第332話
「あいつら本当に支払えるんですかね?店長」
「・・・支払ってもらうさ。必ずな」
明細票をペラペラと捲りながら、ニヤッと笑う店長。
上納金の支払いを考えると、一日に金貨20枚の売上がノルマだが、約三日分を一気に稼ぎ出し随分と楽になった。
「それにしたってあいつら、本当に馬鹿なのかわかってねぇのか・・・」と部下。
「テメェが心配するこっちゃねぇよ!いいから黙って仕事してこい!!」店長が部下を追い払った。
ドモン達が入店してもう三時間が経過した。
支払額はすでに金貨200枚近く。
勇者はもう賢者が好きなのか、隣に座るのこの女性が好きなのかよくわからない。
この女性自体がドモンも認めるほどのかなりの美女で、元の世界ならば二日間で一千万円稼ぎそうなコスプレイヤーのよう。
義父と大魔法使いはついに脱ぎ始め、元気な何かを大胆に見せつけてワッハッハと高笑い。
この歳になって何かが元気になると、どうやら自慢したくなってしまうらしい。
逆にトッポはまた何度か賢者気分になってしまい、その度に女王様にナニかをおしぼりで拭かれては『従順な犬』として復活していた。
そのせいで女王様の方が逆に何かに目覚めてしまう始末。
女王様はすっかりトッポ・・・いや飼い犬が可愛くなり、現在の会計が金貨200枚を越えそうなことをうっかりバラしてしまったが、その話を聞いたトッポ自身が「大丈夫です女王様!いざとなれば持ってきてもらって何とかなります」と答えたものだから、それを聞きつけた店の者達が外のドアを締め切って貸切状態にし、今いる女性全員をここに着けることになった。
もちろんそれは更に大量に奢らせるため。
その結果、支払額は金貨400枚を越えた。全員がもう笑いが止まらない状態。ついには店長までやってきて裸踊りを披露する始末で、店はまさにお祭り騒ぎ。
そしてそれは、全てドモンの予定通り。
「ドモンこっちよ」
「悪いな・・・でも見つかったらお前も大変だぞ?」
「平気よ!それにあの様子じゃわかりっこないわ・・ン!こらまた・・・もう仕方ない人ね」
「ハハハ悪い悪い。真剣な顔でこっちを見てくるから我慢出来なくなって」
「ねぇもう一回ふぅん」
忍び足で暗い廊下を抜け、裏の階段に誘導するドモンについた先程の女の子。
元の世界で、飲みに行った店の女の子やスケベな店の女の子を誘い出し、いつも閉店後に遊び回っていたドモンにとっては楽な仕事。最初に手を繋いだ時点ですでに勝負あり。
階段に座って抱き合いながら、話を続ける。チュッチュしつつ。
「なんかもうホークとかどうでも良くなってきたな。お前と一緒にいる方が・・・なんならここでズッポシ・・・」
「ダメよドモン。私もそうしたいけど・・・ホークさんに会わなきゃならないんでしょ?ね?私の言うことを聞いて」
「いやだ!もう我慢できない。せめて先っぽだけでも。色んな意味で」
「こらダメだってば・・・用事が済んだらね?ほらその先のドアだから行っておいで。あとで隙き見て迎えに来るからね。まああの調子なら、普通に戻ってきても大丈夫だとは思うけど」
「・・・ありがとな」
ドモンは大福の入った箱を抱えながら、二階廊下の突き当たりの部屋へ。
だがノックをするも『予想通り』返事はない。
一筋縄でいかないことは知っている。
ドモンよりも変人であり頑固者。権力にも決して屈しない。富にも興味はなく、媚を売っても通用しない。
ドアには「おじぎ無用、みやげ無用」の張り紙。
これが噂の・・・と、ドモンが見てニヤリ。ネットで見聞きしていた通り。
流石のドモンも今回に限っては厳しい戦い。どうなるかはわからない。
ただそれでもドモンは会ってみたい。ホーク・・・いや、あのホクサイに。
そもそもどうしてこの世界に存在したのか?
