【幕間】手記・最期の晩餐は眠れない
ナナには話せなかった事とは?当時のドモンに一体何があったのか?
時はバブル期前、すすきのそばの下町で暮らした時の出来事を、ドモンの手記によって振り返る。
とはいえ、特に物語とは関係のない話なので読み飛ばしても全く問題ない。
人生の転機。一発大逆転までの話。
その日夕刊を配り終わり、家に帰ると豪華な食事が待っていた。
豪華と言っても全て出来合いのお惣菜だが。
それでも当時の俺には御馳走だったんだ。
詐欺事件による一家離散後、俺と母は母の姉、つまり俺にとっての伯母の家に身を寄せていた。
しかし程なくしてその伯母が結婚、それにより木造の小さな二間ほどのアパートに引っ越すこととなった。
母は若くして結婚した後俺を妊娠、その妊娠中に父は家のお金を全部を奪い、借金だけ残して出ていってしまったそうだ。
そのまま離婚し出産。無事俺は一時期噂になった「三百日問題」の対象者となった(笑)
戸籍上養子となってしまうというやつで、区役所に戸籍謄本を取りに行った時に養子になっていてびっくりした記憶がある。
ただ苦労をしたかと言えばそうでもなく、実家に戻った俺と母はかなり自由に暮らしていた。
なにせこの実家がススキノのそばにあった割には結構でかい。
部屋は8部屋くらいあり、キッチンは1階に一つ,、2階に2つ、庭にはブドウやイチゴなどが植えられており、物置ですら引っ越した木造アパートの部屋より大きかった。
そりゃ詐欺師も狙うわなと言うような家だ。
家賃も食費もかからないので母は自由を満喫。
あちこちで働いて、気に入らないことがあればすぐ辞めての繰り返し。初出勤の途中で辞めたこともある。
ハチャメチャ具合では俺や父親、祖父とほぼ変わらないと思う(笑)
そんな生活から俺達は突然社会に放り出された形。
普通の子供と大きな子供(母)での生活は当然あっという間に破綻する。
母のパートだけでは暮らして行けず、朝刊夕刊の新聞配達をしたものの、それでも借金だけが膨れ上がっていく。
それをどうにかしようと、母はなけなしの金を持ってパチンコをしては撃沈。
俺が新聞配達で稼いで家に入れていたお金も一瞬で消えた。
中学生になった頃、母と顔を合わせるたびに「どうやって死ぬか?」の相談をされる。
それが鬱陶しくて「銭湯に行ってから遊んでくる」と言い残し、いつもススキノで朝まで時間を潰していた。朝刊配達があるからそれまでには戻る。
当時は新風営法がなく、朝までゲーセンが開いていたから都合が良かった。
そんな生活をしていた当時の俺は、競走馬のミスターシービーが好きだった。
この馬の特徴はなんと言っても常識破りの追い込み戦法。
スタートした後、最後方がミスターシービーの定位置。
ダービーの時に関して言えば、先頭から20馬身も離れたところを走っていた。
鬼の勝負根性。黒い弾丸。
前を走る馬を抜くことだけを考え、それに全てを賭けて闘志を燃やす。
ビリから這い上がるその姿に自分を重ねあわせ、いつも手に汗を握りながら応援していた。
いつか俺もシービーみたいに。
今どん底でもいつかはトップへ。
一つでも前へ。一つでも前へ。
俺もやってやるぞ!
しかしそんなシービーも翌年現れたスーパーホース、皇帝シンボリルドルフには勝てなかった。
この馬はいわば精密機械。そして天才。
先頭の馬より少しでも前に出てゴール板を通ればいいということがわかっていた。
名騎手岡部もルドルフに乗っている時は何もすることがない。
岡部自身「ルドルフに競馬を教わった」と言うほど。
手綱を握って操ろうとしてもルドルフが「今はまだ駄目だ」と岡部を制す。
最後の直線で鞭も入れていないのに突然スパートを掛ける。岡部はつかまっているだけだ(笑)
ルドルフに破れ現実を知る。
根性だけではどうにもならないこともある。天才には敵わない。
そして厳しい現実は俺の生活にもやってくることとなる。
借金が50万を超えた頃だっただろうか?
