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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第8話 春に嵐が訪れて
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6.そしてニャーフェイス

 帰宅した俺は今日もコクミツとなり、町の巡回へと赴く。ただ自宅を出るのには、いつも以上の慎重さを要した。

 姿勢を低くしてそそくさと敷地を出、身を隠した電柱の陰より、元来たアパートの様子を窺う。孝史郎の俺が住んでいるのは二階だが、いま注目しているのは一階。並ぶドアの一つが不意に開き、姿を現した女子高生にどきっとした俺は頭をもう少し引っ込め、はみ出ていた尻尾もきっちり背に隠す。

「じゃ、また明日学校でねー。起こしに寄ったりしないから、朝寝坊しないでよ!」

 部屋の主にそう言い置いて、ポニーテールの彼女――北原舞花は、自転車で駅の方へと去って行った。

 まさか一人暮らしを始めたという北原飛鳥の住まいが、俺と同じアパートだったとは……。北原姉弟に連れられ、ここへ到着した時は茫然としてしまった。姉の舞花の驚きようも相当なものだった。渋々付き合った徳永先輩だけは、興味なさげにさっさと帰ったが。

 今日みたく龍彦の家から巡回に出られない日は、アパートの部屋から出るところを人にも猫にも目撃されないよう常々用心しているけれど、学校の知り合いが身近に居を構えたとなると、一層の警戒を強いられる。自宅の出入りが俺とコクミツを結びつける要素になり、秘密がバレる事に繋がりかねないのだから。

 そんな今後の苦労を憂いつつ、しかし変えられない状況を悩んで留まっていても仕方がないので、俺は歩き出した。

 今日の巡回先は貝塚字と堤字。道々、春の泥の感触を確かめ、伸び始めたスギノコのマットでその泥を落とし、何処からともなく舞ってくる桜の花びらに誘われて進みながら、ふと思い立つ。桜は、じきと満開を過ぎてしまう。先週にはまだ五分咲きだった貝塚字の広場の桜を、改めて満開のうちに観たいと。

 そうして心躍らせて向かった桜広場。北原飛鳥と初めて会ったあの場所である。外周の桜アーチを潜り、植え込みを曲がって足を踏み入れると、中央の木の下辺りに集まる大勢の猫が目に入った。花見のそれとは違う空気。地面を転がる花びらにじゃれつく者が一匹もないくらい張り詰めている原因を、俺は最寄りの猫に尋ねた。

「何かあったのか」

「あっ、良かったコクミツさん! 喧嘩みたいです、あの猫垣の向こうで、ススケさんと誰かが」

「喧嘩だって?」

 平和を好む葦沢町の猫達ではあるが、個性の強い生き物が形成する社会の中、たまには衝突が起こる事もある。

 俺は駆け出し、猫垣を割る。先には確かにススケがいて、元より堂々とした身体が更にもう一回り大きく感じられるほどの威圧感を放っていた。

 それに相対するは、見かけない顔の黒白ハチワレ猫。ススケにすっかり圧倒されていて耳は後ろへ下がり、逃げ腰で前足だけ突っ張った低い姿勢は、吹き飛ばされまいと地にしがみついているふうにも見えた。

 爪と牙を交えずしてもう完全に勝負がついている状態だが、ギャラリーに囲まれているせいでハチワレ猫は退くに退けなくなっている様子だ。新参の彼がこれ以上追い詰められては気の毒なので、俺は仲裁に入った。

「ススケ、その辺で勘弁してやれ」

「ん、コクミツか」

 ススケの視線が俺に逸れて威圧から解放された猫は、救いとばかりに駆け寄ってきて俺に隠れ、喧嘩相手に悪態を吐き出す。

「へ、へん! 邪魔が入ったお陰で、デカいだけの図体に土がつかずに済んで良かったなア、ボス猫さんよ! 今日のところはこのぐらいにしといてやらあ」

 イラついたススケの眼光が、針に似た瞳孔と共に再び鋭利になる。

「ほう。お前がどれほどのものか知らんが、別に遠慮も加減もいらんぞ。今すぐその毛柄並みに、白黒をはっきりつけるか? 言っとくが黒こそ勝ちの色だからな」

「ヒャッ……!」

 縮こまるハチワレ猫を一応背に庇いながら、俺は思い掛けず知る。鈴音の湯の看板猫ススケが、よく番台でテレビの相撲中継に渋い顔をしている理由を。俺もススケと同じ黒い猫だ、せめて自分自身の勝負では黒色を勝ち星としたい気持ちは分かる――が、それはとりあえず置いといて。

「ん? ススケが、ボス猫?」

 ハチワレ猫の言葉に首を傾げていると、広場にもう一匹、町外の猫が駆けつけた。

「ああ居た……って何をやってるんだアラシ! 来て早々こんな騒ぎを起こして!」

「ロミ?」

 ススケが名を口にしたそのキジトラ柄は、隣県より定期的に薪を配達に来ている薪屋の飼い猫。俺とは去年の秋に葦沢町へ迷い込んだメス猫ジュリの件で、顔見知りになっている。