ホクサイに娘のエイ、厳密に言うならばアンゴルモアという名で王の座についているトッポもそうかもしれない。
言語もそのまま通用することも考えれば、ドモンがいた向こうの世界がこの世界に影響を及ぼしているのは確実。
だが今はそんな事は一旦置いといて、ドモンが『歴史上の人物にもし会えるとしたら?』という質問で、必ず一番に答えるその人物に会えるという幸運に感謝していた。
「入っていいかい?あんたに食べて欲しい物を持ってきたんだ」
「どうぞ」
ゆっくりとドアを開けると、まず目に入ったのが床に散らばるゴミの山。いや、宝の山とも言える失敗した絵の数々。
そして食べ散らかしたままで、洗わずに放置された器の数々。脱ぎ捨てられたままの服。
足の踏み場もないそんな狭い部屋の中、入室したドモンには目もくれず、ホクサイと思われる人物がこたつに入ったままで、一心不乱に絵を描き続けていた。
年齢はヨボヨボなこともあるけれど、義父よりもかなり年上に見える。娘のエイがドモンと歳が近いのだから当然と言えば当然。
「こりゃ座るところがないよ」と言ったドモンに小さく舌打ちをしたホクサイ。ホクサイが上品ぶった奴が嫌いなのは百も承知。
「だってこんなすごい絵の上に座れるはずもないだろ。まいったな」とドモンが頭を掻いてみせると、「ゴミだから気にすることはない」と一瞥もくれずにホクサイが答えた。
まずは第一関門突破。
ほとんどの人がここで追い返されるか、無視されて終わるかというくらい気難しい人物なのだ。
それが大金持ちであっても、貴族であっても、王族であっても態度は変わらない。
自分が気に入った人物だけ相手をする。
ドモンも『タバコの煙を嫌がる奴には近づかない。酒の飲めない奴は信用しない』が信条だけれども、ホクサイはそんな生易しいレベルの話ではない。富や権力になびかないのはそっくりではあるが。
そして今回ばかりはドモンの方から歩み寄らなければならない。
「俺はドモンという。あんたがホーク、いやホクサイだよね?」
「・・・・」
「描いているところをもう少しそばで見てもいいかい?」
「・・・・」
「絵を描きながらでも片手で食える甘味を持ってきたんだ」
「・・・・」
ドモンの言葉に対して返事はない。
しかしそれも想定の範囲内なので、ドモンが怒ることもない。
エイが描いた看板の話をした時だけは、一瞬筆が止まったようにも見えたが、ドモンは背中越しに見ているだけなので表情がわからず、その心理は読み取れない。
ただそれだけのやり取りなのに、ドモンは飲み込まれた。圧倒的な存在感と空気感。
道具屋のギドも天才だったが、この人物は更に桁外れ。
その今描いている絵をドモンが覗き込み「ああ、今ここにホクサイはいないんだね」と呟いた時だけ、フフッと小さな笑い声が聞こえた。
ドモンにはホクサイがその風景の中に入り、そこに座って絵を描いているように見えたのだ。
つまりホクサイは、頭にイメージしているものを描いているのではなく、イメージした場所に頭を送り込み、その風景を見ながら絵を描いている。これぞ真の没頭と言えるだろう。
だからドモンは「ここにいない」と言ったし、返事がないのも納得できた。心ここにあらずとはまさにこういうことか。
『没頭』や『没入』という言葉の成り立ちに対しても大いに納得。ホクサイがそれを完全体現していた。
ホクサイが使用しているのは筆のみで、人物も風景もデフォルメされている。
だけれども、ドモン自身もその絵の中に引っ張り込まれるかのような臨場感。
まだ描きかけの絵ですらこの状態。
なのにホクサイは、その絵をクシャッと丸めて後ろにポイっと捨てた。
「風情がねぇ馬だなぁ」ホクサイがボソッと呟く。
「長旅の前に餌をやりすぎたんだろう。そりゃぁクソも漏らしそうにもなるさ」と覗き込んだドモンが、苦笑しながら自分のアゴを擦る。
しばしの沈黙。
ドモンには競馬場のパドックで、馬糞を豪快に垂れ流す寸前の馬そっくりに見えたのだ。
垂れ流した後はスッキリするのか、案外レースで好走することも多く、ドモンはよくそれを観察しに行っていた。
今回は、絵の中の隅の方で馬車を引いていた馬一頭の話。
小さく描かれたその馬は、腹も膨れて足取りも重く、ドモンも気になっていたのだ。
ほんの僅かな釘の傾きで勝負していた、昔ながらのパチプロがその違和感に気が付かないはずがない。
ホクサイはまた小さく笑いながら、左手で鍋の方を指差し「茶」と一言。
ドモンはお茶の葉らしきものが入った木箱と鍋を手に、小さなキッチンの前で、右手で小さくガッツポーズをした。




