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くろねこ風紀録  作者: F.Koshiba
第6話 長靴を履いたニャンデレラ<中編>
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3.それは猫か幻か

 翌朝、早くに家を出て松原字へ赴いた。ススケはデガラシが家に着けたかどうかを案じていたが、来る途中で会った猫の一匹が、夕方に家へ入っていくところを見かけたと言っていたのでひとまず安心する。

 デガラシの家である茶屋の前までやって来て、様子を窺う。二階の窓の一つが猫一匹分の幅だけ空いているのに気付いて、昨日朝から歩き回っていたという話により今日もまたどこかへ出掛けたと踏み、俺はその場を離れて彼の姿を捜した。

 通り掛かった三叉路の真ん中には大きなイチョウの木が生えていて、その葉はすっかり黄金色に染まっている。綺麗だが下の往来は落ちたぎんなんの実が踏まれたりして潰れているので、素足で歩くと肉球がかぶれやしないかと、やや気になってしまう。

 二本の道が一本に合わさった先は上り坂になっている。そこから上がれる堤防上に、デガラシは居た。俺は側まで行き、朝からもう黄昏れているような背に呼び掛けた。

「デガラシ」

 だが一度では気付かず、もっと近くまで寄っての三度目でようやく、彼は緩慢に振り向いた。

「ああ――コクミツさん。おはようございます。早くからお勤め、お疲れ様です」

 礼儀正しい挨拶は日頃と同じだが、いつもなら猫背な背筋に代えてシャンと伸ばされるはずの尻尾は、今日は地面にやる気なくへたったままだった。とりあえず業務的な確認をしてみる。

「松原字に変わりはないか」

「そうですねえ、変わりは、ないですねえ……」

 デガラシは心ここに在らずな様子で、視線を漂わせる。

「変わりあるのはお前じゃないか? ススケも心配していた。どうかしたのか」

「それはそれは。昨日は大変良いお風呂を呼ばれまして」

 少しのぼせてしまったかも、と前足で顔を拭う仕草をする。

「お前が貝塚字まで足を伸ばすのは珍しいが」

「お散歩日和でしたねえ。ヒゲの向くまま気の向くまま、歩いておりました」

 確かに、デガラシの受け答えはススケが言っていたようにふわふわとしている。しかしそれだけではなく、俺にはその口振りが、何かをはぐらかすものに思えた。

「……どうも元気がないな、具合が悪いか?」

「具合ですか、さあ、特には……幻を見たぐらいで……」

「幻?」

 ふと漏らされた言葉に首を傾げる。

「ああいえ、たわ言です。お忘れ下さい」 

「いいや、お前が見たというものが幻かどうかは分からないだろう。この町の異変は、例え不確かな事でも把握しておきたい。何を見たのか、教えてくれないか」

 するとデガラシは、恐縮して耳を後ろに下げた。

「言われて見れば……。失礼しました、これはコクミツさんには報告しておくべきだったかもしれません。できましたら、笑わずに聴いて頂きたいのですが……」

「大丈夫だ、真面目な話を笑いはしない」

 そう約束すると、デガラシはためらいがちに話し始めた。

「……実は一昨日、ここの堤防で見知らぬ猫様をお見かけしたのです。雲間から注ぐ光を浴び、銀色の長い毛並みをきらきらとさせていて、凛とした横顔と、ピンとしたおヒゲが印象的で――。でも私に気付くと至極驚いた様子で堤防を駆け下りて、あっという間に、河川敷の草むらに消えてしまわれたのです」

「……見知らぬ猫、か。最近に引っ越してきた家の猫だろうか」

 葦沢町は他所と地続きでないため、別の町の猫が迷い込んで来る事はまずない。一応、河川に掛かる道路橋があるので猫が自らの足で渡って来る事は不可能でないにしろ、距離がある上に大変危険で、俺の知る限り過去に例がなかった。だからこの町における新参猫は、人間の連れである場合が殆どだ。

「分かりません。ただあまりにもお美しい方でしたので、考えれば考えるほど、幻だった気がするのです。でも、幻でも構わないので今一度お会いたいと思ったら居ても立っても居られなくなり、恥ずかしながら、昨日一日捜し歩いたのですが見つからず――」

 それで理解できた。デガラシの変調の原因は『恋わずらい』だと。道理で風呂に入っても回復しなかった訳だ。『お医者様でも鈴音の湯でも、恋の病は治りゃせぬ』というやつである。……多分。

