第279話
目の前で繰り広げられる圧巻の光景。
この日は当然この温泉で一泊し、明日の朝出発する予定となったのだけれども、ドモンの「晩飯食うのにテーブルと椅子が足りないな」の一言で、オーガ達がすぐにそれを作り始めたのだ。
ほぼ素手で。
木を蹴る殴るで何本もぶっ倒し、引き裂き、潰し、擦り合わせて丸太だの板だのを作り、尖った石を釘代わりに打ち込んでいく。
楔も素手で無理やり打ち込み・・・いや指で押し込み、あっという間にテーブルや椅子が完成。
テーブルや板の表面を磨くのも素手。
棘なんてものは刺さらないほど皮膚が厚く、子供や女性達が楽しそうに手をヤスリ代わりにして擦っている。
これを見れば、ドモンの爪くらいなら平気だとオーガが考えたのも無理はない。
ドモンの爪だけが別次元だっただけ。
義父や騎士達は、人間が敵う相手ではないと改めて納得。
「でもドモン様に勝てる気がしないよ?掴まれたら終わりだもん」とナナ似オーガ。あの爪や暗示の恐怖を忘れることは恐らく一生ない。
「俺は普通に人間に負けるんだけども・・・」と言ったドモンにオーガ達は不思議顔。
結局『ナナが最強』だと意見はまとまり、ナナ大満足。なぜかオーガ達と義父も満足。
晩御飯はすき焼き。
オーガ達の霜降り肉に上質な卵があるとなれば、それ以外の選択肢はない。というよりドモンが食べたい。
何故か体調も回復して、今はとにかく肉が食べたかった。
豆腐も人参も白菜も春菊もないのが残念だが、今回は浅草の某有名店の、濃い割り下を使用する焼肉みたいなやり方のすき焼きとした。
「卵は新鮮なものなんだよな?」
「はい!昨日から今朝にかけてとれたものでございます」
「じゃあ卵を洗っておいてほしいんだ。殻に菌がついている生卵を食べると食中毒を起こしちゃうからな」
「生で卵を食すのか?!せめて少しだけでも火を通せ!」
ドモンとオーガの会話を聞いていた義父が思わず声を上げた。
当然他の者達も同じ考えであり、オーガですら食中毒はないにしろ、生のたまごが美味しいとはとても思えなかった。
「新鮮な卵で、きちんと洗卵すりゃ大丈夫だって。それでも心配なら、一分くらいお湯に漬ければ殺菌は出来るとは思うけど・・・茹で上がっちゃわないかな?」
「で、では、道具屋さんで買ったあの道具を使ってみてはどうでしょうか?雑菌を浄化するとおっしゃっていましたし」とサンがドモンに素晴らしい助言。
「そんなのあった?」と、ナナはお仕置き道具を頭に浮かべていた。
「それだ!流石はサンだ!そしてナナ、お前も流石だ・・・」
「やだドモン!それほどでもないわよウフフ」
口臭や体臭を消す道具の説明をすっかり忘れていたナナ。
ドモンも説明書を読まないタイプな上に、自分も正直忘れていたので強くは言えない。
「じゃあお前達で卵洗ってその道具で浄化してきてよ」
「はい!」「はい!」サンとサン似オーガが相変わらず良い返事。
「お前らは・・・いいや」ちらっとだけナナの方を見たドモン。
「ちょっと!」「なんでよ!」ナナとナナ似オーガも素晴らしいコンビネーションを見せる。
「だってお前ら卵割るだろ絶対」
「・・・・」「・・・・」
否定はできないふたり。
自分でも卵を割る未来しか想像ができない。
「お前らは牛肉をあの機械で切ってくれ。2番目くらいの薄さでいいかな?」
「それなら任せて!」「わかったわ!」
ナナ似オーガを連れて、道具を取りに馬車まで走るナナ。
長ネギを切りながら割り下の準備を進めていたドモンの元へ、サンとサン似のオーガがピカピカになった卵を持ってきた。
「おー!キレイになったな!ピカピカだ。よく頑張ったな」
ドモンに頭を撫でられた二人の笑顔は、まさにこの磨いた卵のよう。
「さあみんな、器に卵をひとつ割ってかき混ぜておいてくれな」
「本当に・・・本当に卵を生のまま食すつもりなのだな?」
日本人のドモンにとっては当たり前だけれども、そうではない者にとってはあまりに高すぎるハードル。
ドモンもなんとなくそうなる予感はしていたけれど、想定していたよりもずっと上の嫌がり様。
その地域により食文化の違いがあり、虫食文化もあれば生食文化もある。
それによりドモンも確かに「う~んこれは・・・」と思うものも確かにあるが、今回はそれらを超えた本気の嫌がり方。食事自体食べずに我慢しようとしている者もちらほら。
猛毒のふぐの卵巣をぬか漬けにすると、毒が消えて食べられるようになるものの、科学的には全く解明されておらず、『食べてみたら平気だったから平気』という珍味なのだが、それを初めて食べる時のような心境なのかもしれないとドモンは思った。
オーガ達は前述した通り、食べられなくはないだろうが美味いとも思えないといった心境で、無表情で卵をかき混ぜている。
オーガの子供らには「食べたくないよドモン様・・・」と、しょんぼりと打ち明けられた。
「お、おまたせ~ドモン・・・」
「ド、ドモン様あの~・・・」
「お前らは本当にバカなのか?!」
ナナとナナ似のオーガが、大きな桶に山盛りの牛肉を入れて戻ってきた。
