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「……はぁ、つかれた…」
湯あみをした後に自室で鏡台の前に座る。髪に櫛を入れながら、自分の姿を見た。鳶色の髪に翡翠色の瞳。どこからどう見ても〝フィオナ〟である。なんともいえない気持ちになれば、鏡の中の自分も複雑な顔をした。
ゲームの中で、フィオナ・アングロットは妾の子供である。
商家の家の町娘に恋に落ちたアングロット男爵はフィオナの母を「生涯の中でたった一人、本気で好きになった女性」と語っている。正直に言おう。私はクズだと思う。
この世界では本妻の他に妾をもつのは普通である。だがしかし、私個人として認められるか否かで言えば後者である。生物学的に言えば仕方のないこともかもしれないのだが、理性のある人間に生まれたのだから頭で考えろと主張したい。
――コツン
「……?」
窓ガラスに何かがあたる音がして、振り返る。あぁ、と合点がいって私はテラスに続く窓を開けた。テラスに居たのは黒髪の少年だ。
「また義姉に虐められたのか?」
「……」
「何だよ、幼馴染が久しぶりに来たのに挨拶も無しか?」
フィオナは額を抑えた。この声、この姿、この性格。全てに覚えがある。
「ルーン・ブライト」
「?なんだよ、いきなり人のフルネームを呼ぶなんて」
変な奴、と不可思議そうな顔をされる。ルーンはフィオナが町で暮らしていたころからの仲だ。フィオナがこの家に引き取られる時も一番に心配をして、たまにこうして忍び込んでくる。
「フラグが既に立ってたっ!」
「はぁ?」
何言ってるんだよと首を傾げているルーンにフィオナは打ちひしがれていた。
キャラクターでいうと、ルーン・ブライトはフィオナの幼馴染だ。生まれつき魔力が高く、その影響で赤い瞳を持っている。そのせいか、周りからは魔物と人間とのハーフと噂されて遠巻きにされてきた。フィオナはそんな噂など一蹴して、彼と交流している。そんなフィオナに対して、彼は好意を抱いている…というのがデフォルトである。ルーン以外のルートでは彼は積極的にフィオナの恋を成就させようと相談役になることが多い。
「なんだよ、ついに頭が可笑しくなったか?」
「ついにって何よ!」
「あぁ、悪い。いつもだったか」
ふん、とシニカルに笑うルーンにフィオナはむっと唇を尖らせる。
「今度は何か?水でもかけられたか?」
「……。まるで見ていたように言うのね」
フィオナはつい口にしてしまった。正確に言えば〝見ていたように〟というよりは実際に〝見ていた〟のだろう。彼は動物に変身できる能力も持っている。その能力を使用して、フィオナの様子を観察しているのだ。
「さあ、どうだかな」
興味なさげにルーンは言ったが、ゲームのシナリオをしっているフィオナとしては頬を引き攣らせることしか出来ない。彼はフィオナに対して妙な執着心を持っているのだ。いや、だが、あくまでゲームはゲーム。もしかしたら関係ないかもしれない!と必死に自分に言い聞かす。
「そういえば、近々王城でお茶会が開かれるそうだな」
「え、そうなの?」
フィオナが首を傾げると、ルーンは「王妃が主催するらしいぞ」と唇を開いた。
王妃の主催するお茶会。
なんだか聞き覚えがありすぎてフィオナはえぇとと唇に指をあてて考える。確か、ゲームの一番初めの共通イベントだ。王城でどこに行くかでルートが決まる。薔薇園に行けば、王子ルート直行で、城に行けばその他のルートへ。
「…………いきたくない……」
心底からげんなりしてフィオナが呟けば「普通はきゃーきゃ言うもんじゃないのか?」とルーンは首を傾げた。
「何言ってるの。そんなの礼儀作法マナー全てで堅苦しいし、コルセットでぎゅうぎゅうに締め付けられて〝楽しい〟なんて夢見がちなこと言えるわけないでしょ」
「ふぅん」
フィオナがあっさりと否定すると、何故かルーンは上機嫌そうに笑った。何だろう。目の錯覚だろうか。ルーンの好感度があがった!みたいな効果が見えたような気がした。いや、気のせい…気のせいに違いない。
「そんなに嫌なら逃がしてやろうか」
言葉は冗談のように聞こえたが、彼の顔を見ると思っていたよりも真剣な顔をしていた。例えばここでフィオナが「逃げたい」と選べば彼は本当にここから連れ出してくれるのだと思ってしまうような、表情。
「……」
フィオナはルーンと見つめ合った。そして、
「行かないわ」
はっきりとルーンの目を見て、断った。どうしてと言わんばかりの顔になったルーンにフィオナは笑う。
「ここで私がいなくなったら大騒ぎになるわ。それに、もしもルーンが手を貸したのだと知られればおば様たちにも迷惑がかかる。そもそも、」
フィオナは微笑んだ。
「私、負けず嫌いなの」
逃げるなんて格好悪いでしょ?とフィオナが目を細めれば、ルーンは呆れたように溜息を吐いたのだった。