第339話
ドモンは小さな頃から、常に傍観者でありたいと願い続けている。
脇役でありたいということでもない。『そこに存在しない者』で有りたかった。
人それぞれが作り上げる物語を、のんびりとただ見つめていたかっただけだ。
誰かのその人生を、ドモンは笑い、悲しみ、小馬鹿にし、褒め称える。
必死に餌を運ぶアリをジッと観察するように。
反対に、他人に見られ笑われるのはまっぴら御免。
「ドモン大丈夫?!怒られたんでしょう?」とナナ。人払いしてまで激しく怒られていたと考えて心配していた。
「ああ、ものすごく怒られたよ。『なぜサンにやらせなかったのだ?』ってジジイに。なのでこれからホークの前でサンがやることになったから、今からお盆と心の準備をしておけよ」
「う、嘘ですぅ!!」「はぁ?!」ドモンの言葉に驚くサンとナナ。
「冗談だよ」と言ったドモンに「えー・・・なぁんだ」と小さく反応したサン。一体どういう意味なのか?
その理由をドモンが知る前に、ドモンはナナと義父にペチャンコにされた。
時刻はもう深夜0時過ぎ。
勇者達も部屋へと戻り、女ボスとその従業員の女達も豪華な部屋へと案内された。仕立て屋達は作業部屋。
ドモンとナナとサン、そしてトッポと義父だけがエイの元へ。
ガチャリとそのドアを開けると、放心したようなエイと、その絵を前に絶句しているホクサイが見えた。
「・・・これが・・・お前が見た地獄なのか・・・?」
「もう何度同じ事を言わせるんだい?おやじ殿」
ドモンから見て、明らかにわかるホクサイのエイへの嫉妬心。
エイはホクサイに技術では到底敵わない。その理論も到底敵わない。
だけれども、エイは見た。見てきた。
ドモンが見せたその地獄を。
これまで、地獄が描かれた絵はいくつもあった。
だがこんなにも細部まで詳しく、残酷に描かれた絵はこの世に存在しない。
「オ、オエッ!!」絵を見てナナが吐き気を催す。それがホクサイには羨ましくて仕方がない。
「御主人様怖いですぅ!」サンが両手で顔を覆い、涙を浮かべる。それがホクサイには羨ましくて仕方がない。
「おいおい・・・なんという絵を描きやがったんだよお前は・・・」ドモンにも伝わる。人の苦しみ。慟哭。
おぞましいの一言。しかし皆そこから目を離せない。
顔を覆い隠したはずの手の指の隙間から、どうしてもそれを見てしまうのだ。
「地獄の絵って今までもありましたが、これは・・・」唸るトッポ。
「うむぅ・・・死後罪人達が苦しめられる絵はいくつもあるが、これはまさにこの世の地獄。今生きる者達の苦悩、そして絶望か・・・」義父も額に汗を浮かべる。
「なんて救いようのない・・・いや、救いの手を差し伸べては、その手を引っ込めて笑っているようにも見えますね」
「・・・・」
トッポと義父の言葉に思わず黙り込んだドモン。
ドモンはあの時エイに地獄が見えるような暗示をかけたが、それに加えて『惚れさせて捨てる』という結婚詐欺のような暗示までかけていた。
それによって、エイがあの色街で見てきた地獄とドモンが見せた地獄が重なり、あまりにも救いようがない世界が出来上がってしまったのだ。
絵をよく見ると、あちらこちらで泣き叫び、自ら命を絶とうとしている女性達が描かれている。
他にも、愛した男に抱きしめられながら首をかき切られた女性や、愛人達を抱きながら妻を崖から突き落とす男性、断頭台で泣き叫ぶ父と母を助けようと、ギロチンが落ちないように必死にロープを手で引く幼児や、その幼児の脇腹をくすぐる悪魔など。
エイが見た、そして感じた地獄の風景が全て描かれていた。ホクサイも見たことがない、描けない地獄を。
「まいったなぁこれは」頭を掻くホクサイ。
「な?本当だっただろう?流石にここまでのものを描くとは、俺も思ってはいなかったけれども」ドモンも頭を掻いた。
「ドモンよ、あんたは私にも見せられるのかい?その地獄ってやつを」とホクサイ。地獄を見た経緯は、エイから大体聞いた。
「いや、多分自分が見てきたものや想像してるものしか出来ないと思うよ?それに俺は本格的な催眠術師でもないしな。あくまで『そう思わせる』のが得意なだけなんだ。エイはきっと見てきたんだろ?これに近いことを」
「・・・見たよ。酷いもんだった。流石にここまでではないけども」
父親に初めて『まいった』と言わせ、鼻息荒く、興奮した表情をしながらドモンにそう答えたエイ。
「だよな。あの時のエイは荒んでいたから、きっとすぐに地獄が頭に浮かぶと思ったんだ。金とスケベと暴力の中で暮らしていれば、気持ちが荒むのも無理はないしな。俺はエイが見てきたそれを、まとめて思い出させただけだよ。ちょっぴり増幅させてな」
