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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第7話 クダケタ・カンケイ
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4.ケーキと強気と負けん気と

 今朝は雨音で目を覚ました。微妙な暖かさで、ホワイトクリスマスとはならなかった二十五日。

 俺は小波字にあるケーキ屋「MOFUMOGUモフモグ」を訪れた。毎年、クリスマスにはこの店で一番小さいサイズのブッシュドノエルを予約購入し、母さんと食べている。龍彦の家族もここのケーキを予約していて、今、遣いで来た彼と店内のカウンター前で一緒に並んでいる。

 俺達と同様に受け取りの順番を待つ客や、ショーケースから買う品を選ぶ客。やや混んだそのフロアで皆の関心がケーキに向いている中、俺は声をひそめて、昨日のアメリアとの一件を龍彦に話した。周囲の耳に用心して猫に関するワードは避け、二人の間でのみ通じる形で。龍彦も俺に合わせて、小声で返す。

「……お前、気をつけろよ。バレたら町を守るどころか混乱させて、どうなるか分かんねえんだろ?」

「気が動転してて……迂闊だった」

 信頼関係があってこそ共存共栄できている、人と猫の二つの社会。概ね人に心を許している葦沢町の猫達だけれど、彼等が本来持つ警戒心と独立心の強さは、自身が猫であるからしてよく知っている。『ボス猫が人でもある』という事実が知れたら、猫達は『人の都合の良いように取り仕切られていたのでは』と人全体に不信感を抱いて、俺が一番守りたい、葦沢町が葦沢町たる平和な情趣は失われるかも知れない。俺はそれを危惧していた。

 でも、と言葉を継ぐ。

「バレそうになって改めて思ったんだけど、自分から明かして、協力してくれる奴を増やすのは有りじゃないか? お前みたいな」

 先に述べた理由により猫は無理だが、人間なら相手次第で、とは常々考えていた。隠し続けるというのは思いのほか神経を使い、その疲れは日々蓄積する。ただでも無理の多い生活、負担は極力減らしたいのだ。隠さず話せる者が増えれば無用な気疲れをせずに済むし、どうしても困った時には手を借りる事も出来よう。

 しかし龍彦は難色を示す。

「んー、そいつはよっぽど慎重に考えた方が……。例えば、誰に?」

「『彼女』は、すんなり受け入れてくれそうな気がするんだよな。あと『先輩』も……既に助けてもらってたりするし」

 彼女、とは天瀬の事。そして先輩、とは徳永先輩の事だ。龍彦にはちゃんと伝わった。……余計な思惑まで。

「……二人に近づきやすくはなるけど、逆に探りにくくなるぞ?」

 眉をひそめられ、俺は全力で否定する。

「ち、違うって、そんな動機でこんな秘密を持ち出すわけ――」

「――どんな秘密?」

 覚えある女子の声に驚き、龍彦と二人して振り返る。緑のダッフルコートを着た彼女は、興味津々な様子で俺達を見ていた。

「か、梶居」

「何で居んだよっ」

「何でって、ここのケーキがすごく美味しいって小夜子に教わったから買いに来たんだけど。帰ろうとしたらあんた達が居て、こっちもびっくりだよ」

 梶居は片手で持った小ぶりのパッケージを見せる。予約品の引き換えカウンターとは違う、レジカウンターの側にいたらしい。確かにこの店のケーキは昔から評判だが、と思いながら尋ねる。

