第33話
二階に上がりリビングの椅子に座ったドモンを皆が囲む。
ナナはドモンの後ろに立っている。
「冷暖房とはどういう事なのだドモンよ」
カールが問うが、ドモンにはその意図が伝わらない。
冬は寒いのだから暖房はいるだろう。そのくらいの感覚だ。
その口ぶりから今までなかったというのは理解したが、魔石なんて便利な物もあるというのになぜ取り付けなかったのか。
理由を聞けば単純明快。
まともな屋根がついた馬車がなかったのである。
ドモンが乗ったファルの馬車も、荷台にビニールハウスのような骨組みを付けて布をかぶせただけの、いわゆる幌馬車。
貴族達が乗っていた馬車は、ドモンの世界で言うところ、格好の良いオープンカーのようなものだ。
全く同じような仕組みで後ろから屋根をかぶせる事は出来るが、ただの雨避けにすぎない。
つまりは密閉空間ではないのだ。
それでは冷暖房も何もない。
箱型の馬車もあるにはあったが、振動によって壊れやすい上、窓はあっても窓ガラスはない。勿論それも振動で割れてしまうからだ。
よってせいぜい街の中での近距離移動にしか使われていなかった。
「なるほどなぁ。サスペンションが無いからまともな屋根や壁のある馬車がなかったのか」
話の辻褄があい、ドモンはスッキリした。
「そ、それほどまでに馬車の揺れが収まると言うのか?!」カールも前のめりだ。
「ゴムタイヤでは無いから完璧ではないけれど、恐らく屋根や壁を付けても大丈夫だし、窓ガラスをはめても問題無いと思うぞ?」
「勿論実際に試乗してみないと分からないけどね」とドモンが付け加えていたが、もう誰も話を聞いてはいない。
ドモンはその重要性を分かってはいなかった。
この世界にとって冬の季節は死の季節だ。
近距離の移動以外不可能で、いざという時の食糧支援や調達もままならない。
移動中に猛吹雪にあえば荷と馬車を捨て、馬に乗り街へと避難する。
それでも命を落としてしまう事も少なくない。
食糧が届かず、悲惨な状態で発見された街も昔はあったそうだ。
それが一変する。世界は変わる。
「ド、ドモンよ!資金援助なら致す!勿論一生贅沢が出来るくらいの金や土地、それなりの地位も与える。どうか頼む!」と叔父貴族。
「此奴にとってそれは餌にならぬのだ」とカール。
そんなやり取りを横目で見ながらさらっとドモンが語る。
「そんな見返りなくても作るから。そうじゃねぇとみんなが困る前に俺が一番困るんだよ」
そう言ってヒョイと立ち上がる。
「ナナ、大工のとこ行こうか。煙突とか付けないとならなくなったしな」
「ま、また、ふ、二人乗りで?」とナナが顔を赤くする。
「二人乗り用の鞍があるってさっき聞いたぞ」とドモンがツッコむが、何故かナナが「それは大丈夫だから。必要ない」と断った。
カールがゴニョゴニョと貴族達に耳打ちをし、全員が呆れていた。
意気揚々と階段を降りてゆくドモンとナナを見ながらカールはボソッと呟く。
「この世界の常識と価値観が、あの男によって全て破壊されていくようだ」
貴族達が頷きながらも更に言葉を重ねる。
「ただ兄さん、俺はとりあえず明日から厨房のコック達の筋肉が破壊されるんじゃないかと心配しているよ」とグラ。
「覚えているのか?マヨネーズの作り方を」とカール。
ニヤリと笑って親指を立てたグラに「でかした!」と叔父が叫ぶ。
ドモンがモーターを作りミキサーを完成させるまでの間、コック達が地獄を見ることが確定した。
「おぉドモン、話は終わったのか?」とヨハンが心配そうに話しかける。
そこへ貴族達もゾロゾロと階段を降りてきた。
「主よ邪魔をしたな。我々はこれで屋敷へと戻ることとするが、皆の分の飲食代はここへ置いておく。それで数々の無礼を許してくれ」
グラがそう言って金貨を20枚置いてゆく。
「いくらなんでも多すぎます!」とヨハンが遠慮をする。日本円にして200万円也。
以前カールが支払ったのはイレギュラーだとして、今までその4分の1も一日で売り上げたことはない。
ドモンがピクリと動いて何か言いたそうな顔をしていたが、少し思案して黙っていることに決めたようだった。
恐らく馬車やモーターに関して金が必要になると踏んだのであろうとカールは思う。
だからこそグラも思い切った散財をしたのだ。ドモンが直接受け取ることはないからだ。
「ヨハン、エリー、ここは素直に受け取ってみんなに奢ろう。今日は景気良くみんなでパーッとやろう!」
ドモンがそう言うと店内に歓声が上がる。
「その前に奢ってくれた貴族様達を皆で盛大に見送るぞ!みんな表に出ろ出ろ!」
ドモンの掛け声と共に、我先にと皆外に飛び出し、貴族達の馬や馬車を囲んだ。
「領主様バンザーイ!」
「子爵様~!!」
「カールさんまた来ておくれ!!」
「グラさん!もう少し鍛えてからまた来いよ~!ワハハ」
「キャー叔父様渋い~」
「護衛のみんなも非番の時に遊びに来いよ!」
「貴族の皆さん、うちの店にも今度寄っとくれよ」
グラは痛感した。
兄のカールが先日訴えていたこと、不敬罪などなくともただ尊敬される存在であればいいと言ったことが、今理解できたのだ。
それをカールへ諭したドモンはテラス席の椅子に座り、咥えタバコのまま笑ってひらひらと手を振っている。
皆に盛大に送り出されながらカールはグラに話しかけた。
「グランよ・・・」
「何?」
「恐らく今夜はなかなか寝付けぬぞ?」
「なぜ??」
グラの問いにカールは答えることはなかったが、夜になり、そして明け方を迎える頃に納得することとなる。
この日あったことが頭の中でずっとグルグル回り続けてしまうのだ。実に楽しかったと。
一方ドモンは貴族達を送り出したあと、ナナと一緒に大工の元へと向かおうとしていた。
二人乗りももう流石に慣れただろうと思いきや、先に馬にまたがったナナの鼻息が馬よりも荒い。
「ドモ~ン!早く・・・して」
「お前な・・・そこに変な『間』を入れたら違う意味になるだろうが」
「もう夕方だからいいじゃないの。いいから早く来てぇ」
「・・・・」
数分後、ドモンの左腕に右手で絡みつきながら文句を言うナナ。
「どうして歩いていくことになったのよ!」
「仕方ないだろ!周りの視線に気が付かなかったのか?この色ボケ娘が!」
「ド、ドモンが悪いんでしょう!大体最初だって人を押し倒して勝手に発情させモガァァァ!!」
「シーッ!とにかく黙れ天然爆乳娘!」
手で口を塞がれたナナが、スーハースーハーとドモンの手の匂いを嗅いで恍惚とした表情を見せた。
「うわぁ!もう気持ち悪いな!」
「ドモンの手の汗の匂いがする~」
「当たり前だバカ!お前は家に帰ったら尻叩きの刑だからな!」
「お、お仕置きされるのね私・・・ひゃ、百回も・・・」
「百回なんて誰も言ってねぇ!!!」
違う形で羞恥プレイを強制されてしまったドモンがようやく大工の家に着く。
ナナは真っ赤な顔をしながら「堪忍して」と上の空である。
ドモンは生まれてはじめて「堪忍」という言葉を人の口から発するのを聞き、笑っていた。