ナナが持っているもので10キロはゆうに越えていて、ナナ似オーガの持っているものはその三倍ほど。
つまり、ふたり合わせて40キロほどの牛肉スライスを持ってきたのだ。
「ドモンあのね・・・ゴニョゴニョ」とナナ。
「な、なんだってぇ?!あとこれがふたつずつあるってのか???」
まさかの120キロ。
霜降り牛肉が120キロである。
50人で食べるとはいえ、ひとり2.4キロ計算。
「ナナが競争しようだなんて言うから・・・」
「何よ私が悪いっていうの?!最初私の方が早かったのに、あんたがもっとやれば私の方が早いって言い出して、余計に肉を持ってきたんじゃないのよ!」
「それで私が勝ったのにナナがワガママ言うから!」
「キィィィ!!元はと言えばあんたのワガママから始まったのよ!!」
ナナとナナ似オーガの醜い争いに、エリー似オーガも「やめなさいあなた達ったらもう~」と仲裁に入ったものの収まりがつかず。
「もうわかったから。やってしまったものは仕方ないし、残った肉は冷凍にでもして保存したらいいよ」
「ごめん」「ごめんなさい」
「そのかわり、ふたりにはみんなを代表して、肉を生卵につけて食べる姿を見せてもらう」
「絶対にお腹こわすわよ・・・」「たまごを生で・・・うぅ気持ち悪い」
ナナとナナ似オーガがいちいち同時に返事をしてくるので、もうどっちの発言かがわからないけれど、どうせ考えていることは同じなのでどうでも良くなってきたドモン、と一同。
ブーブーと文句を言う二人を無視し、ドモンが浅い鍋の上に割り下を注ぐと、ジュウという音と共に甘く香ばしい匂いが辺りに立ち込め、皆言葉を無くして鍋に視線が集中。
四枚ほどの肉をそこに乗せ、さっと炙るように火を軽く通し、ナナ達の溶いた卵の中へ二枚ずつ放り込んだ。
「ちょっとちょっと!」「肉も生焼けじゃないのよ!」
「いいから黙って食え!冷める前に食べないと駄目なんだよ」
「うぅ~・・・」「もう~・・・」
目を瞑り、エイヤと同時に口の中へ入れたふたり。
モグモグとふた噛みしたところで目をパチっと開き、もうふた噛みしながら同時に椅子から立ち上がり、目を見合わせた。
そしてクルッとドモンの方へと同時に顔を向ける。
「ほら、お米だろ?」
お米をドモンが手渡すと、立ち上がったまま慌てて口に掻き込んだ。
ふたりとも箸を使っていたが、ナナ似のオーガはまだフォークのような使い方。
でもそんな事はお構いなし。米を口に放り込めるなら何でも良い。
焼肉もラーメンもからあげも、それにとんかつやカツ丼、しゃぶしゃぶやハンバーガー、ピザやパスタや焼き魚、他にもたくさんドモンの料理をナナは食べてきた。
すき焼きはその遥か上の頂点へ。
いつもの『んんんー!』もない。そんな会話をする余裕はない。
もう一枚の肉も食べ、ナナは体をブルブルと震わせ、ナナ似のオーガは涙を浮かべる。
ドモンは黙ったまま、また四枚の肉を焼き、ふたりの卵の中へ。
肉の旨味が滲み出た割り下の中でネギも焼く。
今度は肉の中にネギをくるみ、卵をたっぷりつけてお米にポンポン。
もう生のたまごに抵抗なんてない。
これでお腹をこわしたとしても後悔はない。
「ほらそろそろふたりとも座って食え」
「あぁ・・・」「うぅ~・・・」
「・・・といった具合なんだけど、みんなはどうす・・・」
「は、早く寄越せ馬鹿息子が!わかっていてそう言ったのであろう!」もう義父も余裕はない。
「へっへっへ、仕方ねぇな。さあみんな、焼き方は見ていただろ?みんなも同じように焼いてくれな」
「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」「はい!」
ドモンが義父とサン達のすき焼きを作りながら割り下をみんなに配り、各自食事が始まった。
そしてすぐに全員が驚嘆することとなった。
「わ、わからぬ・・!何故生のたまごに漬けると肉がこのような味になるのだ?!」
「いや知らねぇよハハハ」
「貴様の世界では皆このように食していたのか??」
「こんな食い方してたのは俺の国だけだな。向こうでも他所の国の人に驚かれてたよ」
「どのような思考を持てば、このような事が思いつくというのだ・・・生の卵を避けるのではなく、食せる状態にした上で肉と共に食すなど・・・」
義父の意見に全員が同意。
ドモンがというよりも、日本人の食に対する考え方があまりに異質過ぎる。
魚を生で食す寿司なんかも昔は驚かれていたが、すき焼きは未だに驚かれているほど。
それが時代背景もずれている異世界の話ならば尚更だ。
全員が無我夢中で食べ続け、卵もすっかり足りなくなってしまい、オーガ達が大慌てで取りに戻った。
が、新鮮とは言えない少し古い卵を入れても40ほどしか集まらず、皆がっかり。
途中からはちびちびと卵をケチりながら、全員が大量の肉を消費。
結局ナナ達が用意していた肉の半分以上を食べ、大満足のうちに食事を終えた。
その夜、ドモンは他のオーガ達とも温泉に入り、大いに語り合い、オーガ達はドモンに対し完全なる忠誠を誓った。




