第387話
「サン!行くわよ!」
「はい!」
シンシアがドモンのところへやってきて、もう一週間。
ギルとミユはコンサートの翌々日に、馬車に乗り旅立った。
御者はギルの古くからの友人の冒険者夫婦。かなり腕も立ち、護衛としても文句なし。
当然シンシアの国の宰相と竜騎士も同行する。
最後まで一緒に帰国するようにとシンシアを説得したが、シンシアが首を縦に振ることはなく、渋々帰国の途についた。
ドモンがその機会を見逃すはずもなく、その翌日にはシンシアの貞操が奪われ、更にその翌日に、ボッコボコになったドモンがツヤツヤナナにバタークッキーを焼くことになった。
ドモンは貧乏だったのでお菓子も昔から手作りしていたのだが、食べた女性が市販のものと勘違いするほどの出来栄えで、もちろん今回も女性陣は皆大喜び。
「このような上品で味わい深いお菓子は初めてですわ!!」とシンシアも絶賛。
エミィも感動し、ご近所の奥さんやエルフ達にも配り、この近辺でちょっとした噂になるほど。
ドモンがエミィに作り方を伝授し、何故かこのクッキーを販売することになった。
後日談となるが、『エミィさんのミルククッキー』という、なんとも魅惑的な名前で売り出され・・・男性達にも飛ぶように売れた。
夜な夜な乳搾りが行われているらしいという、まことしやかな嘘が蔓延り、買いにやってきた変態紳士がエミィのその姿を見て、ただただ納得することに。
大浴場には顔も頭もボコボコのドモンの指示の下、幼児用の浅めのお風呂が至急作られることになった。
お湯の出口を上部にし、そこに螺旋状のすべり台を設置。
きちんとお湯が流れる、本格的なお風呂のすべり台が完成した。
すべり台に塗った油性のニスが乾燥したのが昨日で、それからというものの、シンシアとサンは大はしゃぎ。
何度も滑り、あっという間に姉妹のように仲良しになった。年齢的にはサンが姉なのだけれども立場は逆。
この日も朝から食事を終えるなり、シンシアがサンを連れて大浴場へ。
「サン!そんなに寝転がっては危ないわ!滑り終えた時に頭をぶつけてしまうの!何度言えばわかるのかしら!」
「ご、ごめんなさい・・・」
ビニールプールの癖が抜けないサンは、寝転がったまま滑って何度か後頭部を硬いすべり台にぶつけ、シンシアに怒られていた。
「ああもうサン!脚をそんなに開いてはいけません!はしたないですし、それに・・・お水が入ってしまうの。あぁ駄目よ、そこで踏ん張っては!ほら!おもらししてしまったじゃない!!イケない子!!」
「はわぁ~ごめんなさい~!そんなつもりでは・・・御主人様には内緒で・・・うぅ・・・」
「泣いても駄目よ。お尻を出しなさい」
浴場内に響くパーンパーンという音。
そこへ「なにをやっているのよ?あなた達は」と裸のナナとドモンがやってきた。
すべり台が出来てからテストも兼ねて、午前中はしばらくドモン達の貸し切りである。
シンシアとサンは、貸し切りの時間外でもすべり台で遊んでいるけれども。
「この子ったらお風呂の中で粗相をしてしまったの。あ、ドモン様!こちらの湯船はたった今サンが粗相を」
「あぅ~シンシア様!内緒って言ったのに・・・」
すべり台の階段を上るドモンに注意をしたシンシア。
サンはあっさり秘密をバラされ大赤面。
「サンのおしっこならまあいいよ。お前らのよりは臭くないし」すべり台を滑ってドボンと着地したドモン。軽く尻をぶつけ、着地地点に柔らかなマットを敷くことにした。
「どういう意味よ!」「そ、そうですわ!」真っ赤な顔のナナとシンシア。
「冗談だってば。ただ、幼児はどうしても出ちゃう場合もあるから、こうしてお湯をドンドン流して入れ替えるようにしてあげないとならないんだ。湯船を浅くしたのは安全面の考慮もあるけど、お湯を入れ替えやすくするためでもあるんだよ」
「へぇ~」「素晴らしいお考えですわ!」「すごいです御主人様!」
湯船の縁に座っているドモンの横に並んで座ったナナとシンシア。サンはシンシアの膝の上で抱っこされている。
窓から差す陽の光に目を細めながら、なんとも穏やかな気持ち。全員裸だけれども。
ここに来てからというものの、シンシアは驚きの連続であった。