「ちょ・・・ちょっぴりどころじゃなかったけど?!」
「うぅ~ん、見てみたいもんだなぁ」
ドモンの言葉に憤怒するエイと諦めきれないホクサイ。
「どういう事なんですか?ドモンさん。増幅??そう思わせる??」体験したことがないトッポは不思議顔。
「うんまあ・・・じゃあここに一つの果実があると想像してみてくれ。銅貨くらいの大きさだ」
「はい」
「目を瞑って口に入れる想像をしてみろ。コリコリと少し硬くてかじりにくいんだ。口の中でコロコロコロコロ・・・」
ドモンの言葉に、トッポだけじゃなく、みんなもつられるように目を瞑る。
「グッとかじってみろ。大きな種に気をつけてな?中から酸っぱいが汁が飛び出してくるだろ。レモンよりもずっとずっと酸っぱい。それをかじればかじるほど酸っぱい味が口いっぱいに広がって、もうヨダレは止まらなくなる。ほらすごく酸っぱい」
「ううぅ」「うぎゅぅ~ドモンしゅっぱい」「ぬおっ!」「ホォォ??」
「まあこんな感じかな?」
「べぇ~!ぺっぺ!なんてものを食べさせるのよ!!」「奥様ヨダレヨダレ」
ドモンの暗示に、皆口を尖らせ大困惑。
特に引っかかりやすいナナはひどい有様。
「こうやって俺が食べたいと思うものを相手にも食べさせたくさせて買わせたり、スケベな気持ちにさせたりして・・・」
「女を抱いてきたのね!!キィィィ!!この悪魔め!!!」「奥様奥様!!ダメです!!」
ドモンの首を絞めて揺さぶるナナと、色んな意味で焦って止めるサン。
「な、ならば、昔若い頃旅先で見た、山や海なんかも見られるだろうか??」ドモンのことを信じたホクサイ。ただしそれ自体すでに暗示でもある。
「う~んどうだろう?やってみる?」
「た、頼む!もし見られたならその絵をくれてやってもいい!!」
「絵はいらないからさ・・・とある風呂の壁に描いてくれないか?」
「ああ」
ドモンはホクサイと部屋に二人きりにしてもらい、部屋の灯りをすべて消した。
ホクサイを椅子に座らせ、後ろからその目を手で覆い隠す。
そしてゆっくりとゆっくりと、ホクサイの記憶を呼び起こしていった。
ドモンが想像するあの絵をイメージしながら・・・。
「聞こえるかい?波の音が。今日は凄い波しぶきだ」
「ああ、あの船は大丈夫かね」
「見ろよその向こうの山を。この国一番の大きな山が、日に照らされ赤く染まってやがる」
「えぇ?ありゃあ土の色だろう?何にせよやけに綺麗なもんだ。なあドモンよ」
「ああ綺麗な景色だ。これを見ながら風呂にでもゆっくり浸かりたいもんだね」
瞼の裏に見えた、ザブンザブンと激しい波。
瞼の裏に映る、天を貫かんばかりの立派な山。
一時間ほどそれを続けた後、真っ暗闇の部屋の中でホクサイは大いに笑った。椅子に座ったまま大冒険をしたからだ。
灯りをつけるなり、笑いながら筆を持ち、笑う自画像をサラサラと描いた。
こんなに笑っている自分が可笑しくて可笑しくて、残しておきたいと思ったのだ。
部屋に戻り、その様子を唖然とした顔で見つめる一同。
特にエイは驚いた。
小さな頃に見た父の姿のように、生気に満ち溢れていたためだ。
「ハッハッハ!ドモン、山と海の絵を描くのはここじゃない。そうだろう?」
「ああ、カール・・・カルロス領のカルロスの屋敷の風呂の壁だ。最高の絵を頼んだぜ?」
「任せるがいい。おいエイ、こうしちゃいられない!引っ越しの準備だ!93回目の引っ越しだぞ。その屋敷のある街へ向かう」
「王都を出るっていうのかい?おやじ殿」
深夜だというのに、今にも飛び出さんばかりのホクサイを何とか皆で宥め、寝室である部屋に放り込んだ。
しかしどうにも興奮が収まらず、ベッドで奇声を上げ続けていた。現在深夜2時過ぎ。
トッポと義父も中央宮殿の自室へ戻る。
「まいったねおやじ殿には・・・」ドモン達の部屋へ、エイが苦笑しながらやってきた。もちろんお礼をしに。
「でも良かったじゃないか。一緒に来いっていうことだろ?」
「うん・・・ありがとう・・・本当にありがとう!!・・・グス」
「もう地獄なんか描く必要ないな。あれが最初で最後だ」
何かを乗り越えたエイ。そして何かを取り戻した。
ちなみにこの時エイが描いた地獄絵は『新解釈地獄図』と名付けられ、金貨数十万枚という値段が付けられたが、当然そんな安価で売られることはなく、ホクサイの自画像とともにアンゴルモア王国国宝として厳重に保管され、年に一度だけ一般公開されることになった。
後にその額縁の裏の端に、ドモンがいたずら書きをした『シン・ジゴク』という文字が発見されることになり、各方面の研究者達、そして庶民の間でも様々な憶測がなされたが、当然結論に至ることはなかった。