引く馬の足取りは、ゆっくりとしていた。




