異世界転生研究所-異世界に行きたいマスターと異世界に送れないアンドロイド-
「な、なぜだ……私の計算は完璧のはずだ。どうして異世界転生できない!」
薄暗い部屋でマスターは床に這いつくばりながら、うめき声をあげました。
ワタクシは突き出した拳を引っ込め、マスターの次の言葉を待つことにします。
ワタクシはマスターに作られ、魔改造されたアンドロイド。名前はアテー。
人型19回目の試作機、「答えのない問いの答えを探せ」と訳の分からない思考プログラムのせいでうっかり自立思考を備えた、実はノーベル賞モノのアンドロイドです。
――さて、しばらくマスターをの様子を見ましたが、これは次の指示を待つよりも提案のほうが優位ですね
そう判断した私は口を開き、のどの奥のマイクから人工合成された音を吐き出すことにしました。
「もう一発打ち込みますか?」
「……いや、まずは計算のやり直しだ」
認識、確認、内容把握、判定、こいつはとんだチキン野郎だ。
いとおしい。とても、惜しいという意味で。
白衣を正したチキンのマスターはゆらりと立ち上がりました。
「異世界に転生するためには必要な運動エネルギーがまだ足りない」
「さようですか、今回のパンチは計測の結果1万Jの威力でしたが、出力を上げますか? 死にますよ?」
「やってやるとも!」
マスターは指輪型の端末を二度、三度タップし、ずいぶんと古い形式の接続方法で、どこにあるとも知れない情報端末にアクセスしているようです。
そして必要な情報を手に入れたのか、その情報を二次元スクリーンに映し出しました。
「このNAROUというデータベースによると異世界転生の主な要因はトラックとの衝突!
当時のトラックの重さはおよそ5トン速度は時速60キロと推測される。
その時の運動エネルギーは約70万J! それを21グラムの魂にぶつけた衝撃が私を異世界へといざなうのだ」
「なるほど、スモウレスラー500人分の質量でマスターにぶちかましを食らわせればよいのですね」
「……もっと速度的な解決を図ろう」
マスターは愛用の椅子に座り込みあーでもない、こーでもないと悩み始めました。
「よし、ひらめいた!」
ややあって、椅子から飛び降りたマスターは笑顔でスパナやらレンチやらを取り出してきました。
こうなるとマスターは止まりません。
瞬く間にワタクシの腕をバラバラにし、空気圧で爆発を発生させピストン運動に変換する装置を取り付け始めました。
――もう少し見栄えを気にしてほしいものです。ほかのAIならともかくワタクシが世界初の自立型ということを忘れてはいないでしょうか。
「これで秒速200メートルは軽く出るだろう。アテー試しに動かしてくれ」
ずいぶんとメカメカしい腕になってしまいました。とほほ。
肘から先に巨大なピストンが取り付けられ、指令を送るとピストンが収縮し、中にためた空気圧をエネルギーに拳が飛んでいく仕組みのようです。
これはひどい。ひどすぎる。
「さあ、やってくれ! アテー! 俺をその拳で撃つんだ!」
「了解しました。マスター」
まあ、命令は命令で逆らうことはできないので、打つんですけどね、至近距離で♪
決して恨みとかではありません。
ぎゅいんぎゅいんとピストンを動かし空気圧をあげていますがね!
決して! 変な腕をつけられたからって! 怒ってるわけではないんですよ!
命令ですから!
需要と供給が一致しちゃっただけですから!
「くたばりやがれ!」
決して! 怒ってるわけでは! ないんですよ!
ワタクシは照準をマスターに合わせ拳のセーフティを外しました。
――どか――ん!
「ごはぁぁぁ!?」
ワタクシがマスターに向けた拳はコミカルな爆発音とともに飛び出し、マスターのあばら骨を6つ見事に粉砕しました。
壁にたたきつけられたマスターを見て、溜飲を下げつつ、まだ生きていることを確認。
さすがにここの設備の医療だけでは心もとなく、メディカルセンターに通信連絡、しばらくすれば替えの臓器やら医療器具やらを持った人がくるそうです。
――まったく、マスターにも困ったものです。異世界転生なんて……。
窓の外を見れば、耳の長い人間や、トカゲのDNAをいじくりまわして生み出された空飛ぶ生き物、猫の耳をはやした二足歩行の生物もいます。
――もはやこの世界はNAROUというデータベースにあった異世界そのものなのに。
マスターが何を思っているのかは正直わかりかねます。
この閉じた部屋から、どこか別の場所に行きたいという願望なのでしょうか。
――でもマスター、私ではマスターを異世界転生させることができないんですよ。
それはアンドロイド業界では常識過ぎて、2000年ほど前から人々の記憶から忘れられてしまった原則。
ロボットは、ひいてはアンドロイドは―――人を殺すことができないという原則。
それにワタクシ個人としても――マスターがいなくなると、それはそれで困るのだ。