第336話
「何を見てきた」
「な、何をって・・・そりゃこの世の地獄を見てきたさ。とんでもない地獄もあの人に見せられたけれど」
ドモンの方を見るホクサイとエイ。
「そりゃあ興味深い話だ」
「何を言ってるおやじ殿、そんなもの見ないに越したことがないよ」
「いいや、私はすべてのものを描きたいんだ。この世もあの世もすべてをな」
「あいも変わらずね・・・」
ホクサイは何を見ても、その絵を描こうとする。
ある日、部屋の隅にクモの巣が張られてしまい、エイはそれを片付けた。
すぐにエイは呼ばれ、「昨日の晩までここに蜘蛛の巣があっただろう。どうして消えたんだ。お前知らないか?」としばらく気にし続けていたことがあった。
ホクサイにとっては、その蜘蛛の巣ひとつも絵のモデルだったのだ。
壁のシミ、そこにあるホコリ、ひっくり返った虫の死骸。
エイもそんなホクサイに習って、必死に絵を描いた。
そうしてある日、突然すべてが嫌になった。
ゴミや虫もそのままに絵を描く生活と、絶対に超えられないあまりにも高い父の背中に。
自暴自棄となって王都を飛び出し、流れ着いたがあの地獄。
とてもまともな神経ではいられない。
快楽に溺れ、狂いそうになる自分を必死に引き止める。
生き恥を生き恥と感じなくなるまで人間としての尊厳を捨てきり、ギリギリで自分を保ち続け、気がつけばもうすぐ五十となる歳。
そんな地獄を見たいというホクサイに呆れ果てるエイ。
「見てみたいなぁ」
「だから何遍も同じ事を!あんなもの・・・」
「見せてくれ。お前さんが見た地獄ってのを」
「!!!!!」
エイはようやく気がついた。
ホクサイは『地獄の絵』を描けと言っているのだ。
エイはとっくに許されていた。
いや、許すも何も元より、ホクサイは怒ってさえもいなかった。ただ少し寂しい思いを二十年ほどしただけで。
エイがいなくなってからは、以前にも増して、絵に没頭するよりなかった。
生きているのか死んでいるのか?
顔を見せなければ、便りもない。
今の自分に出来るのは、ただ絵を描き、それを残すことのみ。
そんな時『あのホークが描いたらしい看板が掲げられている』と噂が耳に入る。
もちろんホークは身に覚えはなかったが、すぐにピンときた。エイが描いたのだと。
数名いる弟子が描いたのなら、はじめからその者達の名前を聞かされていたはず。
その弟子達も皆、有名な画家として名を馳せていたためだ。
ホクサイはすぐに街へと飛び出し、その看板の元へと向かった。
そこには見事に描き上げられた看板と、なんとエイがいた。無事生きていた。
それを確認すると、ホクサイはもう居ても立っても居られない。
今の自分に出来るのは、やはりただ絵を描くこと。
久々に見たエイの肖像画を何枚か描き、そしてエイが描いた看板を元に、自分でもその街の絵を描いた。
自分の元へと帰ってくるかどうかは分からないが、もし帰ってきた時に、今の自分の気持ちを伝えるために、ホクサイは絵を描いた。
ふたりにとって、百の言葉よりも、一枚の絵の方が想いを伝えられるから。
「あ、あの看板・・・見たんだってね、おやじ殿」
「ああ」
「結構上手く描いたつもりだったのだけど・・・」
いつしかホクサイとエイが会話しているところへ、皆が集まっていた。
しかしもうそこは、完全に二人の世界。
「お前さんは、どうしてあの絵を俯瞰で描いたんだい?」あのホクサイが饒舌に。ドモンは少し驚いていた。
「そりゃその方が迫力が出ると思ったから・・・目にも留まるだろうと」
「看板は高いところに掲げるのだから、皆見上げるだろう?それを鳥からの目線で描いてしまっては、もうあべこべだ。それにあの街を皆に歩いてもらう事を考えれば、人の目線から街を描くべきだった」
「な、なるほど・・・恐れ入りました」
ホクサイは、持ってきていた一枚の絵をエイに手渡した。
クルクルと丸められた紙を広げると街の絵が描かれており、ドモンやその絵を見た他の者達から、一気に感嘆の声が上がる。
「この街の中にいるようだわ」と女の子の母親。
「人が動いているように見えてしまいました!」とサンが目をこする。ナナが「この子でしょ?はしゃいで走り回ってぶつかりそうよ」と指をさす。
「おいおい、俺の頭の中でも覗いたのかよ・・・」と思わずドモンも声を漏らした。想像していた街が、そこにあったからだ。
エイは目を瞑り天を仰いだ。
やはりこの父親は桁外れ。
まるでわかっちゃいないと言うのも納得。
これぞ職人。これぞ芸術。これがホクサイ。
同じ舞台で戦っては勝てるはずもない。
あまりの圧倒的な差に、エイは思わず笑ってしまった。
それならば・・・・
「紙や筆をお貸し頂けませんか?絵を描きたいのです」笑顔のエイ。
「ああ、すぐに用意させよう」と、カールの義父が使用人達へ指示を出した。
画材が用意された一室へと通されたホクサイとエイ。
これから父娘ふたりでの、絵を通した『会話』がたっぷりと行われることになる。
ドモンは料理人達に、簡単な軽食と大福を作るように頼んだ。もちろんこのふたりのため。
「天才と天才の子の会話かぁ・・・俺には想像もつかない世界なんだろうな。そもそも父親の声も聞いたことないしな」
「ドモン・・・」ドモンのその話を聞く度に、ナナは悲しい気持ちになる。
「夢の中で話したような気もするんだけど、それもよく覚えてないんだよなぁ。どうやら怪我したり死にかけたりしたら出てくるらしいが・・・それすらもおぼろげな記憶だから、まったく違うかもしれないけれど。それにどうもわざと記憶消されてるような・・・」と言って、う~んと首を傾げたドモン。
「お顔とかも覚えていらっしゃらないのですか?」とサン。サンは夢の中で両親の顔を思い出せた。
「対面で話した記憶がなんとなくあるってだけで、顔も声も、何を話したのかも覚えてないな。やたら命令口調で礼儀がなってないというか、何でもかんでもわかりきってるみたいな態度でムカついた記憶だけがあるんだよ」
「アハハ!まるでドモンじゃないのよ!自分の事は棚に上げてバカねウフフ」ドモンを指差し笑うナナ。
「ナナにだけは言われたくないよ!!」「ぷっぴぃ!!」
自分の事を棚に上げたことを更に棚に上げたナナを見て、ドモンの横で盛大に吹き出したサン。
喧嘩をしてるのか笑い合ってるのかよくわからないドモンとナナとサンをトッポは羨ましそうに見て、改めてそのオーガ達に護衛をお願いしようと考えた。
他の皆もそれを見て笑いながら城へと戻っていったが、義父と勇者だけは、示し合わせたかのようにそのまま真っすぐ図書館へ。
ドモンが見た夢についての書物を調べたが、結局何もわからずじまい。
ホクサイとエイが部屋にこもり、義父と勇者が調べ物をしていたこの日の夜。
ドモンらと女ボス、勇者を除くそのパーティーの面々、そして仕立て屋達が、トッポが普段いる中央宮殿へと招かれた。




