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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第7話 クダケタ・カンケイ
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1.逢瀬の現場は極楽の手前

 今日は冬至。一年の内で最も昼が短い日とされる通り、少し翳ってきたなと感じてから、陽が山の向こう側へ転げ落ちるのはあっという間だった。町の定期巡回を終え、先程までホクテンの家の前で彼と話し込んでいたコクミツの俺は、家路を急ぐ。

 俺の黒い鼻先も耳先も赤くなりそうなほど冷え込んでいく中、銭湯『鈴音の湯』に差し掛かり、後で孝史郎になって入りに来るのを楽しみに思う。ここの風呂は毎年、冬至には柚子湯を提供してくれているのだ。ほのかに酸い香りが漂う、ぽかぽかの湯。一日の仕事を終えた後の至福。想像するだけで心が極楽入りしてしまう。

 さあ早く帰ってここに舞い戻ろう――と通り過ぎかけた俺は、『彼等』の姿を目にしてどきりとし、急遽足を止めた。

 慌てて電柱の陰に身を隠し、男湯と女湯に分かれた入口前で話しているその二人を、見間違いではないかと確かめる。街灯の下、私服の後ろ姿でも、明るい茶髪の彼、及び肩に掛かる黒髪の彼女は、見分けられた。

 ――徳永先輩と、天瀬――。

 徳永先輩の方の表情は見えない。どんな言葉を交わしているのかも聞こえないけれど、天瀬の横顔はとても楽しげで、互いに手を振って各々のれんをくぐって行く仲睦まじい様に、極楽から地獄へと、俺の心も冬至の太陽ばりに転げ落ちたのだった。

 

 

 北風に吹かれてどん底を這うが如く帰宅後、とても鈴音の湯へ戻る気にはなれず、一緒に行く約束をしていた龍彦に断りの電話を入れて引き籠っていたら、彼は俺の様子を見に家までやって来た。

「……天瀬と徳永先輩が、二人で風呂を浴びに行く仲だったなんて……」

 俺は自室のベッドの隅で毛布を被って膝を抱え、うなだれたままそれを話した。学習机の椅子に腰掛けている龍彦は、聞いた状況から思案する。

「そりゃま、待ち合わせか連れ立って来たってんなら、俺も二人がそういう仲かもと思うけど……そこを見てないなら、偶然会っただけかも知れないだろ?」

「天瀬が楽しそうだったんだ……手を振り合って男湯と女湯に入ってった。入る前にきっと、一緒に出ようねって言ってたんだ。それでも待たされて洗い髪が芯まで冷えて、帰り道はその天瀬に触れた徳永先輩が冷たいなとか言って――」

「あーもうやめやめっ! 途中からどっかで聞いたような妄想入ってんぞ! とにかくお前が見たとこだけじゃ付き合ってるかどうかまでは判断できねえっつの!」

 龍彦に両手でぱたぱたと妄想を掻き消され、俺は少し頭を上げた。

「……そう、なのかな……」

 俺の落ち込み具合に手を焼き、龍彦は溜め息を吐く。

「やっぱり冬休みに入る前にクリスマスの予定を聞いて、天瀬を遊びに誘ってみるべきだったんじゃないか? 誘いに乗ってきてくれたなら、付き合ってる奴はまずいないって分かったろうし」

 確かに十二月の頭、龍彦からそんな勧めを受けた。しかし俺にはあまりにもハードルが高過ぎた。

「無茶言うなよ、どうしても予定が開いてない可能性の方を考えてしまうし……それにクリスマスに誘うなんて、実質告白みたいになるだろ」

「二人きりでってのが難しくても、グループでならいけただろ。俺もどうせ暇だし、お前達を含めて何人かで遊ぶ計画でも立てりゃ良かったなー」

 俺は再びうなだれ、膝に顔を埋める。

「お前の予定は空いてんのか……今年のクリスマスもまたお前と過ごす事になるのか……」

「そんな露骨に残念がるなよ! ケーキ食って菓子食って夜遅くまでゲームして過ごすの滅茶苦茶楽しいじゃねえかよ!」

 別に約束していなくても当然俺と遊ぶ気でいる龍彦。俺の心は変化を求めているようでいて、変わらず傷つかない日々という無難を、当分抜け出せそうになかった。

 

 

   ***

 

 

 学校はいま冬休み中なのだから、特に早起きする必要はない。でも昨夜早々に夢へ逃げた俺は、いつもより早いくらいの時間に目が覚めてしまった。

 一晩寝た程度では瞼の裏から剥がれない『昨日の光景』が悩ましく、それを振り払いたくてジャージに着替えて家を出、ランニングしがてら河川敷へ向かった。

 着いてすぐ、白くなってまだ間もない寒空へ蹴上げるみたく靴と靴下を脱ぎ捨て、冷たい芝生の上で空手のかたの練習を始める。右肩が外れやすい動作は医者に指導されたのと過去の経験とで心得ているので、そこだけ留意して、力み過ぎないように。

 ……と、いつもはかなり慎重にやっているのだが、今日はあらゆる動きが粗雑になってしまっていた。自分が発しているはずの気合の声も遠く感じる。身体を留守にして、俺の精神はまだ昨日に居残っているらしい。同じ型を何度反復しても、戻って来やしない。

 朝っぱらから一人でムキになって、一体何をやっているんだろう――と思う俺の耳が不意に捉えた、シャッターを切る連続音。

 練習を中断して振り返った堤防の階段に、一眼レフカメラを俺に向けている一人の男性が居た。分厚いダウンジャケットを着込んでフードを被った、不審者。……ではない。

 カメラを下ろしてフードを退け、現した下がり目の優しい笑顔で俺に手を振る。

「――父さん」

 六年前に母と離婚した、俺の実の父――渡会悟わたらい・さとるだった。俺は靴と靴下を拾い集め、河川敷まで降りて来た父さんに駆け寄って言う。

「随分早く着いたんだね、待ち合わせたのは昼なのに」

 父さんはカメラ用のバックパックにそれを仕舞いながら答えた。

「うん。会う時間までに、この町の風景を幾らか写真に納めておきたいと思ってね。で、撮影ポイントを探すのに堤防の道を車で走ってて、孝史郎の姿を見つけたんだ。いやあ元気な様に嬉しくなってさ、声掛けるより先に撮っちゃったよ」

「あはは……」

 元気、とは裏腹の落ち込みに由来するやけくそだったとは言えず、俺は苦笑いしか返せない。

「それにしても、冬休みでも朝から一人稽古とは感心だなあ。随分力が入ってたけど、試合が近いのか?」

 久しぶりでも変わりない父の柔和な表情と口調に安堵したいのに、その問い掛けに動揺を誘われた。

「あ……えっと、後でゆっくり話すのでも、いいかな」

「ん? ああそうだな、とりあえずいつもの店へ行って腰を落ち着けるか。ここじゃ寒いし。約束してた時間と違うけど、孝史郎の都合は?」

「大丈夫、他に予定ないから」

 急いで足の裏の汚れをはたき落として諸々履き直すと、俺は父さんについて行き、堤防上の車に乗り込んだ。

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