第357話
「サン!!逃げろサン!!」
ギルと女性、そして尻餅をついているナナまで、馬車はあと30メートルというところに迫った時、サンが馬車の前に飛び出した。
あまりの無謀さ加減にドモンは叫び、周囲の人々は目をそらす。
大の字に身体を開き、ゴクリと一度つばを飲み込んで、サンは大きな声で叫んだ。
「止まってぇ!!お馬さんたち!!!」
馬達はサンを避けようとしたのか、それぞれ左右に一度分かれたあとそれが無理だと悟り、今度は飛び越えようとして前脚を跳ね上げた。
それを二度ほど繰り返すと、推進力は上方へと逃げ、馬のスピードは劇的に緩まった。
が、荷台部分は止まらない。
慣性の法則に従って、横倒しのままガシャグシャと音を立て、馬達の尻に向かって突っ込んでいく。
このままでは馬諸共、サンも巻き込まれること必至。きっとギルやナナも巻き込まれるだろう。
サンが「ごめんなさい御主人様!」と心の中で別れを告げた瞬間、とんでもない破裂音と共に、炎が空中に霧散し、馬車自体が消えた。
「皆様ご無事ですか?!」と一撃で馬車を砕いた青いオーガ、エミィの兄が振り向く。
それと同時に、ナナの魔法を見て思い出したかのように、そばにいた水魔法を使える者達が、周囲に燃え広がった炎の消火活動をはじめた。
へなへなとサンはその場に崩れ落ち、馬達が申し訳無さそうにサンの前に座る。
ドモンはまず腰が抜けたナナの元へ。
「ド、ドモン・・・怖い・・・怖かったあああ!!うびぃぃん!!」
「ああよく頑張った。よく水魔法を撃てたな」
「ヒック・・・全然当たらなかったの・・・うぅぅ」
「いや一発当たっていたし、それにあれで少し馬の速度も落ちていたんだ。よくやったよナナも。立てるか?」
「うん」
涙でボロボロの顔を拭きもせず、ドモンに支えられながら立ち上がったナナ。
ふたりはサンの元へ。
「御主人様・・・言うことを聞かずに申し訳ございません・・・」
「ああ・・・サンは悪い子だ。あとでたっぷりお仕置きだからなフフフ」
「ふぁ・・ふぁい!!」
ポンポンとドモンが頭を撫でると、真っ赤な顔をしたサンが猫耳リボンをポケットから慌てて取り出して、さっと頭につけた。
お仕置きから躾を連想し、躾から猫をサンは連想したのだ。
正義の味方の青オーガの元には人々が集まり、皆感謝を述べている。
少し離れた場所からドモンが手を挙げ、よくやったと感謝を示すと、それに気がついた青オーガがペコリと嬉しそうにお辞儀をした。
最後にドモンとナナがギルと助けた女性の元へ。
するとふたりがなにやら怒鳴られていて、揉め事に巻き込まれている様子だった。
「あんたのせいだよ!この馬鹿が!どうしてくれんだい!!」
「ご、ごめんなさい奥様・・・」
「謝ったって店は元には戻らないんだよ!!あんたが飛び出してなきゃ、きっとうちの店は無事だったんだ!!」
「うぅぅ・・・」
店の呼び込みをやっていたこの女性を怒鳴りつけるおかみさんらしき女性。
女性を身を心配するわけでもなく、いきなり怒鳴りつけたことに対し、ギルが猛反発。
「どうしてそんな事を仰るのですか?酷いではないですか!」
「はぁ?関係ないもんは引っ込んでな!この女はうちで雇ってやってんのさ。立て替えてやった借金を返すためにね」
「それにしたって・・・」
「だからあたしゃ最初から反対だったんだい!目の見えない女なんか役に立ちゃしないのさ!返すどころかまた借金だよこれじゃ!!」
「ぐぬぬぬ!!!」「ご、ごめんなさい奥様・・・うぅぅぅ」
ふと目の前の店にドモンが目をやると、オーガが馬車を破壊した際に爆散した木片や鉄の部品が入り口や店の中まで飛び散り、滅茶苦茶になっていた。
自分の店が壊れた怒りをぶつけるおかみ。
その奥では主人らしき人物が片付けしながら頭を抱えている。
「借金はいくらなんだ?」と途中から話を聞いていたドモンが質問。
「金貨三十枚さ。まだ金貨の一枚分も働いちゃいないってのに、店を壊されたんだよ?店を直すのに金貨十枚はくだらないよ!チッ!!」
