第207話
「魔物が作ったもんなんか食えるかよ!」
そんな言葉を、甘いリンゴの匂いが消してゆく。
垂れそうになったヨダレをゴクリと飲み込み、ゴブリン達の作る『アップルパイ』を見つめる人々。
秘蔵の酒で煮込んだリンゴの匂いはあまりにも魅惑的で、周りを囲んだ数十人の女性達がうっとりとした表情に。
焼き上がった香ばしいパイ生地の香りに、男達ももう抗えない。
アップルパイに太陽の光が反射し、黄金のように輝く。以前サンが作ったグラタンのよう。
それを見て、皆がまたゴクリと唾を飲み込む。
ザックとジルは次のアップルパイを馬車のストーブで焼きはじめ、長老はアップルパイを切り分けた。
「ねぇママ、食べたい」指をくわえる小さな女の子に、「はいどうぞ」と長老がニッコリと微笑み、アップルパイを一切れ渡した。
皆が注目する中、女の子は躊躇なくガブリと噛む。
ガブリと噛んで、何故か涙を流し始めた。
「おいしい・・・すごくおいしいよ!でもどうして涙が出ちゃったんだろ??」
初めて味わうアップルパイに感情が揺さぶられる。感動の一言。
女の子は泣きながらウフフと笑った。
「ゴブリンさん、私も頂いて宜しいですか?」と女の子のお母さん。
「ええ、もちろんどうぞ!」と微笑む長老。お母さんもひと噛じり。
「本当に・・・すごく美味しいわ。こんなの食べたことがないですよ」
「良かった・・・」
「少しだけ待ってくださる?」
「え?は、はい??」
食べかけのアップルパイを娘に持たせ、つかつかと斜め後ろに歩いていき、一人の男をそのお母さんがいきなり張り倒した。
「な、何を?!」
「恥ずかしいわとても!あなた、私見てたのよ?」
「・・・・」
「ねぇ!言ってごらんなさいよ皆さんの前でもう一度!!さっきあなたが言ったことを!!!」
「・・・・」
お母さんはつかつかと歩いて娘の元へと戻り、食べかけのアップルパイを受け取りまた食べた。
「ごめんなさいね・・・本当に。もっと早くに止めるべきでした」
「い、いえ!」
「あなた達を尊敬します。今度、作り方を教えていただけますか?」
「・・・は、はい・・・はい・・・」
「あれ?みんな泣いちゃった。あたしの真似したの?」
リンゴが付いてベトベトになった指をしゃぶりながら、不思議そうな顔の女の子。
これをきっかけに少しずつ、場の空気がゆっくりと変わっていった。
「俺も貰えるかな?」
「あら?パスタ屋の」右手を上げるドモン。
「いくらだい?」
「いえ、お代は頂いておりません」長老がアップルパイをまた一切れ渡す。
「ううむ・・・安く見積もっても一切れ銀貨十枚といったところであろうな」
いつの間にかアップルパイを長老から一切れ奪い、ひと噛じりした義父が値段を見積もった。
銀貨十枚は日本円にして約一万円なので、当然超高評価である。
「王都であればもっと高値で売っても売り切れ必至でしょう。何せ今すぐ私が買い占めたいほどですから」とカールもその味を噛みしめた。
グラは口いっぱいにアップルパイを詰め込み、ヨハンとエリーは仲良く食べさせあっている。
「そりゃただで貰う訳にはいかないな・・・ちょっと待っててくれるかい?」パスタ屋が駆けていき、数分後また駆け戻った。
「これはそこの旦那に作ってもらった和風パスタってのを参考に作った物なんだけど、旦那と一緒に味を見てもらえるかな?」
「よ、宜しいのですか?私なんかが頂いて」胸の真ん中に右手を当て、喜ぶ長老。
「ふむふむなるほど、キノコのクリームパスタだなこれは。バターと黒胡椒で味を整えたのか」
「流石だな旦那!見ただけでわかるのか」
「見た目と匂いでな。これは上に粉にしたチーズと、刻んだ香草なんかを振りかけるともっと美味くなるぞ」
「な、なるほど!!!!」
ドモンの的確なアドバイスに驚くパスタ屋。
「キノコ苦手だから俺は食わんけどな」と言うとパスタ屋が盛大にずっこけた。
「でもこちらも十分に美味しいですよ!本当に」上品な所作でひとくち食べた長老がニコリと笑う。
「よ、よく見たらあんた随分と美人さんなんだなハハハ。そう言って貰えて何よりだ」とパスタ屋が照れ笑いをしながらアップルパイを受け取る。
そのパスタ屋もそれをひとくち噛じり、あまりの美味さに絶句した。
続いて大工や鍛冶屋の見習いの子供達にも配られ、当然ナナの元にも届けられる。
ナナはサンにひと噛じりさせてから、残りを全部口の中へと押し込んだ。
「やっぱり美味しいですね。奥様、ノドに詰まらせないように気をつけてくださいね?」
「んんぐ~」
「それはどっちなのでしょう??」
「平気ーって言ってるわよ」とエリーが横から訳した。
サンにはまだ巨乳語がわからなかった。
徐々に始まる人間とゴブリンとの交流。
ザックとジルは何度も何度もアップルパイを焼き、できる限り多くの人に配った。
魔物が作ったもんなんて食べられるかと息巻いていた若者にも、ジルがにっこり笑って一切れ渡す。
若者はそんな自分をただただ恥じた。恥に恥じて後悔の嵐。
あまりの後悔にジルのその笑顔が脳裏に焼き付き、数十年後、死ぬ間際に思い出したのが家族の顔ではなく、ジルの笑顔であった。
ようやく回り始めた歯車。
その様子を見ながらハァハァとドモンは呼吸をし、噴水の縁に座っていたナナの横に座る。
「どうやらみんなゴブリン達を受け入れ始めたみたいねドモン」
「そうだな」
ナナに返事をしながらタバコに火をつけ、空に向かってふーっと煙を吐いた。
「サンの脚は平気か?」
「サーン!ドモンが脚は大丈夫かだって!」
「平気です!」
まだせっせと働いているサンにナナが大きな声で問いかけ、サンも大きな声で返事をしてニコっと笑った。
「ザックも・・・・大丈夫そうだな・・・・」
「あれだけ動けるなら多分大丈夫だと思うわ」
「そうか・・・良かった・・・」
「そ、そういえばドモンは平気なの??血が出ていたように見えたけど」
雨が降っていたため、実際にどれだけ血が吹き出していたのかナナは知らない。
髪の毛があったため傷口も見えていなかった。
ドモンがふぅ~と大きなため息をひとつつく。
「また泳ぐのは・・・ちょっと面倒だから嫌だな・・・」
「え?何??ちょっと止めてよ噴水で泳ぐのなんか」
ナナがそう言うのとほぼ同時に、ドモンは噴水にドボンと落ちた。