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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第6話 長靴を履いたニャンデレラ<後編>
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4.逆猫かぶり

 文化祭前半の一日目が無事に終了し、今日は後半となる二日目。この行事関連でこなさなければならないミッションは多々あったが、いよいよ大詰め。最後にして最大の仕事が待ち受ける、一年生の演劇発表日が来た。

 舞台裏にはもうそれぞれの衣装に着替えた役者達が揃っていて、勿論、俺と龍彦もそこに居る。

「あれ、まだ猫耳着けてないの?」

 カチューシャ型の黒い猫耳を腕に引っ掛けたままの俺に、梶居が聞いてきた。

「直前に着けて、役になり切るためのスイッチにしようと思って」

「へー! じゃあスイッチが入った後の華麗な変身に期待だね」

 猫になら毎日変身しているのだが、とは思うだけに留めた。それから彼女は、俺の近くでうろつきながら台詞を呟き続けている龍彦にも声を掛ける。

「ちょっとたっつん、顔色悪いけど大丈夫?」

 俺も、開演時刻が近づくにつれ青ざめていく彼を気にしていた。

「なあ龍彦、やっぱり具合悪いんじゃ――」

「いやそうじゃなくて……あー駄目だ、いろいろ抜け落ちそうでいま喋れねえ……」

 彼から背を向けられてしまった俺の肩を、キタローが叩く。

「龍彦は相当緊張してるみたいだな。まあ急な代役で心の準備期間が短か過ぎたから、それは仕方ないとして……。冒頭のシーンで同じ舞台上に居るのは孝史郎、お前だけだ。何とかフォローしてやってくれ」

「フォローって言っても、本番の舞台で一体どうすればいいのか……。決まった演技と台詞を崩す訳にいかないし、俺は機転が利く方でもないし」

 そう告げると、キタローは丸めた台本を手で打った。

「それだ、孝史郎は台本に忠実でいいんだよ。その上でやってほしい事はひとつ――」

 聞き終えたキタローの助言に、俺はためらいを覚える。

「……それ、下手したら舞台の成立と引き換えに俺と龍彦の関係が崩壊するけど」

「大丈夫だ! 俺は学級委員として伊達にクラスメイトを観察しちゃいないぞ。断言する、お前達の友情はそんくらいじゃ壊れない」

 横で聞いていた梶居も賛成する。

「いいじゃん! それでいっちゃおうよ。私も二人なら大丈夫だと思う」

「そんなにも信用される仲に見えるのか? 俺達」

「うん」

 キタローと梶居に揃って太鼓判を押される。日常でそのように見られていた自覚がなくて驚いたが、悪い気はせず、ここは期待に応えなければと吹っ切れる。

「……そうか、分かった。指示通りにやってみる」

 意を決して、黒い猫耳を頭に着ける。そこで開演のブザーが鳴り、目の端で龍彦が飛び上がった。演目のアナウンスと共に、場内が暗くなる。

「じゃあ頼んだぞ!」

 キタローほか舞台裏の皆に激励され、俺は舞台上へと、両手で龍彦の背を押しながら行ったのだった。

 

 

 タイトルコールの後、上がる幕。これから動き出す真っ暗な舞台に、ナレーションが響く。

『――むかしむかしあるところに、貧しい粉挽き職人がおりました。ある日その職人が死に、残された三人の息子達はなけなしの遺産を分け合ったのです。最も強い長男は粉挽き小屋を、最も賢い次男はロバを貰い受ける事になりました。そして末の、最も弱く愚かなほど優しい三男には、一体何が残されたのでしょうか――』

 スポットライトが差し、ぼろ服を着て一人立ち尽くす三男役の龍彦が浮かび上がる。そして発せられた、最初の台詞。

「ヤレ、ヤレ……ついだイサンが、ナガグツだけとはこれからどーシたものか」

 愕然とするほどの『棒読み』だった。予想を上回る緊張具合。クラスメイトも全員、裏で引きつったのではなかろうか。唯一、臨時で入った『天の声役』を除いては。

『……おやおや憐れな三男君、空腹のあまり拾い食いした棒でも喉に引っ掛かっているのでしょうか?』

「えっ」

 台本にはない、しかもナレーション担当の生徒とは違うキタローの突っ込みに、龍彦は素で驚いて声を上げる。それが微笑ましく、観客の笑いを誘った。予定されていた演出のように。

 照明が一斉に点き、草木のハリボテと背景上部のスクリーンで表現された森の舞台セットが明らかになる。黒いマントに包まって中央で横たわる、俺の姿も。龍彦は物語の続きを思い出し、どうにか進行させる。

「こ……コレはまたずいぶんとススけた猫だな、あらってやろう」

 多少和らいだ棒読み。草の陰に用意してあったバケツを持ち、中の白い紙片を水に見立てて俺にぶち撒ける。紙吹雪が舞って一時照明が絞られている間に、俺はマントを裏返し、白地の方を表にして羽織り直す。猫耳カチューシャも黒のものを外して、バケツと同じ場所に隠してあった白のものに着け換えた。

 舞台に明かりが戻る。汚れをそそがれ白猫となったていの俺に、次いで龍彦が台詞を言う番。

 ……の、はずが、待てども一向に聞こえて来ない。焦れて屈んだ姿勢のままちらりと見やると、龍彦は硬直していた。どうやら、彼の頭の中まで真っ白にそそがれてしまったらしい。奇妙な間が生まれてまずいと感じた時、再びキタローが天の声をくれた。