「俺達には近所の店だけど……梶居はケーキを買うためだけに、わざわざ電車使ってここまで?」

 彼女は葦沢町の住民ではないので、一人で来るには電車が不可欠。だから学校のない冬休み期間にこの町内で会うのは意外だった。

「ううん、小夜子んちへ遊びに来たの。ここには手土産の調達に寄ったんだ」

「天瀬の家に?」

「一緒に編み物しよって誘われて」

 今度は、反対の手に持つ大ぶりの布鞄が挙げられる。開いている口から毛糸玉の袋と編み棒が覗いていて、俺はつい嬉しい顔をしてしまった。

「そっか、今日は梶居と……」

 クリスマス当日も、天瀬は家で過ごしていて、一緒に遊ぶのは友達なんだ――と。

 そんな俺を、梶居は少し上目にじっと見ていた。視線に気づいて、弛んだ表情を正す。

「何?」

「それはそっちが聞きたいなー。秘密って、何?」

 忘れてほしいところに、しっかり食いつかれたままだった。

「……言えないから秘密なわけで」

「えー教えてよお、ねえねえ、誰にも言わないよ?」

 猫撫で声で言われても、あいにく今の俺は撫でられてご機嫌になる猫ではない。困る俺に代わって、龍彦が続きを引き受ける。

「どうだっていいだろ、くだらねえ事だし」

「くだらない事なら、話してくれても差し支えないでしょ」

「何でそこまで聞きたいんだよ」

「だって、秘密があるって知っちゃったんだもん。このままじゃ気になって眠れないし」

「寝ずに課題でもやっとけ。休み明けにはテストもあるしな」

 手をひらひらさせてあしらう仕草が、梶居の癪に障ったようだ。

「たっつん酷い! もう聞くまで絶対あんた達を家に帰さないって決めた! 持ち帰るケーキの保冷剤が切れても知った事じゃないからねっ」

 俺は控えめに突っ込む。

「それ自分も困るんじゃあ……」

 なかなか諦めないどころか、隠せば隠すほどますます知りたがる負けん気な梶居。だがこっちも負けず嫌いな龍彦だ、そう簡単に折れたりは――。

「あーもう分かった分かったうるさいな! 教えりゃいいんだろっ」

 いとも容易く折れてしまった。

「おい龍彦、さっきよっぽど慎重にって」

 龍彦は仰々しく溜め息を吐いて、俺の肩を叩く。

「こんだけ食い下がられたら隠し切れねえよ、孝史郎。諦めて白状しよう。実はな……」

「実は?」

 梶居が期待に目を輝かせる。俺は泡を食った。

「ちょっと待てって! 勝手に、しかもこんなとこで、たつ――」

「……実は俺達、何を隠そうクリスマスを共に過ごす事、今年で十回目だ」

 堂々と言い放たれ、俺は目が点になる。梶居もきょとんとしていた。

「……それが、秘密? 二人とも、恋人がいたためしがないって話?」

「おう。笑わば笑え。そして祝え」

 まっことくだらない告白。今年が十回記念であるなど、俺だって把握していなかった。律儀に数えていた彼に、感心するやら呆れるやら。間を置いて、彼女は吹き出す。

「あはははっ! 笑わないよお!」

「思いっ切り笑ってんじゃねえかよ!」

 隠すほどに知りたがるならば、隠さず話すより他ない。ただ、それが『真の秘密』である必要はない――。龍彦はそうやって面倒を回避したのだった。嘘は吐いていないし、梶居が笑い飛ばしてくれたお陰で、隠し通した事への罪悪感も生まれない。一緒に笑えそうにはないが。

「いいじゃんいいじゃん、おめでとっ! 長いこと仲が良くって羨ましいなー。嫉妬しちゃう」

 彼女に突っつかれ、俺は頭痛を覚える。

「嫉妬って何だよ……」

「お前だって天瀬からお呼びが掛かって行くとこなんだろ、俺等にしてみりゃそっちこそ羨ましいぞ」

 龍彦に言われると、梶居はむくれた。

「でもあの子の今日のメインイベント、私が帰った後っぽいしぃ」

「……え?」

 油断していたタイミングでもう一つ飛び出した、天瀬の予定。

「夜は別の人との約束があるみたい。それまでに編み上げたいマフラーの、どうしても上手くいかない箇所を私に教えてほしいんだってさ」

 俺は凍りつく。

 ――クリスマスの夜に、約束して、手編みのマフラーを持って会いに、ときたらその相手は……。

「彼氏か?」

 龍彦が口にしたダイレクトな単語が、俺へのダイレクトなダメージとなる。痛みを表に出さず堪えなければならない状況も、更にしんどい。

「うーん、そういう話は聞いてないんだけどなあ。付き合い始めとかで、まだ誰にも内緒にしてるのかも? 後で聞いてみるつもり」

 梶居は事情を把握しておらず、実際どうなのかはここでも謎のまま。彼氏がいるとしたら、それはやはり徳永先輩なのだろうか。もしくは、全く別の誰か――?

 口を噤んで考えていたら、視線を感じた。梶居が、また俺をじっと見ている。奇妙に思って再び何なのか尋ねかけた時、カウンターから呼ばれた。

「次にお待ちのお客様ー」

「あ、俺か」

 それを機に、梶居は俺達に手を振る。

「じゃあ私も、小夜子待ってるし行くね。あ、もし来年のクリスマスもお互い暇してたら、四人でどっか遊びに行こっ!」

 龍彦がすかさず返す。

「そん時は俺等の分のマフラーもよろしくなー」

 べ、と舌を出して身を翻し、彼女は店を去る。俺と龍彦は店員さんに引き換え用紙を渡して、品物を受け取った。

 ケーキのパッケージと心のダメージを抱えて、帰る段。外へ出、弱雨の降る空に向けて傘を開いたところで、龍彦がおもむろに呟いた。

「……あいつは、かなり曲者だな」

 俺は傘を傾けて彼を見る。

「梶居の事か?」

「俺が言った『秘密』を、はぐらかしだと分かってたし。この場は引き下がっただけだぞ、あれ」

「……そうなのか?」

 龍彦は、確信を持っている口振りだった。だとすれば梶居に観察されている気がしたのは、彼女がまだある俺の秘密を探っていたせいなのだろうか。今頃思い至る俺を見て、彼は案ずる。

「お前はちょっとカマ掛けられたら素直に吐いちまいそうだからなあ。ま、注意しとけ」

 昨日母さんに乗せられて好きな子がいると知られた事もあり、大丈夫とはとても言えないのが悔しい。

 夜に改めて会う時間を確認し合い、俺達はそれぞれの家へ歩いて戻った。

 

 

 家に着き、ダイニングキッチンへ入る。母さんは自室で夜勤前の仮眠中。

 上着を脱ぐため、持ち帰ったケーキを一旦テーブルに置く。母さんを起こさないようにと保つ静けさの中、ふと蘇った、同じテーブルに一枚の紙が叩きつけられる感情まかせな音。

 その紙を、俺は直接見ていない。六年前に自分の部屋に聞こえてきていた最初で最後の夫婦喧嘩の声も、頭の奥で再生される。

『――どうしても行くって言うんなら、これに判子押して行きなさいよ!』

 そして明くる朝、父さんは出て行った。二人が俺を個別に抱き締めたのは、その日だ。父さんは出て行く前に。母さんは父さんが出て行ってから。

 弱気な父さんは、腹を決めて微笑んでいた。

 強気な母さんは、打ちひしがれて大泣きしていた。

 そんな、いつもとは真逆の表情を俺だけに見せて。まだしばらく、俺は二人の間で気を揉み続ける事となる。

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