 慌てて来た彼に、ススケは尋ねる。

「そいつはロミの町の猫か? 会うなり喧嘩をふっ掛けられたんだが」

「いや、ついこのあいだ知り合ったばかりの旅猫だ。俺の町でもボス猫に喧嘩を売ったどうしようもない奴でなあ……」

 アラシという名のハチワレ猫は、俺の後ろからロミの後ろへと素早く場所を移り、また大口を叩く。

「はっ、こういうのは最初が肝心ってもんさ。ナメられちゃいけねえ。まずボス猫を制してオイラがその町のボスになる。そうやって治めた土地の数が、オイラの強さの証よ」

 ススケが鼻であしらう。

「その調子では強さの証明とやらは、今のところ一つもなさそうだな」

「なななっ、ンなコトねえ! 全国に、前脚後ろ脚の指を全部合わせても足りねえくらい――!」

 アラシの逆立った毛を撫でて寝かすように、ロミは宥める。

「分かった分かった、みんなもう分かってるよ……」

「そもそも俺はこの町のボス猫ではないぞ」

 ススケの否定をすぐには飲み込めず、呆けるアラシ。

「……おいロミ、ここのボス猫は黒猫なんだろ? 風格といい面構えといい、こいつがそうじゃねえのか?」

「それはお前の早とちりで、葦沢町のボス猫は、そこのコクミツさんだ」

 アラシはロミの目線の先にいる俺と、ススケを交互に見やる。

「ん? んんん? いやいや馬鹿言っちゃいけねえよ、オイラを眼力だけで抑え込んだ奴の更に上がいるなんざ……」

 その反応に対し、周りの猫達は顔を見合わせて口々に言う。

「ボス猫は、コクミツさんだよなあ」

「うん、コクミツさんに決まってる」

「コクミツさんコクミツさん」

 アラシは毛柄に留まらず、目も白黒させる。

「……ほ、ホントにか?」

 場の猫が一斉に頷くと、彼は震え出した。勘違いの恥ずかしさ故か、自分より強い猫への恐れ故か――と思ったが、それはどちらでもなかった。

「――すげえ! まじスゲエーーー! 大衆にこんなにも認められてるなんてよお! 決めた、オイラここの猫になってあんたについていく!」

「何?」

 武者震い、からの決意表明。唐突についていくと言われた事に全くついていけない俺に構わず、アラシはぐいぐい迫ってくる。

「オイラの猫生の師匠になってくれ、ボス!」

「い、いやお前がこの町を気に入ったのなら、自由に暮らせばいいと思うが……?」

「この町じゃなくてボスを気に入ったんだよ! 何処までもついていくからよろしく頼む!」

 纏わりつくアラシとたじろぐ俺を囲み、皆、よく分からない展開に猫目をまん丸くする。横からロミとススケの話が聞こえた。

「……明らかに弱いのに虚勢を張っている姿が何だか不憫で、放っておけなくってね。うちの町ではボスをカンカンに怒らせてしまってもう受け入れられないけど、葦沢町でなら、もしかしたら穏やかに暮らせるかもと思って連れて来たんだ。騒がせてすまない」

「そういう事情か。珍妙な奴だが、この町の猫達は来る者を拒まん。コクミツに従うつもりのようだし、町の気風にもじき馴染むだろう。まあ、お守りをするコクミツは当分大変だろうが……」

 ああ大変だ。ここに住むと決めた猫を拒む気は毛頭ないが、ずっと俺にくっつかれるのは困る。猫と人との二重生活を密かに送る上では非常に都合が悪い。

「待て待て落ち着け、もう一度言うが、お前が葦沢町で暮らすのは自由だ。だが俺にも、一匹でいる自由があってだな……?」

「ありがてえ、自由にやらせてもらうぜ! ボスのお付きとしてよ!」

「そうじゃなくてっ! お前は俺の話をちゃんと……ち、ちょっと考えさせてくれっ!」

 一匹で盛り上がってしまってもうどうにもできないアラシから、一旦逃げ出すより他なくなる。

「ああっ! 待ってくれボス……!」

 新参猫に追われても今は撒けるが、ここに住んで土地勘がついてきたらそうはいかなくなるだろう。それまでにアラシの俺に対する過剰な熱が冷めてくれるよう、ひたすら願うばかりだった。

 

 

   ***

 

 

 一日経っても熱が上がったままのアラシとは会話が成立せず、俺は見つかる毎に追い掛けられるはめになっていた。

 堤字でこっそり逃げ込んだのは、ヤエばあちゃん家の敷地。しばらく脇の納屋でやり過ごすか、と引き戸のある表側へ回り込んだ俺は、思わぬ先客に驚いた。向こうも俺にびくりとする。

「……何だツクダニか、脅かすな」

 学校帰りの徳永先輩が、納屋と道とを隔てて真白い花を枝垂れさせるユキヤナギの陰に、身を潜ませていた。

 そこへ葦沢高校の方面より聞こえてきた、自転車に乗って呼ぶ『彼』の声。

「せーんぱーい! 徳永先輩どこですかー? 今日の帰りには先輩の家を教えてもらいたかったのに!」

 ……なるほど。放課後にみゆちゃんを迎えに行くいつもの時刻まで、校内であの北原飛鳥に見つからず過ごすには限界があり避難してきた、といったところか。

 そうしていると、別方面からは猫の鳴き声が近づいてきた。

「ボスー! どこ行っちまったんだ、ボスー?」

 アラシだ。俺は慌てふためき、陰に隠れる徳永先輩の陰へ。

 一人と一匹が小さくなって息を殺す敷地の外で、彼等は鉢合わせる。

「ひゃっ、猫……!」

「ヒャッ、人……!」

 弾き合うように、飛鳥とアラシは反対方向へ全力で逃げ去った模様。彼等をやり過ごした徳永先輩と俺は呼吸を再開でき、脱力する。

「はあ、いつまで続くんだこれ……」

 お互い終われないかくれんぼにげんなりし、外での貴重な安息をしばし共有していた。身を預けた地面には、移り変わりが激しい雑草界の春代表ペンペングサが生えていて、『ういペンペンは世の習い』だかとヤエばあちゃんに教わったのを、俺はぼんやり思い出す。

 

 孝史郎にもコクミツにも訪れた、波乱含みの新たな出会い。それは時を回し、のんびりした葦沢町とて変わらないものはないと告げる、春の嵐だった。

 

 

 春に嵐が訪れて/終

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