出会いと別れ
マリアンヌが6歳になった頃ーー
王宮のおかかえ教師パッセと"ドラゴン遣い"のリドムに連れられたマリアンヌとエドリックとセフィルス。
その日の授業で"ドラゴンの生態"という名目でドラゴンの森へ入った日だった。
マリアンヌの兄エドリックはこの時既に相棒のドラゴンがいた。
病気で動けなくなった竜騎士から引き継いだドラゴン。
ドラゴンが人を選ぶーー
その観点から、竜騎士は引退式が必須だ。
式と言ってもそれは非公式な集いだ。
引退を決めた者は笛をドラゴンに返すだけ。
それだけなら簡単だが、飼い慣らされた、第二の心臓が無いドラゴンが他国に行ってしまうと殺される。
それを防ぐのと同時に新たな一人の竜騎士を決める為に引退式が必要なのだ。
竜騎士を目指す騎士や引退式の話を聞いた野次馬などが広場に集まったところで引退式は始まる。
竜騎士は最後の笛を吹いてその場にドラゴンを呼ぶ。そして笛をドラゴンに返す。
さっきまで相棒だった彼らは別れを惜しむ。
そうして元竜騎士が落ち着くと笛を咥えたドラゴンがそのまま新たな相棒を探し始める。
そこで選ばれたのが引退式の話を聞いて興味本位でセフィルスと集まりに来ていた次期国王たる皇太子のエドリックだった。
『ピューーーーィ!』
エドリックが笛を吹くと何処かで木々の揺れる音が聞こえた。
森の中の開けた場所で笛を吹いたエドリックだが、この時相棒のドラゴンがすぐに現れなかった。
ベテラン"ドラゴン遣い"のリドムも初めての体験らしく少し慌ててもう一度笛を吹いてみようと言いかけた時にバサッと翼の音が頭上で聞こえた。
ようやく姿を見せたドラゴンにエドリックが安堵した。
「どうしたんだい?今日は……」
エドリックの前にそっと降りてきた少し赤みを帯びた躯体のドラゴンはよく見れば口に何かを咥えていた。
「……石?いや、卵…?」
近くでよく見ようと無意識に伸ばした手が空を切る。
卵に触れる前にドラゴンがフイッと触らせまいと手を避けた。
「?? それ、どこに運ぼうとしてるんだ?」
相棒のエドリックの声を聞いたのか、ドラゴンはその何かを咥えたまま、エドリックの後方に立ち並ぶリドム・マリアンヌ・セフィルス・先生の前まで歩いてきた。
ドラゴンは4人を順に観察するように見つめた後にマリアンヌをもう一度見つめた。
その動きに、セフィルスは反射的にマリアンヌを背に庇いながらドラゴンを睨む。
しかし、棒立ちで固まっていたマリアンヌはセフィルスの背に隠れると何も見えなくなった。
ドラゴンと視線を合わせた時は驚いたけど怖さを感じてはいなかったマリアンヌは気になってセフィルスの横から覗き見れば、再びドラゴンと視線が合った。
「………っ、セフィルスくん大丈夫です。王女を、マリアンヌ様とドラゴンに話をさせてあげて」
リドムが声をかけると離れて様子を見ていたエドリックが呟いた。
「……ドラゴンが選んでるのか?」
その声にハッとしたセフィルスは後ろにいたマリアンヌの傍らに立ち直り、マリアンヌの肩を抱いて様子を見守った。
再びドラゴンとマリアンヌが視線を合わせるとドラゴンはマリアンヌの目の前に咥えた物を近づけた。
「……私が、受け取っていいの?」
ポツリと発した言葉にドラゴンは返事をするかのように一度だけ目を閉じた。
それを承諾だと感じたマリアンヌは恐る恐る手を伸ばして両手で触れた。
するとドラゴンもそっと口を離そうとするが、何を思ったのかドラゴンがセフィルスを見つめた。
『お前も手伝え』そう言ってるように感じたセフィルスは無言のままマリアンヌの補助をするとドラゴンは完全に口を離した。
なるほど、まだ幼いマリアンヌが一人で持つにはずっしりと重いそれは紛れもなく卵であった。
