第375話
休憩もそろそろ終わりという頃に、トイレでは本当に下品な音の競演がナナとチィによってなされていた。
擬音を書いた瞬間すべてが終わると感じるほどの下品さ。
これは他人に聞かせる訳にはいかないと、ドモンがトイレの出入り口を封鎖していたが、変態紳士のドモンですらその音で気持ち悪くなってしまい、ゲェゲェと隣のトイレで吐き出した。
「ちょっとドモン!汚い音聞かせないでよ!こっちまで気持ち悪くなるじゃない!」「そうよ!」
「オェ・・・それはこっちの台詞だよ!」
個室越しに会話をする三人。
「大体、女の子のこんな音を聞きに来るなんて!」「そうよ!」
「そういうつもりじゃオェ・・・なかった・・・ゲェェ!!」
「ちょ、ちょっと・・・あんた大丈夫???」
「ウゲェ!!なんだこれ・・・うぅ・・・ごめんなさい・・・」
酒を飲んでも吐かないドモンが、まるで酔った時のサンのように吐いている。
いくらなんでも様子がおかしいと、ナナとチィが飛び出してドモンの元へ。
「ちょっとドモン開けて!開けなさい!」ドンドンとドアを叩くナナ。
「ゲェェェ!!う、あ、あの・・・」
「ドア壊すわよ」とチィ。
「開けるから待って・・・」
鍵を開け中に入ると、便器の中は真っ黒で、ナナとチィは混乱した。
人間が口から吐いていい色ではなかったからだ。
漆黒。例えるならほぼ墨汁そのまま。嘔吐物の臭いもしない。
「オェェ!!」
「ドモン!!!」「ドモン様!!!」
ナナは病気を疑い、チィは毒を疑った。
それでも・・・いくらなんでもこんなことにはならないと、二人は悪魔の存在を疑った。
だが今はそんな事よりも、ドモンの命の方が心配。
とてもじゃないが、何事もなく助かるとは思えなかったのだ。
「ウェ・・・ウェェェン!!ドモンが死んじゃうよぉぉ!!」
「ナナ!ななな泣いている場合じゃないわよ!たたす助けをすすすぐによよよ呼ばないととと」
ナナは泣き崩れ、チィは震えて立てもしない。
その間もドモンは「ごめんなさい」と謝りながら、黒い液体を吐き続けた。
真っ黒な液体の正体。それはドモンの黒い血であった。つまり吐血である。
人間は出血してすぐ吐血すると赤い血になるが、長い時間体内に溜め込んでから吐血すると黒くなると言われている。
それはドモンも知っていた。だが、どれだけ溜め込んでいたらこんな色になるのか?
「と、止まったみたいだ・・・うぅノドが痛い・・・ゴホ」
「死なないで死なないでドモン!うびぃぃぃ!!」「フゥフゥフゥフゥ・・・・」
「・・・大丈夫だよ。し、心配かけて悪かったな」
「あ・・・」「あ!」
ドモンの顔を見ると、目が真っ赤に充血していた。
ドモン本人は気がついていない様子。
全身総毛立ち、ブルブルと震えながら、ドモンは少しだけニヤリと笑っている。
「ねぇ・・・ドモンおいで?抱きしめてあげる」ドモンを優しく抱いたナナ。そうしなければならないと思った。
「ドモン様、敵がいるの?それとも何か危険が迫っているの?」とチィ。
ドモンはナナに抱かれながら、横目でジロリとチィ睨んだ。
ドモン自身は全くわからない。
しかしドモンの中のその『何か』にはわかったのだろう。今、危機が迫っていることを。
「チィ、悪いけどナナと少しふたりにしてくれ。『食事の時間』だしな。あとこの事は誰にも言うな」
「???・・・わかったわ」
チィがみんなの元へと戻った十数分後、ドモンとナナは何事もなかったかのように戻ってきた。
ナナがドモンの腕に絡みついている以外は。ドモンの『食事』は終わった。
「あ!」「あ!」
バニー姿に着替えたサンとミィがドモンの前へ。
ナナは鳴らない口笛。
「か、可愛いわよふたりとも」
「奥様!うーっ!」「ツヤツヤのピカピカです!」
地団駄を踏むと耳と尻尾もピコピコ。
「違うんだふたりとも。俺が悪いというかなんというかちょっと訳アリで・・・でもごめんなさい」
「御主人様は・・・」「悪くないです・・・」
しょんぼりすると耳も折れた。
ただドモンの口ぶりから、本当に何か訳があるということは伝わった。
こうしてドモン本人は、現在が危機的状況か何かもまるでわからぬまま、魂の先払いを終え、本番を迎えることになった。
夕方、歌劇場の前の行列は更に伸び、これまで見たこともないような長蛇の列。
ミユの歌声の噂も広まっていたが、それよりも被害者達を救うための『チャリティーコンサート』というものに心を打たれた者が多数を占めている。
銀貨3枚の立見席から、銀貨30枚の豪華な席まで、全て完売の超満員。
開演前に義父が舞台に上がり、収益の全てを被害者達へ送ることを約束すると、場内は暖かな拍手に包まれた。
「ドモンさん!」
「おおトッポ・・・じゃなかった、ようこそいらっしゃいました国王陛下」
後ろを歩いていた姫らしき人物が目に入り、ドモンは口調を変えた。
執事かの如く、それぞれを席に案内していくドモン。
「あなたがドモン・・・さんね」含みのある物言いのシンシア姫。
「遠いところをご足労いただき大変感謝しております。シンシア姫」ドモンは伏し目がちにお辞儀をした。
年齢はナナよりもひとつ上であり、見た目はいかにもなお嬢様と言うかお姫様。
笑顔は作っているものの、目はまるで笑ってはいない。
貴賓席最前列の真ん中にトッポ、その右にシンシアと宰相と、護衛として数人の竜騎士が座る。残りの竜騎士は斜め後ろの壁際に立ったまま。
トッポの左側には義父やその他の王族やその子供らが横並びに座った。
二列目にはこの国の宰相や他の大臣、そしてドモンもその横へ。
後ろには貴族やそれらの家族がずらりと並んで座っている。
勇者達とエミィ達は一階の関係者席へ回った。
気疲れするというのもあるが、近くで楽しみたかったのと、竜騎士とどうにも馬が合いそうになかったためだ。
エミィ達は娘さん達がよく見えるからと、歌劇団のひとりに勧められたため。
ドモンの方を振り向いて手を振るミレイとエミィ、深々とお辞儀をした兄の青オーガ。
義父やトッポが軽く右手を上げ、ドモンは両手でお~いと手を振り返す。
そこへ支配人から「どうぞこちらへ」と一組の夫婦が通され、ドモンの右隣へと座ることになった。
姫を含む数名がその夫婦を睨み、訝しげな顔を見せた。
先日の『漆黒の大吐血』を早速話の中に入れてみた(笑)
墨汁を飲んだんじゃないか?とか、お腹空いてタバコを千切って食べたんじゃないか?とか、みんなから色々推測されたけど、結局犯人は『悪魔』ということで落ち着いた。




