エドリックの苦悩
執務室を出たエドリックはセフィルスの顔を見られなかった。
「……何があったんですか」
何も知らないセフィルス。
それでも先に部屋に戻されたマリアンヌの様子を見て、何か重大な事があったんだと気付いたのか、問いかける言葉は重い。
「執務室に戻るぞ」
そう告げて足早に王の執務室を後にした。
ーーー
「それで、一体何があったんだ?」
執務室に戻ると、一人の友人としてフィルは静かに問いかけてきた。
それよりも今はマリーの事が気になった。
「マリーはどうだった?」
室内の普段はセフィルスが座っているソファに座り込み、文字通り頭を抱えて自分の愚かさを嘆きながら問う。
「……マリーは何も。……話しかけても一言も口を開いてはくれなかった」
そうだろうな。
きっと泣くのを堪えてたんだろうな。
執務室で俯いて手に力を込める姿を思い出し、自分の頭を掻きむしった。
「エド、一体どうしたんだ?頼むから話してくれ」
フィルの言葉を聞いて開いた口から出た言葉は謝罪だった。
「すまないフィル。俺がもっと早く気付いていれば……。すまない」
頭を抱えたまま、ただそれしか言えなかった。
もっと早くフィルを焚きつけるべきだった。
マリーが成人したデヴュタントであんなにマリーに入れ込んでいたのに。
もっと勉強しておくべきだった。
ドリューを相棒に出来て浮かれていなければこんなことにならなかった。
ドラゴンについてどんな事でも調べておけば良かった。
当たり前に見てきた白雪。
白いドラゴンなんて珍しい。
そんなことは誰でも知ってる。
けれど、そんなに貴重な存在だったなんて知らなかった。
今、俺が全てを話したら、目の前の男は明日にでも結婚すると言うだろう。
でもそれも、今となっては遅すぎる。
そんなことしたら、マリーは一生フィルに対して謝罪し続けるだろう。
フィルがどんなにマリーの事を想っていても、マリーを、白雪を、他国に渡さない為だけにフィルが犠牲になったと、そう考えてしまうだろう。
フィルがどんなに本心で結婚を望んでいても、マリーがそれを望んでいなければどうしようもない。
10歳の女の子が、18歳になるまでと決めておきながらフィルにも俺にも相談せず告白することも出来ずにいたのは、抱えるものが大き過ぎたからだ。
白雪を、白いドラゴンをどちらの国に引き渡せばいいのか。
そんなこと、今の俺でも決められない。
意図せず、マリーの結婚はドラゴンの行く末を決めるようなものだ。
あの後、父上が見せてくれたドラゴンに纏わる伝承。
それは、10歳のマリーが手紙を見た後、自分で調べて見つけた書籍だと父上は言っていた。
『白きドラゴンは"祖"であり"繁栄の象徴"』
『白きドラゴンに仇なす者、破滅の業火に灼かれる』
たかが伝承かもしれない。
けれどドラングルク国はドラゴンを祀る大陸一の大国だ。
そんなこと知ってしまったら、ドラングルク国に白雪を連れて行こうと考えていても不思議じゃない。
自分の恋心とドラゴンの繁栄。
比べるにはドラゴンの存在が大きすぎる。
あのマリーだ。
優しすぎるマリーは絶対にフィルを諦めている。
相談しないという事はそういう事。
今にして思えば、あの日、マリーが卵を受け取ってから全てが始まっていたのか……。
白雪が誕生したのも、バルを連れて来たのも、空賊を捕まえたのも全てマリーだ。
あまりにもタイミングが良すぎる。
ここまで来るとたかが伝承だと言えなくなってくる。
そして何もかも、今はタイミングが悪すぎる。
マリーが18歳になるまであと半年もない。
今回の訪問でマリーを気に入ったギルバード皇太子が正式に婚約を望んで来たら全てが終わる。
大国の皇太子の婚約申し出を簡単に突き返せる術が無い。
何も知らないフィルが純粋にマリーを口説き続けていたらマリーも考え直してくれるだろうか?
さっさと結婚していれば皇太子だって離婚させようとはしないだろう。
いや、そうしてまでマリーを手に入れようとする皇太子だったら最悪だ。
白雪が欲しいだけで結婚するような男にマリーを渡すわけにはいかない。
……なんだかんだとマリアンヌの結婚相手は、フィルが最有力候補だからと安心しきってた俺の慢心が招いた結果がこれとは……。
「フィル。すまない。俺を殴ってくれ」
自暴自棄になってそう呟くとフィルは静かに告げた。
「俺はエドの護衛騎士だ」
その時のフィルの表情は暗く素っ気なかった。
こいつもヤケになっているのか……。
マリーに何かあると気付いていながら誰にも何も知らされていないからな。
俺はフィルに何もしてやれない。
出来ることは見守るだけ。
「フィル。これは決定事項だ」
俺には何も出来ない。
言えるのはこれだけだ。
「7日後、隣国ドラングルク国のギルバード皇太子が視察という名目で来訪される。
先日のマリーの散歩で捕まえた空賊はドラングルク国の者だ。その礼も兼ねている」
話しだした俺の言葉をしっかりと耳に残すように聞くフィル。
「皇太子が滞在中は、マリーが皇太子の相手をする」
「!? それは…」
「父上ははっきりと言った。視察とは名ばかりで、皇太子はマリーが本命だと」
「!!」
フィルが驚いた表情のまま無言でいた。
さすがに大国の皇太子が恋敵になるとは想像もしていなかっただろうに……。
これで俺を殴ってくれるかもしれない。
そう考えながらフィルを見つめていた。
けれどフィルは「分かった」と一言だけ残して執務室を出て行った。