「……ドラゴンの卵…それを、人…王女に…」
先生の放心した呟きを聞いた一同はマリアンヌの持つ卵に魅入られたままだった。
いつの間にかエドリックの側に戻ったドラゴンは、エドリックの服を軽く噛んで引っ張る。
「?? どうしたんだい?」
エドリックの慌てる声に皆の視線が集まると、セフィルスの手にずしりと卵の重さを感じた。
どうやら頑張って抱えてたマリアンヌには重すぎるようだ。
「マリー、僕がこの卵を持ってあげるから手を放しても大丈夫だよ。マリーの卵は絶対に落とさないから安心して」
「ありがとうフィル兄」
マリアンヌは安堵の表情で手を離すと肩の力を抜いた。
「セフィルス様もですよ。これは荷台に隠しておきましょう」
一応、授業の一環である為、普段のドラゴンの餌の量は持って来ていないが、数種類の餌を持って来た小さな荷台に乗った餌を全て下ろして、代わりに布で包んだ卵をそっと置いて荷台ごと木陰に隠す。
「さあ、急いでエドリック様の後を追いましょう」
リドムの声で慌ててエドリックを探すが既に見当たらず、代わりにドラゴンの尾の先が森の中に吸い込まれるのを見つけた。
4人は慌ててその尾の方へと走り出す。
そうしてしばらくエドリックのドラゴンの後を歩くとまた木々が途切れ明るい陽の差す開けた場所に着いた。
その一画に佇んでいたエドリックの姿が見えて近寄ると、そこには老いて倒れたままの一匹のドラゴンの姿があった。
「な、なんと………」
わなわなと震える先生が呟く。
「……凄い…」
リドムも感極まった様子。
現在のこの国、いやこの時代においてはドラゴンの寿命というのは解明されていない。
おそらく何もなければ200年以上は生きるのではないか?そんな臆測程度の認識しかされていない。
人の寿命を遥かに越えるせいでどのドラゴンがいつ生まれたのかも分からないのだ。
同様に老いて亡くなったドラゴンも然り。
密猟や戦闘で亡くなったドラゴンと違って寿命を全うしたドラゴンにお目にかかるなんてまずあり得ないのだ。
密猟で卵が奪われれば親は当然の如く怒り狂って人を襲う。親だけでなく、仲間意識の強いドラゴンは逃げる密猟を総出で襲う為、密猟者が裏で取り引きしてる卵は皆孵化出来なかった卵のみだ。
孵化しなくてもドラゴンの卵は上流階級の者ですら手が出せないくらいの貴重品。
それ以上に寿命を全うしたドラゴンなんてまず市場に出回らない。
リドムはエドリックのドラゴンの様子を伺いながら、まだ綺麗な躯体の亡骸の様子を見た。
「……まだ亡くなってから日も浅いように思われます。……もしや、このドラゴンの卵……」
亡骸の背には木や葉が集められた場所があった。中央だけ凹んだそれは鳥の巣を大きくしたような形にも見えた。
リドムの声を聞いたマリアンヌは、突然思い立ったように自身の持っていたハンカチを広げた。
「マリー?何を…」
エドリックの声も聞こえていないのか、マリアンヌはその亡きドラゴンの口や鼻や閉じた瞳を一心不乱に磨いているように見えた。
眉間には野生のドラゴンである証の鱗があるドラゴン。
「兄様達のハンカチも私にください」
涙を流しながら果敢にも兄に願い出るマリアンヌ。
「このドラゴンの匂いであの卵を包んであげたいのです」
そう言いながら尚もドラゴンの顔を磨き続けるマリアンヌに、エドリックとセフィルスだけでなく先生とリドムも同じようにハンカチを広げて顔を磨き始めた。
「マリアンヌ様は素晴らしいです。感銘致しました。きっとあの卵は生きてます。このハンカチで包んで頑張って孵化させましょう」
リドムの声でようやく理解した先生とエドリックとセフィルスは磨く手に更に力を込めた。