母はついに全てを諦めた。
たった50万。
だが返す当てもなく、ただゆっくりと借金が膨れ上がっていくだけの状況は母にとって絶望的な金額だったのだろう。
この時はもう鬱陶しいとかではなく、殺される予感がプンプンしていた。
いつ俺の首にロープが巻かれるのか?
死ぬなら俺を巻き込むなという気持ちと、ある程度の覚悟と。
ある日の夕方、ススキノに住んでいるクラスメイトが自転車に乗れないというので二人で暗くなるまで特訓をした。
こいつはこいつで大変で、頭から血を流しながら「お母さんにビール瓶で殴られたぁ」と言いながら登校してきたこともある。
自転車買ってくれなんて言える状況ではなく、だから乗る機会もなかったのだ。
特訓の成果でなんとか乗ることが出来喜ぶその友人に、俺は大事にしていた自分の自転車をあげた。
持って行け。大事にしてくれと。
俺が持っているよりきっといい。そんな予感がしていたから。
この日の夜かその数日後だったか?
食卓に豪華な食事が並んだ。
お互いになるべく明るくしようと会話をするものの、全く話は弾まない。
ムシャムシャと食べながら「今日は豪華だね」「そうね」と。
食事も終えようとした頃、母の方からきり出す。
「これ、最後の食事だから」
当然察していた。
「どうすんの」
「明日の朝いっしょに首吊ろう」
「嫌だよ」
「もうどうしようもないから」
そう言ってポロポロと母は泣いた。
だが覚悟だけは決まっている様子。
いつもの愚痴と感じが違う。ロープも風呂場に用意してあった。
これはいよいよだ。
こうなればまず俺が逆らうことは母も知っている。
だとすれば俺が眠った隙にロープを首にかけてくるはず。
今夜は絶対に眠れない。
飯を食って奥の部屋に引っ込んだ後、ファミコンをやって本を読み時間をつぶす。
そのまま逃げることも出来たが、そうすれば母はひとりで逝くだろう。
なるべくならそれも避けねばならぬ。
0時、1時、2時・・と時間が過ぎ、母もしびれを切らし「早く寝なさい」と言ってくる。
寝ないよ。寝るわけがない。
隣の部屋からため息が何度も聞こえる。
そして4時になり俺は着替えた。
新聞配達の時間だからだ。
「今更そんなの行ってどうするの!」と言われた。
そんなのわからない。
わからないけれど・・・未来と希望は捨てたくない。
「何あるかわからないじゃん!」
これから突然100万拾うかもしれない。
拾った宝くじが当たるかもしれない。
どんな可能性があるかもわからないし、確率が低くとも何があるかはわからない。
でも死んだらその可能性は・・・未来は完全に閉ざされゼロになる。
そう伝えたかったけど、うまく言葉にできず思わず出た言葉だった。
どんよりした気持ちで新聞を配り始める。
夜が明けはじめ、豆腐屋から湯気がモクモクと上がる。
いつもは面倒で長い新聞配達があっという間に感じた。帰りたくない。
母はまだ生きているだろうか?
帰ったらいきなり殺されるのだろうか?
このまま逃げたらどうなるのだろうか?
予備用に貰える新聞を開いて、読みながらゆっくり歩いていた。
(配達時に貰う予備用の新聞はそのまま持って帰ってもいい)
読んでいても何も頭に入ってこない。当然だ。
だがそんな新聞の隅に、突然意外なものを発見した。
パチパチと何度かまばたきをし目を擦り、はっきりと確認して俺は飛び上がった。
これは大変だ!
全速力で家に向かって走る。走れ!走れ!急げ!
