第373話
「ミユ・・・少しでも食べないと・・・」とギル。
「わかってるわよそんな事!!あ・・・ご、ごめんなさいギル・・・うぅ」
ミユの叫び声で、食堂の空気はまたピーンと張り詰めた。
それを咎める者はいない。その気持ちは十二分に理解できるからだ。
ただしドモン以外の話だが。
「うるせぇぞミユ!黙って食え馬鹿」
「な、なんですって?!」「ちょ、ちょっとドモン!」驚きの声を上げたミユと横にいたナナ。
「あたし、お腹が痛くなるくらい悩んでいるんだから!それに舞台に上がりもしないあなたに何がわかるのよ!」
「関係ないねバーカバーカ」
「師匠!流石にそれはあんまりですよ!」
ギルもミユを庇って怒り出したが、ドモンはどこ吹く風。
その様子に皆呆気に取られている。
「手も足も震えが止まらないのよ!怖いの!もし私が失敗なんてして、見に来てくれた方々を落胆させてしまうことを考えたら・・・」
「なんで落胆すると決めつけてんだよ。俺なら大爆笑だぜ?んぐ・・・この肉も美味いな」
ドモンの言葉にギルもミユもポカンとしていた。
「やる前から失敗することなんて考えるな!なんて格好いい事は言わないよ。人間は失敗する生き物だからな」とドモン。
「・・・・」
「でも失敗したからってなんだって言うんだよ。『珍しいもの見れたわねあんた達!アハハ!』って笑って、やり直せばいいだけだろ」
「!!!!」「!!!!」
「失敗したって死ぬわけじゃあるまいし、時間だってたっぷりある。なんなら公演時間が伸びて喜ぶかもよ?それとも失敗する度に、ナナ達が衣装を一枚脱ぐとかにしちゃう?」
「ちょっと!あの衣装一枚脱いだらすぐに裸じゃないのよ!!あ、耳があったわ」とナナ。
「サンは耳を外すのは嫌です・・・」「ミィもです・・・」という謎の宣言をしたサンとミィ。
フフフ・・・とミユは、笑いが腹の底からこみ上げてきて、恥ずかしくなるくらいにお腹がグゥと音を鳴らした。
すぐにギルがミユを助けようとしたが「ち、違います!これはオナラです!」とうっかりお腹とオナラを間違えてしまい、ミユは更に赤っ恥。
食堂は笑いに包まれた。
「アハハ・・・本当に馬鹿だったわ。あなたの言う通りね。だってあたし舞台に上がるの初めてだもの。失敗したって仕方ないわよね」
「そうそう、その意気だ。というより意気込みすらいらねぇよ。どこかの有名な吟遊詩人もいることだしな」
「任せてください」
ドモンとギルの言葉で、ミユの顔がパッと明るくなった。
初めて歌を歌ったあの時の朝のように。
「先に謝っておくわ。ごめんねナナ、お客さん達の前で裸になることになっちゃって」クスクスと笑うミユ。
「ちょちょちょ!ちょっとぉ!冗談でしょ?!イヤよ私!!」「サンなら出来ます・・・」ナナの横で小さくボソッと呟くサン。
「何言ってんだミユ、最後はお前も脱ぐんだぞ。エミィの後に」
「なんですって?!」「やだぁもぅ~どうして私も入ってるのぅ!」
イーッヒッヒッヒ!!とドモンが悪魔の高笑いをしているところへ、「ドレスが仕上がりました!」と仕立て屋が飛び込んできた。
親方の手には真紅の見事なドレス。
「す、素晴らしいドレス・・・ですが・・・形状はどのような感じなのでしょうか?」とギル。一枚脱いだら裸になってしまわないかを心配していた。
「はい!このような形をしておりまして、ドレスの横や裾に細工があるので、下着は取って着ていただけなければならないのですが、このようにすると・・・・」
「おおもう・・・」
「いかがなされました?もちろん中は見えませんのでご安心を」
「いえ、こちらの話です。ドレスは素晴らしいですとても」
親方の説明中に絶望したギルと、更にイヒヒヒヒ!!と笑う悪魔。
「みんな裸になった後は目隠しして後ろ手に縛って、舞台の上でおもらしするまでくすぐった後に後ろから両脚を抱えて、客に向かってパカッと脚を開イッテェぇぇ!!!」
「貴様はなぜ来る度に馬鹿な事を言っておるのだ!!この恥知らずの馬鹿息子めが!!しばらく王宮から出さぬぞ!今度という今度こそ!!」
皆を迎えに来た義父の手により、悪魔は無事退治された。
ケラケラと笑いながら試着をしに退室したミユ。
しばし歓談していると、食堂のドアがガチャりと開き、真紅のドレスを纏ったミユが戻ってきて、全員が言葉を失うこととなった。
「ホークやエイが見たらすぐに絵を描きたがるだろうなぁ」とドモン。
「うむ・・・いや、それよりもまるで絵画から飛び出してきたようだ」義父も息を呑む。
圧倒的なオーラ。絶対的な歌姫。
もうこれ以上は存在するはずがない。
この自分の姿をミユ自身に見せてあげられないのが、ドモンはとても残念に思えた。
「仕立て屋達ありがとな。ミユをこんなに綺麗にしてくれて。ジジイ、これは勲章もんだろよ」
「うむ」
「いえいえ、滅相もございません。その言葉と・・・今の皆様のお気持ちだけで十分でございます」
仕立て屋達はそう言い残し、満足げな表情で胸を張り、帰っていった。
当然勲章は後に贈られることに。
ナナ達は流石にここからバニーちゃんで乗り込むわけにはいかないので、着替えはあと。
エミィと貴族である兄の青オーガは、仕立ててもらったフォーマルなドレスに。
準備が整い、数台の馬車へ分かれて乗りこみ始める。
義父とドモンとナナは同じ馬車。サンはミユの面倒を見るため別の馬車へ。
「あ、そうだ!ナナ!」何かに気がついたように叫んだミユ。
「どうしたの?」
「あたし、ドモンさんの顔をまだ知らないの。触らせてもらってもいいかな?」
「いいわよ、ほれ」
雑に顔を出されたドモン。
「顔洗ってから時間経つから、もう顔はヌルヌルのドロドロだぞ」
「やだおじさんバッチイ!わっ!本当にヌルヌルじゃな・・・」
ドモンの顔の傷に気がついたミユ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・
その傷の下にある頭蓋骨の傷にも気がつく。
それはもう、数え切れない。
まるで落として割れた花瓶を必死にくっつけたかのよう。
その表情を読み取るに、悪い人だとは思えないし、ミユ自身、実際にどれだけ救われたのかもわからない。
なのになぜこんなことになっているのか?
なぜこんな目に合わなければならなかったのか?
けして口に出しはしないが、ミユは死体を触っているように感じていた。
「どうだ?なかなかの男前だろう」
「ドモンは歳の割には髪の毛がフサフサだから若く見えるのウフフ」ナナがドモンの頭をぐしゃぐしゃっと弄る。
「え、ええ・・・」
「さあ乗るわよ」とドモンの背中を押すナナ。その方向に向かってミユは叫んだ。
「あたし歌います!あなたのためにも・・・」それ以上の言葉が見つからない。
「ああ、楽しみにしてるよ」
何かの助けになればいいと思っていた。
それで誰かが救われるならばと、ミユは歌うことを決めた。
だけど、一番に救わなければならない人がいた。
そう思ったのに、ミユには言い出せなかった。