『何と、元は眩いほどの白い猫だったではありませんか! 三男君は言葉を失うほど見惚れ、その足がまた汚れてしまわないようにと、猫に長靴を履かせてやる事にしました』

 最後の文言で、龍彦は我に返る。そうだ長靴――と呟いてしゃがみ、足元に置いていたそれを手に取って俺に履かせた。

 ここまで進めばしめたもの。これより先は俺が扮する猫も口が利けて、龍彦を直接フォロー出来る。しめたもの、などと思えるほど気が大きくなっていたのは、舞台を成り立たせるためには開演前にキタローから言われた事を実行するしかない、と自身を奮い立たせていたから。

 俺はすくりと立ち上がり、まだしゃがんでいる龍彦に深々とお辞儀する。

「どうやら心ある貴方様の長靴が、私に人の心と言葉と知恵を与えてくださったようです――」

 そこまで言って、一度龍彦の様子を窺う。また固まりかけていると見た俺は即座に膝をつき、彼の両肩をわっしと掴んで強く揺さぶりかけた。

「このご恩に報い! 私は生涯! 貴方様にお仕えいたしますっ!」

「はっ? ……え、猫がしゃべった……?」

 台本にここまで強く迫る指示は無く、練習時との俺の演技の差異に、龍彦は再び驚く。その拍子に、彼の口から言うべき台詞がちゃんと出て来た。更に演技ではない彼の動揺っぷりも、幸い気の弱い三男役に上手くはまっている。この調子で進めていけそうだ。

 続けて、三男が冒頭のナレーションにもあった自分の身の上話を猫に聞かせるシーン。たどたどしくも正確に言い切り、龍彦は一時的にほっとして立ち上がり――かけたところでいきなり俺に荒々しく突き退けられ、尻もちをついた。

「なっ……」

「何とまあ、長靴だけの遺産に承諾してしまうなど実に愚かな。お兄様方は遺産と呼べるものを手にし、口減らしまで叶ってさぞやお喜びでしょう」

 悪しからず了承してもらいたいが、これは台本通りの台詞。この演劇の物語はタイトル通り、有名な童話『長靴を履いた猫』を元にしているのだけれど、随分とコミカルに脚色され、猫が非常に辛辣な物言いのキャラとなっている。それを踏まえて開演前、キタローは俺にこう言ったのだ。

 ――とにかくでかい態度で、龍彦を終始挑発するんだ。思いっきり上から目線で粗暴に扱え。そうやってとことん主導して、あいつを引っ張ってくれ――。

 挑発するという『強気』を演じるのには抵抗があったものの、やってみたらば俺の緊張もそちらのエネルギーへと置換されて、大変都合が良かった。

「そんなご主人様には、私がいなければいけないようですねえ」

 腕を組み、蔑んだ目で言い放つ。俺の豹変に面食らう龍彦に対して自然と口の端が上がったのは、役に入り込めたからであって決して俺の本性が表れた訳ではない、とは後ほどしっかり弁明したい。主に、自分自身に。

 そこへ、馬車が近づいて来る効果音。お次はそれに気づいた猫が三男を促す演技。

「さあ、水浴びをしましょう!」

 呆けた龍彦を引っ張り上げて立たせ、彼の衣装の端を掴む。ぼろ服の継ぎ目は一部マジックテープで張り合わされ、容易く外せる仕様となっている。バリバリとひん剥き、上を肌着一枚にさせる。

「い、いや私は、水浴びなどしたくは――」

「いいから早く!」

 踏み台に押し上げた龍彦を、有無を言わさず草陰の泉に蹴落とす。彼が隠して敷かれている高跳び用マットに腹を打ったタイミングで、水に落ちる効果音が響き渡った。マット上に散らしてあった紙片が水飛沫みたく跳ね上がる。

 どっと湧き起こる笑い。劇が面白いのか、俺達の演技がおかしいのか。分からなくても今は突き進むしかないと吹っ切れている俺は大仰に騒ぎ散らす。

「ああっ、大変です! ご主人様が泉に! 泉に落とされてしまいました! 誰か、誰か来て下さいっ!」

 すぐさま駆けつけた兵士役達が、泉からずるずると龍彦を救出する。

「一体何事だ!」

 登場した豪奢な衣装の王様役と姫役に、俺は跪いて必死に訴えた。

「この御方は、辺境の一帯を治めるカラバ侯爵様にございます。追い剥ぎに遭った挙句、泉に突き落とされてしまったのです!」

「ほう、カラバ侯爵とな? ついぞ聞かぬ名だが、何とも気の毒な。代わりの服を用意させ、屋敷まで送り届けてやろう」

 俺は兵士役から受け取った華美なスパンコールの衣装を、紙片まみれの龍彦におっ被せた。彼はそれに自ら首を通して勢いよく顔を出すと、鼻先にいる俺を睨め付けてきた。ようやく煽りに乗ってくれたかとほくそ笑み――いや微笑み、俺は耳打ちの演技をする。

「ご主人様は先の道中、この辺りの土地は全部自分のものだと主張してください。カラバ侯爵という人物になり切るのです」

「いや、そんな大それた事はやめた方が」

 台本では、気弱な三男は戸惑って不安げな表情を浮かべるところ。しかし龍彦は不安ではなく不満あらわに、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。それでも俺は態度を変えずに押し切る。

「おや、不満そうなお顔ですね? ここで演じられなければ、今度こそ泉の底から地獄の底にございますよ」

 龍彦が俺の策に引っかかり、三男の代役を受けるに至った台詞。追加された苦虫を奥歯できりきりとすり潰し、彼は応えた。

「……分かった、お前を信じて演じよう」

 熱くなった事で、とけた緊張。これで、この劇最大の不安要素はなくなったと思われた。……俺達の友情と、引き換えになったかもしれないが。

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