「修理代は馬車の持ち主にでも請求すりゃいいだろ」
「じゃああんたが取ってきな!御者なんかが払えると思っているならね!」
腹の立つ言い方だが、確かに正直その期待は薄い。
向こうでも何人もの憲兵や騎士が大わらわで怪我人を救出している状況で、ひと目見ただけでも被害の範囲が広いのがわかる。
保険もないこの世界では、御者ひとりで支払いきれるとは到底思えない。
「は、働いて・・・一生働いてお返し致しますから、この方を責めないであげてください奥様」
「当然だよ!!この障害者のろくでなしが!!大体お前は呼び込みしか出来ないくせに・・・」
「サン!有り金全部持ってこい!!」
「は、はい!!」
おかみの言葉に、ドモンの頭は沸騰した。もちろんナナもギルも。
馬と一緒に座っていたサンはピョンと飛び跳ね、馬繋場に預けていた馬車へお金を取りに行き、10分程で金庫代わりにしている小さめの宝箱を抱えて戻ってきた。
「ナナ!サン!金をあるだけ全部俺に貸してくれ。頼む」
「もちろんいいわよ」「サンのお金は元々御主人様のものです」
「にー、しー、ろー・・・全部で金貨45枚。店の修理代含めて、俺が全部引き受ける!」
小さな布袋に金貨を全て詰め、ドモンはおかみに手渡した。
フンッ!とひったくるように袋を手から奪い、中身を確認したおかみ。
「これじゃ足りないね!あたしゃ金貨十枚はくだらないと言ったんだよ。最低でもそれだけかかるってことさ!」
「ぐ・・・私も!!私も出します!!」
「あ・・・あ・・・あ・・・」
ギルも有り金の全て、金貨十枚を出していることに気が付き、目の見えない女性が焦りの声を上げた。
「はん!まだまだ足りないけどね!」
「これでこいつを自由の身にしてやってくれ。いいな?」ドモンがタバコに火をつけた。
「好きにしな!薄情もんが、あと足で砂かけてくような真似して!どこかで野垂れ死んでもあたしゃ知らないからね!」
「う・・・うぅ・・・」
見えない目から涙を流した女性。
しかしそれは喜びの涙ではなく、絶望の涙。
「どうして・・・どうしてそんな事をするのですか!」
「ええ?!」「え・・・」
救ったはずの女性からのその言葉に、ナナとサンが驚きの声を上げる。
「私は・・・やっと私、仕事を見つけたのに!」
「・・・・」
ドモンもギルも言葉を失った。
この女性にとっては、結局のところ借金がドモン達に移り変わっただけで、ドモン達はただ、女性から仕事を奪っただけだと気がついたからだ。
あのおかみは確かに口は悪かった。が、この女性に救いの手を差し伸べていたのも、これもまた事実だったのだ。
この女性の顔色は決して悪くはない。
それはきちんとした食事を与えられていたという証拠でもある。
「・・・俺が雇う」とドモンは言ったが、正直この女性に出来る仕事が何かはまだ思いついていない。
「男に抱かせるのですか?それとも私があなたに抱かれるのですか?ならば今すぐ私を殺してください。でなければ私は自ら命を絶ちます」ドモンの声をする方を向く女性。
「そんな事は師匠はしないし、私もさせません!!あなたにも必ず出来ることがあります!」とギル。
「あなた『にも』ですか。なんて傲慢な考えの持ち主なのでしょう。今までずっとそうやって他人を見下してきたのですね」
「違う!違います!・・・・違うのです!ああ・・・」
その場にいた人々が全員振り向くくらいの高く通る声で、ギルを糾弾した女性。
そんなつもりはなかった。
だけど確かにそう思われても仕方がないとギルは後悔。
「こいつの言ったことは間違いだった。俺が代わりに謝る。そして訂正させてくれ」
「何をですか」
「あんたに『しか』出来ないことがある。それが今わかったんだ。もちろんスケベなことじゃないぞ?出来るならお願いしたいくらいあんたは綺麗だけどな」
「な・・・!!」
下唇を噛みながら、少しだけ顔を赤くした女性がドモンの声のする方をキッと睨んだ。
その顔は、ドモンが今までの人生の中で見た一番の、凛々しい、闘う女性の顔であった。