家につきドアを開けるなり俺は叫ぶ。
「名前が!名前が!!」
まだ母は死んでいなかった。
うつろな目で「何が?」と答えた。
俺は「名前あるよ!!」と息を切らしながら叫んだ。
少し間があってから、母はハッとして立ち上がって駆け寄ってきた。
「当たったの?!」
「当たってる!」
以前ダメ元で応募していた道営住宅の当選者として名前が載っていたのだ。
収入によって家賃は変動する。うちの場合当然家賃ゼロだ。
立地がかなりよく、倍率は30倍だった。それに当選していたのだ。
ついに掴んだ蜘蛛の糸。命と希望をつなぐ糸。
這い上がるにはこれしかない。
もし当選していなかったら・・いや、もしこの発表が一日遅かったら・・・
まさにミスターシービーの如く最後方からの大逆転。
助かった。
わずかながら先にようやく光が見えた生活。
気持ちに少しだけ余裕が見えた俺は札幌競馬場へ連れて行ってもらった。
そこで見ていた札幌日経賞。
スタートするなり騎手を振り落とし、カラ馬のままいい位置に付け、最終コーナーで先頭を捉えて当時のレコードタイムでゴール板を駆け抜けた馬がいた。
しかしもちろん失格である(笑)
この馬の名前はギャロップダイナ。
そのあまりの光景に開いた口が塞がらないというか、死ぬほど笑った。
心の底からこんなにも笑ったのはいつぶりだろうか?
そして道営住宅へ引っ越しした当日。
その日は秋の天皇賞が行われていた。
荷物を運び終え、テレビをセットし天皇賞を見る。
この天皇賞にあのギャロップダイナが出るのだ。
俺は伯父に頼んでギャロップダイナの単勝を100円だけ買ってもらっていた。
天皇賞にはシンボリルドルフも出ている。
ルドルフの単勝オッズ1.4倍。ギャロップダイナの単勝オッズは88.2倍だ。
ギャロップダイナ、お前の実力は知ってるぞ。
最初に騎手さえ振り落とせばルドルフにだって勝てるぞ!(笑)
シービーの仇取ってくれよ!
ギャロップダイナはミスターシービーの如く最後方へ。
そしてそのまま最終コーナーへと向かう。
いやいや・・・ミスターシービーでも流石に途中である程度順位上げるから・・・なんでお前はビリのままきちゃうのか(笑)
(最終コーナー。この赤い帽子がギャロップダイナ)
実況はギャロップダイナのギャの字も言わない。
そりゃそうだ。残り400mになってもまだビリの方だもの。
先頭はシンボリルドルフ。
いつものようにこのまま決まりそうだ。
そう思っていたその瞬間、外から・・・ギャロップダイナがすっ飛んできた。
「シービーだ・・・・」
思わず声が出た。
まるでミスターシービーのようだった。
そしてそのまま後方一気であの皇帝に勝ってしまった。
あっと驚くギャロップダイナ。
国内レースでシンボリルドルフの前を走った馬は生涯で3頭しかいない。
カツラギエース、ベッドタイム、そしてこのギャロップダイナ。
引っ越し荷物を片付けながらしばし呆然。
ドジで間抜けでビリの馬だって天才に勝つこともある。
どん底から這い上がろうとしている俺達を祝福してくれているように感じていた。
そんな感傷的な気持ちも、単勝8820円という発表に一気にかき消された。
1000円、いやせめて300円くらい賭けておけばよかった!(笑)
こうして俺達の人生は再スタートとなった。
そして数年後、就職してススキノに行ったある日、粉雪がゆっくりと落ちる細い路地裏に自転車を見かけた。
俺があげたあの自転車だ。
あいつの家の下から小さな声で「おーい・・・」と呼んでみた。
(元気でやってるか?俺もなんとか生きてるぞ・・・)という気持ちを込めて。
懐かしさと照れくささですぐに立ち去ろうとしたその時、
「なーに?」
2階の窓をガラッと開けて普通に出てきてびっくり(笑)
男同士、無駄な会話なんていらない。
「元気でな」「おう!」
その顔と自転車を見れば全てわかる。それで十分だ。
別サイトにて書いた手記となる。
事実は小説より奇なり。