「それは、幻とは限らないな。他にも見かけた者がいないか、確認してみるか」

 デガラシの、ここに在らずだった心が矢庭に戻る。

「え、あのお美しい方が実在すると仰るのですか?」 

「いや、だからそれをこれから確認――。おい、デガラシ!」

 しかしすぐまた猫の身を離れて天高く舞い上がってしまい、倒れそうになったところを慌てて呼んで繋ぎ止めた。

「――ああ、申し訳ありません。私とした事が、喜びのあまり気を失いそうになるなんて」

 彼の重症度合いは十分に分かったので、聞き込みで少しでも情報を得るために、他の詳細を尋ねる。

「それでその猫だが、銀の長毛以外に特徴は?」 

「ええ、ええ、目に焼き付いておりますとも。胸と足先の毛は、真白い色をされていました。特に足先は、まるで靴をお履きになっているかのような気品がありまして、それから――」

 ありありと姿が目に浮かぶ事細かな説明から、やはりデガラシの言う猫は存在しているように感じた。また、その熱心なデガラシの様子に、まだこの町に居るのだとしたら見つけて会わせてやりたいとも思った。

 

 

   ***

 

 

 その後、松原字から戻りがてら出会う猫達に聞き込んでみたところ、町のどの猫の仕業でもない爪研ぎや匂いの痕跡を気にしている者はいくらかいた。しかしはっきりとした目撃情報がないまま日は過ぎ、巡り来た日曜日。その昼下がり、俺は島中字にある寺の境内でヨツバに会った。

「あら、コクミツさん。ごきげんよう」

 柿の木の下で挨拶を交わしていると、古びたお堂の縁の下から、四匹の子猫達が跳ね出てきた。

「おじちゃん!」

「コクミツおじちゃん!」

 おじ、……とは町で子猫が生まれて大きくなるたび呼ばれるので、いい歳なコクミツの俺は慣れているつもりだが、まだ少年な孝史郎の俺は、多大な抵抗を感じてしまうのだった。しかしながら元気いっぱいにまとわりついてくる子猫達は皆可愛い、とおじちゃん目線で思う。

「この様子だと、新しい住処にもすっかり慣れたようだな。良かった」

「ええ、おかげさまで」

 ヨツバはしばらく前に成長した子供達を連れ、堤字の納屋からこの寺に引っ越してきていた。堤字までせっせと会いに通っていたユキチも、彼等が自分の管轄である島中字で暮らし始めた事を大層喜んでいる。

「そうそうコクミツさん、幻の猫を捜しているってユキチから聞いたのだけど」

 子猫達の頭を順に舐めてやっていたら、ヨツバのほうから聞こうとしていた事を振られた。

「ああ、耳に入っているなら話が早い。何か心当たりはないか」

「その猫かどうかは分からないけれど、知らない猫なら昨日、ここを通り掛かって」

 俺は件の猫かも、と期待にヒゲを震わせる。

「本当か? 捜しているのは銀の長毛で、足先が靴を履いたように白い猫なのだが」

「それが、色が分からなくなってしまっていて……」

「色が、分からなく?」

 ヨツバは横を見やり、その時の状況を説明した。 

「あそこに、火を焚く窪があるでしょう? そこに何か落ちる音がして、見たら猫が出てきたの。すっかり灰にまみれてしまっていて、元の色はさっぱり……。私と目が合ったら飛び上がって、瞬く間にどこかへ行ってしまったわ」

 確かに、それでは特徴を確認しようがない。

「そうか……。しかしあんな見通しのいい場所の窪に落ちるとは、それに気づけないほど疲れていたのだろうか」

 更地の真ん中、しかもそこだけくすんでいるのもあって、周囲と見分けがつかず落ちるという事はまずなさそうだがと考える。

「お腹を空かせて、ここの柿でも見上げながら歩いていたんじゃないかしら」

 ヨツバにならって真上を仰げば、葉が落ちて空を透く枝に、数個残された木守り柿。鳥や旅人のために敢えて取らずにおかれたその実を見て、何にしろ飢えたり困ったりしている猫がこの町を徘徊しているのだとしたら、早く救わなければと思った。随分と臆病なようなので見つけるのが困難な分、余計に心配になった。

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