今まで食べたことがないような美味しいご飯やお菓子、今まで経験することがなかったエルフやオーガ達との交流、新しい遊びや新しい服、初めて行った街の酒場や庶民達との交流。そして初めての男性。
たった一週間で世の中の全ての見方が変わったと言っても過言ではない。
怪我をさせてしまった、ミユがいた店の夫婦のところへも行った。
店は改装中で開店していなかったが、快く謝罪を受け入れてくれ、シンシアは泣いた。
出された温かなスープは、今まで飲んだどんなスープよりも美味しかった。
「黙りなさい!このおっぱい娘!」
「なんですって?!この馬鹿姫!!」
対等に渡り合える友達も出来た。もちろん今までの人生で初めて。
ドモンの事について、ナナとシンシアが頬を引っ叩きあったこともあった。
その時はふたりともドモンにお仕置きをされ、なぜかサンが不貞腐れて、みんなで慰めることに。
そのサンについては、随分と歳の離れた可愛い妹が出来たようにシンシアは思えていた。
シンシアは、きっと自分に娘が生まれたら、このように接するのだろうとも考えた。
「駄目よサン、お肉を残しては。大きくなれませんよ?」
「お、お腹がいっぱいですぅ・・・」なんならいつもの倍は食べていたサン。風呂上がり後の昼食は、ナナのリクエストでジンギスカン。昼食にしては重すぎる。
「せめてこのお皿のものは食べなさい。はいお口を開けて」
「じ、自分で食べられますから・・・うぅ~ん」
ツヤツヤ顔のシンシアが、ツヤツヤ顔ではむはむと食べるサンの世話を焼き、それをツヤツヤ顔のナナが優しく見守っている。
ドモンはげっそりしながら仕事へ。
以前ロシアンカステラを作った夫婦から話を聞いた道具屋が、「最近客の入りが寂しいのでどうにかしてくれないか?」とドモンの元へと訪ねてきて、この日の昼に行くことになっていた。
もちろん半年間、売上の2%の支払いを約束したきちんとした仕事。もう遊び人とは言わせない。
「はぁ、なるほど。売り物は良いけど、これじゃ客は入らないよ」
「ど、どういうことだい?」
「正面にあんたが陣取っていたら、あんたの縄張り意識が強すぎて、客が近寄りたくても近づけないんだ。店がもう少し広ければそれも感じないんだろうけどな」
「どうしたらいいんだ?店を改築する金なんてないぞ?」
「まずあんたがいる椅子と台を外から見えないところに移動して、奥の壁は全て鏡張りにするんだ。そうすりゃ店が倍の広さに感じるし、気軽に商品も見られるようになる。儲けは少なくても、手軽に買える安い商品も置いて客を呼び込み、その客で他の客も呼び込むように・・・」
「ふむふむ!す、すぐにやってみるよ!!」
ドモンは元和菓子屋の店長で、こういった小さな店舗に客を呼び込むにはどうしたら良いのか?なんてことは、死ぬほど研究済みである。
40代で店長になれれば大出世と呼ばれる老舗の和菓子屋で、23歳で店長になったほど、ドモンは商売に関して悪魔的な才能を発揮していた。
元の世界でも知り合いの商売人達に相談を受けていたほどなので、少し発展が遅れている異世界でのコンサルティングなど、はっきり言ってしまえば楽勝。
ドモンが帰る夕方前には、すでに客足が途絶えないほどに客が入り、店主は大感激であった。
一日で銀貨20枚ほどの売上だった店は、ほんの4時間で銀貨440枚を売り上げた。
よってこの日だけでドモンの収入は銀貨約9枚。日本円にして約9千円。
上下動はあるにしても、これが半年間、自動的にドモンに支払われることになる。
店主もドモンもホクホク顔。
近々、例の仕立て屋の別店舗や24時間営業の店などの開店も控えており、すでにドモンが監修することに決まっていた。
ひと仕事を終え、どこかで一杯引っかけてきたドモンが帰ってくる。
ナナとサン、そしてシンシアが「おかえりなさい。お疲れ様」と出迎えた。
シンシアは噛みしめる。庶民の幸せを。
友人と語り、妹のような存在の子と遊び、仕事に行った主人を迎え入れ、夜はみんなで眠る。
時には叱り、時には叱られ、主人を愛し、主人に抱かれる。
シンシアにとっての特別で幸せな『普通の生活』
だがそれも長くは持たなかった。
シンシアの父が周囲の反対を押し切り、アンゴルモア王国に宣戦を布告したためだ。
その結果、シンシアは強制的に国へ帰されることになった。